四話 カミのありかた、ヒトのありかた。
「ミーナ、ここを出る前に一つ言っておくね。村には多分誰も残っていない」
「そう、ですか……」
残酷な結末をシダクサは告げる。祟り神は自らを奉るものを強力に守護するが、それ以外にはまるで容赦がない。害をなすものなどもってのほかだ。村ぐるみの悪事がヤマタノオロチに行われれば、村の壊滅は免れない。
ミーナだけが生かされたのは、シダクサにとってのミーナの善――すなわちシダクサに良くしたということが、彼女の行った悪を上回ったというだけのこと。そこに感情が深く介入することはない。ゆえに裏切りは深く咎められずに、裏切りの前の善と後ろの悪が平らな机上で天秤に架けられる。
一行は村長の家を出た。一面に広がるのは倒壊したレンガ積みの家屋と荒れた道。血が零れていないのが唯一の救いだろうか。そこには誰一人として残って居なかった。
「……許せとは言わないけど、これが私たち祟り神なんだよ。自分に都合がいい者だけを生かし、それ以外は殺すという極端で究極な人間の体現。人間は自分たちがそれをするわけにはいかないから、私たち祟り神にそれを投影した。そしてその結果がこれ。自業自得とまでは言わないけれど、因果なものよね」
シダクサもやりきれないという気持ちだった。祟り神として自分が災厄をもたらすのは防げない。それは祟り神が決して怒りを抑えることはないからだ。怒りを抑えられたらそれは最早それは祟り神ではない。祟り神には怒るという役割が与えられており、それをまっとうする義務がある。
自分が自分であり続けるために、彼女は災厄を振りまく。そのあり方は皮肉にも人間に似ている。
「……私のせいだ」
ミーナは村の有様を見、自身を責めた。あの時こうしていたら、あの時こうしていなければ、と彼女の心には無限の選択肢が網目状に拡がっていく。
『否、これは因果。堰を切ったのは確かにそなただ。しかしそこには小さな傷で決壊するだけの水が溜まっていたということ。それだけだ』
人の背丈くらいに頭をもたげたオロチがミーナに説いた。直接手を下したオロチが説くのもおかしな話だが、彼は彼自身の行動を達観している節がある。
『どうしてもと言うのなら我がそなたに幕を与えよう。生かすだけが守護ではないからな』
「少し、一人にさせて上げましょう」
後ろからシダクサがオロチの背をぽんと叩いた。オロチもそれに同意し、シダクサに従った。事情が如何であろうと村を滅ぼしたオロチが居るのは耐えられないだろうとの判断だ。
「私たちは西の村はずれにいるわ。気が向いたら来て」
彼女らはそう言って西のほうへと姿を消した。
背の高くなったオロチの姿も見えなくなると、ミーナは泣いた。声を上げて、幼子のように。
†
太陽が一度頂点に達し、徐々に傾いて西の空が真っ赤に燃え上がる頃になった。
ミーナは皮袋を背負った姿でついに登場した。シダクサは大きな岩の上に腰掛け、オロチはその傍で複雑な形のとぐろを巻いていた。彼らは背に真っ赤な太陽を背負っているため、ミーナから細かな表情は見えない。
「気持ちの整理はついた?」
「はい。オロチ様、シノブ様、お願いがございます。よろしいでしょうか」
ミーナは両膝を地面につけて低頭した。オロチやシダクサが神であると聴いてからはずっとこのような調子だ。オロチの名が先に呼ばれたのは、彼のほうが上位に当たる神だと聞かされたからだ。
「なぁに?」
シダクサは膝の上に両頬杖をつきながら発言を促す。こちらは寧ろリラックスしている。彼女のほうが遥かに年上と知れたからには丁寧な対応も必要ないというものだ。
「どうか、私を同行させてくださいまし。数々の無礼の償いをし申し上げたく……!」
がちがちの尊敬表現を使ってミーナが言った――否、申し上げた。
「いいよ、でもだめ」
「……と申しますと?」
わけが分からない答えにミーナは聞き返さざるを得なかった。
「ミーナはお姉さん役なんだから、もうちょっと態度を改めて」
不満全開でシダクサが頬を膨らませる。
「それは、どうすれば……」
「昨日みたいな感じに包み込むような……。私言ったでしょ、貴女の手が温かいから生かしておくって。だから貴女は温かくないとだめなの。だから、私の頭を撫でなさい」
シダクサは両腕を組んで、ぷいとそっぽを向いた。表情には出ていないが彼女なりに恥ずかしかったのだろう。
「……し、失礼します」
「だめ、やり直し」
やはり態度自体が変わっていないミーナに、触る前からダメだしをする。ミーナは一旦停止してから、深呼吸をして決意を固める。
「……き、機嫌直してください?」
そう言いながらミーナはシダクサの頭を撫でる。最初にくらべるとずいぶんと不器用なものだ。
「まぁいいや。神様なんて聞かされちゃしょうがないよね」
シダクサはちょっとは不服そうにため息をついたが、おおむね良しとしたようだ。
「それと、ミーナ。貴女にシダクサの名を許す」
「……シダクサ様」
『我はヤマタノオロチだ。オロチはシダクサがつけた愛称のようなものだな』
「っ! これはご無礼を!」
ミーナは地面に手をついて詫びた。
『構わん、これからもオロチで結構。存外気に入っているのでな。それと我もそこまで低頭されては敵わんぞ』
「は、はい、オロチ様」
ひと段落着いたと判断し、シダクサは岩から降りてオロチとミーナの傍に寄る。
「じゃあ行こう?」
†
近くの街までは馬車で行こうかと思っていたのだが、オロチが馬まで全て食べつくしていたためそれはかなわなかった。仕様がなく一行は自らの足で街へ身を運ぶことになった。
「オロチ様、恨むよぉ」
身体の小さなシダクサは一番は早くに体力に限界がきた。もともと人間が素体の神であるシダクサには超人的な体力など備わっていない。
『済まない。我の背に乗ると良い』
「じゃ、遠慮なく……」
シダクサは少し大きめなオロチ――ミドルオロチと名づける――の背にへばりつくように乗った。因みにミニオロチやミドルオロチの背中や腹は綺麗で、ヤマタノオロチの巨大な身体になると背や腹が苔やら血でオドロオドロしいことになる。色だけは継承されて背は緑、腹は赤だが。
「はぁ~らくらく」
歳相応に見えるシダクサを見て、ミーナが微笑み、自然とその頭を撫でてやる。ミーナ自身がその行為に一番驚いた。
「ぅー……」
シダクサは気持ち良さそうに唸って、すぐに寝息を立て始めた。
『ミーナ殿、そなたに頼みたいことがある』
「はい、何ですか?」
ミーナはオロチの突然の言葉に驚いてしまう。
『我はこの身体ゆえ、シダクサに温かみとやらを与えることはできない……村を滅ぼしたことについては我だけを恨んでくれ。そなたにはこの子に温かみを与え続けて欲しい、頼む』
「そんなこと当たり前です。わざわざ頼まれることじゃありませんよ。それに、村のことはもういいんです……盗賊みたいなことやってて、バチが当たったんですよ。私だって子供じゃありません、恨み続けたってどうしようもないことくらい分かってます」
『そなたは強いな。やはり人間は羨ましい』
「それはどういう……?」
『いや、忘れてくれ』
「はぁ」
この人間の娘は先ほど仲間を皆殺しにされたことを受け入れ、相手を恨まないと言う。対してオロチとシダクサは数千年前に殺されたことを恨み、これから復讐を遂げようとしている。
赦すことを知った人間と赦すことを知らない祟り神。ここにどれだけ大きな違いがあるだろううか。オロチはつくづく自分のあり方に苛立ちを覚える。
しかし、彼らは止まるわけにはいかないのだ。
彼らが祟り神である限り、永劫に。
ご意見・指摘等ございましたら、是非お願いします。
非常にややこしいことを言っている気がしてなりません><




