第69話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、彼女の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
俺は読んでいた本を閉じ、彼女の方を向いて挨拶を返す。見ると、今日もいつも通り、コンビニコーヒーを片手に、私服のグレーのコートを着たアイツが俺にピースサインを向けながら歩いてきていた。
「ねぇ、君ってマゾだよね」
「そうだが?」
「うわぁ、全肯定かぁ」
こんな凍えるように寒い冬の朝っぱらからトンチキな質問されて、それに正直に答えたというのにどうして引かれないといけないんだか。
「ちょっと気になったんだけどさ、君がマゾになったきっかけとかあるの?」
「そうだな……きっかけらしいきっかけといえば、一昨年のことなんだがな」
「結構最近なんだね」
「そう、あれはいとこの姉さんと夜を明かした時のことだった……」
「何? 何かエロい話始まるの?」
そう、あれは俺が高校受験に向けて猛勉強を繰り返していた、受験直前の冬休みのこと。
いとこの姉さんは俺の受験勉強に毎日のように付き合ってくれていたのだが、その頃は疲れからかよく睡魔に襲われていてな。ちゃんと休養をとっているつもりでも、やっぱり精神的な疲れもあったんだと思う。
だから、せっかく姉さんが勉強に付き合ってくれているのに、俺がついついうとうとしてしまうものだから、いとこの姉さんは……どこからか持ってきた竹刀で俺の体を思いっきり叩いて頭を覚醒させるようになったんだ。
「以上だ」
「叩かれてる内に、それを快感に感じるようになっただけってこと?」
「つまりそういうことだ」
「エロい話かと思ってたらただのスパルタな話だった」
「まぁ酒に酔ってたらそうなってたかもしれんが、あの時だけは真面目だったからな、あのスパルタ姉さんは」
「ご褒美としてムフフな展開はなかったの?」
「あれば良かったんだがなぁ……」
「そんな悲しい目をしないで」
実際、いとこの姉さんがあんなに厳しかったのはあの時だけで、受験が終わったら異様に優しかったからな。すっかり調教されていた俺はそれじゃ満足出来なかったわけだが。
「でも俺のいとこの姉さんは言ってたんだ。ムチ打たせる者はムチ打たれるにふさわしいってさ」
「何それ。やっぱりマゾとサドは紙一重ってこと?」
「さぁな。お前もマゾに興味ないか?」
「うーん、人生であまり聞きたくない勧誘だね。でもマゾになれば膜が破れた時の痛みも快感に感じるようになるのかな」
「そのために鍛えたって意味ないだろ」
「その時が来ないから?」
「よくわかってるじゃないか」
「むきー!」
コイツもそういうのが好きな奴には需要ありそうなんだがな。いや、コイツはそういうのが好きな奴に好かれても嬉しくないかもしれないが。
「私もやってみようかな、そういう勉強法」
「やめとけ、マゾになるぞ」
「でもさ、痛みを快感に感じるようになったら強くない?」
「だからマゾになりたいって奴は異常だと思うんだが」
別に痛ければなんだって良いわけじゃない。美女に叩かれるのは良いが、知らねぇおっさんに叩かれたって殴り返すだけだからな。
「学校生活とかで取り入れること出来ないかな、SMを」
「健全な青少年の育成によろしくないと思うが、流石に」
「例えばさ、テストの結果が悪かったら学校一の可愛い才女がビンタしてくれるとか」
「確かにそれは良いな」
「まさか賛同されるとはなー」
多分そんなルールを作ると、わざと成績を落とす輩が現れてしまいそうだが。
「じゃあシミュレーションしてみようか」
「まさか俺、ビンタされないといけないのか?」
「君はテストの結果が悪かった生徒役ね。私はバリカン持っとくから」
「俺は丸坊主にされるのか?」
「ほら、下脱いで」
「下の方だったか……」
俺はマゾだがそういう趣味はない。ビンタはまだしも丸坊主にさせられたら流石に泣くかもしれん。
そしてようやく、俺が乗るバスがバス停へとやって来た。彼女はいつものように、俺の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
俺はいつも通りバスの奥の方にある一人がけの席に座って、バスの中から彼女の方を見た。
アイツがマゾだったら、俺の仏頂面を見て興奮したりするのかもしれないんだがなぁ。
やがて俺の友人である新城と合流して、いつものように新城は俺の後ろの席から話しかけてくる。
「なぁ永野。俺を一発ビンタしてくれね?」
「お前もとうとう来るところまで来たな」
「いや、眠いんだって」
「金的の方が覚醒しやすいと思うぞ」
「いや、ショック死するかもしれないからやめれ」
「仕方ないな。アッパーで良いか?」
「俺ってもしかしてお前から恨み買ってんの?」
俺は確かにマゾかもしれないが、身近にサドが増えてくれるのならまだしも、マゾが増えてほしくはない。




