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第9話



 「グッモ~ニ~ン」


 今日の朝も、彼女の挨拶で始まる。


 「グッモーニン」


 俺は読んでいた本を閉じ、彼女の方を向いて挨拶を返す。見ると、黒いセーラー服姿のアイツが俺にピースサインを向けながら歩いてきていた。

 ……なんだろう、今日もいつも通りのはずなのに、何故かコイツから違和感を感じる。なんだ?


 俺がそんな疑問を抱いていると、彼女は申し訳無さそうに俺に向かって手を合わせて言った。


 「ごめん、お金貸してくれない?」

 

 コイツもとうとう来るところまで来たな。


 「……いくら欲しいんだ?」

 「一億スリナムドル」

 「普通のアメリカドルじゃダメだったのか?」

 「じゃあ一億香港ドルで良いよ」

 「とりあえずドルから離れろ」

 「一億バーツで」

 「日本に戻ってこい」

 「一億両で」

 「戻りすぎだ」


 なんか法外な金額を要求されそうな気配がするが、いつもは間抜けそうなコイツの今の表情を見るに、どうやら事態は結構深刻らしい。


 「財布でも忘れたのか?」

 「昨日、原付に乗った人に鞄を奪われたの」

 「マジか」

 「でも警察の人がすぐに捕まえてくれたんだ」

 「中が空っぽだったのか?」

 「ううん。何も盗まれてなかったんだけど、警察署から家に帰る途中に川に落としたの」

 「全部台無しじゃねぇか」

 

 ひったくりに遭ったのは可哀想だと思うが、せっかく犯人の逮捕に尽力してくれた警察に謝るべきだと思う。


 そして俺は、今日の彼女から感じていた違和感の正体にようやく気づいた。コイツ、いつも飲んでいるコンビニコーヒーを今日は持っていない。きっと金がなかったから買えなかったのだろう。


 「財布にはいくら入ってたんだ?」

 「えっとね、五円ぐらい」

 「……他には?」

 「レシート」

 「身分証とかは?」

 「それは別の入れ物に入れてる」

 「財布って高かったのか?」

 「百均」

 「そうか……」


 俺は驚きを隠せなかった。

 何に驚いたかって、そんぐらいの額しか入っていない財布を川に落としたことに落ち込んでいるバカらしさではない。コイツがこれだけ見るからに落ち込んでいるということは、百均の財布と、それに入っていた五円という金額の価値をそれだけ大事にしているということだ。


 つまり、それだけ物の価値やお金を大事にしようという気持ちがコイツにあるという事実に、俺は驚かされていた。


 「いくら必要なんだ?」

 「えっとね、まずはコーヒー代、三百三十円」

 「欠かせないんだな」

 「あとね、学校の休み時間に飲むコーヒー代、百四十円」

 「うむ」

 「お昼に学校を抜け出してこっそり買ってくるお菓子代、十五円」

 「お前う◯い棒食ってるな?」

 「あと、学校で溜まったムラムラを発散するために使う大根代、百円」

 「食い物を粗末に扱うんじゃない……大根使うのか!?」


 最後のは流石に冗談だとして(そう信じたい)、大体五百円ぐらい必要なのか。コーヒーぐらい我慢しろと言いたいところだが、彼女は毎朝飲んでいるし、ルーティーンとして欠かせないものなのだろう。


 俺は自分の財布を見る。うむ、絶妙に細かいのがない。じゃあ致し方ないな。


 「ほら、これやるよ」

 

 俺が千円札を渡そうとすると、彼女はそれを見て目を丸くして驚いているようだった。


 「へ? いや、流石に冗談だって」

 「どこまで?」

 「大根」

 「じゃあ財布が無いのは本当なんだな。コーヒーぐらいは奢ってやるよ、細かいのがないからこれしかやれんが。バス代はあるのか?」

 「それは定期だから大丈夫だけど」

 「んじゃ、そんだけあれば足りるだろ。釣りはいらない、俺は貸すんじゃなくてそれをやるから」


 金の貸し借りは好きじゃない。だから俺の選択肢にあるのは、「あげる」か「あげない」かだ。


 「あ、ありがと……」


 いつもは傲慢なところもある彼女も、今日ばかりは戸惑いながら、しかしちゃんとお礼を言って千円を受け取っていた。


 「よくそんな簡単に千円を人にあげれるね」

 「ついこの間、いとこの姉さんにご奉仕して稼いだ金だからな、丁度良い」

 「あれ? もしかしてこれ、結構汚れたお金だったりする?」

 「洗うのには丁度良い」


 俺の家は小遣い制じゃないから、何か手伝いをしないとお賃金を貰えない。それはそれはもう、幼い頃から労働してお金を稼ぐという今日の資本主義社会を叩き込まれたものだ。


 「さ、流石にこういうのは何かお返ししないと気が済まないよ」

 「別に良いって」

 「体で払ってあげようか?」

 「腕一本な」

 「あ、そういう感じ?」


 こんな奴でもお金が関係してくると結構シビアになるんだなと感心していると、ようやく俺が乗るバスがバス停へとやって来た。彼女はいつものように、俺の背中をパンッと叩いて。


 「んじゃ、ハブアグッドデイ!」

 「ユートゥー」


 俺はいつも通りバスの奥の方にある一人がけの席に座って、バスの中から彼女の方を見た。

 うむ、今日の彼女の変顔には覇気が感じられないな。



 やがて俺の友人である新城と合流して、いつものように新城は俺の後ろの席から話しかけてくる。


 「なぁ永野、頼みがあるんだが」

 「金がいるのか?」

 「いや、実は某国が極秘裏に開発していたロケットが打ち上げに失敗して太平洋に落ちたんだが、海中に沈んだ衛星から核爆弾を回収して欲しいんだ」

 「ミッ◯ョンインポッシブルでも始まりそうな経緯だな」

 「このメッセージは自動で消去される……ぐああああああああっ!?」

 「何やってんだよお前」


 なお、俺は新城と金の貸し借りこそしたことはないが、ジュースとか昼飯代を奢ったり奢ってもらったりはしている。


 「学生と社会人の飲食代が同じってのはおかしいと思わないか?」

 「なんでも学割が効いてくれたらな」

 「浮いた金でエロ本買えるのにな」

 

 こういう奴がいるから、この世の中は良くならないのだと思う。

 

 

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