第6話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、私の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。紺色のブレザーの制服を着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。
すると、今日は珍しく彼の方から私に声をかけてきた。
「なぁ、お前って泳ぎは上手い方か?」
「何? 海水浴デートのお誘い?」
「お前を海に突き落とした時、泳いで助かったりでもしたら困るからな」
「その時は君も道連れにしてあげるから」
「かかってこいよ」
「望むところだよ」
朝っぱらからなんなんだろう、私の抹殺計画を知らさられるなんて。これはきっと悪い夢だね、そうに違いない。頬をつねると凄く痛いけど、そういうこともあるよね。
「いや、昨日な、友達に滝壺に突き落とされたんだがな」
「早く成仏してもろて」
「そんな高くなかったし、水温もちょうど良くて気持ちよかった」
そういうおふざけみたいなことやったりするんだね、この人も。それとも本当に友達に恨まれたりしてるのかな。
「君って高いところとか平気なの?」
「そりゃバンジージャンプしろって言われたら怖いかもしれないが、いざやるってなると結構ワクワクするかもな。
お前はどうなんだ? 生まれたての子鹿みたいにプルプルしてそうだが」
「なにをぉ。私はもう失禁アンド失神だから」
「放送事故レベルだな」
あんな遊びを思いついた人は絶対正気じゃない。本来生き物は安全を求めて生きているはずなのに、温室育ち過ぎてスリルを求めないと生を実感できない変な生き物のせいで、私は何度観覧車やジェットコースターで失神したことか。
「東京とかのさ、高層ビルが並んでるのを見るだけで具合悪くなってくる」
「生粋の田舎モンだな」
「君だって田舎育ちでしょっ。絶対新宿駅で迷子になるって」
「ハッ、俺を舐めるんじゃない。そもそも東京に辿り着けるかもわからんぞ」
「そもそもの問題だったのね」
田舎者同士でこんな言い合いしても悲しいだけだね。今もこうして、通勤通学時間帯なのに一時間に一本来るかどうかもわからないバスを待ってるもんね。
「都会って良いよね。こうやってドキドキハラハラしながらバスを待たなくて良いんだもん」
「俺はわざわざ満員電車とかには乗りたくないが」
「私とか押し潰されて死んじゃいそう」
「お前ちっこいもんな」
「なにをぉ。あと五十センチは伸びる予定だもん」
「俺を越える気か?」
「楽しみだね、君を見下げる日が来るのが」
なんて言っても虚しいだけなんだけどね。伸びる予定だった私の身長、どこに行ったんだろ。せめて胸に栄養が行ってくれたなら少しは胸も張れたのに、張れる胸もないね、これじゃ。
「やっぱり身長が低いから高いところも苦手になるのかな」
「来世は大きくなると良いな」
「来世は則天武后になれるといいなぁ」
「すんごい野望抱いてるよコイツ」
「あるいは身長を伸ばせる技術が発達している未来に……」
「結構気にしてたのかよ」
私の家系だと遺伝子的に絶望だからね、身長の高さ。ごめん、私の子ども、君は身長が低くなる運命にあるのだよ、恨むならそういう風に仕向けた神様に言いな。
いや、あるいは背の高い人と子どもを作れば……と、私はチラッと隣を見る。
……もっと背が高い方が良いね。
そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
彼は私にそう返事して、いつもの一人がけの席に座った。そしてバスの中からチラッと私の方を見てきた彼に向かって、私はとびっきりの変顔を作ってみせた。
はぁ、今日も笑ってくれないね、あの人は。あの人の笑いのツボってどこなんだろ。
そして数分後、私が通う学校に向かうバスがやって来た。いつもどおり友達の岩川ちゃんが先に乗っていたから、私は彼女の隣に座る。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん」
「グッドモーニング、都さん」
ふぅ、今日も朝から岩川ちゃんの姿を見られて幸せ。
「岩川ちゃんってさ、お父さんとかお母さんの身長って高い?」
「へ? うん、結構高めかも」
「ぐぬぬ……」
岩川ちゃんは百七十センチはないけれど、女の子の中では十分高い方だ。バスの中で並んで座ると身長差はあまり感じないけれど、並んで歩くとなったら、なんだかすごい敗北感がある。
そんな私の悔しさが顔に出てしまっていたのか、岩川ちゃんは口元に手をあててクスッと笑って言った。
「大丈夫だよ、都さんは今のままで」
「そうかなぁ?」
「うんっ。とっても撫で心地が良いから。おりゃりゃりゃりゃ~」
「ぬおおおおおおおおっ!?」
岩川ちゃんは私の頭をワシャワシャと激しく撫でる。
これ、完全に小動物の扱いだよね。
「私ってそんなに撫で心地良いの?」
「うんっ。都さんを見て撫でたくならない人はおかしいと思うよっ」
「そんなに」
じゃあ、一度も私の頭を撫でてこないアイツは結構おかしいのかな。
いや、いきなり撫でてこられても怖いけど。