第48話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、私の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。夏らしい白シャツの制服を着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。
「もう衣替えだねー」
「暑さ的にもっと早くてもいいぐらいだがな」
「どう? 久々の私の白セーラー」
「黒セーラーの上品さとか高貴さが全部消えて、ますます幼く見えるな」
「なにをぉー」
可愛いし良いじゃん、この制服。自分でも思うけどね、何だか高校生には見えないなって。姿見を見ながら泣きたくなるもん。
「こんなに暑いとさ、ちょっと外に出るだけでも結構汗かいちゃうよね」
「廊下に出るだけでうんざりするもんな」
「もういっそのこと自分がクーラーになりたいよね」
「じゃんじゃん俺を涼ませてくれ」
「ちょっと今電源コード繋がってないから」
「使えないな」
「なにをぉー」
何のエネルギーの代償も無しに冷感を得られると思うなよー。
「なんかさ、たまに家電になりたい気分ってない?」
「人生で一度もないが」
「そうなの? たまに自分がルンバになりたい時ってない? もう移動するだけでそこら中が綺麗になったら良くない?」
「自分の体にゴミというゴミがひっつくのは御免被りたいが」
「でも、人間は自分の体を洗うことが出来るからね!」
「ゴミで排水口が詰まりそうだな」
でも掃除機を擬人化するってなったら、その吸気口って自分の口になるのかな。そう想像するとちょっと嫌だけど。
「あとさ、車とかバイクになりたい時ってない?」
「やはり一度もないが」
「そうなの?」
「どんな生活してたらそんなこと思うんだ」
「ほら、男の人が女の人に跨ることって珍しくないでしょ?」
「その逆だってあるだろうが」
「何のこと?」
「とぼけるんじゃない!」
やっぱりこういうくだらない話が一番だよね。
「じゃあさ、私が車になるから君は突然道路に飛び出してきて」
「俺を轢く気満々じゃねぇか」
「カッチ、カッチ」
「ウィンカー出してるなら早く曲がってこい」
「ブオオオオオオン」
「アクセル踏みすぎだ」
「ブオオオオオオ……あ、ごめんマニュアルだった」
「さっさとクラッチ踏め」
親がマニュアル車運転してるのを間近で見ても、とても自分には運転できそうにはないよね。
「じゃあ次は君が車になって」
「どうして俺がそんなことを」
「私、パトカーやるから」
「俺を取り締まる気満々じゃねぇか」
「お、あの車、赤信号の交差点にあんなスピードで!?」
「止まる~」
「チッ」
「舌打ちするな」
「あ、歩行者が渡りそうな横断歩道にあんなスピードで!?」
「止まる~」
「チッ」
「ちゃんと歩行者優先したのに舌打ちするな」
「あ、一時停止看板のある交差点にあんなスピードで!?」
「止まる~」
「チッ」
「ちゃんとルール守ってるのにどうして舌打ちされないといけないんだか」
君はもっと交差点に入る前にスピード緩めて。
「にしてもお前、そんな交通ルール詳しいのか?」
「だって普通免許の試験勉強してるもん」
「早すぎだろ」
「でも見てて楽しいよ、問題集。全然合格できそうにないもん」
「お前絶対免許取るなよ」
親の車に乗ってると、なんとなく交通ルールは覚えちゃうけどね。パパもママも一時停止看板のある交差点でビクビクしながら止まるし。多分何度もそこで減点を食らったんだろうね。
そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
彼は私にそう返事して、いつもの一人がけの席に座った。そしてバスの中からチラッと私の方を見てきた彼に向かって、私はとびっきりの変顔を作ってみせた。
何だか、最近の彼の表情は柔らかくなってきた気がするけど、なんとなく、私をただ憐れんでいるようにしか見えないんだよね。
そして数分後、私が通う学校に向かうバスがやって来た。いつもどおり友達の岩川ちゃんが先に乗っていたから、私は彼女の隣に座る。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん」
「グッドモーニング、都さん」
見ると、岩川ちゃんは手に携帯扇風機を持っていた。
「ね、それ涼しい?」
「あんまり。でもないよりかはマシだよ。えいっ」
「わ~れ~わ~れ~は~」
「なんだかやりたくなっちゃうよね、それ」
どうして日本人は扇風機を目の前にすると自分が宇宙人であると名乗り出たくなっちゃうんだろうね。




