二章 ACT-13 帝国の虎
タレイアに駐屯するルシフェル直属部隊のもとに本隊到着の報が届いたのは、十の月、二週目の水の曜日であった。
早朝からそのような吉報が届いたとあっては、駐屯部隊とてだらけた醜態を見せる訳にはいかなかった。もちろんそれはルシフェルも例外ではない。
ルシフェルは早朝から、二人の美少女の猛攻をかわし、素早くフィアの衣装に着替えて、天幕へと移動した。
ルシフェルは天幕に到着するや否や、慌しく兵士に命令を下す。
「エルヴィン、出迎えの準備は整ったか?」
ルシフェルはエルヴィンに準備の経過を報告するように命じた。
エルヴィンも早朝から馬車馬のようにせっせと働き、出迎えの準備を整えている最中であった。
彼はルシフェルが天幕の席に腰を下ろしたのと同時に、普段よりも早口で説明を開始した。
「ガイザレス将軍率いる帝国陸軍本隊は現在、タレイアの城門を通過。あと、数分でこちらへ着くとの事です。こちらもユフィ様とローザ様の準備が整い次第、ガイザレス将軍をここに通す予定になっています」
「上出来だ」
帝国の虎将ガイザレス。
彼が出撃した戦で、負け戦だったという噂は全くと言ってもいいほど聞かない。彼の出で立ちについては、多々噂がある。
三歳の頃から、毎日のように滝に打たれて修行を積んだとの噂もあれば、六歳の初陣で手柄を立てた、などの現実離れした噂もある。
その知略に関しては年の功もあるのだろうが、五十路を過ぎた彼が誇る剣術は、活きのいい若人でも歯が立たない。それ程に、名の知れた勇将なのだ。
もちろんルシフェル、否フィアもそれに遅れを取らない。
故にこの二人が帝国の代名詞とも言える英雄と称えられているのである。
「ルシフェル、朝っぱらから大変な客人みたいだな。私も着替えに追われたよ」
天幕を開けて入ってきたのは昨日購入した洋服を身に纏ったユフィ、そしてローザ。
両者とも、一応、出席する気はあるようだ。
「ふん。何が着替えに追われていた、だ。朝早く俺をおもちゃにして遊んでいる暇あったら、その時間に着替えを済ませておけ」
ルシフェルは不機嫌に言い放つ。
それも無理はないのだ。
この二人は朝、起きれば必ずといっていいほど、ルシフェルのベッドを占領している。それも我が物顔で。
その上、ルシフェルを自分達のおもちゃとして、遊ぶのが日課となっている。今現在、ルシフェルの貞操が危うくなるようなことはないが、何時その言葉が覆されるかは分からない。油断禁物である。
「いいのか? 私にそんな口を聞いても。それか、私との契約を忘れたか? 誰のお陰で今のお前が、その力があると思ってるんだ?」
ユフィが悪魔のような笑みを浮かべて、ルシフェルを睨みつける。
この笑みは、何時見ても背筋が凍る思いをする。それもそのはず、この少女は”人”ではないのだから……。
「――――そうだな……、忘れてたよ。お前は俺の傲慢な契約者だったな。じゃあ、頼むから今後は俺のベッドに二人で侵入するのは控えてくれ。相手にして欲しいのなら、夜に幾らでもしてやる」
「おお、それは聞き捨てならない言葉だ。では今夜、私の相手を存分にして貰うとするか。ローザは次の日だ」
「ふ、勝手にしろ。それよりも今は客人を出迎える時。さっさと座っていろ」
ルシフェルはぶっきらぼうにユフィを突き放し、天幕に設置された臨時司令部の椅子に座らせた。ローザもそれに習う。
エルヴィンはというと、ガイザレス将軍をここに通すべく出迎えに向かった。
ルシフェルも自らの席に腰を掛けなおし、客人を。自分と並ぶほどの勇将を待ち受けることにした。
数分後、天幕に三つの人影が映った。おそらくエルヴィンとガイザレスはだというのは確実だろう。だとしたら、後の一つは副官といったところではないだろうか。
「フィア様、ガイザレス将軍がお見えになりました」
「分かった。通せ」
フィアは天幕の向こう側のエルヴィンに低いトーンで告げた。
その声に応じて、天幕の入り口に当たる部分が開いた。
威風堂々と進入したのは、言うまでもなくガイザレス将軍だ。
白髪交じりの髪を刈り込んで、カイゼル髭を生やして、鉄兜を装着している様は、並大抵の兵が正面に立つことが不可能なほどの威圧感を醸し出している。そして画体のいい図体。頭部を除く、全身にマクシミリアン甲冑を着込んでいる姿はもう言葉では表せない。
しかし何よりもフィアが目をやったのはその腰に携えられている長剣だった。
(――――あれが王剣リヴァイアスか…………)
王剣リヴァイアスはガイザレス将軍の愛剣であり、皇帝から直々に受け継いだとも言われる由緒正しき宝剣である。
そのシンプルな外見とは裏腹に、切れ味は天下一品。
大昔、北に存在した古龍山脈の巨龍の背鱗を一撃で切り裂いたというのだから、その性能たるものはお墨付きだ。もちろんフィアの持つ”神撃剣ルシファー”もそれには劣らない。
なんせ神を滅するために鍛えられた剣なのだ。それ程の代物を帝国の最新技術で改造してしまったのだから、王剣だろうと劣っているなどという事はない。
フィアは先ほどと変わらぬ声のトーンの中に、労いの意を込めてガイザレス将軍に言葉を掛けた。
「長旅の上、強行軍でお疲れだろう。どうか、腰を降ろしてくれ」
ガイザレス将軍は厳しい表情を崩さずに、天幕へと足を踏み入れた。その背後に続く人物は、フィアとも面識があった。
皇帝主席顧問官のグレゴールである。そして数少ないフィアの仮面の下の顔を知る人物でもある。
そのグレゴールはというと、感じのいいお愛想を浮かべていた。きっと道中、ガイザレスという堅物の相手を務めて参っているのだろう。
お愛想を崩さず、彼もガイザレス将軍に続くようにして天幕へと入った。最後にエルヴィンが音を立てずに入り、天幕の入り口に当たる布を下ろした。
新たに天幕へと足を踏み入れた二人はフィアが座る席の向かいに腰掛けた。その様子を確認し、フィアも改めて腰を降ろす。エルヴィンも同じく、フィアの隣に座る。
これで晴れて、今回の戦争での勝敗を握る一同が揃ったのである。
「――――――――」
「――――――――」
両者の間にまず流れるのは、沈黙。
沈黙以外の何者でも表現出来ない沈黙。冷たい空気が両者の間を吹きすさんでいる。
仮面のせいで元々、表情の読めないフィアはもちろんのこと。ガイザレス将軍も一切、表情を変えない。それが伝染したかの如く、他の面子も黙り込んでいた。
特にオーラが違うのはガイザレス将軍とフィアの間。お互いがなんらかのオーラで威嚇しあっている。
オーラというものに色はない(少なくとも一般人の視線で)のだろうが、この両者が放つオーラにはしっかりと色という固有のものが付いていた。
例えるのなら、ガイザレス将軍のオーラは熱い獄炎。フィアのオーラは冷たい闇である。
一進一退の攻防戦と同じように、両者が膠着する状態に終止符を打ったのは、フィアでもなくガイザレス将軍でもない。紛れもなく凡人に近い男だった。
「――――まずは自己紹介といきましょうか?」
沈黙を破ったグレゴールの声が心なしか震えているのは、よほどの緊張感を表しているのだろう。この状況で先手を切って、話題を持ち出したのは賞賛に値するが……。
「皇帝主席顧問官兼、帝国陸軍臨時副参謀のグレゴール・ダーミッシュです。どうかよろしくお願いします」
それに続くようにガイザレス将軍も口を開いた。
「私が、帝国陸軍大元帥を務めさせていただいておる、ガイザレス・ヴェン・アメジスティーだ。仮面の騎士殿」
ガイザレス将軍の重々しい自己紹介が終了した後、口を開いたのはフィアであった。
「私がフィアだ」
それにエルヴィン達が続く。
「フィア親衛騎士兼、軍務幕僚長、エルヴィン・フェーンです」
「フィア直属部隊総参謀のローザ・シャルドレーヌですわ」
「ユフィだ。フィアの連れとでも言っておこうかな」
ユフィの自己紹介に顔を顰めたのは言うまでもないガイザレス将軍だ。
(――――戦場に女を連れ込むのか?)
その目はそう語っていた。
この空気を打開するのはフィアの役目である。
「彼女は中々の剣の腕の持ち主だ。故に私の補佐を務めて貰っている。私との個人的な関係はない。ただの居候だ」
ガイザレス将軍は依然、無言だ。
「では、今後の方針についても含めて軍略会議を執り行いと思います。まず……」
「――――待て」
自然な流れで、完全に司会役としての任を任せられたグレゴールの言葉が遮られた。
全員がその声を発した人物を注目する。その人物とは、今まで二言程しか口を開いていないガイザレス将軍であった。
その場の視線が一斉にガイザレス将軍に集まる。
当人はというと、俯き加減だった顔を上げて、目の前に居る仮面の騎士フィアを見据えていた。
「――――如何した?」
この空気で平然と聞き返すフィアも中々の度胸の持ち主である。グレゴールとローザに至っては、肩をちぢ込めて小さくなっている。
ガイザレス将軍は、フィアから視線を一切動かさず、言葉を吐き出した。
「我等がこの度の戦で勝利するには絶対的な信頼が必要だとは思わないか?」
「仰るとおりだ。それが何か?」
「仮に兵がお前の主君として忠義を誓ったとしよう。素顔の分からぬお主を心から信頼し、義理を果たすと思うか?」
フィアは静かにその問いかけの真意を、核心を突いた。
「それは私にこの仮面を外せ、ということかな? ガイザレス殿よ」
場の空気が今一度、凍りつく。
ここの面子の中で、フィアの正体を知らないのはガイザレス将軍だけである。
「お察しの通り。私は信頼が必要だと思う。さあ、ここで仮面を外して頂けるかな?」
再び長い沈黙が場を支配した。
同時に息を呑む。ここで仮面を取るのか、取らないのか。その選択を迫られているのだった。
しかし、ここでもフィアは一同の意表を突くことになる。
「――――もし、素顔を見せることが真の信頼、忠義だというのなら。それは随分と浅はかなものなのだろうな。ガイザレス殿」
ぴくり、とガイザレス将軍の眉が動いた。それが怒りの感情なのか、それは計り知れない。
「素顔で信頼が、勝利が、結果が得られると考えているのなら、それは貴君の考えが浅はかだと言うことを肯定せざるを得なくなる。――――私は勝利を見せてきた。結果を見せてきた。そこに何の疑いがある? 貴君が望む信頼とは素顔を見せ合うことなのか? 貴君の忠義とは互いの信頼関係を固く保つことなのか? そして何よりも……」
フィアは言葉を切った。
仮面の奥から響く、低いトーンの声にはガイザレス将軍にも遅れを取らない威厳と威圧感がある。
「貴君の望む結果とは、勝利だけなのか? その先に存在する真の頂点を目指したいとは思わないのか? それこそが……」
「野心、と言いたいのか――――」
フィアは頷いた。
「私には野心がある。野望がある。そして如何なる犠牲を払ってでも、手に入れなくてはならないものがある!」
最後の一文には力が特別篭っている。
ガイザレス将軍は厳しかった表情を突如、崩す。高らかに笑い始めたのだった。
その光景には、エルヴィンも唖然としている。唯一、落ち着いているのはフィアとユフィだけだ。
「あっははははは!! すまない、すまない。少しフィアという人物を試させてもらったのだ。貴君がどれほどの思想を、野心を持った人物なのかということをな」
「やはり、そうか。それはこちらでも既に予想済みだ。貴君ならやりかねないと思っていた。”帝国の虎”殿よ」
それが皮肉なのか、素直に褒め言葉なのかもその仮面からは想像出来ない。
只、分かるのはそれに悪意がないという事だけ。
「――――では、軍議を再会しましょうか?」
グレゴールが和らいだ雰囲気を見据えて、先ほどよりも柔らかい表情で一同に呼びかけた。
フィアが頷き、ガイザレス将軍もそれに習う。
グレゴールが出した議題は次の攻略目標についてだ。
グレゴールの初期案はやはりレーヴォン地方、シェルヴィアだった。シェルヴィアが最適な理由、それは攻略目標までの道程に存在する砦や前哨が少ないという点だ。そして大きな街道を進む事で、進軍時間に要する時間が大幅に削減出来る。もちろん兵糧や弾薬などの物資の節約にもなる訳で、この案は難なく採用された。
「軍の総指揮権はフィア殿に譲ろう。貴君の腕前というものを見てみたい」
ガイザレス将軍のその一言で、指揮権がフィアに委任された。大戦だというのに、何ともアバウトな決め方である。しかしそのアバウトさが功を生む場合もある。
グレゴールがスムーズに進んだ軍議を終了しかけた時、天幕から姿を現したもう一人の人物が居た。
「あの、お義父様? もう――軍議は済んだのですか?」
フィアはその少女に目をやった。
薄い栗色の髪を結うことなく腰の中ほどまで垂らして、派手でなく、尚且つ地味でもないデザインのドレスを着込んだその娘はもじもじと義父を見つめている。
「貴君の娘さんかな?」
フィアは感じのいい声でガイザレス将軍に問うた。
ガイザレス将軍は照れたかのように頬を緩ませて、頷いた。
「養子だ。私には子がいないのでな、アレキサンドライト公爵家から養子として貰ったのだ。そろそろ嫁に出そうかとも、考えているのだがな……、いい相手は中々おらんものだ」
一息開けてガイザレス将軍は、フィアも予想はしてたが、まさか本当に言うとは思っていなかった言葉を口にした。
「良かったら、貰ってくれんかね?」
その言葉に反応したのはユフィとローザ。僅かながら、エルヴィンも耳を傾ける。
ユフィは憎悪としか表現出来ない”何か”を滾らせた視線でフィアを睨みつけた。
「――――フィア? ヘンな事、考えるなよ? お前は私と契約したのだからな」
「――――フィア様、私を捨てないで下さいね?」
随分と人聞きの悪いことを言っているが、フィアもぼろくそに言われるのは慣れっこだった。
しかしここで嫉妬心だか何だかを剥き出しにする少女を相手にして引き下がる程、彼も弱くはない。フィアは真面目に頷き、
「まあ、私の傍に置く事くらいなら出来るが……」
そして疑う視線を投げかける二人を見て、フィアは大きく頷いた。
「私が彼女に礼儀作法を教えよう。そうすれば、私以外にも貰い手は現れるかもしれない。何よりも覚えておくに越したことはない」
フィアの言葉には教育者としての意味合いも半分含まれている。しかしもう半分の意味は、彼女を自分の妃候補にするとも捉えられる。それは即ち、ユフィとローザにとって最愛の男性を初対面の人間に取られることを意味している。
それでおいて黙っている二人ではない。
「フィア!! お前、私を差し置いてその人間を選ぶつもりなのか!!」
「――――? 何のことだ? 私は別にこの娘と関係を持つとは言っていないぞ。まあ、持たないとも言っていないがな」
「!!?」
もちろんフィアの言葉はおふざけに過ぎない。しかしこのユフィという生物はそれを本気と捉えてしまったのだった。恨みの篭った視線を思い切りフィアにぶつけ、呪詛のように言葉を吐き続ける。しかしあまりに小声なので、フィアの耳には届くことはない。
フィアはというと、そんなユフィに目もくれずにガイザレス将軍と、娘を一応、妃候補として預かることについての承諾を取っていた。
そしてガイザレス将軍もあっさり許可。
流石、仮面の騎士である。
そんな戦とは何の関係もない話題で軍議は締めくくられ、ガイザレス将軍とグレゴールは天幕を後にした。書類整理の仕事があるので、エルヴィンも天幕から出て行く。ローザも花壇に水をやる、との理由で天幕を後にした。
そして残されたのはフィアと機嫌の悪いユフィと、突然のことに戸惑いながらも健気に笑っているガイザレス将軍の娘の三人となった。
フィアは彼女に目をやり、静かな声で尋ねた。
「まだ名前を聞いていなかったな。私に君の名前を教えてくれないかな?」
「ええと、その……わ、私はレイラ・ヴァン・アメジスティー。あの、よろしくお願いします、その……旦那様?」
「そうだな。私の呼び方については後で詳しく教えよう。この仮面の下にある小さな人物の顔をな」
フィアが仮面の下で笑う。依然、ユフィは顔を上げようともしない。
「屋敷に戻っていてくれ。カミラが遅めの朝食を用意してくれるだろう。私も君のことはレイラと呼ばせてもらう。よろしく、レイラ」
「は、はい」
フィアは身を翻し、天幕を後にした。ユフィも何も言わずに着いて来る。
彼に残された仕事はこの嫉妬心を剥き出しにする少女を宥めて、ご機嫌を取る事だった。しかしこれが一苦労なのだった。とりあえず、フィアは天幕からそう遠くない、屋敷の裏庭でこの仕事をこなす事にした。
天幕を出たガイザレス将軍とグレゴールは街に溢れる自軍の兵士を監視するような視線で眺め回しながら、下種な行為を行わんとする輩がいないかを調べているのだった。
帝国陸軍の正規兵たるものが敵地で女子供に狼藉を働くのは言語道断とされている。少なくとも彼の指揮する軍団では。ガイザレス将軍は軍人として、「敵国人にも敬意を払って接するべし」ということを部下に教えてきた。それゆえ、彼はこれほどの軍団を歩幅一つ乱さずに指揮することが出来るのだ。
そしてその隣を歩くグレゴールは先ほどのやり取りについて、ガイザレス将軍に賞賛の意を込めて、拍手を送っている。
「いやはや、人格を探るとは言っていましたが、まさかあれほどにストレートにいくとは……、全くもって感服致しましたよ」
ガイザレス将軍も心なしか、顔に笑みを浮かべている。
「私はあやつの人間としての資質を見てみたかっただけだ」
「で、どうでしたか?」
「ふむ、素晴らしかった。流石、仮面の騎士を名乗るだけのものはあるな。虎将と呼ばれた私でも敵わんわ」
くく、とグレゴールが苦笑する。
「貴方がそれ程と言うのなら、フィアは本物の名将なのでしょうね」
いやいやと言った感じにガイザレス将軍は真面目な顔で首を横に振った。その動作に含まれているのは否定の意ではない。
「奴は名将どころではない。人の上にたつ人物だ。何れは我が帝国の脅威になるかもしれんな」
そのとんでもない発言に、グレゴールはまたもや苦笑。
しかし彼はこれを本気で言っているのだ。フィアという人物の実力を、そして仮面の下に隠してあるその野心を、見抜いていたのだった。
そしてこの何気ない会話に含まれていた事項は、やがて真実となった。しかしそれはまだ、先の話である。
このタレイアの屋敷の裏方にひっそりと存在する裏庭は、その”裏”という言葉が全く似つかないほど、色とりどりの花々で埋め尽くされていた。一輪一輪が互いに競い合うように咲き誇る様は、戦乱を生き抜いてきたルシフェルにとっては共感すら覚える。そんな裏庭で頬を膨らませているのは、ユフィ。そしてその傍らに立って、花を見回すのはルシフェルである。
ルシフェルはちらりとユフィに視線をやる。その視線に気付いたユフィは流れるような黒髪を細い指で梳いて、愚痴だか何だかをこぼす。
「――――まさか、お前がそこまでの変態だとは思ってもいなかったよ。ずっと、シスコンだと思ってたが、正体は只のロリコンという訳か。このド変態が……」
「その変態の契約者になったのはお前だ。俺の本質を見破れなかった、お前のミスだ。それと俺はロリコンではない」
皮肉と訂正を交えた言葉をユフィに吐き捨て、ルシフェルは仮面を地面に投げ置いた。
「それにお前が見込んだのは俺の持つ願いだろう? この悪魔め」
「ふん。お前も十分、悪魔だ。破壊と断罪の悪魔、ルシフェルめ」
ルシフェルは返された皮肉を笑い飛ばし、空を見上げた。日が真上まで昇りつつある空は、裏庭全体に暖かい空気を生み出していた。
そして拳を握り締め、睨むかの視線を誰でもない、空に投げかけた。
「俺はあの日、全てを失った。絶望もしていた。――希望なんてものは存在しなかった。しかしお前と出会い、契約を結んだ。そのお陰で今の俺があるんだ。それについては感謝しているよ。俺は…………」
ルシフェルは突如、笑みを浮かべた。悪魔と呼ぶに相応しい邪悪で、不敵な笑みを。その顔には正義など存在しない。
「俺はこの世界を手に入れる――――全てを壊し、全てを裁いてやる!! 俺の邪魔をするなら、それが誰だろうと叩き潰す! 例え親友でも、仲間でも、そして愛する人間でもだ!」
「ご大層な覚悟だな」
「当たり前だ……、これは俺の人生だから。俺はこの腐りきって、堕落した世界に俺の名を刻んでみせる。俺が全てに復讐を誓った日から、この遊戯は始まってるんだよ」
ルシフェルは邪悪な笑みを崩さずに、今一度自分の言葉を噛み締めた。
正義の仮面を被った悪とはこのことを指すのだろうか。それは知る由もない。
ただ、この青年がまさに悪魔だということだけは認めざるを得ない。
彼の物語は始まったばかりだった。
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