第81話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、彼女の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
俺は読んでいた本を閉じ、彼女の方を向いて挨拶を返す。見ると、今日もいつも通り、コンビニコーヒーを片手に、白いセーラー服姿のアイツが俺にピースサインを向けながら歩いてきていた。
「今日、めっちゃ雨ヤバいね」
「すまん、雨の音であまり聞こえん」
「私のおっぱいボインボイン」
「だからって何言っても許されると思うなよ」
「ちょっとぐらい夢見たって良いじゃん……」
衣替えの季節と同時に梅雨も到来したわけだが、側溝の水が溢れそうな程の大雨だ。合羽を着ていても俺の顔面は雨粒に襲われている。
「こんなに雨音が凄いとさ、空き教室とかで何をやっててもバレなさそうだよね」
「真っ先にそういう発想をされると、お前の将来が不安でならないな」
「例えばさ、こっそりテスト勉強したり」
「もっと堂々とやっとけよ」
「こっそりお昼寝したり」
「カーテン閉めたら良い暗さだもんな。冷房は効いてないが」
「こっそり本を読んだり」
「学校には図書室って環境があるだろ。ていうかもっと音を立てそうなことをやれよ!」
コイツはこれまで毎朝のように変なことを言っていたが、多分悪いことは出来ない良い奴なんだと思う。
「私もそういう青春したかったなぁ」
「まだ残ってるだろ、高校生活」
「誰かと破滅的な恋愛出来ないかなぁ」
「破滅的な恋愛を望むのはどうかと思うんだが」
「でもそういうワンナイトラブ的な方が記憶に残りそうじゃない? 風香ちゃんに手出しても良い?」
「二度とお前の手が使えなくなっても良いのなら」
「おー怖い怖い」
もしも風香からコイツと付き合っていることを告げられたら、俺はどんな反応をするのだろう。想像もしたくない。
「高校生活ももう半年ちょっとしか残ってないって思うと、本当にあっという間だよね。やり残したことやっとかないと」
「何かやりたいことあるのか?」
「告白」
「罪の告白でもやっとけよ」
「なにをぉ。私、そんな悪いことやってないもん。君こそなにか告白しないといけないんじゃない?」
「お前の園児服姿を収めた写真を風香経由で入手してしまった」
「今すぐ君の携帯を寄越しな。道路に放り投げるから」
「無駄だな。既にバックアップはとってある。そのバックアップを破壊しても、そもそも風香がそのデータを持っているからな!」
「ぐぬぬ……」
グラウンドを園児服で駆け抜けるコイツの後ろには、何故かそれを微笑ましそうに見つめる、保育士のコスプレをした女子生徒達が映っていた。風香によると、どうもコイツのファンクラブが結成されたとかどうとか。
これ、ファンクラブって言うより保護者会っぽいのだが。
「良いよね君は、ウチの学校にスパイを送り込めて」
「お前の名前は未だに教えてもらえないがな。お前も俺のとこに知り合いはいないのか?」
「どうだろうねー。いるかもしれないしいないかもしれない」
「中々の情報統制だな」
俺はコイツと出会って三年目になるが、未だに名前を知らないのだ、お互いに。ここまで来たらもう自分から名乗りたくはないという不思議なプライドが生まれてしまっている。妹の風香もよく情報を漏らしていないものだ、同じ学校なんだから俺の名字ぐらいわかるだろうに。
「私って、何か青春らしいこと出来たかなぁ」
「俺だってわからんさ。楽しくなかったのか?」
「わかんない。でもさ、もっと皆と一緒にバカ騒ぎしてた方が思い出に残ったのかなって思うことはあるよ」
「そういう後悔の念が生まれるのも青春の醍醐味だろ」
「後悔がないようにしたいんだけどなぁ」
結局俺も青春という時間の殆どを勉学に費やしてしまったが、ふざけられる範囲でちゃんとふざけていたつもりだ。文化祭というお祭りの時はやっぱり暴れるに限る。
そしてようやく、俺が乗るバスがバス停へとやって来た。彼女はいつものように、俺の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
俺はいつも通りバスの奥の方にある一人がけの席に座って、バスの中から彼女の方を見た。
最近のアイツを見ていると、なんだか変顔に覇気がなくなってきたように感じる。気のせいだろうか。
やがて俺の友人である新城と合流して、いつものように新城は俺の後ろの席から話しかけてくる。
「今日の雨やっばいな。これ閉校レベルじゃね?」
「閉校じゃなくて休校だろ。昼頃には弱まるさ」
「せっかくだし、昼休みにビチョビチョのグラウンドでダッシュしてみないか? ほら、プロ野球の試合が雨で中断になった時に、余興でやってる感じのやつ」
「体操服の用意は良いな?」
「おうともさ!」
今日は親に説教を食らうのは確定だな。




