第73話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、彼女の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
俺は読んでいた本を閉じ、彼女の方を向いて挨拶を返す。見ると、今日もいつも通り、コンビニコーヒーを片手に、黒いセーラー服の上にグレーのコートを着たアイツが俺にピースサインを向けながら歩いてきていた。
「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「どうした?」
「君の学校にさ、永野って男の子いる?」
彼女の口から永野という名前が出てきて、俺は一瞬ギョッとしてしまう。しかし彼女の聞き方から考えるに、多分俺の名字が永野だとは知らないらしい。
「あぁ、いるな」
「知り合い?」
「知り合いと言えば知り合いだな」
俺が知る限りだと、俺が通っている学校に永野という生徒は一人しかいない。
「そいつがどうかしたのか?」
俺と彼女は通っている学校も違えば、共通の友人がいるわけでも……いや、俺の妹がアイツの学校に通っているが、もしかしてまだ名字知らないのか、コイツ。風香もよく隠し通せてるな、学年が違うとはいえ同じ学校なのに。
「あのね、私の友達がさ、その永野って男子のことが好きで、バレンタインの日に呼び出して告白したんだって」
「ほう、それで?」
「でも振られちゃったんだって」
へぇ、そうか。そんなこともあった気がするなぁ。その永野って奴が本当に俺かはわからないが、何故か日曜日のバレンタイデー当日に、同じ中学に通ってた岩川って女子に突然呼び出されて、チョコを渡された気がするなぁ。
「で、それがどうかしたのか?」
「その永野って人にお礼参りしたいんだけど、どうすればいいかな?」
「もっと平和的な解決法を検討して欲しいものだが」
「だってさ、私の可愛い友達の告白を振っちゃうだなんてさ、そんなこと悪魔にしか出来ないと思うんだよ。だから私が先祖代々続く悪魔払いの儀式をもって人間の皮を被った悪魔を祓いに行きたいんだ」
「お前の家系はエクソシストだったのか」
確かにな。今まで一度も本命チョコとか貰ったことない男子がせっかく本命チョコを貰って告白されたというのに、それをないがしろにするだなんて俺も酷いと思う。
でもその当事者が俺でしたとは言えるはずがない。きっと悪魔払いの儀式によって消滅してしまうことだろう。
「だからさ、もし機会があったら永野って人に言っといて」
「なんて伝えておけば良い?」
「くれぐれも夜道には気をつけてねって」
「了解した」
「了解しちゃうんだ」
だってよ永野。もしかしたら街灯も人気もない夜道で突然十字架を持ったエクソシストによって消滅してしまうかもしれないぞ。いや悪魔祓いってどうやってするのか知らないが。
「その子さ、永野って人と同じ中学で、今は塾も一緒なんだってさ。これから塾で会う時、めっちゃ気まずいかもね」
「そうだろうな」
「その永野って人、よくモテるの?」
「そういう噂は聞いたことがないな」
「じゃあ好きな人でもいたのかな? ねぇ聞いてみてよ、さりげなくさ。俺、この前振られたんだけど~みたいな感じで」
「どうして俺がわざわざ振られた設定で話さないといかんのだ」
例え俺がその永野という男子だとバレてしまっても、その理由をコイツに話すつもりはない。
「君はさ、女の子から告白されたらテンション上がりすぎて死んじゃうんじゃない?」
「嬉ションしてしまうかもな」
「雰囲気台無しだね。シミュレーションしてみる?」
「受けて立とう」
「じゃあ私は壁になっとくから」
「誰か俺に告白してくれ」
「見てこの体、いかにも壁っぽいでしょ」
「泣くぐらいなら自虐するな」
「まだ泣いてないもん……」
実際は、呼び出されてから待ち合わせ場所に向かっている途中はメチャクチャテンションが上がっていたが、いざ告白されると戸惑いの方が強かった気がする。
結局自分がどんなことを言ったのかは覚えていないが、俺を呼び出した女子が泣きながら走り去ってしまったことは覚えている。
そんなに親しいわけじゃなかったが、悪いことをしてしまったとは思っている……が、俺はどうして彼女を振ってしまったのだろうか。
そしてようやく、俺が乗るバスがバス停へとやって来た。彼女はいつものように、俺の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
俺はいつも通りバスの奥の方にある一人がけの席に座って、バスの中から彼女の方を見た。
もうすぐ三年生になるというのに、アイツはあんなことやってて恥ずかしくないのだろうか。
やがて俺の友人である新城と合流して、いつものように新城は俺の後ろの席から話しかけてくる。
「よぉ永野。お前、告白されたってマジ?」
「知らんが」
「しらばっくれても俺は全部知ってるんだぞ! お前、あの女子校でトップクラスを争う美少女から公園に呼び出されて告白されたのに泣かせたらしいじゃねぇか! 本命チョコ受け取っておいてよ!」
「なんでそんな詳細まで知ってるんだよ!」
「いや、本人から聞いたから」
「お前も知り合いなのかよ!」
意外と世界は狭いものだ。こうなるとアイツに俺が永野だってバレるのも時間の問題なんじゃないだろうか?
「にしてもお前、どうして振ったんだよ。あんな美少女に告白されるの、もうどれだけ転生を繰り返しても二度と巡ってこないかもしれない機会だぞ?」
「どんだけ縁がないんだよ俺には」
「で、なんでなんだ?」
「なんとなくだ」
「やっぱりお前の来世はアフリカマイマイだな」
「迫害される運命にあるのか……」
好みじゃなかったとか好きな人がいたとか、そんな理由ではないはずだが。
俺自身、よくわからないのだ。




