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2-3 はじまりの海

藤緒にとって、生まれて初めて泊まった旅籠は、寝心地も快適で朝餉まで準備してもらえるものだった。藤緒は昨晩、夕餉の前に寝てしまったので、朝餉が身体にしみた。どうやら空腹であったようだ。


馬車の旅が続くと思いきや、馬車が一刻(いっとき)ほど走ったところで、すぐに見たことのない景色に変わる。噂に聞く海というものだとすぐにわかる。


「これが、海」

藤緒がつぶやくと、清雪がけらけらと笑う。

「外の世界も、楽しくはないか」

「美しい景色ですね」

藤緒は心の奥からそう呟いた。今までに見てきた川や湖とは違う、藍色に輝く水面は、神秘的にさえ見えた。清雪の言ったことは、藤緒の耳を素通りしていた。


ここからは船に乗るという。船というのは、藤緒が子どものころ、川で見たことのある舟とは似ても似つかない風貌(ふうぼう)をしたものであった。子どものころに読んでもらった絵物語に出てきたのがこんな船だったように、藤緒は思い出していた。


船は馬車よりも少し大きく、内部に二部屋あり、清雪と藤緒、朔夜を筆頭とした護衛たちと碧葉、に振り分けられた。


「うまくいけば、明日の朝までには着くだろう」

清雪はそう言ってくれるが、今宵は同じ部屋で過ごせというのか、と藤緒は考える。かといって、藤緒も清雪も護衛と同じ部屋というのにはおそらく多少、問題があるのかもしれない。頭の中で堂々巡りが続く。


「俺はおまえには何もしない。着替える間は外に出るし、寝顔も見ない」

お互いそれはそうだよな、と藤緒は思う。部屋数が少ない以上、そういう配慮で同じ部屋であることは致し方ない。考えても仕方ないことだったと、藤緒は切り替える。どうも最近、思考が優位になっていけない。感覚を取り戻さなければ、と心の中で藤緒は思った。


船が港を出る。船とは存外(ぞんがい)揺れるものだなと思っていると、碧葉が急いで部屋から走り出る姿が見えた。

心配して外に出ると、碧葉は顔を船の外に出し、吐き散らかしていた。

「大丈夫?」

大丈夫そうではない碧葉に声をかける。

「気分が、悪いだけ……ですので…」

虫の息だ。これでこの先の旅路は大丈夫だろうか。これを船酔いというのだろうな、と藤緒は観察する。船酔いというものは、書物でしか見たことがなかった。揺れるために平衡感覚が狂うのと、揺れ自体でも起きるらしい。藤緒の身体は大丈夫そうだ。


ふとまわりを見回すと他の船が見えた。遠巻きに護衛するものたちの船だろうか。


この船より格段に大型の船が三艘もある。馬車でも積んでいるのだろうか。遠目に見るだけでもかなりの人数だ。この人数を都から連れて来られるとか、どんな身分なんだろう、とまた藤緒は不毛にも考えた。


(働きすぎる頭を抑えないといけないわ・・・。カードの声が小さくなる・・・)


頭の中を空にしようと、藤緒は船の上で景色を見ていた。海の上は日が差していても風があり、陸地より寒いが、それ以上に海は魅力的だった。

小さな島がいくつも見える。人は住んでいないようだったが、森林が見えた。

空には見たこともない白い鳥が飛んでいた。鷺よりは小さいがよく太っており、海の上でどうやって暮らしているのか不思議だった。

海風は寒いが心地良い。碧葉には悪いが長く堪能していたい。藤緒は目的地に着くのが少しだけ惜しくなった。


「海は良い。自分の悩みごとなどささいなものだと教えてくれる」

いつの間にか横に来ていた清雪が言った。確かに、藤緒も海を眺めているときは他のことは考えていなかったので、そういうことなのだろう。


「夜には占いをして欲しい。今回の件はきな臭い」

脈絡もなく、清雪はそう言った。大好きな占いなのに、藤緒には夜の海の方が気になった。なぜだろうか。


これではいけないと思いながら、藤緒の視線は輝く海の水面に釘付けだった。飽きることもなくずっと、移り変わる景色を見ていた。


そんな藤緒を見る清雪の視線は暖かく、若干の熱を帯びていた。清雪には熱を帯びている自覚はなく、そして藤緒もその熱を感じてはいなかった。

一方で、船にやられてげっそりしながらも、碧葉の目はそれを見逃さなかった。


しかし、それにお互いが気付くのはまだもっと先のことである。

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