第92話
「秀樹」
彼は石段の上に正座させられて、余程恐怖を感じているのか、目の前に立っているいとこのお姉さんと顔を合わせずにうつむいていた。
「なんでしょうか、姉さん」
「何か申し開きはあるか?」
「ありません。煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」
何、この二人の関係。あの人って結構いとこのお姉さんのことを慕ってたっぽいけど、同時に怖くもあったのかな。
「砂浜に埋められるのと海に沈められるのとどっちが良い?」
いや怖。どうしてそんな笑顔でそんなこと言えちゃうの。
「せめて海を泳ぐ魚達を眺めながら息絶えたいです」
あんな堂々と演説していた彼は一体どこに行っちゃったの。
なんだか穏やかじゃない事態になりそうだったので、私は慌てていとこのお姉さんの手を掴んで制止した。
「あ、あのっ、えっと……みゆきちゃんっ。その、原因は私だから、この人は許してあげて」
いとこのお姉さんこと、私の学校の先生、永野みゆき先生は私の方を向くと、呆れた様子で溜息をついたのだった。
「つかさちゃんがそういうのを持ちかけるようには思えないけど?」
「その……色々あって。この人は私のことを気遣ってくれて、私のために彼も学校をサボってくれたんです。だから、許してあげてください。罰なら私が受けます。砂浜に埋めるなり海に沈めるなり、お好きにどうぞ」
私がそう言って頭を下げると、みゆきちゃんは私の頭をポンポンと優しく叩いて、「顔を上げて」と優しく囁いた。
「そうね、色々あったのね。私も一応教育者だから色々言わなくちゃいけない立場だけど、でも……この青二才がつかさちゃんの役に立ったなら、別に良いんじゃないかな。私より役に立ったわけだし」
最近の私の様子がおかしかったからか、みゆきちゃんもよく私に声をかけてくれていた先生だった。まさか、彼のいとこのお姉さんだったとは思わなかったけれど。
「というわけで、私からは無罪放免ね。でも家に帰ったらちゃんと叔母さん達に謝ること、先生や友達にもね」
「はい」
「つかさちゃんもね」
「は、はいっ」
私の色々あって、という言葉からみゆきちゃんは色々察してくれたのかもしれない。
ともかく、私のせいで彼が怒られなくて良かったけど……。
「さて、二人共」
正座させられていた彼が立ち上がった後、みゆきちゃんは私と彼の肩を掴んで、そしてニッコリと微笑んだ。
「どこまでいったの?」
みゆきちゃんは一体何を考えているんだろう。なんだか、さっきまでは私が知っている学校の先生のみゆきちゃんとしての姿だったけれど、こういうところは彼がよく話すいとこのお姉さんのイメージのまんまだ。
でも、年頃の男女が二人きりで、こういう人気のない場所にいたら、色々想像しちゃうよね。
そして、私と彼はほぼ同時に口を開いた。
「何もやってない」
「やってくれませんでした」
「おい」
私の返答に、彼は即座にツッコミを入れた。そして、色々と察したらしいみゆきちゃんは彼の方を向いて、悪魔のように不気味に微笑んでみせて──。
「秀樹。やっぱり海に沈め」
「なんでだよ!」
乙女心を踏みにじったからだよ、ヘタレさん。
私と彼は仲良く後部座席に座らされて、みゆきちゃんが運転する車は出発した。
隣に座る彼はすっかり疲れ切ったような表情をしているけど、私はそんな彼にからかうように言った。
「君の名前って秀樹君なんだね~」
意外な形ではあったけど、私は彼の名前を知ることが出来た。
「あぁ、そうだよ。俺は永野秀樹だ」
「なんか納得かも。すごい秀樹顔だもんね」
「なんだ、秀樹顔って」
名は体を表すって言葉もあるけど、何かザ・秀樹って雰囲気なんだよね、この人。
「そういうお前だって、つかさって名前なんだな。名字は?」
「そう簡単には教えられないね。ヒントはね、東京」
「足立?」
「ブー」
「板橋?」
「ブー。なんとなく治安が悪そうなところやめて」
「文京?」
「治安が良ければいいだろってことじゃなくてさ。あと23区じゃないから」
「あきる野?」
「ブー」
「西東京?」
「ブー。いるわけないでしょ、あきる野さんとか西東京さんとか。市町村名でもないよ」
「高輪ゲートウェイ?」
「山手線の駅名でもないし、どうして一番名字っぽくない駅名をチョイスしたの」
こんにちは、高輪ゲートウェイつかさです。いるわけないでしょそんな人。いても芸人ぐらいだよ。
この人もよく東京23区とか市町村名とか駅名がスラスラ出てくるよね。知識ってこういうジョークにも必要だよね。
「じゃあ追加でヒントね。次は北京」
「東京と北京……なるほど、わかったぞ。正解は南か?」
「ブー」
「じゃあ西か」
「ブー。方角じゃないんだよね。まだヒント欲しい?」
「次のヒントが開封とか洛陽だったらぶっ飛ばすが」
「ヒントを答えられるんだったら正解もわかるでしょ」
「スリジャヤワルダナプラコッテだな」
「都ね、都。都つかさだから」
もしかしてこの人、ヒントが東京って時点で正解がわかってたんじゃないのかな。北京ってヒントでちょっと惑わそうと思ってたのに。
「お前は、あまり都つかさって感じがしないな」
「へ? そうかな、結構気に入ってるんだけど」
「荒覇吐摩愚那無って感じのが似合うと思う」
「うわぁ、すんごい強そう」
名字が荒覇吐なのは仕方ないとしても、子どもに摩愚那無って名前つけるのは世界観が世紀末過ぎるでしょ。摩愚那だったらまだ女の子感が……いや、無いね。
すると、ハンドルを握っているみゆきちゃんが後部座席でワイワイやっている私達に声をかけてきた。
「二人って元々知り合いだったの?」
「ゆきずりの関係です」
「おいやめろ、語弊があるだろ」
「秀樹ったら、私の誘惑にのってこないと思ったらロリコンだったのね」
「違う」
「みゆきちゃん、それ私にもダメージくるから」
「メンゴメンゴ」
良いよねみゆきちゃんは大人のお姉さんって雰囲気もあるし体型も艶めかしいし。こういう人が身近にいたら、この人の好みのタイプとかも影響されちゃうだろうね。
「ま、青春を楽しむのも程々にしときなさいね。遊ぶならちゃんと休みの日に遊ぶことっ。ここら辺ってデートスポット少ないけど、やっぱ夏といったら海とかプールっしょ。水着デートとかどう?」
「次はどの海行く? オホーツク海?」
「バレンツ海とかも良いかもな」
「アンタ達、普段どんな世界観で生きてんのよ」
みゆきちゃんがいたからってのもあったけれど、今度どこかに遊びに行こうかと誘えるような勇気なんて私にはなかった。彼から誘われたら別に行っても良かったけど、彼も誘ってこなさそうだし。
このままだと、私達の関係が変わらないことはわかっている。あと一歩踏み出さないと、私達の関係はこれまでと同じ、いつも同じバス停で出会うだけの関係に戻ってしまうだけ。
私は、少しぐらい進んでも良いかなと思っていたけれど、でも彼が私のことをどう思っているのかがわからない。
連絡先も交換して、平日に毎朝顔を合わせてちょっと話をするだけじゃなくて、学校の休み時間とかにもスマホでお喋りして、夜も長電話しちゃったりして、そんなことも考えたけど……私、彼にどっぷり依存しちゃいそうで怖いね。
だから。
今ぐらいで、良いよね。
私は、彼からたくさんのものを貰えたから。
みゆきちゃんは私の家に近いいつものバス停で私を降ろしてくれた。
「じゃあね、ひできち君」
「秀樹な。また明日」
「うん、また明日。みゆきちゃんも」
「明日はちゃんと学校来なよ~」
「わかってるって」
「来たくなかったら秀樹を自由に連れ回していいからね!」
「なんでだよ」
「次はお泊まりだね」
「やめろやめろ」
二人は車の中から私に手を振って、私も手を振り返して車を見送った。私はいつも彼を見送ってたけど、今日はいつもと違う感覚だね。
また明日、か。
明日、また彼に出会えるってだけで、ちょっとワクワクしちゃうかも。




