1-3 本当の依頼
藤緒は手箱にカードたちをしまうと、碧葉に頼んで几帳をどけさせた。清雪を几帳越しに見て美丈夫だと藤緒は思っていたが、改めて間近で見てみると、麗しさと気品にあふれていた。これは恋愛相談なわけがない。
清雪と相対して座ると、藤緒は相手が口を開くのを待つ。
「藤緒は、なぜ試すような真似をしたのかと聞きたそうだな」
「別に、占いを信じられない者はたくさんおります。試されることは今まで何度もありました。」
(いきなり呼び捨てね。そのぐらいの身分、と)
身分によって相手を呼び分けるのは普通だ。父には敬意を払っているように見えたが、それは専門職であるというだけで、やはり清雪の方が身分は高いんだろう。
「しかし、それ以上を理解しているのではないか?」
清雪は観察力だけではなく人を見る目もしっかりしているようだった。藤緒は臆さず、ただしため息混じりで答えた。
「あくまで推測の域を出ませんので、話半分でお願いいたします」
藤緒は前置きをした。頭の中の声とか、直感とか、藤緒には当たり前のように存在しているものであるが、非科学的だと否定する人も多い。清雪がどちら側の人間であっても問題のない返答にしたい。
「私に才能があれば、力を借りたいことがおありなのかと。ただ、お探しなのはただの占い師ではないのかもしれない、とは思いました」
多くは語らない。相手の出方は常に伺うのが藤緒のやり方だ。
「ふむ・・・さすがに鋭いな」
そう答える清雪の目は、少し鋭くなっていた。そのあとは少し沈黙が流れた。次の言葉を考えているようにも見えた。
その一方、藤緒は藤緒で悩んでいた。自分の家系に伝わる話をどこまでしてもいいのか、どこまで能力について明かしてもいいのか、考えないといけないことが噴出してきたからだ。
まさか、新しいカードが現れたその日に問題が起きるとは思っていなかったため、そこまで考えていなかったのだ。
実際のところ、藤緒の持つカードを用いた占い技術は門外不出だ。だからカードは常に手箱に入れてあり、乳兄弟の碧葉にも見せたことはない。母は占いの師であるのでこの中身を見たことがあるが、それも幼少のころの話だ。
占いに何を用いているのか、どうやって占うのか、いろいろ家系のみに伝わる話は多い。父は家系の人間ではないが、母が伝えたのか知っているところもある。兄や弟も知るところはあるだろう。
(この男ははぐらかしても誤魔化されない、たぶん)
悩み首を傾げながらも、藤緒の直感は清雪に嘘は通じないと告げていた。
「我が家の占いの技術は女性のみに受け継がれるもので、1000年の歴史があります。技術の基礎は母から教わりました。従姉妹たちもみな、そのようにして占いと会得しております。また、使う道具は他人に見せてはならぬというのが家訓です」
「その話と先ほどの話は繋がるのか?」
この後に続く話が想像つかないのであろう清雪は、やや苛立ちを見せてそう言った。清雪の言葉を無視して藤緒は続ける。
「そして、この先の人生で手持ちの道具で足りないような出来事が起こるとき、新しい道具がどこからともなくもたらされると言われています。」
このくらいであれば、他言しても大丈夫だろうか。しかし、言いふらされても困る。清雪の口が堅いと信じたいところだが、偽名を使うような男だ。そもそも内密の話をしにきたのだし、問題はないだろう。
「その話をするということは、最近新しい道具が現れたということか。」
清雪は頭の回転が速いらしい。話が早くて助かる、と藤緒は思う。
「そうですね。今朝のことです。その道具の特徴が異質でしたので。父に言われました。思いもよらない大きな渦に巻き込まれていくのではないか、と。」
これだから、占いの実態を話せないのは面倒だ。だからこそ、占い師と父の診療所の手伝いだけを生業にし、家族以外との付き合いは極力避けて、お客だとしても他人には踏み込まないようにしていたのに。
秀眞の国にはこの中央の都の他に東と北と3つの都があり、従姉妹たちは他の都で占い師をしている。
ちなみに藤緒がいるのは帝のおられる中央の都だ。
東や北の都は帝の弟君たちが治めておられるという。この国の領土はそれなりに広い。
「そこに俺が来た。そうだな?」
藤緒はうなづいて肯定した。
(この男、本当に何者なんだろう。面倒ごとに巻き込まれる予感しかしない・・・。でも逃げられるものなら逃げ切りたい。)
藤緒はそう思うが、アカンサスの出現がすでにそれは無理だと告げているのだ。
「それよりもあなたの真名を教えていただけませんか」
単刀直入に聞いた。偽名なこともお見通しだぞ、と言わんばかりに。
「それはいずれ分かる。知らぬ方がいいこともある。」
清雪はそう言った。真名を知らない方がいいような貴人とは出来たら関わりたくない。藤緒はこのまま逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。
藤緒の頭の中は悪あがきを続けていた。しかし、目の前の清雪の瞳は藤緒をとらえて離さない。
「最近都で食中毒が流行っているのは知っているな?」
「はい、父から聞いております」
食中毒は難しい。食べられるものと食べられないものの区別が、素人には見分けがつかないものも多いからだ。山で見つけたものなどは杣人に聞くのがいいと藤緒は父から聞いたことがある。
「食中毒が、流行ることがあるだろうか?」
父から聞いたところによると、噂の食中毒の症状は、食べて一刻(30分)後より始まり、腹痛・嘔吐・下痢・けいれんが起きる。時に幻覚が見えることもあるという。症状は二刻(1時間)ほど続き、死ぬこともあるらしい。事実、今回の流行では死んだ人や昏睡状態に陥ったままの人もいるという。
「碧葉、少し席を外して、御簾を下ろしておいてちょうだい。」
「承知しました。しかし藤緒さま。おひとりで大丈夫ですか?」
藤緒はうなづくと碧葉に微笑みかけた。
「この方のことは誰にも言わないようにして。」
碧葉は、何よりも藤緒との約束を優先させる。こう言っておけば、両親にもこの話は伝わらないだろうと、藤緒は確信している。
藤緒は、もし仮に清雪が自分の人生を振り回す男なら、占いを見せないのは現実的ではない気がしていた。ただ、名目上では家訓を守っている振りをせねばならないのだ。
「私は、占いを人に見せないという家訓を破ります。」
藤緒はそういって手箱を開けた。この行為を血脈が裏切りととるなら、カードはすべて消えているはず。
でも、カードはそこにあった。
『今回は僕が行くね。』
同じ80枚あるカードでも、今回はコリントが出るという。
アカンサスではないのか、清雪がらみなのに。
文机を挟んで向かい合う。
こんな形で占いをするのは初めてだ。自分は血筋を裏切ることになる。
「これは家系を裏切る行為ですので、清雪さまも、ご内密に。」
念を押す。
「承知した。そなたの本気も、受け取った。」
清雪の目は真剣だった。藤緒の覚悟も受け止めた、そんな顔をしていた。
カードを切る。カードの声が聞こえる。
『お父さまは少し気付いているね』
『悪意がある』
引く前からカードたちが口々にしゃべる。藤緒はうなづきながら、タイミングを見てカードを出す。カードの出し方は決まっている。
清雪は興味深そうに眺めている。
「過去にはうまくいっていた方のように思います。そこに何かが起きて、小さな恨みが生じた。恨みは大きくなり、この事件が起きている」
そして、最後のカードを見て藤緒はため息をついた。
「そして、このままでは、この流行は収まりません」
残念なことだ、と藤緒は思う。恨みなど何も生まないし、こんな無差別な攻撃で何が晴れるというのだろう。
「物の怪や怪異の類ではないと申すのだな?」
考えながら、念を押すように清雪が聞く。確かに、物の怪や怪異の類であれば、陰陽寮の管轄となり占い師の出番はないであろう。
「はい」
藤緒は即答する。これには犯人がいる。恨みに染まった犯人が。
「そなたには未来を書き換える能力があると聞く。この流行を止められるように未来を書き換えてはくれまいか?」
清雪は言った。未来を書き換えることができると知って、藤緒のところに来たのかもしれない。
流行を止めるのは簡単だ。カードで未来を書き換えればいい。藤緒の能力であれば、個人的な悩み事だけでなく緩やかにであるが国の流れだって変えられる。それは事実だ。
だが、今回に関しては流行という「行動」を止めても、恨みに染まった犯人が残ってしまう。別の行動に出るかもしれない。その犯人の強い恨みを消すのには、時間と労力がかかる。そして、成功率は五分五分だ。
「書き換えることは可能です。流行を止めるだけであれば。しかし、強い恨みに染まった人間は残ります。その恨みさえ変えるとなれば、可能性は五分五分。しかも時間がかかります」
清雪は考える。
食中毒は確かに厄介だ。しかし、恨みの強い人間に別のことを始められたら、何が原因でどう解決するのか、また一から探らねばならない。
(この人は、検非違使かなにかなのだろうか?)
藤緒はぼんやりと考える。都の病の流行で、人心は怯えている。そういう時は治安も悪くなる。だから検非違使にお鉢が回ってきたのだろうか。
(だとしたら偽名なんて必要ないはずだけど)
・・・藤緒はそう思いながらも、得体の知れない不安を検非違使だと思い込むことで納得させることにした。
「恨みを持った人間はどんなやつだ?」
清雪はたたみかける。
『あ、それなら私が。』
ダリアが名乗りを上げる。コリントを横に置くとダリアを取り出した。
「札を変えるのか?」
「そうですね。」
藤緒は端的に答えて理由は伝えなかった。
再度カードを切る。清雪はそれ以上は問いただすことなく見つめていた。その目は真剣そのものだ。
3枚、カードを出す。
「神経質な方です。年齢は、そろそろ引退を考えるような四十路、もしくは五十路でしょうか。自分に無理をして孤独を感じておられます。孤独だからこそ、全てが憎いのかもしれません。」
年齢的には、重臣である可能性もある。まあ、年齢だけいっていて地位が高くない人間の方が多いものであるが。その可能性を考えたのか、清雪の纏う雰囲気が自然と重苦しくなったのを、藤緒は見逃さなかった。
「毒をばら撒いているやつはどこにいる?」
清雪は聞きたいことが次から次へと出てくるらしい。妙な事件なのでそれはそうなのだが、なんだかこの占いはいつもより体力を奪われる気がする。
アカンサスが名乗り出た。方角を占う。西南西に、悪いカードが出た。あとは大丈夫だ。
「西南西に、凶兆が出ておりますが」
藤緒は極力、淡々と述べる。結果を告げればこの男なら何かを察していくだろう、そう考えた。
「わかった。行こう」
藤緒の意に反して、清雪は藤緒に向かって手を伸ばしてきた。
「は?」
藤緒は間抜けな声を出した。藤緒は混乱していた。自宅から出ることなどほぼない藤緒が、今日初めて会ったこの男と、出かけるなど。出かけるとなると、さっき碧葉に口止めしたのは意味がなかったことになる。
「一緒に来てくれないか。行く先で宛てがなくなった時にまた占ってもらわねばならぬ」
「家族にはどう言い訳したらよろしいでしょうか?」
素直に聞いてみた。自分では思いつかなかった。藤緒の家は身分は父の官位を考えたら中の下で、藤緒自身、深窓の令嬢というわけではないが、普段から家を出ることも少なく、友人も皆無である。
「氷高の二の姫の茶会に誘われたと言っておけ。」
(氷高さまといえば帝の重臣となられる血筋。明らかに見え透いた嘘だし、そんなの絶対にばれる。・・・けど、他の言い訳も思いつかないのよねえ)
藤緒は覚悟を決めて母のところへ行き、清雪の用意した言い訳を述べた。
「なにがあっても、カードが消えなければあなたの取っているその行動は正しいと言えるわ。それだけは分かっておいてちょうだい。気をつけてね」
母は言った。既に嘘だとわかっているようだが、藤緒の行動を止めることはなかった。清雪が乗ってきた馬車で藤緒は家を出た。
占い道具は手箱の中に入れて持ち出した。いつもは藤緒の言うことを必ず聞く碧葉が、待っていてほしいと伝えても、今日はどうしても護衛としてついていくと譲らなかった。馬車の後ろを馬に乗りついてきている。
(これからどうなるんだろう)
考えてもどうしようもないことを思いながら藤緒は虚空を眺めた。