序章
藤緒は、表向き笑顔を装いながら、冷たい目を相手に向けていた。
「おそらく2-3日のうち、どんなに遅くても1週間の間には、お相手さまからの連絡があると思いますよ。」藤緒は、手に持ったカードを引き、几帳の向こうにいる相手に告げる。今日のお客は摂関家につながる殿上人だ。しかし、出世株だと自分で語りだす鼻の高い男で、好きになった相手の姫に送った文の返事がいつ来るのかどうかが今回のここでの相談事だ。3日待っても返事が来ず、2通目を送ったらしい。性急なことだ。こういう男に思いを寄せられるというのはきっと面倒臭いんだろうなあ、としみじみ思うが、態度には出さないように気をつける。
「信じてよいのでしょうか?」
相手が返答する。藤緒は冷たい目をさらに細める。
(そう思うなら、占いになんて最初から来なければいいのに。)
占いという非科学的なよすがに頼るわりに、信心が足りないと思うのは間違っているだろうか。とはいえ、ここに来る人間の中ではよくある問答なので、答えも定型文のようなもの。口はいつも通りに滑らかに動く。
「信じるか信じないかはあなたさまが決めること。私はただ、ひとつの可能性のある未来を見通しただけ。もしお望みであればその未来を書き換えることもできますが、いかがいたしますか?追加料金はいただくことになりますが。」
藤緒はカードを使って未来を書き換えることができる。それを相手が心から信頼できればその未来は現れる。追加料金を払わせているのは、「信頼せざるを得ない状況」を作り出すためである。もっとも、未来を書き換える力を使うことは藤緒にとっても疲労を伴うことなので、金銭的な壁を作っているというのもあるが。
「もう少し時期を早めてほしいです。お金は、こちらに。」
後ろに控えていた乳兄弟の碧葉が袋を受け取って中のお金を確認する。こちらに向かってうなづくのが見えた。必要な料金が含まれているという合図だ。
(2-3日じゃ不満ということは、今日か明日に書き換えろということかな。)
時期を早めるのを手伝ってくれるカードが藤緒に合図をくれたので、それを手に取る。
「それでは始めます。」
そう宣言して、集中してカードを切る。十分切ったところで、先ほど2-3日、遅くても1週間、と出たところにカードを重ねる。まだだ。この男は相当心配症でせっかちなようだ。男の不安はカードに如実に現れる。集中して、同じ仕草を繰り返す中で、相手の緊張をとることも忘れない。
「彼女からの連絡が来ないのではないのかと、とても不安なのですね。」
沈黙は不安をあおるため、適度に会話を混ぜるのも占い師としての技術だ。
「ええ、それはもう。彼女はとても美しい人なのです。ほかにも彼女に懸想している人はたくさんいるのです。でも、私は彼女以外には考えられないのです。」
彼は饒舌になると不安が小さくなるようで、待っていたカードが、来た。藤緒は顔を上げて几帳越しの相手を見る。
「今、あなたの未来は書き変わりました。ひょっとすると明日と言わず今日帰ったら返事が来ているやもしれません。あなたが、心から信頼できさえすれば。」
念押しは忘れない。「信頼しない」限りこの未来は現れないのだから。
男は礼を言うと飛び跳ねるようにして帰っていった。あの飛び跳ねようなら書き換えた未来は叶うかもしれないな、とぼんやり思いながら藤緒は眺めていた。
しかし、書き換えたのは文の返事が来る日取りであって、文の中身までは保障できないが、思った通りの内容でなければまた来るかもしれない。ここに常連になってしまう人は、そうして占いに依存してしまう人だ。
「あの調子で、好きなお姫さまに想いを寄せてもらえるのかしらね。あんまり常連さんが増えるのも困るんだけど。」
藤緒は独り言のように呟くが、碧葉はきちんと聞いていてくれる。
「どうですかねえ。これ以上常連さんが増えたら藤緒さまの身が持ちませんし、自力でなんとかして欲しいもんですけどねえ。ま、とりあえず今日はここまでなんで、お疲れさまでした。」
碧葉は几帳を部屋の隅に片付けながら言った。最近では新しい几帳はあまり作られておらず、これはかなりの年代物だ。
「碧葉もお疲れ。いつもありがとうね。」
二人は顔を見合わせて笑った。乳兄弟でもある碧葉は、占いの仕事の時は手伝いを兼ねて護衛をしてくれている。ほっそりしているように見えるが、実は強いことも知っている。
今の世は、1000年前とあまり変わらないように見えて、男女が顔を合わせるのに御簾越し、几帳越しでなければならないという時代ではない。しかし、藤緒は占いをするときは几帳越しにするのを欠かさない。その理由としては、カードを他人に触れさせないためと、カードの技術を他人に見せないためである。
手入れはしているつもりだが、几帳を隅に追いやると少し埃の臭いがした。俗にいうところのカビの生えた年代物に近い。
「お父さまはもう診療所に出かけているのかしら?」
「はい。仕事から戻られてすぐに向かわれました。藤緒さまにも早くきて欲しいとおっしゃっておられました。」
「診療所で患者を見るのも仕事なのに、お父さまは本当に仕事が好きなんだから。」
(まあ私も似たようなところはあるけれど。)
藤緒は髪をまとめて簪を刺した。
藤緒の父は典薬寮の長も務める医師だ。宮仕えをしているにも関わらず、街中にも診療所を作り、街の患者を見ている。そして帰ってきたら医学の話を肴に晩酌をするのだ。どこまで医学が好きなんだろう、と藤緒は思っているが、晩酌の相手も、話の中身も藤緒は好きで仕方ない。自分で医術書を買い集めるぐらいには藤緒も医学に興味がある。
診療所の手伝いも、最初は頼まれもしないのにやっていたのだ。
急いで家を出て診療所へと走る。何の病気の人が来ていたとしても、これが藤緒にとっての当たり前で変わり映えのない日常だ。
馬車の音が遠くに響く中、裾を払って藤緒は駆け出した。