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モグリ設計~霊障地上げと古代文明と~  作者: そのえもん


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再会と要塞と(その3)

 明を含む側女達が気を失ったヒメミコを私室に運ぶ。それを見届けてから、カイヌは崩れ落ちるように座り込んだ。

 無理もない、彼の服はズタボロで返り血だらけ、戦いの直後にここまでカモイを駆ってきたのなら、相当の疲弊だ。

 彼を今まで立たせていたのは、異常にぎらつく眼光だ。全身で燻るであろう戦さの残り火が、疲労を麻痺させていただけだ。

「カイヌ……相当、激しい戦いだったようだな」

「いや、ヒメミコの負担と比べれば、これくらい」

 運ばれていくヒメミコも泥だらけでボロボロであった。

 夜討ち朝駆けを仕掛けるアマトに対応すべく、数多くの戦場を飛び回って戦っていたのだろう。

「うちのムラも昨晩襲われたが、ヒメミコのおかげでなんとかなった」

「本当に強いな……本当に。ヒメミコは特別な人間なのか……?」

「違うっ!」

 カイヌが急に声を張り上げた。怒声ではない、拳をめきりと握り込むその様子は、深い自戒の念を帯びていた。

「違う……俺も昨日までそう思っていた。ヒメミコは特別な人間なんだって、だからあんなに強くて、沢山のカモイを使えてって思ってた……。

 そうじゃなかった……ヒメミコも人間なんだ……もう、ボロボロだ。寝る間も惜しんで戦場から戦場を飛び回っていたらしい……何日も」

 純たちが必死こいて戦う準備をしている間、彼女は文字通り最前線で、言葉以上に命を張って戦っていたらしい。

「……そうだったのか」

「どんな人間だって、三日も寝ずに戦っていれば信てしまう。それは生き物の限界だ。ヒメミコはもう、その限界が近い。

 今必要なのは休息だ、昨晩強引に飯を食わせて穴倉に押し込んでたんだが……いつの間にか抜け出されてな。まさかとは思ったが、ここまで帰ってきてたなんて……」

 海に近い大浜のムラまで、感覚的には数十キロある。何日も戦って底をついた体力と精神は、一晩程度では回復しきるまい。

 だというのに戻って間髪入れずに砦の補強に莫大な力を使っていたのだ、ヒメミコの精神力は人智を超えている。

「そうか、こっちが心配で……不甲斐ないな」

 嘆く純の肩を、カイヌはポンと叩いた。

「気を落とすなアクルイ。これだけ守りを固めているのが判って、ヒメミコも安心したんだろう。素晴らしい砦じゃないか、始めて見たよ」

 自分の無力を思い知る。守りを固める最後に、ヒメミコの力を借りてしまった。それが、あまりに苦々しい。

「なあ、アクルイ。俺は……今になって気が付いた」

「気付いた?……なにが?」

「アマトと戦うと偉そうに豪語しておきながら、俺たちは結局、自分のムラを守るので手一杯になっていた。

 俺たちの狭く自分勝手な考えが、ヒメミコを疲弊させてしまったんだ」

 間違ってはいないが、純に彼らを責める資格はない。守りを固めるのに費やした十日間は、各ムラが戦って稼いだ時間なのだから。

「だから俺は考えたんだ。アマトは確かに大群だが、さすがに全てのムラを同時に攻められるほどじゃない。

 それなら、各ムラに最低限戦える者と伝令を残して、戦力はまとめた方がいい。常に動けるようにして、どこかが襲われたら駆け付けて、叩く。

 やってることはヒメミコと同じだが、だからこそヒメミコの負担が減る、巡回も交代制にすれば、ヒメミコが休む時間が取れる」

 純は少し考えた、その発想はつまり、

「……遊撃隊を作るのか?」

「遊撃……?へえ、そういう呼び名があるのか。色々知ってるな、アクルイは凄いな。

 遊撃か、なかなか響きがいい、気に入ったよ……さぁ、そろそろ集まる頃合いだ」

 はっと気付いて見渡すと、四方八方からカモイに乗ってこちらに来る者たちがいた。

 それは、かつてバラバラに戦っていた各ムラの実力者達だ、それが今この地に集まろうとしている。ヒメミコや純にはできなかった事が、彼の一声で形になりつつあるのだ。

「昨晩のうちに声をかけておいたんだ」

「カイヌ……皆を説得したのか?」

「説得なんて大袈裟なことじゃない、檄を飛ばしただけさ。

 ヒメミコが俺たちの為に戦ってくれたなら、俺たちもヒメミコのために戦わなきゃならない。

 それを拒否するような奴は、このクニにはいない。俺はそう信じている」

 事も無げに言い放つと、からっと笑ってみせた。胸の内に春の風が吹くような、ほのかに暖かく人を和ませる笑顔であった。


 更に数日が経った。どこからかちょろまかしてきたらしき果物を齧りながら、明がぼやく。

「持ちこたえてるらしいな、戦線。遊撃隊だっけ?……あいつらそんなに強いのか?」

「らしいぞ」

 戦線とは言うがもちろん物理的な線ではないし、距離もあるから櫓の上からは見えない。

 だが、ムラが焼け落とされる煙が見えないのは善戦の証だ。少なくとも純はそう信じている。

「カイヌが音頭を取ってるらしい、あいつすげえよ。腕に覚えのあるカモイ使いをギリギリまで集めて大暴れ。

 人間相手なら、充分だ」

 仮にヒメミコと遊撃隊が勝負をすれば、十回中十回ヒメミコが勝つ。しかし遊撃隊が絶対に優れている点は頭数である。

 それでもせいぜい十数人であるが、戦線を食い止める力に限れば、たった一人のヒメミコとは比べ物にならない。

 若く強く、ついでに見た目も良い。カイヌは既に戦力の象徴になりつつあった。ヒメミコ頼りだった以前と比べれば、大きな進歩である。

「あれだな、あの若造……英雄だ」

「へえ、明が他人を素直に褒めてるとこ、始めてみたよ」

 すると明は鼻で嗤った。苦々しく眉間に皺を寄せて呻く。

「褒めてねえよ。英雄はタチが悪い」

「は?」

「できっこねえことを、なぜかやれちまう。そんで周りはその奇跡を前提に動き出す。

勝てるはずのない戦を引き延ばして、負けるべきタイミングを逃す。

持ちこたえるってのは聞こえはいいが……その分死ぬ奴はドンドン増える」

 淡々とした明の説明に、純は背筋が寒くなった。

「しかし……」

「骨だってばっきりキレイに折れたほうが繋がりやすいだろ?それと同じだ。

 こっちは火の車だってのに、アマト本国には毛ほどの傷も入ってねぇ……キレんなよ、お前も知ってるだろ?オレ達ぁ結末……のずっと先を知ってるわけだからな……英雄がいようが勇者がいようが、ひっくり返りゃしねえよ」

 返答に困る。純がこのクニの為したことも、未来から見れば戦さをいたずらに長引かせることに他ならない。

「誰かが押し通した無茶は、どっかにしわ寄せがくる……劇薬なんだよ、英雄は。奇跡的なバランスで効果を上げているに過ぎねえ」

「なんだよ明、まるで見てきたようだな」

「多少の心当たりはある。こぉれがまたロクなことにならねえんだ、近くの人間をギャンギャン巻き込む」

「じゃあ俺も……英雄かな?」

「はぁ?純がそんなガラかよ」

「純がダメでも、アクルイならどうだ?」

「あ?」

 櫓を降りて向かったのは、星の先端の一つである。カモイを呼び出す。膝を折って、呪文を書いた人型の布を地面に押し付ける。

 地面を割って現れたのは、腕だけが異様に長く肥大した泥の巨人だった。

上半身しかないというのに、こちらを見下ろす高さだ。目はなく、口もない。その歪さが、黙々と動く“兵器”のようだった。

「何だそのカモイ」

「見てろ」

 泥のカモイな長い腕を伸ばして、近くに山積みになった頭ほどの石を纏めて幾つか握り込むと、大きく振りかぶる。

「純……まさかお前……」

「そう。これはカモイを使った投石機だ」

 アクルイの身の丈をはるかに超える長い腕が大きくしなり、バシンと空気を貫く音と一瞬に石を投げる。

 猛スピードで打ち出された石は堀の外までかっ飛び、ズドンと地面に突き刺さった。射程距離は目測およそ百メートルといったところか。

 もはや大砲だ、鉄の鎧なんか着込んでも、これを喰らえばひとたまりもないだろう。

「おお、十分な威力があるな。思ったよりいいぞ」

「うわぁ……即死だろあんなの」

「トカウンカモイ『投げるための者』と名付けた。明、お前コレ出来るか?」

「あ?どれどれ……」

 カモイを呼び出す力も、結局は不可視の力である。純はもともとカモイが使えるアクルイを通すことでこれを制御している形だ。

「あ、意外と単純な術だなこれ」

 トカウンカモイがもう一体現れた。

 明が肉体を借りている側女にもカモイを呼び出す素質があるようだ。どうやらヒメミコの一族は、全般的に霊能に強いようだ。

 純よりバケモノ近いせいか、明のトカウンカモイの方が体が分厚く力強いようだ。

「だろ?そんな複雑なカモイ作れねえもん俺」

「そりゃそうか。アクルイの体がハイスペだから、なんとかなってるだけで、純は霊的にはボンクラだもんな」

「うるせ」

 一見恐ろしく見えるトカウンカモイだが、本当に『投げる』事しかできないので、術としてはむしろ単純な部類に入る。少し練習すれば扱えるだろう。ヒメミコだったら一度に数百体使役してもおかしくない。純に言わせれば風のカモイに乗る方が難しい。

「カモイを使える部隊はこれで投石の練習させてくれ。数を並べりゃ結構な脅威になる」

「わかった……お前は何すんだ?」

「いくつかカモイの使い道の考えはあるんだけど……複雑なことさせるの難しくてな」

 可能なら銃やらドローンやらをカモイで再現したかったのだが……なかなか難航している。そもそも純の伝えたいイメージが二千年未来のものなのだ、上手く伝わるわけがない。これもまた妥協だ。

「……純は英雄じゃねえや、悪魔だな」

「ひっでえなぁ」

「褒めてんだぜ?オレも考えようっと、こういうの」

「おう、凄いの頼むわ」

 天を仰いで笑って見せた。随分な言われようであるが……どうせこの時代の記録なんぞ残らないのだ、どんな悪名がついたところで、やがて消えるのは決まっている。思いつく限りやってやろうではないか。


 ヒメミコと遊撃隊による優勢は思ったより早く崩された。僅か数日で遊撃隊が敗走し、数名のカモイ使いが帰らぬ人となったのだ。

 アマトの侵攻を止められず、ついに直ぐ側まで迫ってきていた。

 人々の落ち込みよう、慌てぶりも酷かったが、なによりひどいのは不安をあおる流言であった。

「やられたのは二人……かなりの使い手だったはずだが……」

「何が起きてるんだ?油断……ってわけじゃないだろ?」

「カモイが人間に負けるのか?」

「そんな訳ないだろ!クマを殴り殺せるカモイだぞ!」

「いいや、戦さに駆り出されたカモイが怒ったんだ」

「生き残りはバケモノを見たって言ってるらしいぞ」

「裏切者か?カモイ使いが裏切ったのか?」

「それこそヒメミコが相手するべきなんじゃないのか?」

「ヒメミコは一人しかいないんだ、そう上手く当たれるもんか」

「ヒメミコが逃げ回ってるって本当か?」

「この前倒れたんだろ?もう戦える体じゃないって聞くぞ」

「もうダメだ、ここにいても殺される」

「……逃げるか」

「逃げるなら北だ、コメの栽培は難しくなるが、そのぶんアマトも来ないはずだ」

 出所を締め上げたくなるような醜聞邪推である。ヒメミコの膝元であるここでこの有様では、他のムラではもっと酷い内容が飛び交っているだろう。

 しかし醜聞邪推ほど素早く蔓延するのは時代を選ばないらしい。持ちこたえていたムラが攻め落とされ、戦線が押し込まているという事実がそれを助長する。

 更にどうやら早々と逃げ出した者がいるらしく、職長をのうち数人の姿が見えない。そんな、急激に不穏な空気が広がる中で、純はヒメミコの社に呼ばれた。

「おう、来たかアクルイ。探したぞ?どこへ行っていた?」

「北の森のムラと、滝のムラに行ってた。先日戦いがあったろう?死者の――」

「埋葬か、すまんな。任せてしまって」

 戦場で放置された死体はやがて腐乱し、それはやがて伝染病の温床となる。だから、どうしてもその前に、行って済ませておかねばならないことがあった。埋葬とはまた別なのだが……まあ、言うことはないだろう。

「ああ……どうしても、な」

 少しばかり俯いて言葉を濁していると、ヒメミコは勝手に何かを汲み取ったらしく、それ以上の追求はしなかった。

「弔いか、知り合いでもいたか……さて、この前はだらしないところを見せたな、許せ」

 ヒメミコは草を編んだクッションにゆったりと体をうずめたまま桃を齧る。滴り肘まで流れた汁を能天気に舐め取っている。

「もう……体は大丈夫なのか?」

「良い答えが欲しいなら、聞かぬ方が良いな」

 へらっと笑って見せるヒメミコであるが、顔色は青白く、目の下はクマが濃く、額の目も光が鈍い。それもそうだ、ずっと寝込んでいられるならまだしも、必要があればいつでも加勢に出ているのだ、今こうして横になっているのは小休憩に過ぎない。

「聞いてるか?妙な噂を」

「どの噂だ?数が多すぎて――」

「わぁがアマトから逃げているという噂じゃ」

「酷い噂だ」

 間髪入れずに吐き捨てた。無論こんな噂を流した奴に、ヒメミコがどれだけ苦しい戦いに耐えているのか見せてやりたい。

「怒るな。その噂な、流したのはわぁじゃ」

「は?……は?自分で?」

「そんな顔をするな、いたずらでやったわけではない。

 わぁはこの戦さで死ぬ、死なねば戦さが終わらぬじゃろう。

 その後降伏するのか、戦うのか、逃げるのか……どれでもよいが、わぁは限界まで目一杯抵抗し、こちらがただ者でないとアマトに刻み込む必要がある。わぁらが後世まで舐められぬように」

 体を横たえて続けるヒメミコ。薄目で平坦に告げる姿は、病人のようだ。

「しかし、全員を巻き添えに死ぬ気はない。わぁが戦う前に逃げられる者がおれば、それだけ生き残りも増えよう。準備が済んだ今、戦えぬ者、戦いたくない者、戦う理由がない者は逃がしてやりたい。

 逃げるなら北だと、そういう噂も流しておいた。もちろん危険じゃろうが……ここや、アマトの攻めてくる西側よりはなんぼかマシじゃろ」

「なん……だそりゃ」

 あまりの落胆に眩暈すら覚え、膝から崩れ落ちてしまった。

「だからって……やり方もタイミングも……ああもう、本当にあんたは何を考えてるんだ!」

 声を荒げる純にヒメミコが笑う。その半分は苦笑い、もう半分は自嘲、悲し気で破れかぶれにも見えた。

「既に勝ち目のない戦さをしている、これよりバカな真似はあるまい?

 臆病もまた生きる術よ、逃げる口実と隙は与えてやらねばなるまい、許せ」

 ヒメミコは既に――あるいは最初から――戦さに敗れた、あるいは滅ぼされた後を見ているのだろう。逃げ延びるのも、少しでも有利に戦を終わらせるのも、可能な限りの選択肢を残したいのだろう。

 その視点も悪くはないが、あわや決戦と言うタイミングでみすみすこちらの戦力を削ぐのはどうあっても愚策である。まるで、どうなるか知っているようだ。

「そうか……やっぱり知ってるんだな?知ってて呼んだんだな?どういうつもりだメミコ、俺たちにこの時代で何をさせたいんだ?」

 ヒメミコは答えず、ただ曖昧に笑うだけであった。

「怖い顔で喚くな。本当に知るべきことは誰にも教えられぬ、自分で気付かねば意味がない」

「それが!お前とその一族の命運よりも大事だと――」

 ぱちん。鼻先で掌を打ち鳴らされて、強引に話を奪われた。これ以上聞いても無駄だと、純は肩をすくめた。

「さて、本題に入ろう。ヌシに頼みたいことがある。まあ……頼むかもしれん」

 随分と歯切れが悪い。明確な戸惑いを見せるヒメミコに、こちらが困惑する。

「珍しく……煮え切らないな」

「そうじゃ。まだ完全には決めてはおら――」

 ヒメミコが苦笑いを浮かべた瞬間、何かが天井を突き破り、二人の間に落ちてきた。もうもうたる土埃が収まると、そこに横たわっていたのはズタボロになったカモイ。死力を尽くして飛んできたのだろう、叫び声と共に影のように姿を消す。

 そこに残されたのは、満身創痍で横たわる人影めあった。

「……嘘だろ」

「そんな……カイヌッ!!」

 ヒメミコの叫び声が届いたか、カイヌはなんとか首を起こした。

「ここは……っ!ここはヒメミコの社か?誰か、誰かいないか?聞いてくれ!ヒメミコに伝えてくれ!」

 夥しい流血に視力まで失ったか、それでもまだ彼は立ち上がるべく足掻いていた。

 何事だと駆け寄ってきた者たちはその姿にみな直感する、カイヌはもはや長くはない。全身が泥と血に塗れ、左腕は千切れ、脚はあらぬ方向へ曲がっている。意識がない方が、まだ救いがあっただろう。

「遊撃隊は全滅……アマトの……異形のバケモノに皆殺しに……ッ」

 ヒメミコは息を呑んだ。声が震えている。

「な、なんじゃと……」

「ヒメミコ……そ、そこにい、るんだな?

 逃げろ……ん間が勝てる相手じゃない……!巨大な……たい……術が――ごほっごほっ!」

「……そうか、それを伝えるために、こんなになってまで来てくれたのか……」

 ヒメミコは駆け寄るとカイヌを抱き起こし、その手をそっと握った。

「すまな……俺、には……ヒメミコを支え……ことが――できな、か……った」

「よく頑張った……ヌシはよく戦った、わぁの誇りじゃ」

「ああ……ここにいるのか……見えるぞヒメミコ、お前は誰よりも美し――」

 そこで彼はあっけなくとこと切れた。英雄の最期としてあまりに早く、そっけない最期に打ちのめされたか、ヒメミコは少しの間俯いていたが、やがてその亡骸の瞼を閉じてやると、丁寧に優しく横たえて立ち上がった。

「アクルイ、さっきの話の続きじゃ。今、腹を括った」

 とこからともなく現れた蛇が、祭壇で赤銅色に鈍く輝く一振りの剣を絡め取り、そのまま純に差し出した。

 小ぶりのようだが、側面には緻密な彫刻が刻まれ、金が埋め込まれていた。

 紋様は一見人型であるが、よく見れば鉤爪を持ち、蔓や毛皮を幾重にも纏い、頭に花を頂いた姿をしている。見まごうものか、その姿はまさしくメミコそのものである。

「貫きで以て新たな命を生みだす……アカルワカヌキの剣とでも呼ぼうか。武器と言うより、わぁとカモイの橋渡しをするための祭具じゃ」

 こと切れたカイヌを抱きかかえたままのヒメミコ。悍ましい内容とは裏腹に、その語り口は慈愛に溢れ、まるで子守唄のようであった。

「無数のカモイを集めて、こいつでわぁの心の臓を貫く。そうすればわぁは……ヒトとしての理を外れカモイに生まれ変わる……いや、少し違うか。肉体を食い尽くさせ、その代わりに取り込む……まあどちらでもよい」

 これこそが精霊メミコが誕生した経緯なのだろう、仮にもカムイを駆る事ができる今の純には、あまりにも生々しく痛々しいやり口に血の気が引いた。

 引き攣った顔を押し殺そうとしたところを、ずいっとのぞき込まれた。

「驚いてはおらぬようじゃな。ははん、その割には怖い顔じゃ」

「そんなの聞かされて……ニコニコできないでしょう……頼みとは?」

「おっと、そうじゃったな。なに、後始末をな」

「それは……有利な降伏条件でも引き出せと?」

 ヒメミコは物言わぬカイヌの頭を撫で、その顔を拭いてやりながら答えた。

「それも頼みたい。今のわぁは……生憎そこまで頭が回っておらぬからな。

 一番頼みたいのは、アマトの駆るバケモノの後始末じゃ。おそらくアマトのバケモノは、武器と一緒に大陸から来たものじゃろう。

 面白くないが、技術は向こうの方が進んどる。こういうのが得意な人間が多いのじゃろ。

 真っ向からは倒せぬ。そうなれば……最悪泥沼に引きずり込む」

 とーん、と指先が床を弾くと、一部が爆ぜるようにめくれ上がった。

「これは……?」


闇と異形と


 夕暮れ時、明が櫓に顔を出したのは投石部隊の調練の報告であった。

「大分仕上がってきたぞ。二百メートル以内ならどこでも狙って石の雨が降らせる」

 さも当然のように断言する明に、純の方が耳を疑った。

「え……習得速くない?俺あの術作るの十日かかったんだけど、ていうか俺より飛距離あるじゃん」

「慣れだろうな、日ごろからカモイに触れてるから、魂が慣れてる。本っ気でお前霊能の才能がないんだろうな、アクルイに感謝しろよ」

 ヒメミコの一族のポテンシャルの高さに、純は驚きを通り越して引いていすらいた。

「……石ってそんな飛ぶの?」

「飛ぶさ、ギリシャの傭兵は人力のスリングで四百メートルなげたらしい。こっちはバケモノ、カモイの力を使ってるんだ、それくらい当然だ。

 でもあれだ、やっぱりこいつら飛び道具の勘がいい、さっすが狩猟民族」

 これに関しては明も素直に絶賛しているようだ。投げるのが上手いというだけではない。相手がどっちに逃げるか、投擲から着弾までどれくらい動くか、そんなことの予測も含めて、センスが良いのだろう。令和の一般人にはとても真似できない恐るべき感覚である。

「……すげえな縄文人。現代人の感覚じゃ考えられない。

 ま、上振れならありがたいか。向こうは兵隊だ、フィジカルはそれでもあっちのがありそうだし。じゃあ、いつでも集合できるようにしといてくれ。

 それと、武器作りの班は余裕ありそうか?」

「ある程度はな、ほれあの煙、今日も剣を作ってる。でも青銅だぞ?これ以上何を作るんだ?」

 もちろん判っていると頷いて、丸めた毛皮を差し出す。

「こいつを作らせてくれ。一個でいい」

 明は内容をちらりと覗き込むと、大きく首をひねった。

「あ?……今更何に使うんだよこんなもん。神頼みまで引き受ける気か?

 つーか自分で持って行けよ、細けえ指示とか大好きじゃん純」

「そうしたいところなんだが……アマトが近くまで来てる。

 まあ俺、明の現場の切り盛りは結構信用してるから――そんで俺は」

 純が指差す先、丘の向こうで細々と煙が上がっているのが見える。あの場所はムラではない。アマトの野営の煙だろう。

「軽く挨拶してくる……向こうから場所を教えてくれてるからな」

「は?……戦うの?純が?」

「まさか、瞬殺だよ、俺が」

 ムラオサはともかく、純自身が表立って戦っても役に立てる気がしない。自力では小鹿すら狩れる気がしないのに、人間相手に殺し合いだなんて、こちらが先に音を上げるのは間違いない。

「ちょこっと覗いてくるだけさ」


「おっとっとっと。やっぱり慣れないな……」

 松明も持たずにカモイに跨って夜の空を飛ぶのは骨が折れた。

 最初は高さが紛れていいんじゃ無いかと思っていたが、実際に夜の空を飛ぶと、あっという間に平衡感覚が失われる。風に翻弄されて、今どんな姿勢になっているのかも判らなくなる有様であった。

 距離距離も高度も大した事ないというのに、墜落しそうになったのは一度や二度ではなかった。

 舌打ちして目の前を飛び回る羽虫を追い払う。

「くっそ、アクルイ飛ぶのが上手いはずだろ……本当に俺のメンタルの問題なのかね……」

 などと愚痴っている間にたどり着いたのは、先ほど煙の見えた丘である。

「あれか……この時代の人間は目ぇいいなぁ、羨ましい」

 遠くに見える焚火がアマトの野営地だ。流石に距離があるので人数などは判らないが……もちろんこれ以上接近する度胸はない。野営地を横に見る形で丘を下りて、側を流れる川を目指す。

「予想通り……ここしかねえよなぁ、補給地」

 連中がここに野営地を構えるのは予想がついていた。なにしろ周辺は資材集めの最後に殆ど焼き払ってあるし、周辺に奪うほどの食料は残していない。

 補給地がないのだ。

 この時代の軍が大人数分の食料や水を持ち歩くとは考えにくい。しかし人間は飢えと渇きには抗えない、最低限の水と安全をを確保を考えなければならない。

 その辺りでいくつか条件を絞ると、アマトの野営は、川の近くで焼け残したこの一帯になると予想できた。

「ま……計算して残したんじゃなくて、集めきれなくて残っちゃっただけなんだけどね。はは、かっこつかねえや」

 ようやくその川へ出た。アマトの野営地の少し川上にあたる場所だ。

「酷い臭いだ……」

 取り出した布で鼻と口を覆う。飛び交う羽虫を追い払いながら川を遡ることしばし、中州にうず高く積み上げられたそれにぶち当たった。判ってはいたが酷い臭いだ。吐くのをギリギリ堪える。

「よっと……」

 留め具というほど複雑ではない。

 乱雑に打ち込んだ杭を抜くと、それは自重と水流にぐらりと崩れ落ち、ぼちゃぼちゃと川面に雪崩れ込み、ぷかぷかと下流へと流れていく。アマトの野営地へ向けて。

 水面を薄赤く汚す無数のそれらが流れていくのを、のんびりと見守るとしよう。

 羽虫を追い払いながら夜空を見上げてしばらく。

「今何時だ……水時計くらいならどこかにあるのかなぁ……満月以外の月じゃ時間なんてわかんねぇな」

 ぼんやり考えていると月が登ってきた。遠くから聞こえるのは野鳥だろうか……それとも誰かの絶叫か。

 ざっくり小一時間は経った頃、川下がにわかに騒がしくなってきた。目線を落とせば、野営地から揺らめく松明が列をなして小川を遡ってくるのが見える。

 時たまちらりと光るのは、ヒメミコの屋敷で見た鎧と同じ光沢だ。

「やっと来たか、夜の水辺は冷えるんだから、とっとと来いよな」

 ぶつぶつこぼしながらも、川の中ほどの岩にこれ見よがしに突っ立っておく。やがて近づいてきた連中もこちらに気づいたらしく、川岸からこちらを軽く方位するように横並びに展開して矛を向ける。

「そこの男ッ!この川に我らの同胞の死体を流したのはお前だなッ?!」

「それがどうした、バカどもめ!」

 脳裏にあるのはメミコや明が相手をこれでもかと挑発するときの顔と物言いである。

「教えてもらわなくては判らぬか。やはりアマトは襲って奪うことしか能のない野蛮人のようだな」

 頭上に小さなカモイを呼び出す。何の戦闘力もない、ただ光るだけの無力なカモイである。だが、光量だけならかなりのものだ。

「どうだ、美味かったか?同胞とやらの死体から湧いた水は?」

 カモイの光が照らすのは、中州を中心にうず高く積み上げられたアマト兵の死体である。

 いくつかの戦跡から人目につかぬように回収してきたものだ。流石に川を覆い尽くすほどの量は用意できなかったが、水面に流れ込む体液と、ふやけて膨れた死体の表面でゾワゾワと蠢く無数のウジは、見る者を震え上がらせただろう。

 怒り狂う者、膝から崩れ落ちる者、その場で吐く者と反応は様々だが、足並みを崩すには充分なようだ。

 ダメ押しとばかりに剣を抜き、川面に放り投げた。

 刃を上にしたまま水面でびたりと動きを止めた剣の上に、アクルイはふわりと事も無げに立って見せる。数人の兵が肝を潰してへたり込むのが見えた。

「我が名はアクルイ、ヒメミコの一族だ!

 この地はお前らのホラ話の産物ではない!ヒメミコが治め、我らが生き、子孫に伝える土地だ!

 即刻立ち去れ、これは最後の警告だ。これ以上戦うようなら、命はないぞ!」

 羽虫の混じった旋風の中で、怒鳴り声は川面を叩き、存外遠くまで響いた。

 無論これは、風のカモイにやらせた演出だ。ヒメミコの一族にはちょっとした余興にしか見えないだろうが、未知の相手にぶつけるこけおどしとしては充分だろう。


「山猿の分際で、少々狡いようだな」

 そう吐き捨てたのは一人の男であった。

 やたらとゆったりとした着物と長く伸ばした髭、後頭部で括った髪と明らかに装いが異なる。そのうえで背負った大きな剣がやたらと目を引く……というかどうにも不釣り合いで、どこからどう見ても武人には見えない。

 目元も涼やかで整った顔立ちであるが、貼り付けたようなシニカルな笑みと、目つきがやたらと気に食わない。

 悪いとか鋭いとかの話ではなく、嫌悪と軽蔑と侮辱を向けているのを隠そうともしないのだ。

 これは畑を荒らす猪や鹿等の、山から降りてきた獣を見る目だ。人としてではなく、害獣として見ている。そうだ、そう思えば思えば合点がいく、アマトにとってヒメミコの一族は、うっすら言葉の通じる害獣に過ぎないのだ、だから、あんなにも容易く殺せるのだ。

「エミシめ、奇術だけでは足らぬと思って揺さぶりに出たか。

 愚鈍な武人のみであれば心も折れ果てただろうが、私には通じぬよ」

 嘲り笑うその顔は、なかなか小憎たらしい。アクルイに向けてしゃべっているはずなのだがこちらを見ようともしない。まるで歌劇にでも耽っているようだ。まるで舞台にでも立っているようだ。

「だが、悲しいかな兵法を知らぬらしい。策を順番に繰り出すのは、乗り越えてくれと言うようなものだ。

 この私、『禁星』ソバクと七枝封征剣がこの戦に遣わされた以上、もはや無意味なのだよ。ふんふふふ」

 不気味な含み笑いと同時に背中の剣をずらりと抜いた。

 余程バカでかい剣だと思っていたが、違う。剣そのものは細身であるが、刀身の左右、段違いに何段もの枝刃が伸びる異形の剣であった。

「武器には見えないな、何かの祭具か?」

 形もそうだが、持ち主の恰好からも切りかかってきそうにない。

 仮にあの異形の剣が炎を噴いたり雷を呼んだりするなら、遊撃隊が敗れたのは理解できる。

 だが不可解だ。

 ソバクとやらが剣を夜空に掲げ、刃にじわりと黒いモヤのようなものがかかると……にわかに周囲の兵隊が浮足立ち、その場から逃げ出したではないか。

「所詮こちらもサルか……どうして理解できない?これは死ではない、お前らの王権の礎だ!

 この禁星が!貴様ら雑兵では永遠に届かぬ素晴らしい力をくれてやるのだ、光栄に思い、喜びのうちにエミシを討て!」

 吠えると、腰を抜かして逃げ遅れた兵の背中に深々と突き立てた。

 ぎゃん、と蹴り上げられた子犬のように一瞬で絶命した兵であったが、その体は倒れない。そのままめりめりと音を立てて膨れ上がっていく。

 肉体以上に膨れ上がる異質な気配が、体を食い尽くしながら増幅し、自らが収まるのに相応しい器へと作り変えている。目の前の余りに悍ましい光景に背筋が凍る。

 やがて、腐葉土に古い油をぶちまけたような不快な臭いを撒き散らして、ソレが立ち上がる。

「うーわ……うーわ、引くわぁ……」

 作り変えられたソレは、大まかには人型を保っていたが、人間の数倍を超す巨躯である。しかし、大部分が光のカモイが照らす範囲から外れてしまっているため、全容は判らない。

 ただ、生白い丸太のような足が、最低でも三本はあるのだけは見えた。

「ああ、遊撃部隊をやった異形ってのはこいつか」

 異形は咆哮とも絶叫ともつかぬ叫びをあげると、河原を薙ぎ払った。

 動きは一見緩慢であるが、それは長大なリーチの見せる錯覚である。生白く長大な腕は、ついさっきまで純の立っていた岩を打ち砕き、山積みの死体をぶちまけ、盛大な水しぶきを上げる。

 だが、そのころ純は既に夜空へと舞い上がっていた。跳び上がると同時に光のカモイを消し、夜空に紛れる。

「くふははははは!エミシめ怖気づいたか!どうした?我らはヒメミコの怒りを買ったのではなかったのか?所詮舌先三寸のはったりか、くふわはははは!」

 明やメミコのおかげで挑発を聞き流すのは得意なつもりであったが、ソバクのどこか含みのある高笑いはなかなか癪に障る。

 腕に覚えがあれば一撃くらいはくれたやったのだが……こちらの居場所を掴まれてはまずい。カイヌを倒したのであれば、純には手も足も出ない。

 純はそのまま一言も発せず、一目散にヒメミコの社へ戻った。



「ふふん、アクルイもまあまあ狂っておったか」

 その足で社へとんぼ返り。たった今のあらましを報告すると、ヒメミコは夜空を仰いで嗤った。

 顔が赤く酒臭い、どうやら小脇に抱えた小さな壺の中身は、果物で作った酒であるらしい。

「夕暮れに抜け出したとは聞いておったが……一発かまして来たのか」

「軽く。ちょっと脅かして士気を挫ければ儲けものだと思っていたんだが……それ以上の価値はあった」

 最初から倒す気も、死闘を繰り広げる気もない。士気を挫き、あわよくば相手の手の内を探る、その程度の事しか考えていない。

 後世の言い方で、良く言えば一種の威力偵察と言ったところだろうか。

「そうじゃな……アマトが遊撃隊を倒したカラクリは、異形を作り出す剣か……」

「士気を挫いても意味は薄いかも知れないが、おかげでネタが割れた」

 頬杖をついたヒメミコは頷き、大きく酒臭い息を吐いた。

「その男は『禁星』ソバクと名乗ったんじゃな?」

「知り合いか?」

 ヒメミコが鼻で嗤う。

「知り合いでたまるか、あんなもん。

 元は大陸のどこかの王宮に仕える呪術師だったと聞く」

 宮仕えの渡来人と聞けば、あの全く戦場が似合わない様子も納得がいく。

「渡来人か。でも、なんでこんなところに?」

 それだけ聞くと一級の文官だか知識人であるはずだ、百歩譲って渡来はまだしも、こんな辺境の討伐に来るような人間とは思えない。

「王族の子を呪い殺しただの、禁呪で星を変えて疫病を起こしただの聞くが、どこまで本当かのぅ。

 悪い噂しか聞かんし……追放されたか、逃げてきたのか。

 まあ、聞いた感じ本人もなかなかのお人柄のようじゃし、半分は自業自得じゃろうな」

 純の顔が引き攣る。完全に格上ではないか、一目散に逃げなかったら、本当に命はなかっただろう。

「なんてやつだ……人をバケモノにするだなんて……うん?」

 すいっ、とアクルイの目がアカルワカヌキの剣に流れたのを見て、ヒメミコは顔をしかめた。自覚が無くもないのだろう。

「一緒にするな。発想は近いが、一括りにされるのは気分が良くないのう。

 他人を無理にヒトから踏み外させるのは、わぁの好みではない。

 偉そうには言えんが……わぁよりも一層ロクでもない、邪法の類じゃ」

 ヒメミコのぼやきに根拠は無かっただろうが、案外いい線かもしれない。あの異装が海の向こうのものだとすれば、見覚えがないのも頷ける。

 あの男が渡来人だとすれば、時代遅れの日本の中でも更に辺境に住むヒメミコの一族など、サル同然に見えるだろう。

「使うのはアマトも不本意かもしれぬ、でなけりゃ最初から使っとる。こっちがカモイを使ったもんだから、焦って突っ込んだんじゃろ、

 面倒じゃの……向こうの異形を倒しても、その剣と使い手をどうにかせねばキリがない……どれ、もう少し詳しく聞かせよ。痛快な話は酒が進む」

 そう言ってヒメミコは壺の中身を啜ると、意地悪く笑い……遠い目をした。その目はアクルイでも砦でもない、もっと遠く、はるか先まで見通しているようだった。

 本来のヒメミコはきっと、こんな感じの程々の性悪と能天気さを併せ持つ人物だったのだろう。少しでいいから、平和な頃のヒメミコと会ってみたかった。

 


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