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野暮な電話と新たな依頼と(前編)

 空間、あるいは時空と言うべきか、そのズレが戻ると、そこははたしてアスファルト舗装された山道であった。帰り道を探してアクセルをふかすも、往路の目印であった道祖神や寂れた社が一向に見えてこない。

「ええと、カーナビはまだ戻んないか……少し走ればGPS拾うかな?」

 ハンドルを握って舌打ちする純。対して助手席の明は大きなガラス瓶を愛おしそうに撫でまわしている。

「そんなモンで足りるのか?あいつら『それでいいの?』って顔してたぞ」

「安心しろ、一億六千万、一括で耳を揃えてオレが買い取ってやる。ぐへへへへ、お前はこれがどういうモンか判っちゃいない。いいや、あの屋敷の連中も、誰一人としてわかっちゃいないのさ」

「大丈夫なんだろうな……ゴミにしか見えないんだけど」

 瓶の中身は琥珀色の液体である。漂う泡やら何かの破片やらの挙動からして粘度が随分と高いようだが、そもそも何が入っているのか見当もつかない。

「素人にゃ粗大ごみに見えるだろうさ。だが、オレのツテで売り捌けば、跳ね上がる」

「さっきと言う事が違くねえか?騒がれるとか、なんとか」

「そりゃおめえ、柿右衛門や青銅器みたいな真っ当な代物とは別だ。こんなシロモノの価値が変わる人間は、表には出て来ない日陰者だ」

「それは……なんなん?」

「蠱毒酒だ。君喰丸の嗜好品だろうな」

「酒?はいはいそれっぽい、すごくな。大概のバケモノは酒好きだよな。でも蠱毒って、なんかやべー奴だろ?」

 蠱毒。無数の蜘蛛やら蛇やらを壺の中で共食いさせ、最後に残った一匹を用いる呪術だ。その悍ましさからフィクションでも出番が多い。と、その程度しか純にはわからない。

「そうだな、奴にとっちゃただの趣味だろうさ。君喰丸自身も、ちょっと手の込んだ梅酒程度にしか思ってねえだろうよ。

 だがこれは名のあるバケモノが丹念に作り込んだ逸品だ。もっとエグくて、霊的な効果がある。半分お宝半分呪物ってところかね、世が世なら小国が傾く、悪い意味でな。今風の言い方なら特急呪物って奴か?お疲れサマンサってな」

「手の込んだ梅酒ねぇ。ああ、なんか見覚えあるサイズ感の瓶だなと思ったら梅酒の瓶かそれ」

 なるほどと、信号待ちを利用してちらりと覗き込むと……琥珀色の液体には虫の欠片らしき物が大量に漂っている。

「見てみろ、最後の一匹はこの蛇だったようだな」

 瓶の中で一番大きな物体を指さしている。随分と立派な――

「蛇?蛇かそれ?……ていうか生きてる?」

 確かに瓶の中のそいつは手も足も無くひょろ長い。だが、牙や角どころかタテガミまで生えた蛇を蛇と呼んでいいものか。

「正確には蛇だったものだな。共食いと、君喰丸が放つ妖気の相乗効果で、殆どバケモノになってるんだ……うへぇ。見ろよ、元気いっぱいだ、こりゃあいいや。君喰丸は案外マメな奴なのかもな」

 琥珀色の液体の中を、蛇だったバケモノがうねうねと泳ぎ回る光景は、不気味というよりも恐ろしい。

「これはすごいぞ、どれだけの妖気に晒されてたんだか、見当もつかん。

 捨て値で売っても大儲け、いっそ吊り上げれば戦車だって買えるぞ。ロシアの払い下げじゃねえ、自衛隊の奴だ」

 今一つ金額の判らない例えだが、純の懐に入る額に心配はなさそうだ。

「高すぎない?暴利は取りたくないんだけど?」

「オレが純から仕入れる値が一億六千万、その後オレが幾らで売ろうが、お前は暴利じゃないだろ?

 これだってあの屋敷にあれば無価値だったんだ、オレが価値を見出して、オレが値段をつけて売るんだ。いくらで売ろうがお前の預かり知るところじゃないだろ。

 お前が君喰丸に言ってたのと同じ、丸儲けじゃない。オレの人件費に売り買いの手数料、特殊なルートの配送料に、今後の保管のための封印の手間だって含まれるんだ。

 そりゃ額はデカいよ、でも別段理不尽ではないだろ?ついでにオレは古物商も持ってる、ほら、真っ当で健全な商売じゃないか」

 肝心の商品がカケラも真っ当ではないのだが……それは今に始まった事でもない。まあ、自分が納得できるなら他人の商売に口出しはしない方が賢明だろう。

「で……それ飲むの?」

「人間が飲んだら死ぬんじゃね?」

「凄いやそんなもんよく持てるなお前」

「大丈夫だ、売るときはがっつり封をするしな。

 この妖気だぞ、ちょいと山にでも撒いてみろ、その日からそこスタートの百鬼夜行始まるぇぜ、うへへへ」

 唇を僅かに歪めてキーキー笑う形相は、人形のようでありながら、下手をすれば君喰丸の本性よりも禍々しい。

「……誰が欲しがるんだよ」

 察するにバケモノなら飲めるだろうが、そうなると今度は買い手のバケモノに現金の持ち合わせがあるかどうか怪しい。

「いるんだよ、そういうのに糸目をつけないイカレってのは。安心しろ、並の人間じゃあ、蓋を開けただけでお陀仏だ」

「安心する要素一個もないんだけど」

「大丈夫、厳っ重に封印してから売るから。こんなもん飲んで平気なのは、この辺じゃ君喰丸本人か……」

 ちらりと後部座席を覗き込んで続ける。

「アホ面でグミしゃぶってる後ろの精霊くらいだな」

「アホ面とは随分な言い草じゃな、小娘。恍惚と言わんか。しかしうまいなこれ、もうないのか?」

 バックミラーに映るメミコが抗議の声を上げる。グミ相手に恍惚としているだけで十二分に間抜けな絵面であるが、口を挟む前に明が切り捨てた。

「同じだ。なぁ純、何なんだコイツは、なんでついてきてんだ?」

「さあ……すっげえ自然に乗り込んで来たんだよね。しかもナチュラルに後ろに。

 なあメミコ、なんで一緒に来るんだ?人里だっていくらでもあるんだ、好きなとこ行けよ」

 するとメミコ、露骨に不機嫌そうに言い返してきた。

「何じゃその言い草は、無責任な奴め。

 わぁの名を訊いておきながら、命が助かったら放り出すつもりか?わぁを利用するだけ利用して捨てるつもりか?こンの甲斐性なし、まずはとりあえず頑張る気概を見せよ!勢いで始めたらそのまま突っ切らぬか!」

「え?あ、はい……なんかすんません。はぁ、がんばります」

 怒りというよりも一周して説教のテンションに入っているメミコである、なんとなくそのテンションに圧されて思わず生返事を返してしまったのだが……一応メミコの溜飲は下がったようだ。

「うむ。今は許してやる、精進せい」

 一応は満足そうに頷くメミコに、純は首をかしげる。

「ははァ……こりゃすごいな」

 驚いて目を瞬かせる明に、純は苦笑いしか出来ない。

「……憑りつかれた……ことになるんかな?」

「あ?……まあ、そんなところか。いやいや、大物だよ……逆玉かもな」

 にやりと片頬を吊り上げる明に、純は益々意味が分からない。

「明まで何言ってんだか……」

「コンビニで売ってたグミで精霊を手懐けるとか、やるじゃねえか」

「精霊ねえ……カモイ?とか言ってたよな……鴨居は絶対関係ないよな」

「そうだな。

 恐らくはアイヌの神格の呼び方、カムイに近いな。とは言ってもアイヌにも見えん、北海道からの流れ者なのか……どこかの古い妖怪かねえ。

 まあ、バケモノの呼び方なんて何でもいい、精霊も妖精も妖怪も、お化けも、UMAも大差ねえさ」

 バケモノ。多くは生物や非生物が、不可視の力によって不可逆の変質を遂げた――言わば、化けた――存在の総称である。そこには善も悪もない、妖怪だの精霊だの悪魔だの神だのあるだろうが、結局はそれを見た人間が主観でカテゴライズしただけ過ぎない。

「何が化けたんだろうな……獣にも樹木にも見えるが、どっかの山の統合された概念とかもあり得る。神道……いや、土着のバケモノが信仰で姿を変えたパターンも怪しい……そもそも今の姿がどこまでアテになるか……」

「それ、なんにもわかんねって言ってる?」

 純がぼやくと明は鼻で嗤った。

「はい事実陳列罪。

 あれだ、なんかやべー奴だと思っとけ。君喰丸がトカゲなら、あいつは恐竜だ」

「その場合俺たちは?」

「オレがハエで、純はなんか苔に住んでる微生物。

 記憶がねえだのなんだ抜かしてるが……そもそも精霊に記憶の概念があるのにびっくりだよオレは。

 本来まともにコミュニケーションの取れる相手じゃねえ。運がいいぞ、なにしろ人型で言葉が通じる。レアだな、ポケモンだったら伝説のやつだな。

 やったじゃん、喋るからきっとミュウツーだぞ、すげえな市村正親じゃん、サインもらってこいよ」

 なにがすごいのか全く分からないまま、純はげんなりと呟く。

「大層なもんが宿ってたな、あの剣。なんてモンを俺に売りつけやがったんだ、お前」

 純の懐にはまだ、メミコが眠っていた錆び剣がある。長いことゴネる客相手に使ってきたのだが……今はもう、ただのボロボロの金属片のようだ。

「今まで散々商売に使っといて、なに抜かしやがッ……る」

 明の台詞が途切れたのは小石を踏んで、車体が跳ね上がったからだ。

「おい、揺れるぞ、気を遣わぬか。

 そんなに急ぐのか?陸の船は随分と足が速いのう」

 案外自動車に順応しているメミコであるが、律儀に相手をしてやる余裕はない。

「何なんだあいつは……いや、あいつが入ってたコレは」

「……寄越せ、もう少し見てやる」

 投げつけるように押し付けると、錆びが粉と散った。

「あーあ、雑だなぁ。もう少し丁寧に扱えよ。こういうのは手汗とかからから錆びるんだ……よくも今まで折れなかったな」

「そうじゃぞ。なんだか知らんが、わぁが眠っていたモノじゃろう、大事に扱え」

 きっちり白手袋をしてから触れる明に、後部座席のメミコも満足そうだ。

「刃物っぽいと思ってたんだが……日本刀?妖刀か?ムラサメとか」

「純が言いたいのは村正だろうな。んで、それはねえ。そもそも……そもそもこれ鋼じゃないかもな。

仮に日本刀っつっても、作られた時期で構造も価値も大違いだ。ざっとで、十種類以上はあるんだ、まずは――」

「あーあ、長話フッちまっったかな」


 そして始まる日本刀蘊蓄を聞き流す事十五分、ようやく話が戻ってきた。明は眼窩に押し込んだルーペを蠢く髪で更に固定して、錆び剣を舐めるように凝視する。

「何しろ状態が悪すぎる……いや、小奇麗になったか?ウチの店にあった頃は、錆びの塊だったのにな」

「おお、クレばっしゃばしゃ吹いたからな、二割くらい錆びだったぞ」

「……ええ……」

 純の軽い言葉に、明は暫く押し黙ったかと思うと深々と溜息をついた。どうやら今の沈黙は集中するための無言ではなく、絶句だったようだ。

「すごいなお前……正体わかんないもんにクレ吹いたんか」

「錆び落としつったらクレだろ、55-6」

 どこのホームセンターでも売っている潤滑剤である。建築業界では、錆びて使えない金属にはとりあえず吹いとけ、くらいに出番があるありふれたものだ。

「二度とやるなよ。

 お前それ、壁画の修復ってヘタクソな壁画上書きしたどっかのババアと同レベルだぞ。

 強すぎるんだ、最悪表面が品質して劣化してもおかしくない。マジで二度とやるな、刀剣用の油、チョウジ油使え。

 ほんっとにお前、これオレが儒烏風亭らでんならキレて殴りかかるレベルの暴挙だからな」

「え?あ、はあ……あい」

 例えがよくわからないが、乱暴なことをしたらしい。生返事で首を傾げている間にも、明の鑑定は続く。

「ん?何か彫り込んであるな。金か?文字か?……あーだめだ、酔う」

 山道を走る車内、精密なモノとのにらめっこでは、半分以上バケモノのような明でも、車酔いからは逃げられないらしい

 ルーペを引き抜き、歯を食いしばってこめかみを押さえる仕草は、時計職人のようであった。

「預かってやろうか?これならもう少し詳しく鑑定できるかもしれん。もしかしたら博物館モノかもな」

「遠慮しとくよ、あんまりオオゴトにされちゃ困る」

 バケモノ相手の仕事柄、必然的に日陰者である。万が一歴史的発見なんぞとあっては、揉み消すのも気が引ける。かと言ってそれで色々と動きにくくなるのはごめんだ。

「まあ、それもそうか」

 蛇の道は蛇。同じく日陰者である明はあっさりと頷き、剣をサテンに巻いて、丁寧にダッシュボードへ置いた。

「なんじゃ、偉そうな口を利いて、案外役に立たぬのう小娘」

 メミコの無遠慮な物言いに、明のこめかみがひりつくのが視界の端で見えた。

「重要ならいずれ判るんだろ?小娘とやらに頼るんじゃねえよ、甘党精霊。

まあ、好きにすりゃいい。だが大事にしろよ、貴重品だ」

「そうじゃ、わぁがおったんじゃろう?大切に扱えよ。

おい、グミとやらがなくなったぞ、次はないのか?」

「あーもう、うるさいな。わかった、コンビニ寄るから、静かにしててくれ。……降りるなよ?見られたら大騒ぎになるか手の込んだコスプレと思われてネットで晒されるかのどっちかだ」

「ヤな二択」

「ふふん、よくわからんが心配いらぬ。映る目くらい選べるわ」

 慣れない山道に少々神経を削りながら、純はハンドルを切った。

 見慣れない道を抜け、やっと舗装道路に出ると……そこは山に入ったのと真逆の山梨方面であった。君喰丸の嫌がらせだとすれば、地味だが実に効果的であった。何しろ帰り道が二時間以上伸びるのだから。

「……圏央道で帰るか、腰が痛くなりそうだ」

「言ったろ、いい車買えって」

 明が鼻で嗤った、力なく。



 夏日室かがむろ市は埼玉の片隅にある小さな町だ。再開発が持ち上がっては空振りする駅と、十年以上前に百貨店が撤退して寂れた商店街以外は水田と住宅地ばかりの、これといって面白みのない田舎町である。そんな田舎の駅前通りから一本奥へ入った薄暗い路地裏、そこにある骨董屋『塚荒堂』が明の自宅だ。無論ただの骨董屋ではない。何やら怪しい曰く付きの骨董ばかりを取り扱い、日陰と闇を行ったり来たりしている。だからこそ、今回のような化け物の現物支給には明の助力が欠かせない。

 頭の口を隠しては思うままに食えないため、基本的に明は外食を嫌う。今日もその例に漏れない。明を手早く自宅まで送り届けると、既に十時を回っていた。必然的に純の夕食はそれからということになる。

「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」

「……はい」

 こんな時間の田舎町、大通りのファミレス以外に選択肢はない。やはり客は少ない、痴話喧嘩するカップルや、携帯ゲームを持ち込む若者くらいである。通されたボックス席に腰を下ろし、まずはお冷を飲み干す。

 純の目には妙な格好の少女(に似た得体の知れないバケモノ)が店内をふわふわと漂っているのが映っている。だが、他に誰一人として気づく様子がない。

「……本当に見えてないんだな」

山梨方面からここまで四回の休憩(グミ補給)を挟んだのだが、やはりメミコに気付く者はいなかった。

「何度も言わせるな。どの目に入るかくらい、選べる。

まあ、あまり見えると言いふらすなよ。変わり者は強くても弱くてもロクな目に遭わぬ」

「……なんだそりゃ」

「さあな」

 思わせぶりなのは台詞だけである。メミコは宙に漂い大あくび。蔓だか尻尾だかをたなびかせている。その姿は、水族館で昼寝三昧の海獣のようでもあった。

「おお、中々の壁画じゃ。さぞかし高名な者が描いたのじゃろうな。上手いのう。

 ヌシは絵を眺める習慣があるのか、存外教養があるのう、見直したぞ」

「さいですか……そりゃあ、どうも」

 壁にでかでかと書かれたアダムの創造をまじまじと眺めている。万が一レプリカだと口火を切った日には、バチカンのシスティーナ礼拝堂の説明までしなければ、純の気が済まない。とにかくここは口を噤むことにした。

「ほう、この火は煤が出ぬのか、便利じゃな。この透明な殻はなんじゃ?」

 精霊は一向に落ち着く様子がない。絵を眺めた十秒後には、壁から突き出た照明器具を、興味深げに覗き込んでいる。

「だぁから、騒ぐんじゃ――っと」

 声を荒げてから気付く。他の客はメミコの声も聞こえていないのだ、大声で独り言をまくしたてしまっては、深夜のファミレスにふさわしい変人以外何物でもない。

「ブハハハ、間抜けめ。お前は静かに座っておればよいのじゃ――づあっぢぃ!」

 電球を素手で摑んだらしく、熱い熱いと転げ回っているが、今度はメミコの言った通り、静かに座って眉も動かしてはやらない。

 しかし、転げまわるメミコが固定されていない椅子やテーブルがなぎ倒す様子は、他の客の目にはポルターガイストそのものの光景であった事だろう。さっきの大声も相まって、追い出されては堪らない。素知らぬ顔でメニューに目を落とす。

 なんとなく、子供を放置する厄介なタイプの親になった気分で後ろめたかった。


「ほう、ここは食事ができるのか、便利じゃのう」

 オーダーを済ませる間に店内をふわりと一周してきたメミコは、純が何のためにここに来たのかを把握したようであった。バケモノにしては随分と察しが良い。

「そういう事だ。じっとしてろよ」

 変に小声で会話すると悪目立ちする。いっそのこと純は開き直ってスマホを顔の横に構え、若干の小声&口元を隠す小技の組み合わせで、通話中を装うことにした。深夜のファミレスの電話口なんて、小学生探偵でもいない限り誰も気に留めまい。

「お前が何者かは……もういいや。どうせ覚えてねえんだろ?」

「おう、物分かりが良いの」

 理解ではなく諦め、なんなら妥協の領域なのだが……そこまで言うと話が抉れる。軽く頷いて話を先へ進める。

「どこかへ行く気は……ないんだよな?」

「当たり前じゃろう、いきなり名前を訊いておいてなんじゃその口は」

 なんなんだそれは。どうにも話がかみ合わない。……そもそもバケモノと人間なのだ、言葉が通じるだけで精神性は大きく異なる。おそらく犬やイルカの方が意思疎通は簡単だろう。同じ目線で話をしようとするほうがおかしい。

「はぁ……どうしたもんかね」

「なんじゃ、ため息なんぞついて、困りごとか?」

「……割とね」

 露骨に苦虫を噛み潰した顔をしてみせると、メミコはぐいと胸を張った。

「なんじゃ水臭い、話してみい。わぁが聞いてやろう」

悩みの種がどんと胸を叩く光景に、頭痛がする。……いいや、どうせこいつが居座るというなら、いっそ利用した方が建設的なのかもしれない。ならばと、二番目の悩みの種を披露してみることにした。

「あー……俺がバケモノ相手に商売してるの、判るよな?家とか建てるんだ、設計士」

「うむ、なんとなく聞いておったぞ。あれだな、オオキタクミか?」

 その単語、頭の片隅に心当たりがあった。確か、大工の語源にあたる、日本最古の木工職だかなんだか……の長の呼び名だ。

「うーん、近いのかな?だが職人じゃない、図面を引いて、その通りに建てられているかを監理する方だな。俺一人しかいないから施工管理もやってる……って言っても判んないか」

「ふむ。よく判らんが偉いのか。そこそこ若く見えるのに、結構やるのう。よいぞよいぞ、立派な仕事のようじゃな」

 何目線だお前は。と返すのが面倒で続ける。

「でも俺弱いんだよ。バケモノが見えるだけ、何の力もねえ」

 悲しいかな包み隠さぬ事実である。除霊の類は一切できないし、その手の専門知識は皆無である。なにしろ知り合いの拝み屋からは『サッカーに例えると腰から下がないくらい才能がない』と逆太鼓判を貰っている有様だ。

「じゃろうな、見ればわかる。少しでも心得があれば、ヒトの身であの小童との揉め事なんか死んでも起こさぬわ」

「ハッタリかます元手もないからな。それでも商売できたのは、コイツがあったからだ」

 コロンと卓上に転がるのは、メミコの眠っていた剣である。

「ほうほう、わぁの寝床はそんなに便利だったか」

 村をいくつも滅ぼした伝説を持つ君喰丸すら、メミコにとっては赤子同然であった。果たしてこいつがどれだけの力を持っているのか、想像もつかない。そんな存在が眠っていた剣ならば、バケモノ相手に問答無用の武器になったのもなんとなくわかる。

「バケモノの類ならズバズバ斬れてた。今はもう無理だろうな……お前の仕業だろ?」

「ふぅん?まあ、そこらの有象無象が触れれば、手当たり次第に吸い込むかもな。切れたように見えるかも知れぬ。

 大方あの小童、ムキになってバカみたいな力を叩き込んだのじゃろう。それこそわぁが目覚める程の……うん、やっぱりあいつ底なしの大馬鹿じゃな、留まらなくて良かった」

 どうやら熊の冬眠する洞穴に、たらふく餌を放り込んでしまった感じであるようだ。

「お待たせいたしました……ミックスグリルでございます」

 ここで注文が運ばれてきた。電話のフリは続けても、堂々と会話を続けるほど図太くはない、ジェスチャーでその場をつないでやりすごす。さて、店員が席から離れた瞬間、鉄板からチキンステーキが姿を消した。

「おっ、おおっ、こりゃあ、えらく柔らかい鳥肉じゃのう」

 チキンステーキは既に、彼女の鈎爪からぶら下がった状態で半分ほど齧られていた。脂でてらてらした唇が、妙に艶めかしい。

「勝手に食うなよ、お前ずっとグミ食ってたろ」

 そもそも精霊と呼ばれる程のバケモノに食事の必要があるのも納得がいかない。そもそも頭から草木が生えているのだ、日光と水でどうにかできそうなものだ。

「何を言う、食事は分け合うモノじゃろ……む、えらく脂っこいのう、うん、もう要らん」

 鉄板の上にチキンが帰ってきた。齧った断面は筋繊維の一本も乱れず、スパッと、笑えるくらい綺麗に切断されている。

「コイツ舌噛んだらずたずたになりそうだな……」

仮に自分の腕でも噛まれれば、骨がキレイにこんにちはするだろうか。なんなら骨ごとバキバキいきそうな気もする。

恐怖を頭蓋から締め出して鉄板に向き直る。はて、メミコの齧った肉など食って平気なのだろうか?どことなく狐や狼っぽい。エキノコックスあたりがすごく気になるのだが……ハテ、バケモノに寄生虫や病原菌がいるのだろうか。流石に寄生虫や病原体そのものはいないだろうが、寄生虫や病原菌の精霊ならいてもおかしくない。

「どうした?食わぬのか?……なんじゃ、何がおかしい?」

「笑ってるんじゃなくて、ヒいてんだけどな」

自覚なく口角を吊り上げたまま、鉄板の肉に満遍なくソースをぶちまけ、全てをかっこんだ。バケモノと日常的に関わりながら、今更体調の一つや二つを気にしても仕方があるまい。毒を食らわば皿までというやつだろうか、ここまで直接的な話では無かったはずだが。

「何が?」

「何でもねえよ」

 ライスをひとすくい口に運んでから、メミコの目線に気づいた……こいつ米食うのだろうか。ついと皿を押し出して、

「食うか……米?」

 と聞いてみると、メミコ一瞬だけ間をおいてから、

「……もらおうか」

 言い終わった頃にはライスが三割ほど消えていた。いつの間にか手づかみで食っている。もっとも、ごつい鈎爪の生えたあの手でナイフとフォークを使うのは難しいだろう。

「こんなに白いコメがあるんじゃな。むう、悪くはないが……なんか全体的に柔らかくて、食った気がせぬな。まあ、よいぞ」

 そして残りをついと押し返してきた。玄米でも出せと言うのだろうか、食の好みが全体的に随分と素朴寄りのようだ。そういえば犬の餌は硬くて油っけがない、大方それと似たようなものだろうと、一人で納得する。

「それで、ええ、どこまで聞いたかの?」

 食事に飽きたのか精霊が話を仕切り直す。腰を折ったのはお前だろうがと言いたかったが、これ以上は話がとっ散らかって仕方がない。通話のフリをしながら、単刀直入に続ける。

「俺さ、バケモノ相手に商売してるのに……今日の一連で身を守る手段がなくなっちゃったのさ」

 話を聞いているのか、いないのか。メミコは卓上の小ビンを手に取り、興味深げに覗き込んでいる。

「そしたら都合よく、なんかすごいのが憑いてきたわけさ」

 掌に出した塩をひと嘗めして、メミコは鼻で嗤った。

「もう少し気持ちの良い言い方をせよ、助けてくれと。そりゃ男は弱音を聞かせたくなかろう、だが、それは虚勢じゃ。傍目には哀れにしか映らん。やせ我慢は身を亡ぼすぞ。

 仕方がない……言わせるな。まあよい、ヌシの足らぬ部分、わぁが埋めてやろうではないか」

 なんとも恩着せがましい口調である。あるいはこいつ、礼を言われたいのだろうか。

「……助かるよ、ありがとう」

 試しにそう言ってみせると、満足そうに頷くのであった。壮大な存在に見える割に単純な性格らしい。

 さて一息。気付けば店内から、他の客は姿を消しているではないか。店奥からの店員の視線も、危険人物へと向けるそれと近くなってきている。いい加減、電話しているフリにも限界だろうか。近所のファミレスでポリス沙汰は何としても避けたい。ミックスグリルの残りを急いで腹に詰め込むと、純は店を後にした。暫く、このファミレスは来れないだろう。

※ご注意※

この作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事とは一切関係ありません。

実在する人物、団体、出来事、思想には一切関係ございません。またそれに対する批判、意見する意図は一切ございません。娯楽作としてお楽しみ下さい。


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