雨の日の記憶
雨が降っていた。ときおり強い風が、雨を窓に打ち付ける。
「外に出かけるのはやめて、部屋で過ごそうか」
彼女は遠慮がちに僕のほうを見た。今日は外で映画を見ようと、前から約束していた。
「そうだね。録画しておいた映画があるよ。君の好きそうなの」
僕がそう言うと、彼女はほっとしたように微笑んだ。大人しい性格で、あまり自己主張をしない。いつも僕の様子を窺っていた。でも僕は、そんな彼女が愛おしかった。
「おなか、すいてない? パスタでも作ろうか。ちょっと待ってて」
僕はキッチンに立った。「いつもありがとう」彼女は優しくそう言った。
雨の音が強くなった。パスタを茹でながら、ふいに遠い記憶がよみがえる。
――どうして、わかってくれないの。
激しい雨の音をかき消すように、リサは強い口調で言った。打ち込んでいたダンスを学ぶためにニューヨークへ行くという。強いまなざしで、引き留める僕の言葉をさえぎった。
リサは明るい性格で、いつも大きな声で話をした。ちょっとしたことでも楽しそうに笑い、嫌なことがあればすぐに涙を流した。愛情表現も豊かで、人が見ている前でもおかまいなしにキスを迫った。僕はそんな彼女に振り回されながら、強く惹かれていった。
「ユウは、大人しそうに見えるけど、意外と頑固だよね」
リサはそう言って笑った。僕は音楽の世界に飛び込んで、少しずつ歩き始めていた。バンドのメンバーとは衝突することも多かった。どうしても譲れないものがあった。
「でも、私はいいと思う。ユウの好きなようにやりなよ。応援してるから」
リサの言葉は、いつも僕の背中を押してくれた。でも僕は、彼女の背中を押すことはできなかった。リサと離れ離れになることは、想像できなかった。手放したくない。「じゃあ、別れよう」期待を込めて、僕は冷たく言い放った。でも彼女の決意は変わらなかった。
「別れたくない。ユウのこと、愛してる。でも、やっぱり諦めることはできないの」
リサは旅立ち、遠い異国の地で、今も夢を追っている。
「……今日は、もう止まないかもしれないね」カーテンを半分開けて、彼女はつぶやいた。
食事を作り終えると、僕は彼女の横に並んだ。外を眺める彼女の背中が、少し寂しそうに見えた。唐突に、彼女は言った。「ここでキスして」
そっと抱きしめた。そんなことを言う彼女は初めてだった。必死に、記憶に蓋をする。
「あの人、傘も差さずにあんな所にいたら、風邪ひいちゃうよね」
窓から下を見た。彼女の視線の先には、ずぶ濡れの女性が立っていた。リサだった。