2-9 押し寄せる影
達磨の旗のかかった宿だったはずなのに、藤緒は、いつになくゆっくり寝てしまった。馬車の中での宿泊では、疲れがとれていなかったのだろう。
それはみな同じのようで、清雪も少し起きるのが遅かった。
清雪は時間にきっちりしている印象があったので、藤緒としてはそこまで疲れさせた昨日の出来事は衝撃だったのだなと改めて認識した。朝餉を食べたのは巳一刻を少し過ぎていた。
清雪は民衆の動きがとにかく気になるようで、護衛たちを最低限を残して、他の人間には民衆の動きを見に行かせていた。変な動きがあれば知らせが入る手筈になっているようだ。
(ここにいても仕方ないのだから、海に向かって自分が動けばいいのに)
頭を掻きむしる清雪を横目に、藤緒は占いを始める。して欲しいと言われずとも、清雪が望んでいるだろうからだ。清雪が今、何を考えているのかが、藤緒は少し分かるようになった。
アカンサスが、出るという。
『ここからが本番のようなものだな。今回の件は』
そう言いながら、これからの流れを教えてくれた。藤緒は、思ったより壮大な話だったことにげっそりしながらも、そこは見せずに清雪に告げる。
「民衆は、自分たちは犠牲になるばかりだったと、思っています。
しかし、真の豊かさは自分の手の内にあり、そのために変化するべきときだと決意を固めたようです。
それは、教えを授けた人がいたからであり、その教えをコツコツと真面目に取り組んだからこそ生まれた感情で、自分たちの力を誇示しようとしますが、やがてそれが幻想だと気づきます」
「幻想?自分たちの力が幻想だと?力が幻想なら、何が真実なんだ?」
清雪は食らいつくが、そこはカードが言及していないのでいったん横に置いておく。
「気になった数字は五です。五日後あたりに何かがありそうですね」
藤緒はそこで一息ついた。カードの述べることには物語性があるので、途中で遮らない方がやりやすいのだ。
『ドンドンっ!!』
清雪は口を開こうとしたが、それを遮る音がした。突然大きく扉を叩く音が聞こえる。朔夜の声もした。
「ここから西、数里のところに大型の帆船が何艘か確認できました。軽くひとつに五千は乗れるかと。」
(船を用意した人物は龍堂さまではないはずだわ・・・)
藤緒は昨日会った恰幅のいい男性を思い出す。彼はお膳立てをしただけで、自分ではなにひとつしていないと言っていたし、その通りだろうと藤緒の直感も感じていた。
「国津守が信者になっているということか?・・・厄介だな」
国津守というのは都から派遣されてその地方を収める立場の人間だ。なかなか都で官職が得られない者がなることが多いらしいと藤緒は聞いたことがある。
「国津守でしょうか?財源として足りないかと思いますが」
朔夜が言った。清雪に意見するのは初めて見たが、鋭い指摘だなと藤緒は思う。清雪はハッとなって顔を上げた。
「つまり、裏には別の勢力・・・外の国かがいるということか。楔なのかもっと西の国なのか・・・」
清雪は顎に手を当てて落ち着きなくウロウロと歩き始めてしまった。
藤緒は一人、アカンサスを眺めながら脳裏を見つめていた。
映像が浮かんでくる。
五日後に、船は何万の人を乗せて出航する。そして、都の近くまであの歌を歌いながら押し寄せる。ただその先は見えない。
その先はこちらの動き次第で変わるのだろうと、藤緒は感じた。だとすれば、その先のことを考えた方が良いのではないだろうか。清雪は目先のことにとらわれすぎている。
「清雪さま。五日後には船は出ます。都の近くまで押し寄せます。考えるべきはそのあとのことかと。そこまでは、現段階で確定した事実です」
藤緒の言葉で、清雪が目を見開いた。自分のするべきことに気付いたようだ。そして、彼は藤緒の占いに全幅の信頼を寄せているのだな、と藤緒は感じられて安堵した。
「急ぎ都に帰る。船を手配しろ!」
西の霊峰まで来てしまっていたので、元来た港まで戻るのは大変だった。帆船に向かう民衆とすれ違う形になり、歌を歌う民衆たちと馬車がすれ違うのに時間がかかったからだ。
三日間かかって、この島に来た時の港に着いた。五日後に船が旅立つとすると、民衆が都に向かうまであと二日ということになる。急ぎ船に乗り込むが、少し波が高いようで出港できない。清雪の顔に焦りばかりが募っていた。でも、焦っても仕方ない。
(焦っても仕方がないのだけど・・・)
『多少なら話せるわ』
ダリアの声がしたので、取り出して数枚カードを引いた。
『信頼できる友人』『運命、守護』
ダリアの説明の声もなく、言葉は来るのに繋がらない。なんだろう。
自分はカードたちを通訳しているのだと思っているため、藤緒は文章にならないと清雪に告げることができない。
(こういうときは、あとから繋がることが多いけど・・・)
首を傾げていると、背後から清雪の険しい声がした。
「なぜ占いをして黙っている?」
今朝から清雪は苛立ちを隠さない。でも、藤緒は苛立ちは物事に靄をかけることを知っている。だからこそ、ダリアを引いたのだが・・・。
「信頼できる友人、運命、守護。単語は来るのですが文章になりません。もう少しお時間をいただけますか」
「そうか」
清雪は黙って座り込んでしまった。波が穏やかでないのは西の海も同じであろう。彼らとてどこかで足止めをされるのではないか。出発が同時になったとしても、あちらの船のほうが後に着くのではないかと藤緒は感じていた。
翌朝、四日目になった。波が穏やかになり、出港した。海の流れの具合いなのか、漕ぎ手が頑張っているのかはわからないが、行きよりも早く、夕刻には最初の旅籠の近くの港に着いた。馬車に乗り換えると急いで都への道を帰る。藤緒は都まで帰るものだと思っていたが、谷あいの出口で急に馬車は止まった。
「都に行くには、彼らもこの道を通るよりほかない。ここで説得する」
清雪は島を出てからは落ち着いているように見えた。決意のような目の奥の強さを藤緒は見逃していない。
(清雪さまがこの状態に戻っていたら、大丈夫じゃないかしら)
藤緒は楽観視して空を見上げる。悠々と飛ぶ鳶が、藤緒の心を安らげた。
「指導者でもあり身分もある龍堂殿がついてこないとなれば、彼らはただの烏合の衆だ。国津守も任務中にその国を離れると罰則があるから、信者だったとしても来ているかどうか・・・」
確かに、西の祠に行ったときに龍堂は自分はついて行かないようなことを言っていた。国津守としても罰則があるなら賭けはしないだろうと、藤緒も思えた。
(多勢に無勢とならなければいいのだけど・・・)
指導者のいない烏合の衆も、万の数になれば対応に困るかもしれない。しかし、藤緒の考えることぐらい、清雪も考えていないわけがなく、都に援軍を頼んだようだった。
谷あいの近くに東屋があり、そこで待つことになった。護衛の兵士は入りきらず、荒天にならないことを祈るばかりだった。
(でも、風は不思議なほど穏やかだわ・・・)
藤緒の心は、嵐が来る前とは思えないほど落ち着いていた。運命が味方している感覚が、確かに感じられていたのだ。




