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幻と古代の戦いと(その1)

「うおわぁああっ!」

 自分の絶叫で飛び起きてしまった。なにか悍ましい夢を見た。

 心の臓が口から飛び出そうな程に動悸は激しく、あふれ出る冷や汗が全身をじっとり濡らしているのが心底気持ち悪い。

「ど、どうしたのアクルイ?大丈夫?」

 顔を覗き込んでくるのは妻だ。室内は薄暗いが、心の優しい彼女が心底彼を気遣ってくれているのが判る。

「いいや……心配させてしまったね。なんでもない、平気だよ」

 彼は微笑んで起き上がった。手に触れているのは、愛用している毛皮の敷物である。そうだ、いつもとなにも変わっていない。

「……具合が悪いなら、少し横になっていたら?」

「いやいや、大仕事の最中だと言うのに、ムラオサの私が寝ている訳にはいかないよ」

 傍らの剣を手に立ち上がる。草で葺いた屋根、丸太を組み合わせた骨組み、床は地面を掘り下げた半地下に干し草を敷いてある。ほんのり温かいのは、中央の囲炉裏に、今朝の残り火が燻っているからだ。

 なぜ、こんなことが気になるのだろうか。アクルイは首を傾げた。自宅の何が珍しいというのだ。

「……外の風に当たってくるよ」

 腰をかがめて、外へ踏み出す――ああ、秋風が心地よい。秋風である、なにもおかしくない。アクルイが見上げた秋晴れの空は、かざした手が染まりそうに青い。

「兄上!いや……オサどの」

 声をかけて来たのは彼の弟、レカンであった。髪を束ね、樹皮で作った服をまとい、手足に入れ墨を入れた、ごく普通のいでたちである。

「ふふ、準備はいいようだな」

 口元がほころぶと、アクルイの一見強面な髭面が人懐っこく歪む。

「皆やる気ですよ。なにしろ今年は豊作ですからね」

「ああ……一時はどうなることかと思ったが……沼から田への切り替えは、上手くいったようだね」

 一帯には金色に光る稲穂が広がっていた。先日から始まったコメの収穫が最盛期を迎え、これは記録的な豊作になると確信を得ていた。

 ……はて、一体どうしたことだろう、いつも通りの皆の格好やムラの建物が、どうしてこんなに気になるのだろう?

 彼の格好もさして違いはないではないか。確かにムラのオサである彼だけは常に剣を持ち歩き、入れ墨も他の者より複雑で色彩豊か、炎を模した髪飾りを挿す程度の違いはあるのだが、些末な事ではないか。

 今年は去年の倍の石包丁を用意し、皮の靴も山ほど用意したため作業は順調。収穫の効率も上がったし、けが人も出さずに済みそうだ。

「実は、人手が足りないんです。カモイを二、三精呼んではくれませんか?」

「む?そんなに要るのかい?」

「ほら、裏山からクマがムラに近づいてきてたでしょう?下りてくる前に、どうにかしようって、何人か駆り出したじゃないですか」

 なぜ忘れていたのだろう、昨晩その決定を下したのも、彼自身だったのではないか。

「そう――だったね、思い出したよ」

 ついさっき見た夢……瓦礫だらけの妙な部屋で、見る事も出来ない小さなツブに分解される夢が抜けきれず、本調子が出ないらしい。

 いやいや、頭を切り替えろ『彼女』と違ってアクルイの夢にそんな力はない。妙な夢など忘れて。雨が降る前に収穫を進めねばならない。

「三精だったね?」

 懐から取り出したのは、ざっくりと人型に切り出した小さな布切れが三枚。それに煤と膠を混ぜた墨で文様を書き込んだものだ。

 風に乗せて高く天へ掲げ、額の奥に意識を集中させると、皮の下で翠色の光がじわりと灯った。天地の間にある全ての存在に感謝と礼を囁き、また今日も愛すべき隣人であることを願う。

 にわかに生まれた旋風にそれらは舞い上がり、空中で弾け――同じ数のカモイが誕生した。大まかには人型であるが、霞をこねくりまわしたような、ふわっとした姿をしている。

 このカモイは、無形のまま漂う微弱な存在に仮初の肉体を与えたもので、曖昧な自我だけを持つぼんやりとした存在だ。僅かな礼を約束する事で、こうして労働力となってくれるのだ。

「カモイよ、来てくれてありがとう。収穫を手伝ってほしいんだが、いいかな?」

 三精のカモイが頷き、のそのそと田圃へと向かう。

「これでいいだろう、あまり厳しくするなよ?」

「ああ、ありがとう!礼は干し肉かな?木の実でもいいかな?」

「風のカモイだからな、干し肉の方が喜ぶかもな。ケチるなよ?正当にな」

 今年の豊作は過去に類を見ない素晴らしいものだ。西に住む他民族との交流は、沼で細々と行っていた稲作を、川から水を引いて作った田圃で大規模に行うという革新を齎した。

 数年間苦戦し続けた、カモイの力を借りた灌漑の整備が、ようやく実ったのだ。

「今年の冬は、少し余裕がありそうだな」

 冬は布を織りながら獣を狩り、春は稲を撒き、夏は日照りの田圃を守りながら山河の恵みを頂戴し、秋は実りに感謝して次の冬に備える。

 太陽と共に目覚め、月と星を愛でて眠る、それが全てで、唯一のあるべき姿でありながら、最も美しい姿なのだ。彼の父や祖父と同じく、彼もそうであると心底信じている。

 明日は今日よりきっと良く、来年が今年より素晴らしい事を願う。ささやかながらかけがえのない美しい日々が、大自然のもたらす恵みとカモイを友にして、永遠に続く。

 これこそ至上の喜びであり、人生の全てであった。ムラにあのカモイが現れるまでは。

「む……ヲンリュウか。なにかご用かな?」

 そのカモイは鱗を持たぬ身の丈ほどの蛇の姿をしていた。

 収穫を手伝ってくれる曖昧な姿のカモイとは違い、確かな実体と質量を確信させる存在感がある。

 それは、このカモイが非常に高度な術によって作り出された存在だからだ。それもそのはず、ヲンリュウの主は、周辺のムラを取りまとめる者である。

 彼女は生来こういった術に優れ、カモイとよく語る。そんな彼女をオサのオサに位置づけることで、あるときは種まきや収穫の時期を無駄なく決め、あるときはムラ同士の水の奪い合い丸く収め、あるときは不作のムラの援助を行ったり等……多くのことを武力に訴えず成し遂げてきた。

 周辺のムラで彼女に反抗するものは、まずいない。その不思議な力と額に第三の目を持つ彼女は、サムチルカヒメミコと呼ばれていた。

 そんな彼女がヲンリュウを使いにする場合、ほぼ例外なく至急の要件である。考えるより早く、本音が口を突いて出た。

「嫌な予感がする……急ごう」

 弟に収穫の指揮を頼むと、彼はヒメミコの元へと急いだ。ヒメミコの屋敷は、西の川を超えた小高い丘にある。遠くはない、カモイを呼び出せばひとっ飛びである。


「ありがとう、風のカモイよ。手間をかけたね」

 腰の袋から取り出した塩を一つまみ礼に捧げると、カモイは実体を失い旋風に戻りながらむしゃぶりつく。

 それが塩をすっかり巻き上げるのを待つ間、ヒメミコの屋敷をぐるりと見渡す。

 小高い丘の上にぽつぽつと建てられたこれらは、よくある半地下の住居と違い高床式である。屋根も無数の木片で葺いてあり、見るからに格調高い。どうやらヒメミコ自体はそういう特別扱いを面倒に思っているようだが……彼女は複数のムラを束ねる、言うなればクニのオサである。その立場の者にそれなりの格を持たせなければ、クニ同士のやり取りが出来ないのだ。

「アクルイだ、上がるぞ……」

 木の板を敷き詰めた床は、湿気が少なく、サラッとした肌触りが心地よい。

 特にこの社は建物の規模が他より大きいのだが、太い柱と梁が分厚い屋根を高くまで持ち上げ、同じ高さの木の壁が並ぶためか、格段の解放感がある。

 壁や柱には見事な浮き彫りが施されている。森や山、海や川、動植物などの自然が主だが、最も多いのは蛇だ。とぐろを巻いたもの、這い進むもの、脱皮の最中のもの、口を開いて牙を剥くものと多岐にわたる。

 脱皮による再生、狭いところから染み出てくる様子、しなやかで滑らかな動き、そして恐ろしい毒――それらすべてを生命と死の間を渡るものとして、アクルイ達は神聖視しているのだ。

「どうしたアクルイ、何か珍しいか?」

 声をかけてきたのは、社に屯する先客の一人であった。

「え?……いや、忘れてくれ」

 手近なところに腰を下ろす。苦笑い。どうしてこんな建物に目が行くのか、自分にもわからない。

 ここにいる連中は皆彼と同じような格好で、剣を持っている。少ないが女もいる。彼らは皆、ヒメミコに従うムラのオサである。

 声をかけてきたのもその一人、浜辺のムラのオサ、イサカンである。ブッ太い腕と褪せかけた刺青と無数の古傷は、ムラを幾度となく災難から守ってきた彼の誇りである。

「遅かったな、お前は結構近いだろうに……体調でも崩したか?」

「心配してくれたのかい?ありがとう、だが気にすることはない、いつも通りさ」

 からっと笑って見せて話を濁した。

 カモイに乗って空を駆けるなんて、特別でも何でもないのだが、どうにも今日はぎくしゃくしてしまっていた……おかしなことだが、まるで自分の中にもう一人別人が紛れ込んでいるような感覚だった。

「全員いるのか……私で最後かな?」

 よほどの大事らしい。狂った大熊が出るとの予言があれば山側のムラオサが呼ばれ、高波を予見すれば海側のムラオサが呼ばれる。全員の招集は、干ばつや疫病等の、大規模な事件の前触れかもしれない。

「ハッキリいやあ、凶兆だろうよ……少なくとも誰かが死んでる」

「……どうしてわかるんだい?」

「俺は鼻が効くんだ」

 どういう意味だと大きく吸い込んでみると、ほんのりと甘い香りがする。

「これは……クロモンヨウの香りか?」

「奥の篝火だ。さっきからずっとこればかりくべている。大方ヒメミコの呪い(まじない)だろうよ。あいつが妙なことに拘るときは、何か理由がある。

 お前がオサになる随分前にも、こういう事があった。あの時はおこりの予言でなぁ」

「ああ……」

 瘧。それは高熱と強い吐き気をもたらし、やがて意識を奪って死に至る疫病である。仮に助かっても内臓を痛め、その後一生に暗い影を落とすことすらある恐ろしい病であった。

 この大流行の直前、ヒメミコは全てのムラのオサにニガアカネの樹皮と、ヨモギや松の青葉を蓄えるように言い含めていた。

 一見トンチキな彼女の指示であったが、後にそれが多くの人命を救った。樹皮の煮汁は瘧に対して特効を持ち、青葉を燃やした煙を充満させることで、どういうわけか新しい病人の発生を抑え込んだのだ。

「覚えてるよ……いっぱい死んだからな、親兄弟が七人死んだよ」

 彼のムラは当時、ヒメミコに従っていなかった。その為治療が遅れ、あわや全滅の危険にさらされていた。

 ヒメミコに派遣された他のムラの者がいなければ、間違いなく死んでいた。彼のムラはそうして、ヒメミコに従うようになったのだ。

「そうだったか……すまん、知らんかった」

「よくある話さ、気にしないでくれ。俺は生きてるんだから、それでいいのさ。しかし……まぁ~苦かったなぁ、あの煎じ薬」

 急激に声色を切り替えた彼に、何人かが吹き出したのが見えた。緊張がほぐれたのか、少しばかり会話が流れ始める。

 そうして待つことしばらく。奥につるした銅鐸がちょおん、と打ち鳴らされ、皆が一斉に口を噤んだ。

 社の奥、一段高い所には祭壇が組まれ、その上で先述した甘い香気を放つ篝火が燃えている。それを山海の幸の山が挟んでいるのだが……瞬間、ぼうっと篝火が梁を焦がさんばかりに火勢を増した。

 膨れ上がった炎が元に戻ったとき、祭壇を背にヒメミコが姿を現していた。

……メミコ?

 その姿を見た瞬間、アクルイの脳裏で誰かが目覚めた。しかし、今はそれどころではない。すぐさま思い直したようにそれを噛み殺し、苦心して何食わぬ顔を貼り付けた。

 小柄な女である。薄い布や毛皮を複雑に編み込み巻き付けた、神々しくもどこか不気味な身なりである。

 彼よりもずっと歳上のはずだがまるで少女のようで、眼窩に宿る深い翠色の光と、愛嬌のある目鼻や白い肌は幼い印象すら感じさせていた。

 特筆すべきはその額に、ぼんやりと燐光を灯す第三の目が存在することだ。一族は皆同じものを持っているが、殆どかアクルイと同じように額の皮の下に埋もれている。ここまで大きくはっきりとしたものは非常に珍しい。これが、天性のカモイの才能2繋がっているのかもしれない。

「よく来てくれた、ムラのオサ達よ」

 厳かな口調と超然とした空気に、オサ達がきぃんと静まり返る。誰かが唾を飲んだのが聞こえる。 

 と、ヒメミコはぶはぁ、と大きく息を吐いた。

「ハッタリかます時間も惜しいから、サクッと本題に入るとしよう。すまんな。クソ忙しい時期なのは判っていたが、なにぶん火急の用でな。

 もっとこっちに寄れ、大声出さにゃならんじゃろうが。ほら、いいから詰めろ……うむ」

 ぞんざいに背後に手を伸ばすと、季節外れの桃を掴んで皮ごと齧る。さっきの神秘的な空気はどこへやら、やたらと砕けたざっくばらんな口調であるが、おかげでこちらも『ああ、こいつも一応人間なんだな』と安心できるというものだ。

「ヌシらも食え、わぁと周りの者だけでは食いきれぬ……いや、これじゃ取りにくいよな。ほれ、受け取れ、ほれほれ」

 果物をひょいひょいとオサ達に配り始めた。喋りも動きも、なんとも軽い。

「皆取ったか?遠慮するな。デカいやつは二個食って良いぞ」

 挙句の果てに空手の者に向けて果物を投げて寄こす。流石にこの人数、全員にいきわたる程ではなかった筈なのに、どういうわけか全員が手にしても、ヒメミコの左右の山はまるで減っていなかった。

「待ってくれヒメミコ、西の谷のナモリ……あのでかいのが来ていないようだ」

 ぐるりと見ると確かにそうだ、これだけ勢ぞろいしているが、西の谷のオサであるナモリ見当たらない。

「……うむ、それも話に絡む。まずは食え」

 オサ達も困惑している。話し合いの冒頭に『とりあえず食え』とは、何を考えているのか……もっとも、ヒメミコの言動がトンチキなのは今に始まった事ではない。得体のしれない相手なら一服盛ったかと疑うかもだが、既にヒメミコは二つめの桃を齧っている。釈然としないが何か意味があるのだろうと、それぞれ果物を手に取り、齧る。

 ようやく納得したのか、ヒメミコは空中にふわりと腰かけると脚を組み、膝の上に頬杖を突いた。

「ん……今日は長くなる、眠くならん程度に食え。

 さあて参った、洒落にならん。戦さじゃ、しかも勝ち目がうっっっすい……どうしようか?」

 けろりと言い放つヒメミコに、どこかのオサは齧った果物を吹き出し、また別のオサは大きくせき込み、残りは茫然としてしまった。

「ヒメミコ、急に何を言い出すんだ?!」

「冗談にしてもタチが悪い、言っていい事と悪いことが――」

「この顔が――」

 ヒメミコは決して声を張り上げたわけではないのだが、湧きたつオサ達の声を一瞬で塗り潰してしまった。

「――嘘をついている顔に見えるなら、帰って良いぞ。嘘か本当か、何日かすれば判る」

 態度こそ軽薄であるが、その目は微塵も笑っていない。



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※ご注意※

この作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事とは一切関係ありません。

実在する人物、団体、出来事、思想には一切関係ございません。またそれに対する批判、意見する意図は一切ございません。娯楽作としてお楽しみ下さい。


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