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第89話



 「お前は、毎朝バス停に来る時、どんな気分だったんだ?」

 

 そんな風に彼は話を切り出した。


 「何か起きないかなって期待してたかな」

 「楽しかったか?」

 「うん」

 「本当か?」

 「うん」

 「マジ?」

 「うん」

 「そうか」


 私は結構楽しく彼と接していたつもりだったけど、彼にはそう見えていなかったのかな。なんだかショック。


 「ちなみにだが、俺は真面目に生きることがモットーなんだ。どうしてかわかるか?」

 「さぁ、わかんない」

 「怒られたくないからだ」


 初めて聞いた彼のモットーもちょっと意外というか、そんなことをモットーにしてるんだと驚いたけど、その理由にもっと驚かされて、少し面白くて笑ってしまう。


 「子どもみたいな理由だね」

 「違いないな。その実、俺はかなりの小心者の泣き虫でな。ガキの頃は悪いことばっかりして、大人に怒られて泣いてばかりだった」

 「悪いことって、例えばどんな?」

 「夜の学校や親戚の家に勝手に忍び込んだりな」

 「不法侵入じゃん」

 「あのワクワク感がたまらなかったんだ。あと、学校の窓ガラスを割ったり」

 「器物損壊じゃん」

 「別に故意で割ったわけじゃない。ふざけて遊んでたら割ってしまっただけなんだ」


 私が想像していた彼の子どものころって、どちらかというと根暗っぽい感じなのに、そんな悪ガキだったんだね。バッタの足を引きちぎったりカエルをレールの上に縛ったりしたことあるのかな。


 「んで、俺は大人に怒られるのが怖くなったから、いつの間にか改心して真面目に生きるようになったんだ」

 「マゾなのに?」

 「マゾになったのは大分後だからな。別にただ怒られるのは違う、罵られなきゃダメだ」

 

 別にそういう事情はそんな詳しく知りたくないけどね。


 「真面目に、品行方正に生きていれば、大人は怒る理由もないし文句も言ってこない。ただ大人のご機嫌をうかがってればいいんだから簡単なことさ。俺は大人が喜ぶような行動や言動を心がけて、そしたらいつの間にか成績も良くなって、優等生だとか天才だとかチヤホヤされるようになった」


 私は、両親を喜ばせたかったから。

 彼は、大人に怒られたくなかったから。

 優等生になった理由って、こんなにも違うことがあるんだね。


 「だが、いつの頃からか、真面目に振る舞うことに疲れてきたんだ。俺は大人達のご機嫌をとるために、率先して委員長とかリーダーの仕事をしたし、テストで良い点もとった。でもな、中学の頃に気づくんだ。そこまでしなくても、そこそこ良くやっていれば、大人達は怒らないってことにな。むしろ、自分よりちょっとヤンチャなお調子者の方が、大人達に好かれているようにも見えたんだ。隣の芝生だったからかもしれないが」


 真面目すぎるガリ勉君よりも、いい感じに冗談が通じて自分も適度にふざけることが出来るお調子者の方が、そりゃ接しやすいもんね。ただ真面目な人と、リーダーシップがある人とじゃ全然違う。


 「でも、俺は怠けようとは思えなかった。自分が成長するための努力を怠ると、何も特徴のない、つまらない人間になってしまいそうだったからな。俺はただ真面目に振る舞っていただけのつもりだったのに、もう根っからの真面目ちゃんになれ果てていたんだ」

 「皆が褒めてくれると、やっぱり調子にのっちゃうよね」

 「あぁ、簡単なものさ」


 彼は自分のことを真面目で堅物な人間だと思っているみたいだけど、多分ちょっと違うと思う。きっと私よりも真面目な人なんだろうけど、堅物な人だったら、今日こうして学校をサボってまで私を遊びに連れ出そうとはしなかっただろうから。


 「俺も考えたのさ。俺の人生は、この先もこんな感じなのだろうかと。ずっと誰かのご機嫌を伺いながら、誰かのために自分の精神を疲弊させながら、自分の人生のためではなく、仕事のために生きるようになってしまうのかと」


 その時、私はちょっと嬉しくなっちゃった。こんな身近に、私と似たような悩みを抱えていた人がいたんだなって。


 「俺だって、就きたい仕事が明確にあるわけではないし、実際に自分が仕事のできる人間かもわからない。だから、自分の将来がどうなっているかも全然わからない、漠然とした不安があったんだ。ただただ真面目に生きるのはつまらないし、真面目な人間と仕事の出来る人間は必ずしも一致しない。世渡り上手とも一致するわけじゃない。だから、俺は怖かった。このままだと、自分が、自分の人生の意味を見出せなくなるんじゃないかと」


 成績が良い人が必ず成功するわけじゃないし、成績が悪い人が必ず失敗するわけじゃない。ただ可能性が広がるか狭まるかという違いなだけで、私達が思っている以上に、この世界には色んな経歴を携えた人達で溢れかえっているのかもしれない。


 「そこで俺は、将来のことを考えるのをやめた」

 「へ?」

 「まず、目の前のことを考えることにしたんだ」


 私と似たような悩みを抱えていた彼の意外な解決法に、私は少し驚いていた。


 「腹が減ったら、何を食べようか考える。夕飯は母さんが作った肉じゃがだと知ったらワクワクするし、実際食べると期待通り美味しくて満足する。そして、明日の夕飯のメニューはなんだろうと待ち遠しくもなる。それだけでいいんだ、それだけで俺は明日が待ち遠しい」


 目の前のことを考えるってなんだろうと思ったけれど、そんなこと、いやそんなことと言うのは失礼かもしれないけど、彼が言いたいことがわかるようでわからない。


 「俺は考えたんだ。俺の人生はもっと楽しいはずだと、もっと輝いているはずだと、身近にもっと楽しいものがあるはずだと。自分がそれらに気づけたら、きっと俺は幸せだろうと。この幸せってのはなんでもいいのさ。例えば、晴れ渡る空が綺麗だとか、散歩してたら可愛い犬を見かけたとか、芸能人みたいに可愛い女子を見かけたとか、そういう日常のちょっとした出来事を気に留めて、ラッキーだと思うんだ。そうすれば、不思議と自分のセンサーが感知する範囲が広がる。感受性が豊かになるんだろうな。そうやって自分の楽しみを増やして、俺は自分を延命しているんだ」


 彼が言いたいことをようやく理解して、そして私は気付いた。そういえばこの人って、結構前向きに生きている人だ。時々変なことは言うけれど。あまり私の前でネガティブな発言はしていなかったような気がする。変なことは言うけれど。


 「他にもな、この漫画面白いなぁ、続きが気になるなぁ、次の発売日は二ヶ月後かぁ。それだけで、俺は二ヶ月生きられる。続きを読むために頑張って生きるし、もっと面白くなりそうなら完結まで待てる。勉強なんて二の次さ、俺は勉強や仕事のために生きているんじゃなくて、自分が自分の人生で好き勝手やるために生きているんだと、そう思うようにしている。そのために、あくまで副次的に勉強や仕事があるってだけで」


 やっぱりこの人は真面目に生きているんだなって、改めて気づかされる。私の真面目さとは違うけれど、彼は自分の人生について自分なりに考えて、暫定的な答えを出して生きているんだから。


 「俺はな」


 まだ沈みそうにない太陽の光に照らされた海を眺めながら、彼は呟いた。


 「毎朝、あのバス停にお前が来て、愉快な話が出来るというだけで、前の晩は翌朝が待ち遠しく思えるし、お前と別れた直後から、早く明日にならないかと考える」


 なにそれ。


 「そこにお前がいなくなったら、俺は相当困るんだがな」


 ずるいよね、そういうの。


 「私と話すの、楽しい?」

 「あぁ、勿論だ」


 私もだよ。



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