第62話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、私の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。紺色のブレザーの制服を着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。
「あのさ、君って文化祭で何するの?」
「演劇だ」
「おっ。何役?」
「野口英世にアメリカ留学のための渡航費を渡す親戚のおじさん役だ」
「野口英世が演劇のテーマなの?」
「いや、アメリカに向かう途中で船が難破して異世界に迷い込んだ野口英世が、異世界の謎の感染症の細菌を発見して、やがて異世界の紙幣の肖像画になる物語だ」
「異世界転生モノなんだ」
しかも彼、かなりの端役じゃん。まだ船の船長とかの方が見せ場ありそうなのに、大分序盤でフェードアウトしちゃいそう。
「本当は福沢諭吉か渋沢栄一かで迷ったんだがな」
「どうしてもお札からインスピレーションを受けたかったんだ?」
「福沢諭吉が異世界転生しても、手から無尽蔵に一万円札を生み出せるユニークスキルを持たせることしか思い浮かばないし、渋沢栄一だと普通に経済を発展させるだけで終わりそうだからボツになった」
異世界で一万円札を生み出しても何の価値にもならなそうだけどね、銀とか金ならまだしも。
「樋口一葉とか津田梅子じゃダメだったの?」
「作家と教育者じゃなぁ。英霊として召喚するならまだしも、そうなると雰囲気変わってくるし」
「まず異世界に転生するんじゃなくて、現代に転生してくるとかじゃダメだったの?」
「ありきたりだろ」
「今どき異世界転生もありきたりだと思うけどね」
「じゃあ宇宙世紀に転生させるしかないか……」
「嫌だよ、津田梅子がモビルスーツに乗ってるの」
まず、お札になる人ってそんなに戦えるタイプの人達じゃないからね。夏目漱石とか伊藤博文とか岩倉具視とか新渡戸稲造とか戦えそうにないし。
でも元武士の人達だっているしどうなんだろ。聖徳太子とかって超能力使えそう。
「お前のとこは何するんだ?」
「メイド喫茶」
「女子校でもそんなことやるんだな」
「もうおじさん達いらっしゃいって感じだね」
「おじさんって言ってやるな」
「でも大体の子は、王子様系の子が着てる執事服姿だと思うけどね」
「そういうのもやるのか……」
「ウチの伝統行事だよ」
しかもメイド服をレンタルするとかじゃなくて、自作しようって意気込んでる人達がたくさんいたからね。家政科もある学校は違うよ。
「お前もメイド服着るのか?」
「お? 私のメイド服姿、見てみたい?」
「携帯の待ち受けにしてやるよ。連絡先教えてやるから送れ」
「ウイルスと一緒に送るね」
「俺の携帯を破壊する気か」
「君の循環器系も破壊するよ」
「パンデミックだな」
彼の連絡先を教えてもらえるなら送ってあげなくもないけれど、それを待ち受けにされるのはゴメンだね。
「てゆーか君、ウチの文化祭来ないの? せっかくさ、風香ちゃんもいるんだし合法的に入れるでしょ」
「合法的にって言うんじゃない。生憎だが今年も丸かぶりだ」
「仲良しだね、私と君の学校」
「お前の滑稽な姿を見られないのが残念だ」
絶妙に縁がないよね、私達。神様ってなんて残酷なんだろ。
そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
彼は私にそう返事して、いつもの一人がけの席に座った。そしてバスの中からチラッと私の方を見てきた彼に向かって、私はとびっきりの変顔を作ってみせた。
あの人の仏頂面も見慣れてきたよね。メイド服姿を見せたら動揺したりするのかな。
そして数分後、私が通う学校に向かうバスがやって来た。いつもどおり友達の岩川ちゃんが先に乗っていたから、私は彼女の隣に座る。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん」
「グッドモーニング、都さん」
岩川ちゃんは珍しく大きなリュックを持っていた。なんか去年もこんな光景見た気がする。
「岩川ちゃん、また修道服持ってきたの?」
「うん。メイド服の参考にしたいって言われて」
「修道服がメイド服の参考になるの?」
「ほら、シスター服とメイド服って全然雰囲気は違うけれど、それが合わさったらエロ……じゃなくて、良い雰囲気出るかもって言われて」
完全にエロって言っちゃったじゃん。
「岩川ちゃん。そんな連中に体を売ったらダメだよ」
「でも面白そうだし……」
「岩川ちゃんは綺麗なままでいてほしいの……」
私、どんなメイド服着させられるんだろ。怖い怖い。




