第32話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、私の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。紺色のブレザーの制服の上に紺色のコートを着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。
今はもう二月。まだまだ凍えるような寒さが続くけれど、二月って言ったらやっぱりあれだよね。
「ね、そろそろ甘いものが欲しい季節じゃない?」
「俺は年中欲しいけどな」
「そうなんだ。君の好きなお菓子って何?」
「どら焼き」
空気読めてないね、この人。今までそれと無縁の人生送ってきたのかな。
「それよりもさ、洋風なお菓子食べたいと思わない?」
「スコーンとかな」
「紅茶と合いそうだね。そうじゃなくてさ、この季節ならではのさ」
「おしるこか」
「洋風だっつってるでしょ」
「おしぃるこぉっ」
「英語っぽく言っても無駄だって。どんだけおしるこ好きなの」
いっそのことおしるこ作ってきてやろうかな。そして出合い頭にアツアツのおしるこを彼の顔面に投げつけてやるんだ。
「まぁ、チョコは甘い方が好きだ」
「わかってるなら早くIEYO!」
「あと、ホワイトチョコの方が好きだ」
「注文多いね。どんな形が良い?」
「おまかせで」
「わかった。んじゃ着払いで送っとくね」
「毎朝会うんだから直接渡せよ。当日は平日だろうが」
もうすぐバレンタインだよ。毎年お菓子を用意しないといけないイベントを作った先人には恨みしかないね。
「ていうか、お前自分で作る気なのか?」
「そだよ?」
「お前、作るの下手そうだが」
「なにをぉ。私の子どもの頃の夢はケーキ屋さんだったんだよ。ケーキとか自分で作れるもん」
「ほぉー」
あ、私の話を信じてない顔してるね、この人。いいもーんだ。バレンタイン当日に私の特製ケーキを顔に投げつけてやるんだから。
「お前は何が欲しい?」
「避暑地の別荘」
「食い物で頼む」
「フカヒレ」
「着払いで送っとくな」
「冗談冗談。まぁお菓子ならなんでもいーよ。あ、コーヒーに合うのがいいかな」
「んじゃおしるこな」
「コーヒーに合うかなぁ」
そもそもおしるこをどうやって持ってくるつもりなんだろう。顔に投げつけられたりしないかな。
「君ってバレンタインにお菓子もらったことあるの?」
「あるぞ」
「家族はノーカンね」
「じゃあない、ぞ……」
「そんな泣きそうな顔しないでよ」
なんか、チョコ貰ったことないのは意外だね。学校だとこの見た目通り堅物なのかなぁ。おっぴろげに話すと面白い人なのに。
「俺、毎年家族からしか貰えない……」
「むなしいね。でも良いじゃん、愛されてて」
「お前は結構バレンタインにチョコを配ったりするのか?」
「うん。友チョコとか義理チョコばっかりだけど、用意するの大変」
「商人かってぐらい用意してる奴いるもんな」
「男子も不思議とソワソワしてるしね」
「意味もなく机の中とか靴箱の中を確認したりするもんだ。俺は何度確認してもチョコはなかったがな」
「だからそんな泣きそうな顔しないで」
この人はバレンタインに辛い思い出しかなかったんだね。可哀想に。
「バレンタイン当日はな、なんとなく女子に優しく接してみたりするんだ」
「下心透け透けじゃん」
「でも俺は、チョコをたくさん貰ってる男子から恵んでもらうしかなかったんだ……」
この人の辛いバレンタインエピソード、つつけばまだまだ出てきそう。でもこれ以上話してもらうと、いつか泣き崩れてしまいそうだから、バレンタイン当日は優しくしてあげよう、この可哀想な男子高校生に。
そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
彼は私にそう返事して、いつもの一人がけの席に座った。そしてバスの中からチラッと私の方を見てきた彼に向かって、私はとびっきりの変顔を作ってみせた。
うん、やっぱり今日も笑ってくれないね。だって彼、ずっと泣きそうな顔してるもん。
そして数分後、私が通う学校に向かうバスがやって来た。いつもどおり友達の岩川ちゃんが先に乗っていたから、私は彼女の隣に座る。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん」
「グッドモーニング、都さん。都さんってチョコは平気?」
「うん。岩川ちゃんも大丈夫?」
「都さんから貰えるならいくらでも食べられるよ」
「こりゃたくさん用意しないとね……」
岩川ちゃんって誰かに本命のチョコを渡したりするのかな。あまり岩川ちゃんの色恋沙汰を聞いたことがないからわかんない。聞いてもなんだかはぐらかされちゃいそうだしなぁ。
「都さんって、たくさんチョコをもらえそうだね」
「へ? 私ってそんな王子様キャラだったっけ?」
「ううん、可愛いから」
「餌付け感覚?」
私って毎年結構な数の友チョコ貰ってたけど、もしかして餌付けされてただけなのかな。




