再会と要塞と(その2)
「お前のムラの食料は全部こっちに持ってこさせたぞ」
背後から明の声に、書き物を中断して顔を上げる。
「もう?……早くね?」
慢性的に食料不足のこの時代とは言え、今は収穫が終わったばかり。倉庫には冬に備える備蓄がわんさか詰め込まれているはずだ。
トラックもなしにたかだか半日で運んだというのは、純の想定の遥か上であった。
「この時代の人間のフィジカルやべえよ、体感五十キロくらいなら女子供でも平気で担ぐ。
あとカモイ、見習い程度の使役する弱っちいカモイでも、ちょいとした軽トラぐらい運べるっぽいぞ」
「……すごいな」
フィジカルもそうだが、縄文人は印象より賢い。
元々アクルイの治めていたムラの者はともかく、この社でヒメミコと共に暮らしていた者たちも、純や明の指示に素直に従う。
もちろんヒメミコが「アクルイに従え」と明言しているのだが、そういう指示が飲み込めないヤツは現代にも多い。この高度な状況判断力や合理性は、狩猟民族である縄文人の精神性がもたらすものなのかもしれない。
あるいは、ヒメミコとアクルイに対する絶対的な信頼だろうか。そう考えれば、純は彼らの築いてきた信頼を利用しているに過ぎない。
現代の純自身がぷらっとここに現れた形だったなら、誰からも協力を得られなかっただろう。
「遊ばせるのも惜しい、武器でも作らせるか?」
「いや……まだいい。手が空き次第、周辺から資材を集めさせてくれ」
「資材だぁ?なんだそりゃ、燃料とか?」
「ああ、考えてなかったけどそっちも欲しいな……この丘に生えてる木をガンガン切り出してくれ、低木は薪にしていい、全部。
高木は丸太にして木材として使う。あとは丈夫な紐、拳大の石、この辺は多ければ多いほどいい……蔓一本で一人が助かると思って集めさせてくれ」
「ほう。その感じじゃ、案がまとまったのか?」
「……一応」
自信も根拠もない。だが、現状実現可能な案はゼロではないのだ。それを汲み取ったのか、明は存外軽く頷いた。
「よし、細かい指示はオレが勝手に出すぞ?」
「頼む」
明はその日の資材集め要因を「身軽な者」「カモイが使えるもの」「それ以外」の三つに分け、それぞれに指示を与えた。
身軽な者は周辺から資材を中継地にかきあつめ、集まった大量の資材をカモイを使役できる者が中継地から社まで一気に運ぶ。そうして運んだ物資を、それ以外の者が整理して備蓄するといった具合だ。
単純だが意外と効率が良い。流石に胡散臭くとも店を切り盛りするだけの才覚がある。
純が全体の方向を決め、明がその細かい周りを考える、これが案外うまくかみ合った。おかげで最初の三日間で、予想以上の資材を貯め込むことができたが、それ以外は何も出来ていない。今攻め込まれれば皆殺しだ。
そうしている間にも戦況は止まらない、どうやら一つの村が襲われたらしい。
しかしヒメミコが文字通り飛んで加勢に向かい、雷を纏った巨大な蛇のカモイを駆使して、なんとか撃退に成功したと聞いた。朗報に大勢がにわかに湧き上がるが、純と明だけは浮かない顔である。
「出だしは良さそうだな……今のところ」
「ああ、バッドエンドしか知らねえと、居心地が悪くって仕方ねえや」
何かが起きるという確信だけがある。それはただただ不安で、ぬか喜びすらできない。
なんとも不愉快であった。純が漠然とした不安に衝き動かされながら、山のような書き物を仕上げたのはその日の夕方であった。
「明日から次の段階に移る、これを皆の目につくところに貼り出して欲しい」
明に今さっき仕上げた書き物の一部を手渡す。
「あ?……なんだこれ」
「読めるよな?」
「……ああ」
この一族には独自の文字があった、純や明はアクルイや側女の知識のおかげでそれを読むことができた。
「なら、それで頼むわ。皆が目にするところに貼り出して欲しい、俺はあと何種類か書くもんがある」
「まだあるのか?」
数十枚の書き物を仕上げるのに何本の筆(代わりの毛を撚り合わせたもの)を使ったことか、もう数えきれない。
仕事柄図面やら指示書やらを書くのは大してきつくもないが、辛いのは書き写す作業だ。同じものを何枚も何枚も書き写す作業は、傍目の何倍も神経を使うのだ。
「ああ……今すぐコピー機が発明されねえかな」
うんざりと呟く、こっちの発明は二千年待っても間に合うかも怪しい。
翌朝。今日も引き続き資材集めの指示を出しているのだが……櫓の元に十数人が集まっていた。
アクルイのムラから来た者、元々ここにいた者、別のムラから自主的に来た者と様々であるが、皆一様に額に蔓や革で鉢巻を拵えている。
「……こんなにいるのか」
明が驚いたように呟く。判ったように頷く純であるが、予想の倍以上の人数が集まったので内心驚いている。
「で?何をするんだ?」
「職長を決めようと思ってさ」
「職長?」
野丁場と呼ばれる大規模なビル工事等で設けられる、それぞれの作業の責任者のことである。
厳密には衛生や安全の指導監督をするための立場なのだが、必然的に作業内容に精通している必要があるので、端的に言えば作業班のリーダーとなる。
「文字が読めて、ある程度計算できる人間を職長とする。
これを作業班の頭にすれば、最低限の指揮系統になる。俺が図面持って指示して歩くよりずっと効率が上がるはずだ――おはよう、諸君!集まってくれてありがとう!」
純はアクルイとして大声を張り上げ、櫓から滑り降りる。
「ここに鉢巻をして来ているということは、これが読めた者ということだね?その前提で話を進める!知らずに集まったものは資材集めに戻ってくれ!」
純が手にしているなめし革には昨日張り出したものと同じ内容が記されている。
それは『これは声に出さずに読み、読めない者には教えないこと。
以下を解ける者には別の仕事をやってもらいたい。明日の朝は資材集めをせず、鉢巻をしてアクルイのいる高い櫓に集まること』という文章と、簡単な計算問題が数問だ。
「まずはこの問題の答え合わせからだ。
二人が十日で終わる仕事を、四日で終わらせるには何人必要か?
解説しようか。二人で十日かかる仕事は、一人なら倍の時間、二十日分になるよな?これを四日で仕上げるには、一日で五倍の仕事をしなきゃ釣り合わない……だから、答えは五人というわけだ。
納得のいかないもの、理解できない者は帰ってくれ、多分しんどいことになる」
単純な計算問題であるが、侮ってはいけない。これはいわゆる人工計算というやつだ。一人が一日で終わらせられる仕事を一人工という単位とし、これで工事のスケジュールを管理する。
数式にすると簡単に見えるが、仕事の難易度と照らし合わせながら考えると意外と難しい。この時代にそれが出来る人間は貴重だ。
これで純は、文字が読めて計算ができて、ついでに素直で約束を守れる人間がピックアップできたわけだ。
「はるほど、鉢巻は職長の証ってことか」
ポンと手を打つ明に、純は頷く。
「そういうことだ。何でもいいんだけどさ、分かりやすいし。職人らしいだろ?まあ、令和の建築現場は全員ヘルメットしてると思うけどな」
「まずはこれを見てくれ」
ひときわ大きななめし革を広げる。そこにはこの周辺の地形図と、そこに書き込まれた見取り図が書いてあった。丘の頂点から大まかな星形に広がるそれは、これから作る砦の計画図である。
「明日以降この丘を砦に作り変える。君たちにはそれぞれ職長をやってもらう」
文字が読める人間を頭に据えた作業班を作っておけば、それぞれの作業は図面と指示書でどうにかなる。
ここに集まったものは、恐らくこの時代基準では頭の回る人物のはずだ。昨日まで量産していた簡易的な図面と指示書を読み込ませて、なんとか半日で砦の設計思想を最低限叩き込む。
そうしたら作業分担とある程度の班割りをする。多分だが、資材集めをしていた方が楽だったろう。
「多分、資材集めの方が楽だ。指示が出来ない、やりたくないものは資材集めに戻ってくれ。
誰か一人でも気を抜けば、我らはアマトに皆殺しにされるぞ」
普段にこやかなアクルイが真顔でそう言い切る迫力は、純のそれの何倍も力強く説得力があった。
この屋敷にいる百数十名を十数の班に分け、各班に仕事を割り振る。とは言っても、仕事は三つしかないのだが。
一つ目の仕事は資材集めの継続である。
「この班は若く足腰の強い者が多い、四方八方に散って、引き続き資材集めをしてくれ……それと見張りだ」
哨戒を並行して行う腹積もりだ。
欲張った並行作業は大概中途半端になるのだが……今はどちらも手放せない。何しろヒメミコの一族はロクな兵站のあてがない。なにしろ数少ない交易相手から侵略を受けているのだから。
「ただし、アマトの連中と遭遇したら全部捨てて逃げ帰ってこい。
どこで遭ったのかを覚えていればそれでいい、武器を持って鎧を着込んだ連中なら、逃げに徹する手ぶらの人間に追いつくのは絶対に無理だ茂みを突っ切って逃げろ」
この時代は道の舗装という発想すら生まれていない。地元の人間が、死ぬ気になって逃げれば、なんとか撒けるだろう。
「それで、あらかた集め終わった場所は焼き払え。
私のムラも終わったら焼いていい……ああ、抵抗があるだろうが……アマトに無傷の拠点を渡すのは、絶対にダメだ。生き残る為にも割り切ってくれ」
いくら慣れようが野宿は体力を蝕む。非力なこちらとしては相手を少しでも弱らせたいのだから、まともな補給や休憩の機会は出来る限り潰したい。
正直を言えば寝込みを放火してやりたいくらいだが……そんなことをする度胸と力があるなら、純は自分で切り込んでいるだろう。
二つ目の仕事は資材を使った工作と土木作業である。
「器用な者と計算の得意な者を割り振った、君たちはこの図面通りに、この丘を柵で囲ってもらう。最低限の目印は俺がつけていくから、それに沿って柵を立てて欲しい。人が蹴って倒せないくらいの強度があればいい」
高度な事は出来なくても多少はカモイが使える者もいる。重機どころか家畜もいないこの時代で考えれば、破格の作業量になるはずだ。
そして三つめは武器製作だ。確かにこのクニに鉄器を作る技術はないが、青銅器なら作れる。鏡や銅鐸といった祭具を作るため、ここにも製作設備があるのだ。これを利用して、剣や弓矢を作っておく。確かに青銅器は鉄器に劣る。だが、アマトの人間でも腕は二本しかないし、短甲も足や首の狙い目はある。こちらが一人殺す間に向こうが三人殺せるなら、こちらは最初から四人で殺しにかかれば良いのだ。
それぞれ内容を飲み込ませたら、作業の種類毎に各班でどこまでやるかの打合せをさせ、一連の流れを確認しておく。
分担して行う作業というものは、得てして作業の合間で押し付け合いや無駄が生まれ、それボトルネックになることが多々ある。既にここには百人以上がいるのだ、全員に全ての作業を把握させるのは難しくても、各班の指導者だけでもそれを把握しておけば、分業の効率的も多少はマシになる。
一通りの流れが出来れば、あとは全体に『明日以降の作業は、それぞれ鉢巻をした班長の指示に従え』と言い聞かせれば良いのだ。
「なるほどね……これならその都度指示しなくても、ある程度現場が自力で進むんだな」
「まだまだ。行くぞ明、手伝え」
「え?どこに」
山ほどの資材を抱えた純に、明は目を瞬かせる。
「墨出し手伝え」
「スミダシ?……なんだそりゃ?」
「目印付けだよ。図面だけじゃ細かい作業は難しい。一々図面を見ながらの作業じゃ効率悪いしな。だから目印がいる」
方角や位置や高さ、それらが図面と現場でどう対応しているのか、これが意外と難しい。正確を期すためには、図面の情報を現地にある程度書き出す必要があるのだ。これが墨出しである。
現代ならば測量器具を使ってミリ単位まで正確に位置を出すのだが……そこまでの精度を出していては無限の時間がかかる、高さは地形なりにするとしても、位置だけでも割り出さねばならない。
「ここで……この向きだな」
全体図と現地の向きを一致させ、図の中心に杭を打ち込み地面に固定する。図面が回転しないよう、念入りにしっかりと打ち込んでおく。
なんだそりゃと首をひねる明だが、ここで純が『うろ覚え』だとか『手探りだ』とこぼすのは悪手だ。周辺には事情を知らないヒメミコの民がいるのだ、可能な限り自信満々を装う必要がある。
「これで現場の中心が決まった。この杭が、この砦の工事の基準になる」
図面上にある砦の中心から、砦の隅の距離を測り、図上の1センチを現場のおよそ5メートルとして、そのスケールで目印をつけた。紐の片方を図面の中心の杭に固定し、もう一端を持ってそこから離れる。
「明ぁーっ!紐が、図面に書いた砦の、角の前を通ってるかぁーっ?」
「ちょい右ーッ!……行き過ぎ!……おっけ!」
そんな形で微調整を繰り返す。
一定距離で杭を打ち込んで紐を固定しながら、可能な限り紐がブレないよう、中心から真っ直ぐに離れていく。
やがて純は紐を引っ張りながら屋敷を抜け、丘の斜面を下っていく。延々とそうしていくと、やがて斜面を下った辺りで、五百倍の目印に達する。そこに一際大きな杭を打ち込み、杭の頭には赤い花のついた枝を括り付け、目印とした。
「よし……これをあと九回か……しんどい……そこの若いの、手伝ってくれ!」
どうやら明はこちらの意図とコツを掴んだらしい、通りすがりに人払いや杭打ち、障害物の撤去等をを少しずつまかせていた。
おかげで二本目以降は随分と手際よく杭を打ち込むことができた。こうしてぐるりと一周杭を打ち込み、最外郭の杭同士を繋げば――
「ほぉん……こうすりゃあ図面の中にしかなかった要塞の外形が、現地に書き起こせるってわけか」
櫓からぐるりと見渡せば――少々歪ではあるが――砦の外形である大きな星型が姿を表すというわけだ。
手で隠れてはいるが、純の口元はニヤついている。これはナスカの地上絵を再現するのに使われた手法だ。十年以上前にディスカバリーチャンネルで見たものだ。流石にナスカほどの大きさや複雑さは真似できないが、この時代にこんな単純な方法で、巨大な星型を地面に描いてみせたのは、原始の神業と言っても差し支えないだろう。
ある程度図面を理解した班長と全体の目安があれば、何とか最低限は砦の形を作れるだろう。これを柵で囲うのだ、出来る限り何重にも。
「そういうことさ。いやぁ……見とくモンだねディスカバリーチャンネル」
「受け売りかよ」
「受け売り上等。人間の知識や文明は受け売りの積み重ねだろ?」
「へへッ、耳障りの良い言い回しだ」
「最高じゃないか。現場のトラブルなんて半分は人間関係だからな。耳障りで回避出来るならコスパ最強だ。
さあて、班長達の打合せはどこまで進んだか……見に行くか」
我ながら原始的で効率の悪いやり方だ、精度もそれほど高くないだろう。だが、今はそれを積み重ねるしかない。
僅かな知識を先取りした程度では、世界のレベルを押し上げることは不可能なのだ。残念ながら、純はそういうことをひっくり返してしまえる存在とは縁遠い。そういうのはもっと花のある人物なのだ、てんでバラバラのムラオサ達の意見を、鶴の一声でまとめあげるような。
その反面、困難に満ちたアウェーでの仕事は、ヒトとバケモノの狭間を渡り歩いている純にとってはいつものことである。残念ながら今回は金にはならなそうだが、文字通り命がかかっているのだ。がむしゃらにもなるというものだ。
それから十日程経った頃には、砦がなんとか形になってきた。
「随分頑張ったつもりなんだが……この程度か」
櫓の上から丘をぐるりと見下ろし、純は歯噛みした。妄想の中では『おっそろしく堅牢な要塞作っちゃいましたけど俺なにかしましたか?(ドヤァ)』くらいのつもりでいたのだが、そう上手くはいかなかった。
妥協に妥協を重ねた結果、屋敷のあるこの丘を禿山にして、そこを単純な柵で何重かにぐるりと囲うのが限界であった。自宅の軽自動車をリムジンと言い張れるくらいのハッタリをかませば、ギリギリ野戦築城と呼べる程度の代物かもしれない。
「そうかい?作業は全員素人の縄文人、道具は石斧、材料は拾いもん、時間すらない……上出来じゃねえの?」
「つっても……これじゃあ地方の遊園地にある残念な巨大迷路だ」
直径およそ二百メートルに満たない小さな要塞であるが……この時代にしてはそこそこの規模なはずだ。
そのそこそこを戦にぶつけようというのだから、自分でも恐ろしい。
「笑かすなよ」
「笑えねえよ。
突貫だからあちこち強度も不安だ……人力じゃ倒せない程度にはなってるはずだが……」
戦況は悪い。最初の数日はヒメミコと各ムラが協力して、辛くもアマトを撃退していたようだが、侵攻はそんなものでどうにかできる物量ではないようだった。
「守るって……キツイんだな」
「攻める側は交代も様子見も退却も失敗できるが、守る側はそうもいかねえ。一度の失敗で全滅だからな。だが、常に襲撃に怯えてちゃ、神経なんざあっという間に消耗しちまう」
どういう立場で喋ってんだコイツは。口を噤んだまま、しばらく明を眺めていると、やがて苦笑いを浮かべた。
「いや……とっくに決まってるんだったな。情がうつっちゃいけねえや」
「しかし、そんなに旗色が悪いもんかね?戦さは素人でも、相手はまだ銃や飛行機じゃないんだ、カモイなら勝てるだろ?」
アクルイの知識がある分、カモイに対する純の信頼は厚い。優れた使い手の駆るカモイであれば、この時代の鉄の防具なんて着ていようが着ていまいが叩き潰せるだろう。
「負けねえだろうな……一対一なら」
あからさまに含みを持たせる物言いにカチンときた。櫓を揺らそうと重心を動かすと、明はむんずと純の腕を掴んだ。
「だぁから揺らすな。
少年漫画みてえに一対一なら勝てるだろうさ、だが今はそうじゃない。多対多、最終的な問題は局地的な勝ち負けより領地……支配圏の取り合いさ。
支配圏と支配圏のぶつかるところは線になるだろ?文字通り戦線さ。極論、戦さってのはこの戦線の押しあいな訳だ。一つのムラにカモイ使いが何人いる?詳しくは知らんが……いたって五人やそこらだろ?」
地面に書いた地図の上で、明は前線を書き加えた。ヒメミコに従うムラは多い。関東一円に広がっている。これのどこがいつ襲われるかわからないのだ。
「少数のカモイ使い……点じゃ線を支えきれない、そう言いたいのか」
明が頷いた。
「そゆこと。江田島平八だって一人じゃ戦争をひっくり返せなかったろ?孤立すりゃ袋叩きさ。カモイが強くても使い手は生身の人間だ、武装した数十人に囲まれても押し返すには、その何倍もの実力がいる。それができてるヒメミコが本当に桁違いなんだよ。
全員が一か所に集まれば防衛くらいはできたかも……いいや、今更だな」
それは、その一か所以外の放棄と引き換えになる選択である。各ムラのオサも、ヒメミコも、それができなかったからこうしてムラ毎に戦っているのだ。
「そういやヒメミコは?」
「何日か前応援に行ってそれっきりだ。今は沿岸沿いを攻められてるらしい」
苦々しく呟く明に、純も眉間を押さえる。
「厳しい……のは当然か」
「だな。アマトも馬鹿じゃねえ、今や日に二、三箇所も襲われるらしい。いっくらヒメミコでも人間だからな、流石に分裂して戦うのは無理だろうさ」
ヒメミコが各地でカモイの使役を伝授する構想もあったらしいが、実現しなかった。
体系化した学問でも丸呑みでは意味がないのに、いち個人の経験則を一朝一夕で伝授して、命の奪い合いに実戦投入するなんて、何重にも絵空事である。
「何をするにも時間が足りないか。ま、攻め込まれてから動いてるんだし、当然か」
苦々しく呟く、その返事は頭上からであった。
「いやいや、ようやっとる。この数日でここまでできルトは思わんかった。アクルイに任せて良かったぞ」
「ヒメミコ……!戻ってたのか」
「おう、今戻ったとこじゃ」
上空にヒメミコの姿があった。空中で頬杖を突き、雲のように能天気に浮かんでいる。顔は見えないが、少なくとも声色は穏やかだ。
「丘をぐるりと柵で囲い、入り口を絞ったか……うむ、上から見ると星形か、悪くない。柵も随分と念入りじゃのう……ははあ、一直線に攻め入るより、遠回りさせるのか……む?どこから出入りするんじゃ?」
「東と南の谷から登ると最短でここまで登ってこれる、上から見なけりゃ判らない。アマトは多分西か北からくるから気付けないだろう」
「ほぉ……何食ってたらそんなに狡賢くなのか不思議なもんじゃ」
「お褒めいただき光栄ですヒメミコ」
都合よくここは関東平野のど真ん中だ、この時代丘を見下ろす程の高さを稼ぐのは、それこそカモイの力を借りるしかない。
「むう……それはよいが……随分派手に焼いたのう……」
辺りを見渡す声色に落胆の気配が混ざった。どうやら辺り一帯を容赦なく焼き払ったのが気に食わないようだ。自然の恵みを享受し、そこから生れ落ちるカモイと共にあるヒメミコにとっては、非常に惨たらしい光景に見えたろう。
「草木が残ってると身を隠せるだろう?どうしてもそこが橋頭保……攻め込む切っ掛けになる。何が何でもそういう場所は潰したい」
「……む、そういうものかのう」
「今だけ目をつぶってくれ……生き残れば、きっと苗を植える」
申し訳なさそうなアクルイの言葉に、ヒメミコは渋々頷いた。
「そうか……まあこれだけやれば万全じゃな?」
「いやいや、いくら固めても……きっと、まだ足りない」
一日やそこらの足止めならともかく、撃退となると話が違う。連中が諦めるまで何日ここに立て籠らねばならないのか、想像もつかない。
本来、籠城は分の悪い戦法である……と言うよりも、正面衝突すれば負ける側が、決戦を先延ばしにしているだけに過ぎない。戦法と呼ぶのも怪しいレベルだ。
そもそも純の見たことがある砦なんて復元された観光地しかないし、学生時代の記憶にも砦について紐解いた記憶などありはしない、
「ふぅん、ならばあとは何が足りぬ?」
「本当は……柵をもっと強固にしたい、最低でも踏み倒されない程度には。更に一番の外側にはぐるりと堀で囲んで……底に水を流し込んで沼にしておきたい」
「うわえげつね」
明の呟きが届いたのかは判らないが、ヒメミコは軽く頷いた。
「なるほど、そういうものか。それで終わりか?」
「贅沢を言えば、この丘がもう少し高く、急だと良かった。あとは……拳くらいの石が欲しい、山ほど。斜面に敷き詰めれば掘り返されたりよじ登られたりしなくなる。余りは武器に回す」
それはもはや土木工事だ、現代日本でも数か月はかかるだろう。この時代では贅沢どころか夢物語に片足突っ込んでる内容のハズだが、ヒメミコの声に嘲笑は感じなかった。
「そうかそうか。それくらいなら、なんとかしてやろう」
すいっとヒメミコが目を閉じ、ぶつぶつ何かを呟くこと数秒、額の目が燃えるように光を放つと、丘の周辺一帯が不可視の力に包まれた。
いち個人のものとは信じられない膨大な力に息をのむと同時、耳元で囁き声がした。
『少し揺れる。全員その場で伏せよ』
どこからともなく生えた大量の蔦が、あっと思う間もなく丘全体を覆い尽くすと、地鳴りを伴って全体がグラグラと揺れはじめた。明が息を飲んだが、びっしり巻きついた蔦は櫓も抑え込んでいたため、存外揺れは小さかった。丘ごと揺さぶられていたのはせいぜい十数秒程だったろうか、それが終わると全ての異変が噓だったようにかき消えた。
「おいおいおい……マジかよ」
明が上ずった声で呻いた。無理もない、もはや景色からして違うのだ。
丘の高さはざっと二割増し、その分急になった斜面は拳程の大きさの石でびっしりと覆われている。
丘を囲む頼りなかった柵は蔓がガチガチに巻きついて補強されている。さらにはその外周、丘をぐるりと囲む堀が作られ、ご丁寧にその内部は水が噴き出し泥沼になっているではないか。
「マジかよ……地形を変えるのか……!」
呆気に取られて呟く純の頭上で、ヒメミコはふぅーっと長く息を吐いた。
「流石に……少し疲れたわい」
今回モデルにした星形要塞は、本来穏やかな傾斜の土塁に囲まれているものが一般的であるが、それが必要とされるのは高い城壁を撃ち崩す火砲が発展してからの話だ、火薬の発明はまだ遠い未来である限り、砦は高ければ高いほど良いハズだ。流石に石垣を作るのは不可能なのだから、高さを盛れるのはありがたい。
「ふむ、これで手打ちとしようか。石はあっちに山積みしてある。好きに使え、足りなければ言うがよい」
「俺……必要だった?」
「当然じゃ。火種を大きくするより、熾す方が骨が折れる。それと同じ、わぁにはこういう砦を作る発想が、無いか、ら……う、いかん」
台詞が途中でふっと切れた。
はてなと思って見上げると、ヒメミコがぐらっとバランスを崩し、落下を始めた瞬間であった。
「ヤバい!頭から落ちるぞ!」
地面に叩きつけられる直前、地を這うように滑り込んできた影が、間一髪でヒメミコをしなやかに受け止めた。風のカモイに乗った、若い男である。
「危なかった……ここにいたのか、ヒメミコ」
ふぅと息をついて額を拭ったのは、あのカイヌであった。
涼やかな目元に見覚えがあると、明が目を細める。
「誰だあの若造……ん?見覚えあるな」
「ほんとだ、なんでこんなところに?」
間一髪ヒメミコを助けたのは、誰であろうカイヌであった。
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この作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事とは一切関係ありません。
実在する人物、団体、出来事、思想には一切関係ございません。またそれに対する批判、意見する意図は一切ございません。娯楽作としてお楽しみ下さい。