第47話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、彼女の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
俺は読んでいた本を閉じ、彼女の方を向いて挨拶を返す。見ると、今日もいつも通り、コンビニコーヒーを片手に、黒いセーラー服姿のアイツが俺にピースサインを向けながら歩いてきていた。
「ね、ショートって良いと思わない?」
「急にどうしたんだお前」
彼女はたまに髪を切っているようだが、そんな大きく変化するわけじゃない。大体肩より少し下ぐらいまでだ。もしかしていつも黒髪ショートの風香に影響されたのだろうか。
「何かきっかけでもあったのか?」
「うん。セカンドとのコンビネーションが良いよね」
ショートはショートでも遊撃手の方だったか。
「お前、野球に興味あったんだな」
「昨日ね、体育で野球やったの。軟式だけど」
「ソフトボールなら聞いたことあるが、女子校でそれは珍しくないか?」
「先生が元々やってたらしいんだよね。んでね、私がショート守ったの」
「エラーしまくりだっただろう」
「なにをぉ。そもそも飛んでくるボールが怖くて一歩も動けなかったもん」
そもそもの問題だったか。確かに、ボールに怯えてプルプル震えてるコイツの姿が容易に想像できる。確かに怖いもんな、軟式のボールでもあんなスピードで飛んできたら、指が折れそうな気がするし。
「打撃の方はどうだった?」
「バットを降るとね、何故か自分の体もくるくる回るの」
コイツ高校生にもなって何をやっているんだ。
「おかげでただただ怖かっただけだよ。君って野球出来るの?」
「授業とか友達と遊びで野球とかソフトボールはやったことあるが、そんな上手ってわけじゃない」
「バットにボール当たる?」
「打撃の方なら、バッセンに結構行くしな」
「君のバットにもボールついてるもんね」
「お前それが言いたかっただけだろ」
俺の下半身を見ながら言うんじゃないよ、朝っぱらから。
「お前は野球とか結構見る方か?」
「ニュースで結果見たり、暇な時に中継見るぐらいかな。何か贔屓のチームが出来ちゃうと、試合の勝敗でその日の気分が決まっちゃいそうだから」
「俺も特別好きなチームはないな。好きな選手を追っかけてるぐらいだ、OBにプロの選手もいるしな」
「君の学校って甲子園出たことあるんだっけ?」
「あぁ、一度だけだがな。でも今も結構強いから、県大会の決勝とかになると全校応援だ」
「良いよねぇ、そういうの。ウチの学校は野球部ないし、どこかの部が全国大会出ても、わざわざ全生徒総出で応援しに行くこともないし」
「炎天下の球場は中々地獄だがな」
「確かにそうだろうねぇ」
自分がもっと運動神経良かったら、何かしらの運動部に入って、青春時代の大半を部活に費やすことも出来ただろうがな。バレー部に入ってる風香を見ていると、たまにそんな道を歩んだ自分を想像してみたりするが、とても上手くいくとは思えない。
すると、俺とテキトーな会話をしていた彼女が、ふと物憂げな表情で呟いた。
「なんか、そういう熱中できるものがあれば、きっと楽しいんだろうね」
俺は、隣に立つ彼女の、いつもの能天気な姿とは百八十度違う姿を目の当たりにして戸惑うばかりだったが、ただ黙っているのも気まずかったため口を開いた。
「そういう部活が、青春の全てとは限らないだろ」
そんな励ましになるかもわからない言葉しか、俺には言えなかった。
そしてようやく、俺が乗るバスがバス停へとやって来た。彼女はいつものように、俺の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
俺はいつも通りバスの奥の方にある一人がけの席に座って、バスの中から彼女の方を見た。
今日もいつもと変わらない、面白くない変顔だな。
……だがあの顔を見るに、そんな何かに悩んでいるわけでもないのだろうか。
やがて俺の友人である新城と合流して、いつものように新城は俺の後ろの席から話しかけてくる。
「なぁ永野、今日の昼休み野球しないか?」
「お、たまには良いな、そういうのも。俺はどのポジションだ?」
「永野はマネージャーな」
「昼休みの遊びにいらないポジションだろ」
昼休みは図書室や自習室に籠もっていることが多いが、たまには体を動かすのも悪くない。大体野球かバレーかバスケだが。
「あ、それともキャップ野球ってのはどうだ?」
「当たる気がしないな」
「俺、魔球投げられるんだよ。スーパーライジングスライダーナックルスプリット」
「どういう変化するのかさっぱりわからないんだが」
「もう色んなところに曲がりすぎて、もはや軌道は真っ直ぐなんだ」
「ただのストレートだろ」
新城は中々に青春を楽しんでそうな気がするな、うん。




