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ドアマットには地雷が隠されている〜婚約者が尊すぎるので仕方ないですよね〜

作者: Lemuria

「はぁ……この国って、本当につまらないわね」


 そう言って、亡命してきた隣国の姫君は、わざとらしくカップを揺らした。

 

 名前?なんだっけ?ナメリア?ダメリア?

 ……ああ、カメリアだっけ。

 興味なくて中々覚えられないや。

 

 カメリアがカップを揺らすと、紅茶の表面に小さな波が立って、白磁の皿に当たるスプーンがカチリと鳴る。

 

 この女は、隣国の王族で、クーデターを起こされて命からがらこの国に逃げ込んできた。保護してもらってる立場だっていうのに、その口から出てくるのは礼じゃなくて文句ばかり。こちらの方が小国だからって見下してる上に立場が上と勘違いしている。クーデター起こされてるくせに。

 

 相手は王族だから、皆が扱いに困って私に相談役として相手するよう押し付けられた。

 こういう厄介な相手は、なぜかいつも私に回ってくるんだよな。

 こんなの、どう考えても法務長官の仕事じゃないと思うんだけど。


「そうですか」


 適当に口を動かす。

 中身なんて無い返事でいい。

 余計なことを言うと長くなるし、逆に面倒なことになる。

 どうせこっちの言葉を求めているわけじゃ無い。

 相槌さえ打てば、彼女は勝手に喋り続けるのだ。


「料理も酷いわね。香辛料も無ければ、砂糖すらろくに使ってない。これじゃ家畜の餌と変わらないわ」


 はいはい。

 そっちの皿に山盛りの砂糖壺があるのは、わざと見ないふりしてるんだろうな。見えていても文句を言いたいから言うんだろう。


 私はカメリアに見えるように匙を突っ込んで砂糖を紅茶に入れ、軽くかき混ぜたあと口に運ぶ。

 普通に甘い。

 むしろ甘すぎるくらいだ。

 砂糖が無いんじゃなくて、脳みその方が足りてないんじゃないかと思う。


「聞いてるの? 使えないわね」


「すみません」


 形だけの謝罪を口にしておく。


 紅茶の表面に映る自分の顔をぼんやり眺めてごまかす。……疲れた顔してんな、私。


「全く……いつまでこんなところで待たせるのよ。早く宮殿を用意しなさいよ」


「まだ亡命者に対する法が整っておりませんので、現状は緊急避難という形になっております」


 仮に進んでいたところで、こいつに用意する宮殿なんてあるわけない。宮殿なんて王族ですら限られた者にしか与えられない。亡命してきた余所者に一つ丸ごと明け渡す国なんて、世界のどこを探しても無いだろう。


 カメリアはわざとらしくナプキンをテーブルに叩きつける。白い布がくしゃりとして皿の端に掛かる。侍女が慌てて直そうとしたが、彼女が手で払って追い返した。


 「法? あなた、あんまり頭良くなさそうなんだから、適当なこと言わないでよ」


 法務長官の私に向かって言う。

 私以上に法律に詳しい人ほとんどいないけど。


「私みたいに困って亡命してくる人を、しっかり迎える準備ができていないなんてありえないわ。これだから田舎国家は……」


 カメリアは椅子に背を預け、脚を組んだ。金の刺繍が入った裾がだらりと垂れ、床を擦る。本来なら舞踏会のような時にしか着ない服だ。その服だってカメリアが騒いで渋々国家予算から買い与えたものだ。


 私はもう、何回目になるかわからないため息を心の中でつく。

 ここしばらく毎日のようにこの女の相手をさせられていて、胃のあたりがじわじわと痛み出している。

 強い薬草のお茶を毎日飲んでいるが、回復が追いつかない。

 私の健康と寿命は、カメリアの祖国のようにボロボロと消えて行ってる。


 視線をずらすと、窓際に小さな黒い影が止まっていた。 

 ハエだ。

 羽音を震わせて、窓枠の同じ場所を行ったり来たりしている。

 私もできることならあのハエになりたい。この女みたく好き勝手に飛び回って、自由に振る舞えたらどんなに楽しいだろうか。


 「この国、地味なんだから。私たちみたいに華のある人が来てあげたことに、もっと感謝しなさいよ! この前なんて“もう少し静かに”だなんて言われたのよ!? あり得なくない!?」


 砂糖を紅茶に入れる際に、少し溢してしまったようだ。

 私はテーブルにこぼれた砂糖の粒を数えはじめた。

 ひとつ、ふたつ、みかん、しいたけ、ごぼう、ろくでなし……

 ああ、目の前のこいつのことか。

 嫌なこと思い出してしまった。

 

 全部で二十六粒。

 ……二十六? 

 この女の年齢だったっけ。

 だめだ全部この女の連想をさせられている。

 完全に呪われているな私。

 

 そういや相槌も忘れてるけど、まあいいや。


「王宮内を散歩していただけなのに、ここには入るな、あっちには行くなって! なんて迷惑なのかしら。これから私の一族が亡命してくるのよ? そんなんでちゃんと歓待できるの?私に恥をかかせないでちょうだい。週に一回のパーティと贈り物は忘れないように。こんなの最低限よ!」


私は机の下で両手を握り、右手と左手でじゃんけんを始める。

グーとチョキ。右の勝ち。

よし、右。お前は優秀だ。昇進。


パーとグー。左の勝ち。

よかったな左。諦めずにがんばったじゃないか。


 ……左手ですら努力で勝利を掴むのに、私はいったい何をしてるんだろう。いよいよもって精神に異常が起きている気がする。


 次はグーとグー。あいこ。

 あいこは……処刑だな。さようなら、グー。君のことは忘れない。


「ちょっと聞いてるの!?」


 甲高い声が邪魔する。私は指先で机の下を手を擦った。 これから処刑されたグーの亡骸を偲ぶところだったのに。


「なによ! 今いいところなのに、邪魔しないでよダメリア!」


「……だ、ダメリア?」


 はっとして姿勢を正す。

 つい口を滑らせた。

 大丈夫、一応名前なんとか思い出せる。

 たしかカメリアだったはず。

 けれど舌が勝手にあだ名をつけた。

 だから私は悪くない。


「大変失礼しました。なんでしょうか」


 できる限りの丁寧語を貼り付ける。カップの中で紅茶が小さく波打つ。胃の痛みを思い出して、私の手がわずかに震えているのだろう。


「失礼どころじゃないでしょ……じゃなくて、次のドレスはいつ届くのかって聞いてるのよ!」


「次のドレス……?」


「言ったでしょ。贈り物は毎週の義務だって。本当は毎日にしたいところを週一で許してあげてるのよ。感謝して欲しいわ」


 義務ってなんだよ。そんな法律は存在しないし、あったら真っ先に私が潰してる。


「……そんな予定はありませんが」


「はぁ? あなた馬鹿なの? それとも常識が無いの?」


「そのドレスはかなり高額でして。そこに割く予算はありません」


「なにそれ!? これだから貧乏国家は嫌なのよ!」


カメリアは大げさにため息を吐いて、わざとらしく顎を上げた。

 

「足りないなら――あなたが身につけている宝飾品でも、着てるドレスでも売ればいいんじゃない? どうせ似合ってないんだし、別の人に使ってもらった方が本望でしょ。次の予算会議には私も出席するから呼びなさい。本当の会議の仕方を教えてあげるわ」


「それは……難しいかと」


 私は落ち着いた声でいうと、カメリアは鼻で笑う。

 

「あなたの意見なんて聞いてないわよ。これは決定事項よ」


 なんでこの女にそれを決定する権利があるんだろうか。

後ろで控えてる侍女たちはプロだな。こんな馬鹿げたことを正面から聞かされても、顔色ひとつ変えないのだから。平然と銀の盆を支えたまま、微動だにしない姿勢は尊敬する。

 書記官たちも耳を疑うような幼稚な戯言を、一言一句漏らさず筆に写していく。

 私なんてもう表情を隠そうとすらしてない。どうせ伝わらないし。

 

「自由に物も買えないなんて……そのせいで婚期が遅れたら、どう責任とってくれるのかしら」


 カメリアは思い出したように顔を上げ、紅茶のカップをソーサーに戻した。椅子に背を預けていた体を少し起こし、口角を吊り上げる。


 「そうだわ。確か第一王子に、この国にしては顔が良い男がいたわよね。私、その子と婚約するわ」


 ……は?


「私にだってその権利あるでしょう? まったく、私と結婚できるだなんて幸運ね」


 カメリアは唇に笑みを浮かべ、わざとらしく髪をかき上げた。


「私と釣り合うとは言えないけど……まあ、我慢してあげるわ。その分、精一杯尽くすように伝えておいてくれる?」


 侍女たちは無表情のまま控えている。書記官のペン先だけがカリカリと音を立て、彼女の言葉を一字一句書き留めていく。


「返事は?」


 カメリアがカップを軽く揺らし、紅茶の波紋を眺めながら促した。


 私は黙って席を立ち、テーブルに置いてある自分の紅茶を手に取った。

 そのままずかずかと近づく。


 そしてカメリアの頭の上から思いっきりぶちまけた。


 「……えっ?」


 カメリアは瞬きもせず固まった。髪から雫が伝い、額を濡らしても、まだ状況を呑み込めていない。


「な、なに……これ……?」


 ようやく声を絞り出した瞬間、濡れたドレスを見下ろし、顔がみるみる赤くなる。


「何するのよ!? この私に……!」


「黙れよ」


 私は中身のかけ終わって空になったカップを、そのまま離すと地面に落ちて割れた。その音でカメリアは怯んで、何かをいいかけたところで、言葉が止まる。


「書記!」


 私が鋭く叫ぶと、後ろで控えていた書記たちが一斉にビクッと肩を揺らした。


「今から告げることを書き留め、直ちに交付してください」


 私は姿勢を正し、淡々と口にした。


「本件は陛下の勅命に基づき、法務長官に付与された緊急裁定権をもって決定します。『王国臨時裁定令』第五条および第十二条に則り、暫定措置として——現在、緊急避難として受け入れている隣国からの亡命者、全十二名。今後の扱いはすべて、平民とします」


 カメリアはぽかんと口を開けて私を見ていた。意味がわからないらしく、しばらく瞬きばかり繰り返していたが、突如椅子を蹴って立ち上がり、机を両手で叩いた。


「はあっ!? 平民!? この私が!? 私は王女よ、王女なのよ!」


「だから?」


 全ての反論を断ち切るような一言に、カメリアは目を見開き、頬を紅潮させて喉を詰まらせた。

 

「私ね、殿下のそばにまとわりつく小蝿がどうしても許せないの。絶対に二度と近づかないように、徹底的に追い払わなきゃ気が済まなくて」


 私は満面の笑みを浮かべ、胸の前で両手を握る。我ながら妙案だと思う。


「平民なら殿下に近づくことはできないわ。王宮に立ち入ることも、もう二度とないでしょう?」


「取り消しなさい! 今すぐ取り消しなさい! これは侮辱罪よ! あなたごときでは話にならないわ。きちんとした者を呼んでちょうだい!」


 カメリアは椅子を蹴るようにして立ち上がり、机に両手を叩きつけた。紅茶のしずくが飛び散り、ソーサーの上に落ちる。


「私が最高責任者でーす。平民が貴族に向かって侮辱罪? 頭弱いわね。これは決定事項よ」


 私はわざとらしく腕を組みながら頬に指を立てて考える仕草をする。


「あとなんだっけ?自由に物が買いたい? いいわね、それ採用しましょう。『国庫補助債務整理令』第十二条に基づいて、今まであなたに使った費用も借金扱いとし、回収させて貰いましょう。この法では法務部、つまり私の指定する公共事業に従事する義務があるのよ。あなたには炭鉱夫の仕事を斡旋してあげるわ」


「炭鉱夫!? 奴隷じゃないの!!そんなの認めるわけないでしょ!」


 カメリアの絶叫が庭園中に響き渡った。


「ダメリアの意見なんて聞いてないわ。平民になっただけだとまだ殿下に近寄ってくるかもしれないでしょ?穴の中に押し込んでおいた方が安心じゃない?」


 カメリアの顔が引きつり、声が裏返った。


「あ、あなたの私情じゃない!そんなの!」


「そうよ。私情よ。だから何? 私の気分次第で、あなたは国に強制送還されるの。あ、そっちの方が殿下と物理的に距離ができるわね。その方が良いか」


「私に死ねっていうの!?」


「生きようが死のうが、あなたのことなんてどうでもいいのよ」

 

 私はわざとらしく肩をすくめ、手にしていたフォークをひらひらと弄ぶ。

 だけど、気付いた。

 ぽんと手を打って、カメリアを見る。


「あ、でもそれいい考えね。たまには良いこと言うじゃない。生きている限り殿下の視界に入る可能性があるなら……」


 私はフォークをぎゅっと握り直し、カメリアの方へ向き直った。


「平民相手なら罰金で済むし……」


 何かを察したカメリアは椅子から転げ落ち、震える声で「ひっ」と漏らしながら後ずさる。


「今ここで駆除するのが正解ね」

 

 私は軽い口調でそう言って、フォークをカメリアに向かって全力で振り下ろす。刃先がきらりと光って、空気を切り裂く音がする。


 しかし、フォークは寸前で止まった。背後から伸びた力強い手が、私の手首をがっしりと押さえ込んでいた。


「その辺にしておきなさい」


「あ、ロミリオ様!」


 くるりと向き直る。

 そこにいたのはこの国の第一王子であるロミリオ様。

 私の婚約者であり、この国の至宝であるロミリオ様だ。

 

 彼を見た瞬間、私の視線はロミリオ様に釘付けになり、

それ以外の何もかもが目に入らなくなる。

 

 はぁ、今日も背が高い。視界の中で頭ひとつ飛び出してるのずるいわ。肩幅もやたら広くて、声も低く心地よく響く。なんであの声だけで安心できるの。反則でしょ。あの声で税金払えって言われたら二倍払うわ。指も長いし、手の甲まで整ってる。あれで書類に署名してるの見ると、小難しいだけの書類も聖典に見えるのよ。横顔は彫刻、正面は肖像画、どの角度からでも王子っぽい。毎日見てるはずなのに全く見足りない。何を言っても格好いいし、笑ってなくても口元がやさしい。影すら気品あるってどういうことなのかしら。髪はさらさらで、ちょっと揺れるだけで周囲の空気が綺麗になった気がするし、しかもあの瞳。落ち着いていて、鋭くて、やさしくて、冷たそうで、もうそれだけで国宝。チートよ。生きていてくださるだけで私の世界が救われるわ。彼が私の婚約者だなんて、史上最大の幸運者よ私。


「殿下!? 助けて! この女、本当に刺そうとしたわよ! 今、刺そうとしたのよ、殿下! なんとかしてよ!」


 カメリアのわめき声で、せっかくのロミリオ様観賞タイムを邪魔されて、私はむっとする。


「そりゃそうでしょ? フォークって刺すためにあるものよ? 何言ってるの」


「あなたが何言ってるのよ!?」


 カメリアが半狂乱で叫ぶのを、ロミリオ様は一瞥してから、ゆっくりとした調子で口を開いた。


「ミュリア。そんなもので刺したら君の手を痛めてしまうよ。私の剣を貸してあげるから、そっちを使うと良い」


「はぁ!?」

 

 カメリアが目を剥いて絶叫する。


「ロミリオ様!そんなのダメです!あなたの持ち物がこの女の中に入っていくなんてとても耐えられません!」

 

 ロミリオ様は、わずかに目を細めて微笑んだ。

 

「フフッ、可愛いやつだな」

 

 彼は顎に手を添え、ゆったりと考えるように間を取る。その仕草だけで私はご飯三杯は食べられる。

 

「そうだな……考えてみれば君がそんな事をやる必要もないか。後で暗部の者を送るので、そちらにやらせよう」


「本人の前で言うセリフじゃないでしょそれ!」

 

 なんか叫んでいるようだけど、私たちにはもう聞こえない。

 ロミリオ様は大きな手をゆっくりと伸ばし、私の頭に置いて、指先で髪を梳くように何度か撫でる。

 背中に手を回し抱き寄せるように力がかかり、私の身体は自然とロミリオ様の胸元へと引き寄せられていった。


「ロミリオ様……私は幸せです」


「私もだよ。愛している、ミュリア」


 互いの瞳をまっすぐに見つめ合う。言葉よりも長い沈黙が、確かな思いを伝えていた。


「さあ、行こうか」


「ええ、ロミリオ様」


 自然に手が重なり、指先までしっかりと絡め合う。私たち二人はそのまま歩き出し、庭園を後にしようとした。


「ちょ、ちょっと待ってよ! どこ行くのよ!」


 背後から甲高い声が響く。振り向いた私は、地面からようやく立ち上がったカメリアと目が合った。

 ロミリオ様で目の保養をした後になんでこんな物を見なきゃいけないんだろう。


「あら? まだいたの?」


「いるわよ! ちょっと、さっきの話本気じゃないわよね、殿下!」


 慌てふためくカメリアに、ロミリオ様は静かに顔を向けた。低く落ち着いた声で言う。


「君がミュリアに刺されるようなことをしたのだろう? 何をしたかは知らないが、ミュリアの心を乱した——それだけで千回死んでも許されない罪だ」


 カメリアは何も言えず、ぽかんとした顔でロミリオ様を見返す。みるみる青ざめ、唇が震えている。こんな女の視界にロミリオ様が入っているなんて不愉快すぎる。


「わ、私、王女なのよ!? なんでこんな……」


「うるさいわね。もうあなたはここでは平民よ。どうするの? ここに残る? 炭鉱で働く? それとも滅びかけの国に帰る?」


 面倒になってきて、私は投げやりに問いを畳みかけた。

 こんなのを相手している場合ではない。早く終わらせてこれからロミリオ様と散策に行くんだ。


 カメリアは口をぱくぱくさせたあと、顔を引きつらせて声を震わせる。


「く、狂ってる……狂ってるわよ、この国……!」


 カメリアはうわ言のように同じ言葉を繰り返すばかりで、もうまともに会話になりそうにない。もともと会話になんてなってなかったが。別に興味もないので放っておくことにした。どうせ二度と会うこともないし、それよりこれ以上ロミリオ様との時間を邪魔されたくない。


 再度地面に座り込んだカメリアに背を向け、私達はその場を後にした。



 

 後から聞いた話では、カメリア自身の希望で、修道院に行くことになったらしい。

 その手があったか、と舌打ちする。修道院に行くことはこの国に生きる人なら誰でも選べる道だ。何もかもを手放す代わりに、一切の権力の干渉を受けなくなる最後の避難場所だ。生活は過酷だが、唯一カメリアが生き延びられる方法かもしれない。しぶといな。

 

 そう思っていたが、日にちが経って冷静になってくると、胸の奥にだんだんと自己嫌悪が広がってきた。

 どう思い返してみても貴族にあるまじき態度だった。

 こういうことは今回が初めてではないのは自覚しているし、直さなきゃと思ってたんだけど…。

 またやってしまった、と反省する。


 ため息をついていると、隣で歩いていたロミリオ様が心配そうに声をかけてくださった。


「どうしたんだい、ミュリア。浮かない顔をして」


「……我を忘れてしまったと反省しているところでした」


「いつものことじゃないか」

 

 ロミリオ様は、軽く笑いながら私の頬に手を当てる。

 

「私は君の、そういうところが好きなんだ。あんな女のために君が気を病む必要なんかないさ」

 

「ロミリオ様…」

 

「上辺だけ口だけの令嬢から数えきれないほど求婚され、人間不信になっていた時に、君を見た衝撃は一生忘れられないよ」


 そう言ってロミリオ様は慰めてくれる。

 ロミリオ様と会えない時間は嫌だけど、仕事が嫌いというわけではない。

 ただ、ロミリオ様の事となるとちょっとだけ周りが見えなくなって短絡的になってしまうだけだ。それが勘違いしたご令嬢や、話の通じないようなご婦人には効果的なようで、望んでないのにいつも私が相手をさせられてしまう。

 私は決して暴れたいわけではない。できることなら穏便に済ませたいのだ。

 最近は、だいぶ落ち着いてきたと思ったんだけど。


 でもまあ、ロミリオ様が好きって言ってくれるならいいか、と思いつつもやっぱり婚約者としてロミリオ様と並んで立てるような貴族でないといけないとも思っている。


 ふと、窓を見るとまた小蝿が止まっていた。私は静かに手を伸ばして追い払いつつ、ため息をついて次の仕事へと向かっていった。



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