第80話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、私の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。紺色のブレザーの制服を着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。
「さぁ、今年もいよいよこの時期がやって来たね」
「なんだ? 何かの狩猟解禁か?」
「私の生理」
「ちょっとびっくりするからやめろ」
この人、妹がいるからそういうの慣れてそうなんだけどね。私が重めの日はなんとなく優しい気がするし。
「というのは冗談でね。待ちに待ってない体育祭の時期だよ」
「そうか、お前のとこは五月だもんな」
「高校最後の、いや人生最後の体育祭だと考えても全然寂しくないよね」
「いずれそれが懐かしく感じるときも来るだろうさ」
企業によっては社内運動会がやってるところもあるらしいけれど、そんなことに時間潰すぐらいなら日帰り旅行とか行きたいよね。
「今年は何に出るんだ?」
「何かね、私がコスプレリレーで幼稚園児のコスプレすること前提で話が進んじゃったんだよね」
「大人気企画かよ」
コスプレリレーに出るんでしょ?って皆に言われちゃったもんね、期待の眼差しで。もう三年間ずっと園児服を着てグラウンドを走ることになっちゃったけど、これって将来笑い話に出来るかなぁ。
「そのコスプレ衣装って毎年新調してるのか?」
「ううん、一年の時のと一緒」
「そ、そうか……」
「何、その目は。一年の時の衣装がそのままサイズピッタリなのがそんなにいけないことなの?」
「出会った時から全然サイズ感変わらないもんな」
「いいですよーっだ。下手に体格変わらない方が服にも困らないんだから」
問題は、子どもっぽい服しか着れないし似合わないことなんだけどね。私も大人のお姉さんになりたいよ、グスン。
「どうするんだ、その衣装。記念にとっとくのか?」
「学校に展示するのもありかなって」
「学校の品位が疑われかねないと思うんだが」
「人間誰しもが人間らしい教育を受ける過程で園児服を着ることだってあるんだから、何も間違ったことはしてないよ!」
「その理論だとスク水とか体操服も展示して良いことになるんだが?」
「確かにいかがわしくなってきたね」
世界のどこかには人間を含めた色んな動物の竿(意味深)を展示している博物館だってあるんだから、日本各地の体操服を展示している博物館があってもおかしくないと思うけどね。百年も経てば勝手に学術的な価値もついてくるはずだから。
「ちなみにさ、君は見に来ないの?」
「俺はそんなに暇じゃないんだ、女子校の体育祭に忍び込むほど」
「風香ちゃんがいるから合法的に忍び込めるのに?」
「まぁ、お前の学校の生徒と前に色々あってな」
「え?」
今、何か聞き捨てならない言葉が彼の口から発せられたような気がするんだけど。
「なにそれ、どういうこと? 何があったの、もしかして付き合ってる人がいるとか?」
「いや、ただ単にあまり会いたくない奴が数名いるんだ」
「君は一体何をしでかしちゃったの?」
「まぁ色々とな。忍び込むとしたら変装するしかないんだ」
「この時期に着ぐるみは暑いもんね」
「グラサンとかマスクで許してほしいんだが」
この人に一体何があったんだろ。
そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
彼は私にそう返事して、いつもの一人がけの席に座った。そしてバスの中からチラッと私の方を見てきた彼に向かって、私はとびっきりの変顔を作ってみせた。
彼が笑わないのって、一体何が原因なんだろ。私が園児服のコスプレしたら笑ってくれるのかな?
そして数分後、私が通う学校に向かうバスがやって来た。いつもどおり友達の岩川ちゃんが先に乗っていたから、私は彼女の隣に座る。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん」
「グッドモーニング、都さん」
今日の岩川ちゃんはやけに楽しそうだね。なんとなく原因はわかるけど。
「ねねっ、都さん。今度の応援団の服、こんな感じなんだけどどう?」
と、岩川ちゃんが私に見せてきたのは、可愛い感じの動物のワッペンがついているエプロン。なんか、保育士さんとかが着てそうなやつ。
「まさか、私にもファンクラブが出来ちゃうなんてね……」
「保護者会みたいな感じだけどね。でも皆が都さんの可愛さに気づいてくれて私も嬉しいよっ」
「私が求めてる可愛さ、こういうのじゃないんだけどね」
今度の体育祭では、三年間体育祭を園児服で走りきった私のために応援団が出来るんだって。中々正気じゃないね、ウチの学校も。




