第87話
私達が降りるはずだった終点の駅の手前で降りて、私達は駅からちょっと歩いたところにある海岸までやって来た。夏だからまだ夕日が沈むような時間じゃないし、この方角だと夕日が水平線に沈むところを見られないけれど、砂浜に押し寄せる白波を見ているだけで、その波音を聞いているだけで落ち着けるような気がする。
少し歩くと階段状になっている石段があったので、私は彼と隣り合わせに座った。
「たまには良いな、こういうのも」
「君にとっては人生初デートだもんね」
「俺だって女子と二人きりで出かけたことぐらいはある」
「家族親戚はノーカンね」
「俺だって女子と二人きりで出かけたことぐらいはある」
「家族親戚を省いても!?」
「ただの女友達だが」
この人からそういう浮ついた話なんて聞いたことないけど、この人って女友達いるんだ。そりゃ私と違って共学の学校だもんね、一人や二人ぐらいはいるのかも、物好きな女の子が。
「お前はどうだったんだ? 楽しかったか?」
「うん」
「そうか。明日はどうだ?」
「さぁ、それはどうなんだろうね」
私が言葉を濁すと、彼は水平線の彼方を眺めながら言う。
「明日のことを考えると辛いか?」
それはきっと、彼にとって勇気のいる発言だったに違いない。
「うん」
今までずっと、浅い関係を維持してきた私達の関係が変わろうとしているのだから。
「お前ってA型だろ」
「ううん、O型」
なんで突然血液型を聞かれたのかわからなくてびっくりしちゃったけど、私は正直に答えた。こう見えてもO型なんだよね。
すると彼はバツが悪そうに溜息をついていた。
「今の話はなかったことにしてくれ」
「かっこつかないね。私はよくB型って言われるんだけどね」
「行方不明だな、血液型」
「私自身は自分のことをAB型だと思ってるけどね」
「まぁ、血液型なんてあてにならないさ」
「自分から話題に出しといて?」
「ただの前座だ」
きっと血液型関係の話から話を切り出したかったんだろうけど、大失敗に終わっちゃったね。そういうところも、なんだか彼らしく思えてしまう。
「お前にとって、俺は友達か?」
「うーん、違うんじゃない?」
「なんでだ?」
「名前知らないし」
「そうか。俺も同意見だ」
たまたま毎朝同じバス停を同じような時間帯に使っていたというだけで、学校も違うし、いつの間にか仲良くなっていたけれど、自己紹介するタイミングをすっかり見失っちゃっていた。向こうも全然教えてくれないから、ならいっそのこと向こうが教えてくれるまで教えてあげないって、意固地にもなっちゃうよね。
「俺とお前は、友達のようで友達じゃない」
少し寂しい感じがするけど、私達は毎日のように会っているはずなのに、一緒にいる時間というのはとても短い。
「ましてや恋人でもないし、幼馴染でもなければ家族でもない。ただ、毎朝のようにバス停でちょっと会うだけの関係だ。俺はお前の名前も連絡先も知らないし、お前の家庭環境も、お前がどんな学校生活を送っているのかもほとんどわからない。こんなの、知り合いと呼べるかも怪しいぐらいだろ」
他人ではないはずだけど、知り合い以上、友達未満というぐらいの関係。そんな何も気にしなくても良いような関係が居心地良くも感じられたけれど、今日だけは変わってしまった。
「でも、そんな俺でさえ、お前が相当悩んでいるのはわかる。それはそれはもう、死にたいぐらいに悩んでるんだろ」
私は一言もそんなこと言ってないのに、どうしてそんなこと知ってるんだろ。
「ほとんど他人みたいな関係なのに、そんなに私のこと気にするの?」
「俺は、困ってる人を見かけたら助けずにはいられない性分なのでな」
「お人好しだね」
「俺の唯一の取り柄だからな」
「他にもあると思うけどね」
この人、自分が使わないといけない合羽を他人にあげたり、お小遣いに困ってた私にお金貸してくれたり、体操服を貸してくれたり、いきなり今日が誕生日って伝えても結構な金額の商品券をプレゼントしたりしてくれたからね。
「ただ不思議なものだな。お前が誰かにいじめられているようには思えないが」
「ううん、そんなのじゃないよ」
「家庭環境?」
「ううん。もっとちっちゃいことで悩んでるよ、私」
「そうか、胸か……」
流石に彼の体にエルボーを食らわせた。今のは逆鱗に触れたよね、プンプン。
しかし彼には全然ダメージが入っていないようで、石段に腰掛けていた彼はあぐらをかいて、笑ってはいなかったけれど、バス停では見られなかった優しい顔で私を見る。
「俺がお前の悩みを解決できるとは思えないが、まぁ吐くことで楽になることもあるだろうさ。話してくれるか?」
「うん。冥土の土産にね」
「俺は死ぬのか?」
今日の朝は、多分人生で一番っていうレベルで辛い朝だったけれど、彼のおかげで楽しい一日を過ごせたと思う。
でも、今日はとても長い一日になりそうだね。




