第16話
夏休み初日。
せっかくの長期休暇なのに、初日から塾にいかないといけないだなんて、やんなっちゃうね。若い頃はせっせと勉強して、社会に出たらずっと働かないといけないだなんて、そんな人生間違ってるよ。
そんなナイーブな気持ちの朝。私は塾に行くため、いつものバス停でバスを待つ──。
「……およよ?」
私は自分の目を疑った。
「は?」
先にバス停でバスを待っていた彼も、私の姿を見て、信じられないという様子で驚きの声をあげていた。
「ぐ、グッモーニン」
「グッモーニン……?」
私は戸惑いながらも、先にバス停でバスを待っていた彼の隣に立つ。
なんだろう、この緊張感。あまりにも想定していない事態だったから頭の中真っ白だけど、いつも通りでいこう。
「……ストーカー?」
「こっちのセリフじゃ。お前何してんだよ」
「これから夏期講習受けにいくとこだよ。君は?」
「夏期講習だ」
「わぁ」
なんなんだろう、この偶然。そういえばこの人って一応進学校に通ってるから、そりゃ塾ぐらい行っててもおかしくないよね。
「あれ? もしかして同じ塾?」
「お前みたいなちんちくりんを見かけた記憶はないが」
「じゃあ、乗るバスっていつもと一緒?」
「あぁ」
なるほど。いつもと変わらないってことだね、これ。
「何だか絶妙に縁が無いね、私達」
「首の皮一枚で繋がってるレベルだな」
でも、そういうのが私達らしいのかも。
ここら辺は結構な田舎だから塾の数もそんな多くないのに、唯一共通点が出来そうな部分で出来ない辺り、もはや不思議な巡り合わせだと思う。
「ていうかお前、塾とか行くんだな。意外だった」
「それは私のセリフだよ。ちゃんと塾通えてる? ジッと我慢して椅子に座れるの?」
「サルの方がもう少し賢いだろ。お前は居眠りしてそうだがな」
「なにをぉ。私が何のために毎朝コーヒーを飲んでると思ってるのさ。一時間ぐらいは耐えられるよ」
「コーヒーのためにもう少し耐えてやれよ」
なんだか、こんな嘘か本当かもわからない他愛もない話をしているだけで、今日一日を乗り越えられそうな元気が出てくるような気がする。
もう、これも私にとって一日のルーティーンなんだろうね。
なんて感傷に浸るのはやめて、私は彼の目の前で軽くクルッと回って、自分の私服姿を見せつけてやる。
「んでんで、どう? 私の初めての私服姿を拝んだ感想は?」
「お人形さんみたいだな」
「お? そう?」
「頭身が低そうな」
「まさかのねんどろいど的な人形?」
私の私服姿を可愛いと言えないだなんて、彼も中々素直じゃないね。今に始まった話じゃないけれど。
「そういう君は、なんかいかにも君らしい私服だね。面白くない」
「無難が一番だ」
「その黒の上着が赤色とかだったら少しは印象変わるのに」
「いや、上着の色は黒か紺か白って決まってるんだ。塾のルールでな」
「塾にそんなルールあるの?」
「あぁ。塾生は忠節を尽くし、武勇を尊び、質素を旨としなければならない」
「男塾通ってるの?」
この人が突然劇画調になったらめちゃくちゃ面白いんだけど。
まぁそれは冗談として、結構派手めな色も似合いそうだけどね、この人。本人がそういう趣味じゃないんだろうけど。
そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ! 夏休みもよろぴく!」
「あぁ、ユートゥー」
彼は私にそう返事して、いつもの一人がけの席に座った。そしてバスの中からチラッと私の方を見てきた彼に向かって、私はとびっきりの変顔を作ってみせた。
夏休みに入っても変わらないね、彼のツボは。
そして数分後、私が通う塾方面に向かうバスがやって来た。いつもどおり友達の岩川ちゃんが先に乗っていたから、私は彼女の隣に座る。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん」
「グッドモーニング、都さん」
何か岩川ちゃんはザ・お嬢様って感じのシックな私服だね。何度か休みの日に岩川ちゃんと遊びに行ったことあるから何度か見たことあるけど、あの人が岩川ちゃんの私服を見てどんな感想を抱くのか、気になっちゃうかも。
すると、岩川ちゃんは私の顔をジーッと見つめながら言う。
「都さん、昨日はあんなに夏期講習嫌がってたのに、今日は元気そうだね」
「へ? そう?」
「うん。もしかして今日の直進行軍が楽しみ?」
「うん…………え?」
何だか急に世界が男塾に支配されてきた気がする。




