八話 買い物と憂い
ミーナが起きると、床に札束が無造作に転がっていた。彼女はまだ夢を見ているのだと思って、なぜか二度寝を決め込む。これを現実逃避ともいう。
「ミーナ、起きて」
シダクサがミーナの耳元で言った。ミーナとしては二日酔いで頭が痛いため、この行為は遠慮して欲しかったりする。しかし神様の手前、無視するわけにはいかない。
「シダクサ様? 昨日の夕飯から記憶がないんですけど、一体何が……」
「ああ、これ? これはお金持ちのお兄さんが『これを僕の代わりだと思って大切にしてくれ』って」「……嘘ですよね」
寝起きの頭でもそれはあり得ないということくらいは分かったらしい。
「まぁそうなんだけど、ここにあるお金は本物だから安心していいよ」
「いくらあるんですか?」
「二億とか言ってた」
シダクサは、涙声で必死に叫ぶ青年の姿を思い浮かべながら思い出した。
「に、二億!?」
「うん、そう。運ぶの手伝ってね。持ち歩くわけにもいかないから預けようと思って」
「そ、そうですよね。に、二億ですもんね! あは、あははは」
ミーナはまだ酔っているのか、それとも今新たに酔ったのかは不明だ。後者であろうが。
†
冒険者ギルドには銀行としての役割もある。これはギルドの資金として運用されるが、利息が付くという得点がある。二億はさすがに怪しまれるだろうとは思ったが、むしろ追跡の調査があった際にはもっと巻き上げようという気概で手持ちに少し残して全部預けることにした。
「お預かりします。金額の確認にお時間を頂きますので、少々お待ちください」
さすが天下の冒険者ギルドの受付嬢、二億程度では取り乱さない。
「はい、お願いします」
ギルド部外者の利息は0.05%、ギルド員の利息は0.1%となっているため、二億を預けると月に二十万手に入る計算だ。二人で二十万だと、贅沢をしなければなんとか暮らせる金額だ。
しかし、ギルドは月に一定量以上の稼ぎがないと除名されてしまうため、働くことにはかわりない。
「お待たせしました、預金額は二億三千百五十七万となります、ご確認ください」
受付嬢は預金帳と小切手帳をシダクサに差し出した。シダクサはミーナの名義に全額振り込もうと下のだが、ミーナが首を横に千切れんばかりに振ったので全額シダクサの預金となった。
「管理よろしくね」
シダクサは受け取るなり、すべてミーナに丸投げした。ミーナはわたわたしながらそれを受け取り困惑の表情を浮かべたが、目立つといけないと思って隠すように仕舞い込んだ。
「資金は手に入ったから、月末までギルドは放っておきましょう」
ギルドに入ったとたんこれだ。お金に困っていない以上、結局はギルドが儲かる仕事など進んでしない。
『手始めにこの国の王に会おう。スサノオを探さねば』
ギルドハウスを出ると、オロチも口を利き始めた。
「まず王都に行かないとね。お金もあるし、車でも買おうかしら。ハイブリッドのやつ」
『馬と魔獣の雑種か?』
「……オロチ様、ボケボケはどうかと思う」
†
シダクサらはテアの街の車屋に足を運んだ。取り扱っているのは馬車と馬。
「どれにしますか、シダクサ様」
ミーナは夢にまで見た箱型の馬車に目を輝かせている。車輪も金属でスプリングを使った凝ったものまである。
「一千万くらいなら使っていいでしょう。ミーナが選んでいいよ」
「い、一千万……」
ごくりとつばを飲むミーナ。
ミーナが選び抜いたのは黒塗りの二頭引きの馬車で、お値段は六百万。綺麗なガラス窓には濃い赤のカーテンも付いており、間違いなく高級車と言える。馬は二頭で二百万、茶色の毛並みとクリーム色のたてがみをした双子だ。
本当は白い馬が映えるのではとミーナが言ったのだが、汚れが目立ちそうと言う理由で却下された。値段も茶よりかなり高かったため、ミーナも簡単に引き下がった。
そんなこんなで八百万が馬車に消えた。といってもまだ二億二千万は残っている。
御者を雇う気はなかったため、必然的にミーナが馬を操ることになった。シダクサはあまり期待をしていなかったのだが、彼女は村で荷馬車を使っていたそうで大した手綱捌きだった。
服に馬車にと、シダクサの身の回りが着々と固まっていくと、今度はミーナにも何か買ってやらなければと、シダクサが提案した。村娘の格好で高級馬車を操るのはどうも格好が付かないのだ。
「私はいいです、もったいないです」
とミーナ。するとオロチが、
『主従の形をとるなら、従者を見て主人の格が判断されることもある。そなたはシダクサに恥をかかせたいのか?』
と言ってたしなめた。もっともシダクサがそんなことをまるで気にしないのも知っているが。
そうしてミーナ改造計画がスタートした。シダクサは先日行った高級服店に足を運び、ミーナを着せ替え人形にして遊ぶことにした。
「ねぇ、これ着てみて」
シダクサが差し出したのはフリルがあしらわれ空気をたくさん含んだようなドレスだ。
『それはシダクサのほうが似合いそうだな。こういうのは子ど……』
「オロチ様、それ以上いっちゃだめ」
『う、うむ』
「ミーナ、今度はこっち」
「ミーナ、これは?」
「ミーナ、こんなのあったよ」
~時間経過~
「なんでこうなったの……」
呆れるシダクサの目の前には執事服とでもいうのか、黒の燕尾服に身を包み、髪を後ろで一つにまとめた麗人――ミーナがいた。
「主に傅くものとして、相応しい服装を選んだまでであります、お嬢様。なんちゃって」
ミーナは執事服が気に入ったらしい。背も高く細身である彼女には、それが憎たらしいほど似合っているのが困りものだ。
「ほんとにそれでいいの?」
「はい!」
彼女に尻尾があれば間違いなく大振りに振っているだろう、とても楽しげだ。中身が執事でないところはこの際、目を瞑っておく。
†
店を出て、正面に放置しておいた馬車(オロチの呪いで絶対に盗まれない)に乗り込むのだが、ミーナはさっと馬車のドアを開けて、横からシダクサの手をとる。
「あ、ありがとう」
「いえ」
ミーナは一礼するとドアを閉め、自らは御者席に着き、手綱を操り颯爽と馬を走らせた。
「ミーナかっこいいなぁ」
落ち着きがないようで、実はしっかりしているミーナだ。
「私、他の人に見られているときはシダクサ様の執事らしくあろうと決めたんです!」
すっかりその気だ。もともと思うところでもあったのだろうか。
「そ、そう。ほどほどにね」
「はい! ところで……どこに行けばいいのですか?」
取り敢えず走らせたらしい。
気を取り直し、旅の食料を買い込むことにした。日が傾く前にテアの街を出て王都へ出発する心積もりだ。そうすれば明日の夕刻には王都へ到着できる。
ミーナが馬車を停めて道沿いにある店に入って食料を調達する。主は馬車で待つほうがかっこいいと言われ、ミーナを立てるつもりでシダクサは馬車に留まる。
「申し訳御座いません。ここにあるものでは高貴な方のお口に合うかどうか……」
食品店を手伝う少年は表に停まった馬車とミーナの身なりから、やんごとなきご身分の方がやってきたと思ったらしい。実際のところ貴族王族などよりずっと程度の高い二神だが、同時に一夜にしての成金というちぐはぐな身分でもある。
「構いませんよ。それにどれも美味しそうじゃないですか。適当に旅の食事を六食分見繕っていただけますか?」
ミーナが少年にお願いすると、彼は店で一番高いであろうものを詰め合わせてくれた。支払いのときにミーナはなんて贅沢なんだろうとため息をこぼしそうになった。
「ありがとうございます、主も喜びます」
ミーナが笑顔で礼を言うと、少年は顔を紅くして礼を返した。
「ミーナやるわね」
外の様子を馬車の窓から覗いていたシダクサが呟いた。
『確かにいい従者になりそうだ。あれは我らが目をかけなくとも成功するのだろうな』
オロチも彼女を認めているようだ。確かに初対面のミーナは頼れる姉という雰囲気だった。演技だったのかもしれないが、シダクサに眩しいと言わしめるくらいの人の良さもある。
「生き残ったのもあの子の人徳だね」
『違いない』
「良き子に幸いあれ、悪しき子に災いあれ、か」
シダクサは自嘲的な笑みを浮かべた。
『やはりそなたも最近思うことがあるか』
「まぁね。私も歳かな?」
『……どうだろうか、我らの祟り、スサノオを最後にしないか?』
それはつまり祟り神としての死を選ぶということだ。
「私は……」
シダクサは膝を抱えて考え込んだ。そうなれば自分の存在と思考による二律背反からは逃れることが出来る。しかしそれはオロチとの別れでもある。
『ふむ……困らせてしまったな、忘れてくれ』
「……うん」
シダクサはどこか沈んだ表情をしたが、笑顔のまま馬車に戻って来るミーナを迎えるため、不恰好な笑顔を浮かべるのだった。