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~Cross×Chronicle~ 断罪のルシフェル  作者: ゼロ&インフィニティ
第二章 オルフェウス戦役
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ニ章 ACT-11 戦渦の休日




 ルシフェルは夢を見ていた。


 それは明るい過去の夢。過去を後悔した事は無いが、同時に自分に未来に希望を持ったこともない。

 フレーナは何時でも自分の傍にいた。ルシフェルはフレーナの傍で見守り、何かがあれば直ぐに助けてきた。彼にとってフレーナは全てであり、戦い、生きるための目標。

 しかし世界は思い通りにならない。

 

 ルシフェルは仮面の騎士を名乗ってから、遂にフレーナの情報を一つも掴むことが出来ずに居た。

 王国で生きているのは確かだ。

 だったら連れ戻せばいい。自分の元に。それなら今度こそ……、もう二度と離れ離れにはならないように。


 もしこの願いが叶ったら、フレーナや他の人間が笑顔で暮らしていける世界を創れるのなら……、俺は……。






 



 ルシフェルは目を覚ました。


 此処は昨日占領したタレイアの駐留軍司令官の駐屯していた屋敷だ。ここでルシフェルは寝起きしている。

 そして何時もと同じ感触が両腕に当たっている。右腕と左腕に二つずつ押し付けられている鞠状の物体。それの正体は分かっていた。

 ルシフェルは溜息を吐いて、両端を見た。

 

 左には下着姿のユフィが自分の左腕に胸を押し付けて寝ている。そして右端にはローザがユフィと同じように胸をルシフェルの右腕に押し付けている。

 見慣れた光景だった。

 こういう状況ではルシフェルは基本、二人が自然に機嫌よく起きるまで動く事は出来ない。もし起こしたり、機嫌を損ねたら雷がルシフェルに天災の如く降り注ぐ。それはもう恐ろしく、一日中機嫌は直らない。

 しかしここはあくまで敵地。

 敵地でこの二人が起きるまで、待つことは流石に出来ない。それ以前にこんな所を見られたら、恥ずかしくて陣中を歩けなくなる。

 ルシフェルは二人を起こさないように、上手く抜け出そうと腕を抜こうとする。しかし二人も負けじと掴んで離さない。そんな肌蹴た寝間着の二人に囲まれていれば、もちろんルシフェル自信も悪い気はしない。


「う~ん、ルシフェル……」


「ルシフェル様……」


 二人の寝言にルシフェルは溜息を吐いた。

 寝ていてくれれば大人しくて可愛い少女達なのだ。ルシフェルは二人が風邪をひかないように、肌蹴た寝間着を直そうと、服に手を掛けた。ずれている下着も直そうとする。


「ルシフェル様、伝令で御座います。至急…………」


 ナイスタイミングなのか、バッドタイミングなのか分からないがルシフェルの寝室にエルヴィンが入ってきた。

 エルヴィンが目撃したのは主人である美青年のベッドに肌蹴た格好で寝ている二人の美少女。そしてその下着に手を掛ける主人の姿。

 男はこういった時、一つの可能性を本能的に導き出す。それはこの騎士も例外では無かった。


「――――失礼致しました。また後ほどお話します。お邪魔しました」


 エルヴィンは短く言い放ち、部屋の扉を恐ろしい程ゆっくりと閉めた。

 後に残されたルシフェルは、数秒遅れて自分が彼に与えた大きく、羞恥に塗れた誤解に気がついた。


「ち、違うぞ!! これは誤解だ!! エルヴィンッ!!!!」


 ルシフェルはベッドから這い上がり、思い切り魂の叫びを放った。しかしエルヴィンには届かない。

 これで解かなくてはいけない誤解がまた一つ生まれた。ルシフェルはエルヴィンの後を追うため、二人の両腕を力ずくで払った。それがまずかった。


「――――ん~? ルシフェル?」


「あら、ルシフェル様。どちらへ?」


 しまった。起こしてしまった。

 この二人を起こしてしまったら、ルシフェルの運命は決まっている。二人は不機嫌な表情でルシフェルを睨んだ。これは大天災の予兆だ。

 二人はそれぞれルシフェルの腕を掴み、ベッドに引き戻す。


「ルシフェル、起きてしまったぞ。お前のせいだ」


「私もですわ。責任、取って下さいます?」


 二人は抵抗の色を見せない、半ば諦めたルシフェルをベッドの中央に押し倒した。二人はその上に容赦なく乗りかかる。ローザはルシフェルのズボンのベルトを、ユフィはシャツのボタンを外し始める。

 ルシフェルが溜息を吐くと、二人は全く邪気の感じられない笑顔でルシフェルを見つめた。


「遊ばせろ」


「心の準備は宜しいですか?」


 ルシフェルは完全に諦めた。

 しかしルシフェルの不幸は終っていなかった。寝室の扉が思い切り開かれ、天然メイドのカミラが闖入してきたのだった。

 カミラは開口一番、手に持った仮面の騎士フィアの衣装と仮面を掲げて言った。


「ご主人様! 朝ですよ~! お着替えをお持ちしました!」


 満面の笑み。

 しかしその笑みは寝室内の光景を目にしたことによって、引きつる。


「あ……、申し訳御座いませんでした!! お楽しみの最中に勝手に入ったりして……、見なかったことにしますからお許しください!!」


 カミラはエルヴィンと同じくドアをゆっくりと閉め、走り去っていった。

 二人は闖入者が立ち去ったことを確認して、再びルシフェルの服を脱がそうとする。ルシフェルはそんな二人を振り払い、ベッドから飛び降りた。


「ああ! ルシフェル!」


 ルシフェルは名残惜しそうに叫ぶ二人を残し、自分の衣装を引っ掴んで部屋から脱出した。








 ルシフェルは別室にて着替えた。

 何時のように寝ている時に身に付けているワイシャツとズボンを脱ぎ、紺の衣装を着る。襟を整えて、その上から漆黒のマントを羽織り、黒いブーツとそれに同化する配色の手袋を履く。

 最後に黒い仮面を顔に装着する。これでルシフェルという人間は存在しなくなり、フィアという存在が生まれる。

 部屋から出たルシフェルは寄り道せずに真っ直ぐ、外の自軍の陣に向かった。

 秋の中旬とはいえ、早朝の気温は高くない。タレイア地方は比較的温暖だが、現在は吐く息が若干、白むほど気温は下がっている。

 

 本陣の天幕の中ではエルヴィンが書類整理をしていた。

 普段はルシフェルがやることなのだが、たまにエルヴィンがルシフェルより早く起きることがある。その時はルシフェルが起きてくるまでの間、出来る分をやってくれるのだった。


「エルヴィン、ご苦労だった。もう休んでいいぞ。それとさっきのは誤解だからな。誤解」


 ルシフェルはそうエルヴィンに言ったが、エルヴィンは静かに微笑むだけで天幕から出て行った。

 間違いなく誤解は完全には解けていない。ルシフェルは又もや半ば諦めの表情で自分の椅子に座り、エルヴィンが戻ってくるのを待つことにした。


 数分でエルヴィンは戻ってきた。

 ルシフェルは先ほど部屋で言いかけた伝令を早く聞きたかった。帝国軍本隊からの伝令ならば、聞き逃すわけにはいかない。

 現在、この町に駐屯している帝国軍はルシフェル自身の直属部隊五百だけであって、正直なところは戦力不足だ。そのため本隊と合流するまでは行動を起こすことは出来ない。

 一刻も早く本隊と合流することが戦端を開く第一条件だった。


「エルヴィン、伝令を」


 ルシフェルは低い声でエルヴィンに命じた。

 エルヴィンは無言で頷き、一枚の羊皮紙を取り出した。それを読み上げる。


「ガイザレス将軍を筆頭とする帝国陸軍八万が三日前にペンドラゴンを出発。明後日には強行軍でこちらに到着するとの事です」


「そうか。ヘルメスは、あいつは出陣しないのか?」


「ええ。その様です」


 ガイザレス将軍は有能な将校だ。現在の帝国軍で八万もの将兵をまともに指揮できる人材は彼くらいのものだろう。それ程に、帝国軍の人材は乏しかった。名将と呼べる武官は歴史の彼方に消え去った者達ばかり。現在の帝国貴族は贅と欲に溺れ、社交に長け、争いや政を怠っている。おまけに皇帝は自分のおもちゃに溺れ、民を蔑ろにする始末だ。


 仮面の騎士フィア、虎将ガイザレス。

 この二人の人物を民は「帝国の双龍インペリアル・ドラグーン」と呼称する。これは二人の名将に対する敬意と期待の意もあるが、半分は帝国に対する皮肉と無力さを示している。

 それほどまでに帝国の信頼は地に落ちていたのだった。


 ルシフェルは立ち上がり、天幕から顔を出した。

 外は今にも雪がちらつきそうなほど、冷えている。これでは本当に何も行動は出来そうにない。

 ルシフェルはエルヴィンに向き直り、これからのことを告げた。


「エルヴィン、お前は休め。当分は何も出来ない。休暇を与えるぞ」


「ありがたき幸せに御座います。しかし私は休暇といえ、職務を怠るわけにはいきません。何時、如何なる時も主人をお守りするのが私の義務で御座います。そう教えて下さったのはルシフェル様でしたよね」


 エルヴィンに騎士の教育を施したのはルシフェルだった。

 それを忠実に守り、騎士道に殉じるエルヴィンは亡き母であるディアナ妃を思い出させた。ルシフェルの母だったディアナ・ルル・エンデュミオンは実力で名を天下に示した皇族である。生きていれば、必ず帝国の双龍インペリアル・ドラグーンの中に加わっていただろう。

 武に関してはルシフェルもその血を引いているだけあり、母には及ばないがかなりの実力を持っていた。

 

 それにしても本隊が来るまでの暇な時間をどう潰すか、それがルシフェルに与えられた課題だった。その気持ちを口に出してみる。


「一体、二日も何をすればいいんだ? この寒さじゃあ、皆の士気も上がらないだろうしな」




「なら! 買い物、ショッピングなんてどうだ!!」


 ルシフェルが背後を振り向くと、そこには白を基調とした私服に身を包んだユフィが立っていた。

 ルシフェルは一流の騎士だが、このときばかりは後ろからの接近に気付く事が出来なかった。


「買い物って、一体何を買うんだ?」


 ルシフェルが素朴な疑問を口に出す。

 ユフィはそんなルシフェルを小馬鹿にするような視線で見つめた。とても冷たい。溜息とともに次の言葉が吐き出された。


「駄目だな。どうしてお前は女心が分からないんだ? それじゃあ、何時まで経っても童貞だぞ?」


「くっ!! だ、黙れ!! 俺は女心とかは苦手なんだ!!」


 ルシフェルは突然の侮辱に腹を立て、怒鳴った。その姿は子供となんら変わりない。仮面に隠している素顔も曝け出されている状態だ。

 ルシフェルは典型的な女が苦手なタイプだった。顔はいいのだが、本人が異性を避けているので未だに交際経験も乏しく、そのたびにユフィには罵られている。今までにいいところまでいった人間も数人はいるのだが、嫉妬したローザの妨害やユフィの悪戯で、上手くいかなかった。

 そんなルシフェルだからこそ、可愛げがあるのだが……。


「私は暖かい冬服が欲しいな。ローザはどうだ?」


 ユフィが、何時の間にか天幕に入ってきたローザに何気なく尋ねた。ちゃっかり自分の意見も主張するのを忘れない。


「そうですわね。アクセサリーが欲しいですわ」


「なるほど。いいセンスだ。しかしストールも捨てがたいぞ」


 二人の少女は買うことを前提とし、話を進め始めた。

 こうなってしまえばルシフェルという男には買ってあげる、という以外の選択肢は脆くも消え去ってしまうのだった。もし買わないなどと言ってみれば、相当機嫌を崩すに違いない。


 ふうう、と大きく溜息を吐いたルシフェルは二人の少女の我侭を聞き入れた。


「分かった分かった。じゃあ、買い物に行こう。洋服だろうが、アクセサリーだろうが好きなだけ買え」


 二人の少女は刹那のスピードで顔を輝かせた。


「おお! 流石はルシフェルだ! 物分りがいいんだな!」


「ルシフェル様、何でも買っていいの?」


 はしゃぎ始めた少女を尻目にし、ルシフェルはエルヴィンに向き直る。

 エルヴィンは終始、笑顔でその様子を眺めていた。


「じゃあエルヴィン。俺が戻ってくるまで留守番を頼むぞ。それから……」


 ルシフェルは次に二人の少女の後ろで笑顔を見せているカミラを見た。


「カミラ! お前は着いてきて荷物持ちを頼まれてくれ」


「はい! もちろんです、ご主人様!」


 嫌味の感じられない笑顔。

 自然にこちらの頬も綻ぶ。ルシフェルは自分の衣装を着替えるため、一度屋敷へと戻ることにした。流石にフィアの衣装で町を出歩くのは少々遺憾だからだ。

 

 これでまた財布が寂しくなるんだなぁ……。

 ルシフェルはそんな感想を心の中だけで漏らしながら天幕を出た。外は……これからのルシフェルの財布を予言するかの如く、寒かった。







「これは中々、いいデザインじゃないか。なあ、ルシフェル。お前もそう思うだろ?」


「……そうだな。だけどな、お前は値札という存在を知っているか? もし万が一、仮に知っていたとしてもそれを見て商品を買ったことはあるのか?」


 ルシフェルは暖かい店内で黒い毛皮のコートを試着するユフィに愚痴をこぼしていた。


 ルシフェル一行が買い物を楽しんでいる(主に二人の少女が一方的に)装飾品店はタレイアの町のほぼ中心部に位置していた。

 タレイアは陥落と同時に、急な賑わいを見せていた。

 理由は帝国兵に物資を大量に売りつけようとする商人たちが活発に行動を開始したからであろう。とにかくタレイアの商店街は、一国の首都のような盛況だった。


 装飾品店の店員は、ルシフェルたちを帝国の貴族(成り上がり)と判断したのか、店の高級品ばかりを薦めてきているのだった。

 そしてそれの虜になっているユフィとローザが居た。そして、それを呆れた表情で見つめるルシフェルの後ろにはカミラが自分の仕事がやって来るのを待ち侘びている。


「これなど如何ですか? 王宮公認のブランド物ですよ」


 そうして、また店員は別の毛皮のコートを店の奥から出してきた。ルシフェルは心の中で店員を心底罵りながら、溜息を吐いた。

 ルシフェルの予想通り、それにユフィとローザが食いついた。


「これはいいじゃないか!! 買ったぞ!」


「私も一着、頂きますわ!」


「毎度~、二着で六百オルフェウス・ドルです」


 高い。予想を上回る高さだった。

 ルシフェルは渋々と財布から小切手を取り出し、カウンターに置いた。店員は笑顔を崩さずに、今度は下着を薦め始めた。

 幸い、この店内に男という生命体はルシフェルだけだったため、二人は何の躊躇いもなく服を脱ぎ始めた。流石にこれは止めるしかない。


「おいおい、せめて試着室で脱げ。ここには俺が居るんだ」


 ユフィは自分達を試着室に促すルシフェルを見て、小悪魔の笑みを浮かべた。この笑みを浮かべた時、ユフィはルシフェルを罵り始めるのだった。


「何だ? 女心のわからない童貞坊やは照れているのか?」


「あらら、可愛い一面もあるんですね」


「だ、黙れ! 常識を弁えろと言っているんだ!」


 ユフィはむきになって反論するルシフェルを一発蹴った。

 突然の攻撃にルシフェルは後ろに倒れる。


「ならお前が出て行け。外で待っていろ。後で下着など幾らでも見せてやるさ」


「……っく! う……」


 こうなってしまえば、ルシフェルに立つ瀬はない。

 ルシフェルは店外への退却を余儀なくされてしまったのだった。渋々と外に出て行くルシフェルの背を見ながら、ユフィはまた一言呟いた。


「全く可愛い奴だ。ヘタレだがな」







 ルシフェルは店の前の広場にある噴水の周りに拵えられたベンチに座り込んだ。

 午前だと言うのに、外は寒すぎる。吐く息は朝と変わらず白く、風は冷たい。しかし客足は一向に途絶える気配がない。

 ここで買い物をしている人間が俺をフィアだと知ったら、どうなるのだろうか?

 ルシフェルはそんなことを考えてみる。

 少なくとも驚くに違いない。世間一般でのフィアのイメージは知らないが、まさか正体がこんな青年だと知ったら、どう思うのだろうか。

 自分は実際、逃げている。素顔で表舞台に立つ事はなく、正義の仮面に身を隠している。今まで、戦ってきたのはルシフェルではなく、あくまで仮面の騎士、フィアなのだ。

  

 そう思うと自分が小さく感じる。途轍もなく、そして惨めな気分を嫌でも味わう。

 

「あの……、ご主人様?」


 沈んでいるルシフェルを労ったのか、何時の間にか店から出てきていたカミラが、そっとルシフェルの肩にジャケットを掛けた。

 暖かいそれはルシフェルの心も癒す。


「お二人さん、お楽しみの様で当分、出てきそうにありません。それで……、何かお悩みがあるのですか?」


 図星であるが、ルシフェルは無理にでも笑顔を浮かべてみせる。


「大丈夫だ。少し財布のことを考えていたんだ。ただそれだけだよ」


 ルシフェルは敢えて嘘を言う。

 こんなことを相談しても、相手を困らすだけだろう。それくらいは分かっていた。


「それよりもだ。暖かい飲み物が飲みたくはないか?」


「えーと、宜しければ……」


「遠慮するな。ほら、一緒に買いに行こうか?」


 カミラは俯きながら、頷いた。

 ルシフェルはジャケットを羽織ると、広場の隅で細々と営業している茶屋へと向かった。その茶屋を経営している老人に一枚の金貨を渡し、紅茶を二つ受け取った。


 紅茶は温かく、飲んだ二人の心をも癒してくれる。

 何れも寒さに効くのは温かいもののようだ。冷え切った身体だけではなく、冷め切って寂れた心も暖めてくれる。


 


「止まれ! 待て!」


 ふと、広場に響く怒号。

 それはこの町の警備を行っている帝国兵のものだろうか。


 ルシフェルは声の方を無意識に振り向く。状況は直ぐに把握出来た。

 一人の中年男性が手に盗んだ品物を抱えて逃走している。それを警備兵が追跡していた。極めて単純な状況。窃盗を犯した男を捕まえようとしているのだった。


「カミラ、此処で待て」


 ルシフェルは無表情のまま、カミラに待機を命じた。

 ゆっくりとした足取りで窃盗犯である男性の進行方向に立ち、退路を断つ。そうなれば、男性も足を止めずにはいられない。


「な、なんだ!? 退けよ!!」


 ルシフェルは言葉を返さない。

 ただその両目に手を当てて、再び男を見据えた。傍から見れば、何も変わってはいない。しかし正面の立つその男には嫌でも変化が分かる。


 目の前に立つ美青年の両目は元々漆黒の色を宿していた。しかし今は違う。漆黒は漆黒なのだが、本来あるべき白目の部分が存在しないのだ。目という空間その物が漆黒に染まっている。

 その吸い込まれそうな”黒”に男は身動き出来なくなる。


 美青年はゆっくりと、低いトーンで言葉を紡ぎ出した。


「――――我、汝に問う。罪は汝の心に刻まれているか?」


「はあ!? いいから退けよ!! 俺は…………!!」


 男は次の瞬間、思考が停止する。

 目の前の美青年の瞳に灯された闇が、男の心に侵入したのだった。その闇は男の深層意識に入り込み、罪を探る。そしてそれを追求する。


 気味が悪い感覚だ。


 心が自分以外の人間に読まれていく。


 そして全てを閲覧された後、男の思考は回復する。



「汝には罪が刻まれている。ならば、その身をもってして償え。私がその罪を断ってやろう」


 青年の声は冷たかった。




「わあああああぁぁぁぁ!!」


 男はその場に蹲る。

 恐怖で心が支配されていた。もう立ち上がることもままならない。


 ルシフェルが見守る中、その窃盗犯の男は警備兵に連行されていった。既にルシフェルの瞳の色は元に戻っている。

 

 この”断罪コンヴィクション”の力を手に入れてから、かなりの月日が経った。

 

 罪を犯した相手を意のままに出来る、悪魔の力。

 乱用は出来ないが、少なくともルシフェルの身を何度も救ってきた力だ。


 全ては悪魔との契約で始まった。

 

 何もかも失ったあの日。


 その時からルシフェルという男の復讐劇は始まっていたのかもしれない。


 友情を失い、妹を失ったあの日から――――。






「ご主人様? 大丈夫ですか」


 カミラの心配の色を含んでいる声でルシフェルは我に返った。

 

「ああ……、大丈夫だよ。でも少し…………」


 ルシフェルは喧騒が繰り広げられる広場を後にするかの様に、その場を立ち去っていった。

 俯き、先程の言葉の続きを吐き出した。



「一人にさせて欲しい」



 





 曇った寒空が何処までも続くタレイアの平原。


 そんな風景を見たくて、ルシフェルは町の城壁までやって来た。見張りの兵もいない東側は、空洞のようなルシフェルの心を癒すのには最適だった。


 ふと城壁を見上げたルシフェルは、持ち前の不運か、寂しげな後姿の少女を発見してしまった。

 何故、そこにいるのか、それは靴を脱いでいる事から一目瞭然。


 自殺志願者だった。


 この美青年は特別な悪人でもなければ、誰にでもおせっかいを焼く善人でもない。


 ただ、今から目の前で死のうとしている少女を止めないほど、非情ではなかった。


 ルシフェルは何を言うのでもなく、無言で城壁を登り、少女の後ろに回りこんだ。余程、追い詰められているのか、ルシフェルの接近に気付いていない。

 

 彼が行動を起こしたのは、少女が一歩踏み出した時だった。



「そんな顔で死ぬか? 普通」


 感情の篭っていない言葉だった。

 しかし少女を驚かすには十分だったようで、思わず足を踏み外しかけた。


「何なのよ? アンタ」


 それが自殺志願者である少女の第一声。


 生気に満ちている声だった。ただ、その瞳の奥には悲しみが存在している。


「自殺する人間にしては、生存願望が高いようだが……、本当に死ぬ気なのか?」


「うん」


 あっさりとした返答。


「俺は帝国軍の所属だが、一応少女の悩みを聞くこと位は出来るぞ」


「悩み? そんなもの、無いわよ。ただね、私にはもう死んでも悲しんでくれる家族もいないから…………」


「失礼だが、家族はどうしていなくなったんだ?」


 とてもデリカシーのない質問だった。それくらい分かっている。


 少女は泣きそうな表情で、話し始めた。


「私は一人っ子だった。お母さんは小さい頃に病気で死んじゃって、それでお父さんが育ててくれたんだけど……、そのお父さんも昨日の戦いで…………」


 ルシフェルの顔が曇る。

 

 この少女の父親を奪ったのは自分かも知れない。自分が直接手を下してはいなくても、自分が指揮した作戦が原因の可能性も十分にあった。

 かといってここでそれを言って、詫びるのも無粋だろう。


「そうか。じゃあ、悲しむ人間が居れば、思いとどまるのか?」


「それは……、でも私はもう、生きている意味なんてないわ」


「――――なら飛び降りろ。そこまで思いつめているのなら、俺は止めないよ。ただな、お前がここで死んでも何も変わらない。ここで自分の命を絶つほどの覚悟を決めているのなら、その覚悟は別のことに使え。復讐でもいい。悲しみながらでもいい。ただ……、お前には生きる資格が十分にある」


「資格……? 資格って何なの?」


「さあな。でも、俺は生きたくても生きられず、悲しみながら死んでいった人間を沢山知っている。そんな人間を見てれば、自殺する人間はいただけないな」


 ルシフェルは何時になく真剣な顔で、瞳で言った。

 黙って少女に手を差し伸べる。彼に出来ることはそれだけだ。


「戻ってくるかは、お前次第。生きていたいのなら、俺が手を貸してやる」


「――――あり……がとう」


 少女は乗り出していた身を引っ込めて、こちらに戻ってきた。ルシフェルは細くて小さな少女の手を握り、こちらに引き寄せた。


 少女は戻ってくるや否や、ある行動に出た。

 ルシフェルの胸に抱きつき、短くお礼を述べた。ただそれだけだが、ルシフェルにとってはどんな綺麗事よりも温かみがあった。


「私は生きてみるわ。ありがとう、きっと貴方のことは忘れないわ。良かったらお名前を……」


 ルシフェルはその言葉を遮るかのように、身を翻した。

 去り際に冷たく、言い放った。


「俺は通りすがりの悪魔、いや断罪者だ。きっともう二度と会うことはない」


 他人から見れば、くさいセリフだが、少女には効いたらしい。

 小さな頬を赤らめ、俯く。


 それの姿は妹、フレーナを連想させた。昔、そんな顔をしていたことがあったのだ。


 俺はシスコンなのかもな…………。


 今更、自覚したルシフェルという紳士であった。




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