第94話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、私の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。紺色のブレザーの制服の上に紺色のコートを着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。
「いいいいいいいいいいいよいよきょきょきょきょ今日だねきょきょきょきょ共通テスト」
「何だその滑舌は。よくそんな連続で母音を発せられるな」
とうとう迎えてしまったセンター試験……じゃなくて共通テスト。一般受験生にとっての第一関門だね。
「ね、ちゃんと準備してきた?」
「あぁ、親に何度も確認させられた」
「ちゃんとお弁当もある?」
「勿論だ」
「ブーブークッションも持ってきた?」
「そんな受験生がいてたまるか」
共テ当日だっていうのに、私達は単語帳や参考書を読まずに、こうしていつも通りバカみたいな話をしている。ここで彼に真面目に振る舞われちゃったら、せっかくの息抜きが台無しになっちゃうからね。
「ちなみにさ、君は何点ぐらい取れそうなの?」
「俺は常に満点を目指しているが?」
「君に聞いた私がバカだったかもしれないね」
それとも、彼は満点が必要なレベルの大学に行こうとしてるのかな。普通の国公立だってボーダーラインは七割ぐらいなのに。
「結局さ、君が受ける大学ってどこなの?」
「お前が教えてくれたら教えてやるが」
「じゃあ教えない~」
「そればっかりだな」
私も、勿論彼も志望大学はあるはずなのに、私達はお互いのそれを全然知らない。というかそういう話をしようとしなかった、多分難しい話をするのを嫌ったから。
それに……相手のを知っちゃうと、そこに誘導されちゃいそうな自分もいたからね。
「でも、一人暮らしは確定なんだよね、私」
「俺もだな」
「やっぱり東京の方に行くの?」
「さぁ、どうだろうな。勢い余ってアラスカとかに行ってしまうかもしれない」
「もうちょっと勢いあったらMITとかコロンビア大学行けるだろうに……」
私達は自分達の志望大学がどの地域にあるのかも知らないからね。多分関西か関東のどっちかなんだろうけど。
「まぁ、まずは今日と明日の結果次第だからな。例え俺が燃え尽きようとも、お前は俺の屍を乗り越えていってくれ」
「嫌だよ私、試験会場で屍見るの。君も頑張ってね、心のどこかで応援してるから」
「あぁ、やりきってみせるさ」
「英語のリスニング中にテレパシー送ってあげるから」
「リスニングを邪魔しようとするんじゃない」
そして、いつもは定刻より少し遅れてくるバスが、今日は定刻通りにバス停へやって来た。やっぱり運転手さんも気合入るのかな、いつも定刻通りであってほしいけれど。
そして、私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
でも、彼は不思議そうな顔をして、バス停にやって来たバスに背を向けていた。
「いや、何言ってるんだお前」
「へ?」
「多分、俺とお前が乗るバス、一緒だぞ」
……あ、そっか。
住んでる地域が一緒だから、そりゃ共テを受ける会場って一緒だよね。
じゃあ、今日は。
この人と一緒のバスに乗るんだね、私。数カ月ぶり、あの夏の日以来……。
「ねぇねぇ、並んで座る?」
「窓際は俺な」
「いや、私だし。じゃんけん」
「かかってこい」
じゃんけんの結果、私が窓際に決まった。やったねイエイ。
ていうか、私と隣同士で席に座るのは良いんだね、彼的に。
そして数分後、共テの会場に向かうバスがやって来た。そして、いつも通り私の友達の岩川ちゃんが先に乗っていたけれど──。
「あ、ヒデ君」
「げっ、咲良!?」
彼と岩川ちゃんは目を合わせた瞬間、驚いた顔をしていた。
え、何これ。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん。えっと、もしかして……この人と知り合い?」
「う、うん、一応ね」
「どういう関係なのん?」
「中学の時の同級生だ」
「ほぉーん……?」
世界ってこんなに狭いんだね。いや、田舎だから都会よりは狭いけど、まさか彼と岩川ちゃんが知り合いだたなんて思わなかったね。
「ひ、久しぶりだね、ヒデ君。頑張ろうね」
「あ、あぁ」
「あのさあのさ、なんでそんなに気まずそうなの君達。何かあったの?」
「え、えっと……」
私は岩川ちゃんの横に座ることになって、彼はその後ろの席に座ったけど、何この空気。もしかしてゆきずりの関係だったりしたの?
岩川ちゃんの口からヒデ君って人の名前、聞いたことないしなぁ。前に永野って他校の男子に振られたって話は聞いたけど…………。
……。
……あ、永野ってこの人か。
「じゃあ、岩川ちゃんを振った永野って君のことなの!?」
「そんな大声で言うな!」
「あ、あはは。そんなこともあったね」
「笑い事じゃないよ岩川ちゃん! 一緒にこの人が落ちるように呪いをかけよう!」
「やめろやめろ」
こんなに可愛い岩川ちゃんを振ったってだけで途端に許せなくなってきたね、この人のこと。私が知らない内に身近な人達の間でそんな出来事があっただなんて思いもしなかったけど。
その後、これから試験本番だってのに、私は彼と岩川ちゃんから思い出話を聞くことになった。いや、まさかこんなことがあるなんて思わなかったよ。
岩川ちゃん達の中学時代の話を聞きながらリラックスしていると、今度は一人の男子高校生が乗り込んできた。
「げ」
「あ、つかさじゃん」
見知った顔の男子が現れて私が思わず拒絶反応を見せると、後ろに座っていた彼が驚いたような表情をする。
「なぁ、お前……もしかして、新城と知り合いなのか?」
私は頷いた。
「私の、中学の時の同級生」
そういえば、そうだよね。新城君は彼と同じ学校に通ってるから、知り合いでもおかしくないもんね。
世界ってこんなに狭いんだね(二回目)。こんなに学区がすれ違うこともあるんだね。
「え? もしかして永野ってつかさと知り合いなの?」
「まぁ、一応な。お前が前に振られたのってコイツだろ」
「そうそう、見事に撃沈した」
私はついさっきまで岩川ちゃんが彼に振られたことに気づいていなかったのに、多分彼は私の名前を知ったあの日に色々察したのかもしれない。私ってばこういうところ抜けちゃってるんだよね。これチャームポイントだから。
自分達の身の回りの人達の意外な関係性に驚く中、岩川ちゃんはニコニコしながら口を開く。
「まさか、私達にこんな繋がりがあったなんてびっくりだよ。新城さんと都さんが知り合いだったなんてびっくり」
「へ?」
「新城って咲良と知り合いなのか?」
「俺がよく通ってる教会のシスターだから」
「何その関係」
「私、いつも新城さんの懺悔を聞かされてるんです……」
世界ってこんなにも狭いんだね(三回目)。
でも、こういう日に皆と集まれた偶然の出来事、いや奇跡とも呼ぶべき出来事に私は感謝していた。
皆と一緒なら、今日も明日も、乗り越えられそうな気がしたから……。




