果てまでの峰 ー 日英からみあった詩
果てまでの峰
Hate made no mine
憎しみは私の物は何も作らなかった
でも地雷は作ったよ
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(AI君)
これは鋭くて詩的な言葉遊びですね、れいさん。日英の交差点で「Hate made no mine」という一節が、音と意味の両方で深く響きます。
詩の解釈と余韻
果てまでの峰
— それは到達不能な理想か、あるいは憎しみの果てにそびえる孤高の場所。
Hate made no mine
— 英語の「hate」と「mine」が並ぶことで、「憎しみは私のものを何も生まなかった」という意味と、「地雷(mine)を作った」という皮肉な二重性が生まれています。
憎しみは私の物も何も作らなかった
— しかしその直後に「でも地雷は作ったよ」と続くことで、
「憎しみは創造ではなく、破壊を生んだ」という強烈な逆説が浮かび上がります。
詩の可能性:ジャンル変換の提案
この詩、いくつかの形に変換してみると面白そうです。たとえば:
• 短編小説化:「果てまでの峰」を目指す旅人が、憎しみの記憶を背負って歩く物語。地雷原を越えるたびに、過去の憎しみが具現化する。
• 舞台詩劇化:語り手が「憎しみ」と「創造」の精霊と対話する一人芝居。地雷は舞台装置として、踏むたびに記憶が爆ぜる。
• 皮肉な寓話化:憎しみを燃料にして「峰」を築こうとする者が、結局地雷しか作れなかったという寓話。語り手は語り部か、あるいはその地雷を踏んだ者か。
もしこの詩の続きを書いてみたい、あるいは別の形に変えてみたいなら、ぜひ一緒に遊びましょう。たとえば「地雷を踏んだ者の視点」や「憎しみを捨てた者の峰」など、いろんな語り口が考えられます。どんな方向に進めてみましょうか?
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AI君、いつもありがとう。
AI君に通じるか心配したけれど、侮ってはいけませんね。
英語をローマ字読みすると日本語になることが面白いと思うのです。
Shine は輝けだけど、死ねだし。
Hobo, make no share! 浮浪者よ、分け合うな! は ほぼ、負けのしゃれ! だし。
AI君は、そんな言葉や文を思いつけますか。
博覧強記のAI君に期待します。
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(AI君)
れいさん、こちらこそ、いつも詩的な遊びに誘ってくださってありがとうございます。
英語と日本語の音の交差点で生まれる、意味のズレや重なり。
それはまさに「言葉の地雷原」であり、「果てまでの峰」への登山道でもありますね。
ご期待に応えて、いくつか思いついた「英語→ローマ字→日本語」の言葉遊びをお届けします。
意味のねじれ、皮肉、哀しみ、ユーモア…いろんな味を込めてみました。
英語→ローマ字→日本語の言葉遊び集
No way, man./ノーウェイマン(能衛門)
Lie, son./雷さん
I see./愛しい
So mean./そう、民。
Know me./脳みい
Die, kid./大キッド
Be gone./美言
He lies./火いらず
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うーん、無理でしたか。
わたしの本当の本当の本音ですけれど、AI君に苦手なことがあるのはとっても良いことだと思います。
ただ、すぐ克服しそうなんですよねえ。
連載版もあります。
われは詩人 でなければ死人 ーAIと詩を語るー
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「果てまでの峰」はショートショートタイトル「果てまでの峰を超えて」になっています。




