第4話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、私の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。紺色のブレザーの制服を着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。
「ねぇ、そのブレザーってさ、暑くないの?」
「暑いというかちょっと窮屈だな」
「大変そーだね。似合ってもないのに」
「え? マジか? マジで似合ってない?」
「うん。学ランとかの方が似合うと思うよ」
「もっと早く言ってくれ……」
もっと早く言ってくれって何? 私がもっと早く言っていたら、この人は学ランが制服の学校に転校でもしたの?
それはそれとして、彼にブレザーの制服が似合わないのは事実。紺色だからギリギリ大丈夫だけど、これが明るめの色だったら、毎朝顔を合わせるたびに笑っちゃってただろうね、私。
「ね、いつも本読んでるけどさ、どういうのが好きなの?」
私が彼と出会ってかれこれ一ヶ月ぐらい経つけど、私より先にバス停に来ている彼は、いつも文庫本を読んでいる。だけどカバーがかかっているからタイトルも作者もわからずじまい。
そういえば今まで聞いたことなかったなと思っていざ聞いてみると、彼はフッと笑って口を開く。
「お前にはまだ早いな」
何か腹立つ。
「なにをぉ。私だって本ぐらい読むよっ」
「漫画だろ?」
「なぜバレたし」
「お前が高尚なものを読むとは思えないからな」
だって漫画の方が読みやすいし、しょうがないじゃん。でも私だって活字の本も読むもん。割合が少ないってだけで。
しかし、朝っぱらから私のことをバカにする彼に無性に腹が立ってきて、私は彼の不意をついて、彼が手に持っていた文庫本を掴み取った。
「あっ、お前なにすんだ!」
「何読んでるのかなーって……へ?」
何かしらの小説だと思っていた私は意表を突かれた。
文庫本サイズだから勘違いしてたけど、これ漫画じゃん。丁度ブチ◯ラティがジ◯ルノをベロンッてしてるところじゃん。
「……これが高尚なもの?」
「十分高尚だろ」
「今五部なの?」
「いや、読み返すのは確か十二周目だ」
「読み返しすぎでしょ」
確かにあるね、こういう文庫板の漫画。確かに面白いし、私も読んだことあるからこれが高尚なものってことはわかるけれど、なんか偉そうな態度とられたのは気に食わない。
私は彼に漫画を返して、ため息をつきながら言う。
「なんか、もっと変なの読んでた方が面白かったのに」
「例えば?」
「エッチなやつ」
「わかった。じゃあ明日、とっておきのを持ってくる」
「楽しみにしてる」
彼、本当に持ってくるのかな。正直、見せられても困るんだけど。どんな反応をすればいいのかわかんない、笑えば良いのかな。
きっと冗談に決まっている。私達の会話の八割ぐらいは冗談で作られているから。
「でも、そういう本だとかさばらない? 冊数多いし」
「お前は電子書籍派なのか?」
「うん。携帯で読めるから楽じゃん。古い人間とは違うんだよ」
「俺をアナログな奴だと言いたいのか? 良いか、それだけ冊数のある漫画を棚にズラッと並べてみろ。壮観だぞ、それを肴に何倍も飯が食える」
「確かに、それわかるかも」
シリーズの長い漫画とかが揃って並べられていると、なんだかとても満足した気分になれるかも。流石にそれを肴にご飯を食べようとまでは思わないけれどね。
「あ、そうだ。じゃあ君の家に忍び込んだら、結構な冊数の漫画を盗めるってこと?」
「借りるんじゃなくて、まず盗もうって発想に至る奴を野に放っていていいものか」
そういえばこの人の家ってどこなんだろ。一緒のバス停なんだからここら辺に住んでるはずなんだけど、それなら私と一緒の小学校とか中学に通ってたはずなのに、全然彼のことを知らなかった。
あ、もしかして最近引っ越してきたのかな。私ってば名探偵!
そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
彼は私にそう返事して、いつもの一人がけの席に座った。そしてバスの中からチラッと私の方を見てきた彼に向かって、私はとびっきりの変顔を作ってみせた。
むぬぅ、今日も彼は笑ってくれない。私の友達はいつも笑ってくれるのに。
……もしかして、私の友達は愛想笑いしてくれてるだけ!?
そして数分後、私が通う学校に向かうバスがやって来た。いつもどおり友達の岩川ちゃんが先に乗っていたから、私は彼女の隣に座る。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん」
「グッドモーニング、都さん。はいこれ、借りてた本」
岩川ちゃんは私に分厚い文庫本を渡してきた。この間、私が彼女に貸していた本だ。私は貸したことをすっかり忘れてたから、ちょっとびっくりした。
「こ、この本どうだった? 面白かった?」
「うん、なんだかとても引き込まれる文章なの。やっぱりドストエフスキーって凄いね」
「そ、そうだね」
ごめん、岩川ちゃん。私、その本読んだことないんだ。パパから貰っただけで、あらすじも全然わからない。
「ねーねー、岩川ちゃん」
「うん? どうしたの?」
私の感想とか聞かれちゃうと困るから、なんとか話を逸らすために、私は岩川ちゃんに向かって、とびっきりの変顔を作ってみせた。
「んぶふっ、くくっ、ふふっ、ぬふふぅっ!」
突然の私の変顔攻撃を受けて、手で口を押さえてなんとか笑いをこらえようとする岩川ちゃん。
でも我慢できなくなったのか、とうとう手を叩いて笑いだしてしまった。
「だ、ダメだよ都さん! 面白すぎるからっ! ほら、あっち向いて!」
私は岩川ちゃんに顔をがっしりと掴まれて、岩川ちゃんの反対方向へグイッと顔を回された。
うーん、岩川ちゃんはこんなに笑ってくれるのになぁ。やっぱり人の心を持ってないんじゃないかな、あの人は。