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カモイと転生と(その2)

「う、げえっ……」

 動画でも何でもよい、アリの群れが川を越える様子を見たことがあるだろうか?彼らは増水した川を越える際、女王アリを中心にアリ同士が絡み合って巨大な一つの塊となり、それを浮きにして水面に浮く。無論大多数は溺死するのだが、彼らはそれを厭わない。

 そんな乱暴なやりくちは『個としての自我が薄く、全体の社会性を重視するアリという生物だから成立する』と純は思っていた。しかし目の前の戦場はそんな認識を軽々と破壊した。

 兵隊は堀をものともせずに押し寄せる。頭を砕かれた同胞の死体を、倒れたバケモノを文字通り踏み越えて進軍する。泥沼に足を取られようものなら、後ろから押し寄せる兵がそれを踏み越えて先へ進む、それの繰り返しである。誰かの首がカモイに折られようが、投石の雨に何人の頭骨が砕かれようが、そんな光景が目に入ったところで意味がない。ただ狂ったように進む。アマトの連中がほんの一握りでも柵を踏み越えれば、こちらは皆殺し。薄氷の上で戦っているのだ。

 それを判っているから、砦の内側も鬼の形相で投石を続ける。それを見て、明が呟いた。

「……地獄だな、地獄が押し寄せて来やがる」

 押し寄せる兵の波を駆り立てるのは、こちらに対する敵意や手柄を争う功名心もあっただろう。あるいは純が昨晩川沿いに積み上げた死体の縁者もいるかもしれない。だが、それ以上に彼らを駆り立てるのは恐怖であった。

 彼らの背後にはソバクが、七枝封征剣がある。怖気づいて引っ込もうものなら、あれに背中を貫かれてバケモノにされる悍ましい結末が待っている。そうやって兵を追い立てて戦って来たのかと思うと、寒気がする。

「あいつらも……逃げてるんだな」

 アマトの兵を追い立てるのは世界の果てまで支配する欲望なのか、それとも権力者の見果てぬ野望の礎に消費される恐怖なのか。どちらにしろ、純にとっては理解したくない狂気の沙汰であった。

「バケモノを足止めしろ!堀から出すな!柵に取り付く兵は挟み撃ちだ!柵を越えられたらお終――ぐあっ!」

 喉から血を吐くような勢いで檄を飛ばしていた明が倒れた。肩口に矢が突き刺さっている。深い、にわかには引っこ抜けない。

「くそが、こんなに近くまで……ッ!」

 すぐそばまで近づく死の気配に震えあがっていると、背後に別のカモイの気配を感じた。反射的に振り向くと、丁度一体のカモイが飛び込んでくる瞬間であった。

「ヲンリュウッ!」

 鱗を持たぬ身の丈ほどの蛇の姿をしたそのカモイは、明らかに弱っていた。何かを伝えようともがき、額の目を明滅させるが、やがてふつりと消えた。間違いない、術者に何かがあったのだ。

「ヒメミコか……見ねえ訳だ、死にかけてる」

 そう、戦闘が始まって暫く経ち、アマトがあのバケモノを何体も突っ込ませてきているというのに、ヒメミコは姿どころか気配も見せていないのだ。

「純、行け」

「しかし……」

 櫓を傾かせながら明は起き上がり、怒鳴った。片腕で旗を振りかざし、投石部隊を鼓舞し続ける。

「テメーにここで何ができんだよバァカ!ヒメミコが今まで何度お前を呼んだ?あいつが頼るのは最初からお前だけだったじゃねえか。カイヌでも、側女でも、カモイ使いでもねえ、お前だ。

 アマトの拝み屋に対抗できるやつがいるとすれば……ヒメミコしかいねえ。

 行け!今すぐ!今すぐ!どうした、殺されてえのか?」

 鬼気迫る明の形相に圧されて、純は駆けだした、ヒメミコの元へ。


 ヒメミコの私室に駆け込むも、そこに姿はない。しかし、あたりには半透明のカモイがふよふよと無数に集まり、幻想的にぼんやりと光を帯びている。

 それらは蛇やオオカミを始めとした動物に始まり、咲き誇る花やざわめく草木、雷雲や風、夕焼け空、雪景色といった自然現象等など、様々なものが切り取られた概念のように無数に漂っている。

 おそらくらこれらは、ヒメミコがアカルワカヌキの剣を使う為に呼び寄せたものだろう……しかし、肝心の本人の姿がどこにもない。

 あちこちを探し回るうちに、鼻孔が血の匂いを拾った。嫌な予感がして裏手の水浴び場に駆け込むと、そこには一糸まとわぬ姿のヒメミコが倒れ込んでいた。足元には血だまりが広がっている。

「ヒメミコ!何があった!」

「ぐうっ、来たか……遅いぞ」

 抱き起こしただけでその白く豊かな体は血まみれであった。それもそのはず、ヒメミコの胸にはアカルワカヌキの剣が深々と突き立っていた。

「ヒメミコ!一体何が!?」

「ぐぐっ……体を清めていざと思ったが……心臓は案外深くにあるようじゃ。血が流れて、自分では……力が入らぬ」

「なんてことを……ッ!」

 言葉を失った。こんな寂しいところでたった一人、ヒメミコは自分の存在をカモイに捧げようとしていたというのか。

「そんな顔をするな。上手く行けば死なぬ……もう少しで心の臓に届く……貫け」

「貫けだとッ?……そ、そんなことをさせるために呼んだのか?!」

「ここで抜いたらそれこそ無駄死にじゃ……頼む、ぐっ……喋るのも……痛む」

「っ……わかった」

「……すまん」

 ヒメミコを横たえて、半ばまで突き立ったアカルワカヌキの剣に手を添える。剣は血に塗れ、体温とすっかり同程度まで温まっていた。結構な時間こうして苦しんでいたのだろう。 

「頼めるのが……アクルイしか思いつかんのじゃ」

 なんと返したら良いのかわからず、ただ頷いて剣に体重をかけると――ぶつん、生々しい手ごたえが伝わる。

 ぞわっ……

 大気に漂う漠然としたカモイの気配が一斉に押し寄せてきた。

 ぼんやりした翠の光が渦を巻き、ヒメミコの体をふわりと持ち上げる。激しい光の渦の中心で、ヒメミコだったものはみるみる光の粒に分解され、溶けるように広がっていく。

 暖かい……気づけばアクルイも、指先からじわじわと光の粒に分解されていくではないか。

『いかんいかん。ヌシにまでこちらに来られては、この先色々と困ってしまうな』

 耳元でヒメミコが囁いたかと思うと、光の渦は純を残して空へと舞い上がり......一度眩しく輝いたかと思えば、やがて、見覚えのある姿に収束した。

『ナ アカルワカヌキ ヌワ シカリ』

 言葉の意味を理解する前に光が弾け、そこには新たなカモイが誕生していた。

 天女のようだが明らかな異形、鱗と電のあしらわれたゆったりとした着物に、まとわりつくように蠢く蔦、蛇の尾、毛皮。

 形こそメミコと同じであったが、その全身は木漏れ日を凝縮したように透き通った翠色に煌めいていた。その中心で大きく脈打つ光は、胸に突き刺さった剣である。そこから、翠色の燐光が立ち上って揺れている。

『では、征くとしよう』

 頭の中でヒメミコと同じ声がした。体の一部を光の渦に巻き込まれていたせいか、わずかに彼女の意識が流れ込んでくるようだ。

 目の前の光景とは別、視界がもう一つ重なっていた。ヒメミコだ、これは翠色の流星となって空を駆けるヒメミコの視界である。

 地を這うように戦場を駆ける流星にとって、バケモノの薙ぎ払いや無数の投石など、止まっているも同然だ、それらを悠々と通り抜け、ヒメミコは戦場を見下ろした。

『哀れな異形どもよ。もはや死んだことすらわかるまい。その存在ごと塵にしてやる』

 ヒメミコが指を弾く程度の仕草で、アマトの異形の半身が灰となって崩れ落ち、残りも煙のように吹き散らす。

『人の身であった頃なら一匹でも命懸けじゃったろうが……ふふん、こうなれば意外と大したことないのう。

 愚か者め、無理矢理作ったバケモノなど、なんの脅威にもならぬ』

 袖から伸びる蔦が次のバケモノを絡め取り、そのまま締め上げ背骨を砕く。手刀を振るえば生まれた旋風が首を刎ね、蹴りを放てば触れるより早く時空の歪みがバケモノを跡形もなく粉砕する。

 その隙に這って逃げようとした一体は、ヒメミコの一瞥に陽炎となって消滅した。

『さて……気は進まぬが、放ってもおけぬか。今まで殺した分の恨みと思え』

 額の目がチカッと輝く。瞬間、堀の泥から無数の腕が生じた。それらはアマトの兵隊を掴むと、みるみる沼底へと引き摺り込んでいく。

「ヒメミコだ……カモイの怒りだ……」

 誰かが震える声で呟いた。

 圧倒的だ。余りに強大なヒメミコの力が、アマトの戦列を溶かすように崩していく様子を、砦の人々は啞然と見上げていた。

『ふう……大勢は決したか』

 ヒメミコにとってはちょっと小突いた程度だが、アマトの戦力は壊滅寸前であった。

 戦場の至る所から悲鳴が上がると、雪崩の如く広がった恐怖は隅々まで感染し、残りも蜘蛛の子を散らすように兵が逃げ出していく。

 つまらない小競り合いならこれでお終いなのだが……今はそうもいかない。ここで終わらせては巨大な禍根を残すことになる。

『どこじゃ?禁星はどこにいる?』

 人間を越えたカモイの知覚が、崩壊した戦列の最奥に禍々しい気配が潜むのを感じ取った。ヒメミコは再び流星に姿を変え、その距離をひと跳びにした。

『ほう、ここが本陣か』

 大仰にも幕を張った一角であった、篝火やら何やらの準備もあり、そこそこ腰を据えて戦うつもりだったことが見て取れた。

 目の前には多少目立つ鎧の武人が数人、見るからに格が高い。

 何の前触れもなく出現したヒメミコに対し、驚きはしたものの、それでも剣を抜く程度の度胸はあるようだ。

『アマトの武人か』

 用はない。彼らにはカモイとなったヒメミコを討ち取るのは不可能だ。瞬きが巻き起こした一陣の風が、彼らを吹き飛ばす。

『失せろ、そして王に伝えよ。オロチツカシノマガヒメミコの怒りが、如何に恐ろしいかを』

 それを言い終わらぬうちに、何者かが幕の裏から飛び出し。そいつは地に伏した武人どもを次々と刺していく。その手にしたのはやはり、七枝封征剣であった。

『お前がヒメミコか』

 振り向いたソバクの目は、あの害獣に向ける不快感をぶつけてくる目をしていた。

「くふふ、くふふふふ」

 奇妙な含み笑いをこぼすと、手にした異形の剣がドス黒い輝きを纏ってぶうんと唸る。しかし、今更バケモノが増えたところで、ヒメミコにとっては障害にもならない。

『お前が禁星か、聞いた通りの狂相じゃのう。今更武官を殺してどうする?軍を奪うつもりか?』

「死ィね」

『ほう、洒落たご挨拶じゃな。大陸の流行か?』

「極東のサルにしては腕が経つ」

 喋っている間にも、武人どもの骸が膨れ上がってヒトの形を失っていく。脈打つ生白い肉塊は、武器や鎧すら飲み込んでいく。

 今までと違うのは、それらが互いを貪り合って一つに融合し、悍ましい絶叫を産声としたことだ。その異形は今までのどれより大きく禍々しい。

 狂いもだえる腕は放射状に九本、剣は持たないが肥大化した鉤爪は、一度振るえば大地を砂山のよう抉った。

「―――――――!!!」

 横並びの首が三つ揃って吠えた。

 天は仰がず、ただただそれぞれが狂ったようにぶんぶんと頭蓋を振り回し互いに噛みつき、貪りながら、怒声と呪詛を無限に吐き続けていた。

 なるほど強敵だ、こいつがいきなり突っ込んできたら、砦は一瞬で崩壊していただろう。

『大陸の邪法か、厄介じゃな。わぁが人の身のままであったなら』

 獣のそれとよく似たヒメミコの鉤爪が光る。次の瞬間、三つの首はまとめて吹き飛んでいた。失った首から、どす黒い体液が噴き出し大地を穢す。

『中々だが。今のわぁには時間稼ぎにもならぬわ』

「調子に乗るなよ、このサルがぁあっ!」

 ソバクの様子がおかしい。

 輪郭を突き破るほどに目を吊り上げると、今まで貼り付けていた含み笑いを消し、きりきりと食いしばった歯の隙間から、地獄の底から響いてくるような悍ましい呻き声を浴びせかけてくる。

「ああ……ああああああああっ!

 忌々しい、汚らわしい、胸糞が悪い!こんな極東の!片隅の!辺境の!未開の!田舎の!浅ましく汚らしい山ザルが!私に!この私の術を愚弄しようというのかッ!」

『……?』

 ヒメミコが片眉を跳ね上げると、ソバクは一転落ち着き払ってぼそほそと呟く。

「そうだ、貴様らはいつもそうだ。

 徒党を組んで、グルになって、私が最も傷つくタイミングで、不快な思いをさせるためだけにしでかしてくれる」

『はあ?』

 かと思えば今度は頭を掻きむしり、地団駄を踏んでわめき始めた。

「口裏を合わせて!武人が低能で進言を聞かぬのも、兵が惰弱で動かぬのも、山ザルが狡賢く噛みついてくるのも、外法の汚名を着せられて都王宮から放逐させられたのも!疫病の星を見落とすバカどもめ!太子の命で都を救えと言ったではないかああああっ!

 貴様ら!あああああ貴様ら!愚物、俗物、無能の分際でえええッ!私の生涯に苦痛を与えるのがそんなに楽しいか?苦しむ私を見るのががそんなに嬉しいか、このゴミどもめ!カスどもめ!悪意に満ちた有象無象が!今日こそは、一匹残らず捻り潰してやる!」

 シニカルな笑みはとうに剥がれ落ち、その奥の鬱屈し腐りかけた狂気が垂れ流しである。

『そうか……そうやって全てを見下して自尊心を保っていたのか、哀れな。

 多少小器用なせいで思い上がったか、お前の程度の者なんぞ、誰も気にせぬ、良くも悪くも。

 懸命に自分を腐らせるのは、はたから見ていて鬱陶しいだけじゃ。まあ、赤の他人に言われて聞き入れるタマならば、もっと早くに治っていたじゃろうがな』

「山ザルが知った口を叩くか!そうだ、そうだろうとも、エミシはサルなのだ、だから時間稼ぎにしか見えぬのだ。そうだろうな、そうだろうとも、だからエミシなのだ。山ザルめ、その程度でつけあがるなよ!」

 もはや正気とも思えぬ形相でぶつぶつ呟きながら倒れた異形によじ登ると、ソバクは鬼の形相でその刃を自らの首筋に押し当てた。

「私の呪いは破れぬ。そんなことは許されない。舐めるなよ七枝封征剣を、舐めるなよ私を。見えているぞの源!自分をバケモノに捧げたな?いいだろう、力のための生贄なら、私が今すぐ越えてくれる!

 七枝封征剣よ!私のすべてを受け取り、喰らい尽くせ!」

 そのまま刃を引いて、ソバクは自らの首を切り落とした。しかしその体は倒れない。

 足元に転がった自らの首をその下、三つ首のバケモノの体へ縫いつけるように突き刺した。一層膨れ上がる異質な気配に、周辺の景色までが歪む。

『自分の弱さに向き合う勇気もなくて、世界のすべてを憎んだか。バカで哀れな愚か者よ』

 うんざりするヒメミコの眼前にそれが立ち上がる。

 先刻のバケモノの体はほぼそのまま、吹き飛ばした首から更に人型の上半身が生えたその姿は、人型としても全体的に大きく歪んでいた。熱にうなされて見る悪夢意外、馴染む場所がない。

『狂人か。この有様じゃ、いっそ正気に戻らぬ方が幸せかもな』

 吐き捨てると同時にヒメミコの鉤爪が閃く。空間ごと切り裂く一撃は、バケモノの横っ腹を一瞬で抉り取るハズだった。バケモノの捻じれた腕がそれを受け止めている。

「力だけはあるか……」

「ややや山ザザザザザザルザルザルのぶんざ分際でででで」

 耳障りなノイズとなった咆哮を無視して、両者が嵐のように切り結ぶ。

 その間バケモノの空いた腕が自らの背中を大きく引き裂いた。新しく生えた上半身がそこに手を突っ込み、血肉をまき散らしながら引き抜いたのは巨大な七枝封征剣であった。

『悪趣味な連中じゃ。アマトとか大陸はどういうヤツがおるんじゃ』

 あの男がどこから狂っていたのか、ヒメミコには知りようもないし、興味もなければ聞いてやる義理もない。

 ただ、目の前で膨れ上がる狂気の処理が刻一刻と重大になっていくのに辟易していた。

『もはや戦さとも言えぬ、バケモノ同士の殺し合いじゃ』

 そう吐き捨てると再びヒメミコは流星に姿を変えた。流星は火花の尾を引いてアマトのバケモノに絡みつくと、今度は巨大な蛇に姿を変えた。

 恐るべき力でバケモノを締め上げると、手足を、頭骨を、頸椎を圧壊させる。

「ぐあ、ああ……ああああああああ!」

 バケモノの負けてはいない。無数の腕と剣を蛇の腹に突き突き立て抉り込む。

 血肉の代わりに翠色の燐光が漏れ出ると、大蛇も苦悶の呻きをあげる。

『ぐぅううっ……この野郎、引きはがすより苦痛を与える方を優先するか!心底腐っておる!』

 大蛇の額が縦に裂け、現れた第三の目が裂けんばかりに見開かれた。そこから迸る無数の雷撃は、異形の肉を裂き目を焼き潰すが、異形は絶叫を上げながら耐えた。

『根競べか、しつこい野郎だ』

 大蛇がきしゃあと天を仰ぐと、ごきごきと鈍い音が響き、異形の上背が大きく傾く。やがて全身に無数の裂傷が走り……その全てが口になると、バラバラに、だが全てが嗤い始めた。

「ひひ、ひ、ひゃはははは!あはははひ!ひはひはひは、きゃはきゃはクハフフハワハワはわは!」

 意味などもはや無いだろう。ただ弾けるだけの、絶叫のような嗤い声が鼓膜を毟る。その場にいるだけでも頭が割れそうになる、悪夢の光景であった。

 それでも異形は執念深く腕を赤熱させ、蛇の腹を内臓から焼いてくる。

 うっすらとヒメミコの感覚が伝わってくる純でさえ、立っているのもやっとの苦痛である。ヒメミコの味わう苦痛は想像もできない。

 煙を上げて燻る傷口からは、翠色の燐光がどくどくト漏れ出る。

『うぐぉっ……!くそが、底が見えぬッ……!』

 一見ヒメミコが動きを封じているように見えるが、その実はやせ我慢。生きたまま内臓を焼かれる苦痛に、現状を保つのが精一杯である。

「だったら……百年くらいこうしてやろうか!」

 大蛇の額の目が光る、途端に傷口から吹き出す翠の光は地を走る根に姿を変え、鱗は苔むしや草木が茂る。森そのものが、異形を縊り殺すべく産み落とされた。

「あひゃらふわはははは!そこかぁあああっ!」

 七枝封征剣がどっかと大蛇の額に振り下ろされ、深々と抉られると、その奥でバキンと何がが折れる硬い音がした。

 まるで、銅剣が叩き折られたような音だった。

『うぐぁッ……狙われたか!』

 ソバクだった異形は、明らかにヒメミコが力を振り絞るタイミングを狙って、その存在の核であるアカルワカヌキの剣を狙ったのだ。

 ぶちぬかれた大蛇の額から翠の燐光が柱のように吹き出す、精霊の力が失われていくのがわかる。このままで、打ち破られるのは時間の問題だ。

『殺し切れぬ……せめて禁星だけでも!……アクルイ、今じゃ!』

 ヒメミコの声に弾かれるように、アクルイは彼女の私室に駆け込み、ひびの入った床板を引き剝がす。

 その下から現れたのは大きな石棺である。隙間に瓦礫をねじ込み、てこの原理で蓋をこじ開ける。


 カイヌの死を看取ったときから、ヒメミコは決めていたのだ。

「禁星は手練れ中の手練れ、最後は力押しになるわぁでは、一筋縄ではいかぬじゃろう。

 仮にわぁが破れても、ただ死ぬわけにはいかぬ。せめてソバクだけは、死ぬ気で何とかせねばならん。

 ……すまぬが他はどうにかしてくれ、おそらく手が回せぬ」

 それがヒメミコの決意であった。

「この土地はいわばカモイの本体じゃ、異物の一個くらい封印するのは難しくない。その時は、この石棺を開けておいてくれ。

 ああ、ついでにもう一つ――」


 大蛇は森を振り落とすと、天を仰いで吠えた。 

『永劫に一人で暴れるがいい。じゃが、場所は決めさせてもらうぞ!』

 異形に絡みついたまま、大蛇は再び輪郭を失い光の奔流とな里、流星へと姿を変えた。

 流星は異形を巻き上げ、翠色に光る旋風となって上空を駆け抜ける。やがて堀や砦の大部分を吹き飛ばしてヒメミコの私室へ至ると、暴風を伴い瓦礫を巻き上げながら石棺へと吸い込まれていく。

 石棺がその光をすべて吸い込むと、その分厚い蓋が重い音と共に閉じた。

 石棺の上で、なにか硬い物がカランと跳ねた。拾い上げるとそれは、叩き折られたアカルワカヌキの剣の根元側半分であった。

 そこからは、もはやヒメミコのあの暴力的なまでの力を感じない。おそらく、力を使い果たして眠りについたのだろう。

 それだけ見届けると、純の意識はふっと暗転し、アクルイから離れた。

 


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