第96話
月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。
私は通学途中、駅まで続く道を歩きながら、よく覚えさせられたフレーズを思い出していた。
駅に到着すると、私はもう一度鞄の中をチェックして、忘れ物がないか確かめる。大学デビュー初日に忘れ物なんて格好つかないからね。
私は無事に第一志望の大学に合格して、ちょっと引っ越しに手間取っちゃったけどちゃんと一人暮らしを初めて、いざ出陣の時。髪型とか髪色とか変えてみようかなって考えたけど、悩んでる内に面倒くさくなっちゃったからそのままだね。服は結構気合い入れたけど。
駅の改札をスイスイと通っていく学生や社会人を眺めながら、私はその光景に圧倒されていた。私も今までに何度かこういう自動改札を通ったことはあるけれど、今までテレビの中ぐらいでしか見たことがなかった光景が、これからは日常になっていくんだと思うと、なんだか感慨深く思えた。
私は改札を通って、駅構内にあるカフェでコーヒーをテイクアウトした。ずっと憧れてたんだよね、こういうの。今まではコンビニコーヒーぐらいしか飲んでなかったけど、やっぱり全然風味が違うね。いつかはカフェでパソコンカタカタしてみたいね。
なんて、都会デビューにちょっと浮かれながら私はエスカレーターでホームに降りて、そしてまた目の前に広がる光景に圧倒された。
うわぁ。ホームに人がぎゅうぎゅうだ。流石大都会東京の通勤通学ラッシュはレベルが違うね。私の地元はラッシュ時間帯でもバスはガラガラだったのに。
噂の女性専用車両ってのに乗ってみようかなとも思ったけど、なんか辿り着けそうにないね、あそこまで。多分道半ばで私は人並みに押し潰されてしまうかも。なんであんな端っこなんだろうって憤慨しそうになるけど、確かに真ん中にあったらあったでそれは不便なのかもね。
こんな通学が日常茶飯事になるのかと想像すると何だか憂鬱になってきて、大学デビュー初日だというのに私は大きく溜息をつきながら、少し短めの列の後ろに並んだ。
皆、どうしてスマホばっかりいじってるんだろ。隣の人に話しかけようとか思ったりしないのかな。お仕事何してらっしゃるんですか、とか。いや、いきなり隣の人からそんな感じで話しかけられたら怖いよね。
じゃあ、毎朝のようにバス停で出会っていた相手と話していた私達って、ちょっと異質だったのかな。いや、お互いに高校生だってわかりやすかったから、声をかけることも出来たし、多少は心を開くことが出来たんだと思う。しかも、二人っきりだったからね。
大学生なんて決まった格好してるわけじゃないから、テキトーに若者に声をかけても学生じゃなくてフリーターだったり、もう社会人だったりするかもしれないし、相手が異性だったらナンパ、同性だったら怪しい勧誘に思われちゃうかもしれない。
私もスマホで何か見ようかと思ったけれど、いつもお喋りするのが日常になっていたから、誰かとお喋りできないのはちょっと寂しく思えた。
だから、またあの時のように、高校時代のように、偶然のような、はたまた運命のような出会いがあれば良いのにと、そう思いながら私は隣にやって来たメガネの男性の顔をチラッと伺った。
「えっ」
「ん?」
私と彼は、お互いに顔を見合わせた。
その瞬間、世界中の時が止まってしまったかのように思えて、ホームに流れるアナウンスや周囲の喧騒は全く耳に入らなくなってしまって、私と彼はお互いに、隣に立っている相手をジッと見つめて、そして、確信した。
「なんでお前がここにいるんだ!?」
「なんで君がここにいるの!?」
彼は、また私の隣に現れたのだった。
二人で同じ電車に乗り込んで、東京の満員電車の迫力を感じながら状況を整理する。
私と彼は、たまたま同じ大学を受験していて、そして合格して、しかも同じ学部から通うキャンパスも一緒。流石に住んでいるマンションは違うけれど、最寄り駅も出口も一緒だし、途中まで歩く方向も一緒っていうね。
なんだろうね、これ。
私達、今まで微妙に縁がなかったのに、ちょっと神様は本気を出しすぎてるんじゃない?
「お前ってそんなに頭良かったんだな」
「いや、それ私のセリフでもあるからね。罵られてゾクゾクしてる人と同じ学校通ってるとか信じられないんだけど」
「俺だって高校生にもなって幼稚園児のコスプレしてた奴と一緒の学校通ってるとか信じられないからな」
「お互い様だね」
「そうだな」
お互いに大学に合格したら東京に引っ越すだろうなぁみたいな話はしてたから、もしかしたら東京のどこかで会えるかもってちょっと夢を見ていたけれど、流石に再会が早すぎるし近すぎるよね。
「ちなみにさ、どうして君は◯✕大選んだの?」
「楽しそうだったから」
「そんな雑な理由で入るようなところじゃないと思うよ」
「お前は?」
「広い世界を見れるかなーっと思って」
結局、私はまだ自分のやりたいことを見つけられてないけど、もっと広い世界を見てみたいっていう夢は出来たから、大学で色んなことを学んで、東京で色んな経験をしてみたかった。
まぁ、私の理由も要約しちゃえば「楽しそうだから」ってことなんだけど。
「あんな感じでお別れしたのに、こうもすぐ出会ってしまうと、何だか台無し感あるな」
「嬉しくないの?」
「さぁな」
「素直じゃないね~」
「お前はどうなんだ?」
「どうだと思う?」
「俺と再会する時はもっと立派になってやるとか言ってただろ。何一つ立派になってないじゃないか」
「ミリぐらいは大きくなったもん……」
だって一ヶ月も経たない内に再会できちゃうとは思わないじゃん、普通。私は五年とか十年ぐらいのスパンで覚悟してたのに。
「でもさ、同じ駅で同じ電車に乗って同じ大学に行くんだから、これからはたくさんお喋りできるねっ」
「受ける授業が同じだとは限らないぞ」
「同じところなんだし、私も同じ授業選択しちゃえばいいだけだし」
「くそっ。なんとかお前から逃げる術はないのか……! そうか、バイトをすれば帰りはどうにかなる」
「じゃあ私も君と同じバイトする~」
「観念するしかないか……」
他の学部とか学科だったら受ける授業も違っただろうけど、私と彼は合わせられるからね。逃げられると思うなよ、にししっ。
「私ね、都つかさ」
「なんだ急に」
「ほら、私達ってちゃんと自己紹介したことなかったじゃん? だからさ、私は都つかさ。これでもBカップだから」
「正直に言え」
「あ、はい。Aです。グスン……」
「泣くぐらいなら自虐するな」
何かの間違いでAがΔとかになったりしないかな。
「俺は永野秀樹。趣味は大きな岩の下に隠れているダンゴムシを探すことだ」
「初耳なんだけどその趣味」
「今思いついたからな」
「本当の趣味は?」
「人に罵られることだ」
「怖い物知らずだね、君」
満員電車の中で自分のバストサイズを発表してる私も大概だけどね。
「今日からはさ、友達ってことで良いかな?」
「お前がそう思うならそうなんだろうな、お前の中ではな」
「連絡先ぐらい交換しようよー。私ってばこんな怖い街で一人暮らししてるからちょっと心細いんだよねー」
「お前がピンチの時には火炎放射器を持参して駆けつけてやる」
「それ、私が住んでる部屋もろとも燃えちゃうんじゃないかな?」
なんだかんだ私達は連絡先を交換して、意外にも彼が可愛らしいアイコンを使っていることを知った。多分地元の公園に立ってるゆるきゃらの石像の写真だねこれ。
「ねっ、君って明後日休みでしょ? 授業ないから」
「そうだな。お前にスケジュール把握されるの怖い」
「だったらさ、一緒に東京観光しない? 私、東京タワーとかスカイツリー行ってみたい」
「俺はもう行ってきたけどな」
「そうなの!?」
「結構早めに引っ越してたから、暇潰しに色々巡ってた」
「じゃあ渋谷とかアキバとかも?」
「あぁ、横浜とかも行った」
「江の島も行った?」
「水族館まで行ってきた」
「なんかずるいー」
「ある程度なら案内出来るぞ」
ちゃっかり関東満喫しちゃってるじゃん、この人。なんか先輩面されるの悔しいなぁ。
そんな話をしていると、やがて電車は私達が通う大学の最寄り駅に到着した。改札を出て階段を降りると、もうすぐに大学の入口が見える。
「うわぁ。なんか迫力あるね」
「初めて来たわけじゃないだろ」
「でもさ、やっぱり実感するじゃん」
今日はオリエンテーションがメインで、その後に履修登録とか色々あったはず。私が通ってた高校の同級生とか先輩もいないけど、知り合いがいると心強い。
「ね、秀樹君」
「なんだ、気持ち悪い」
「名前呼んだだけなのに!?」
「つかさ」
「あ、なんかすごいゾワゾワする。やめて名前で呼ぶの」
「酷い話だな」
「冗談だって冗談」
「俺のことは別に秀樹でも良いからな」
「わかった」
彼に名前で呼ばれたの、多分片手の指で数えられるぐらいの回数しかないから、まだ全然慣れてないね。他の友達に名前呼びされてもなんとも思わないのにね。
そして、私は改めて秀樹君の方を向いて言う。
「これから四年間よろしくね。秀樹君」
「あぁ、よろしくな。つかさ」
高校の時よりもちょっとだけ長い四年間。
いや、もしかしたらそれよりも長い時間を、彼と一緒に過ごすことになるかもしれない。
そうなったらいいね、私。
恋人でもなく、幼馴染でもなければ、家族ですらなく、友人でもなかった、そんな私達。
今日からは、ちょっとだけ違うのかも。
(完)
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




