三十四話 夕日と共に
シダクサはアレンス王都の貴族向けの宿屋にいた。彼女は傾きかけた日を背に、大振りな椅子にちょこんと腰掛けている。その後ろにはミーナが控え、正面には帝国の調査団のメンバーが整列している。
「どうだった?」
「前アレンス王の呈した症状を引き起こす薬が、アレンス城内より見つかりました。その薬の瓶には一人の女中の指紋が付着しており、現在その人物は城を離れて故郷で暮らしています。また、同人物には多額の金が送金されていることが確認できました」
答えはすぐに返ってきた。
「正しくは、ということに仕組んできました、でしょ?」
シダクサの問いに、報告をした男は軽く頭を下げる。
「いいよ、悪くない仕事だね」
さて、とシダクサは椅子から立ち上がる。
「王城に行こう」
†
シダクサとミーナは帝国から支給された真紅の制服に着替え、同じような服を着た部下を引き連れ王城へ赴いた。
「開門を要求する」
シダクサが皇帝が発行した書状を掲げた、と言ってもちょうど大人の顔の位置だ。門番たちは一瞬混乱したが、指名手配されていた薬師シノブの登場に槍を構えて対応した。
「この方は帝国特認参謀官シダクサ様であるぞ! 諸王に並ぶ位の方に、このような狼藉許されるとお思いか?」
シダクサの連れた部下から声が上がる。
「し、しかし……!」
彼らも王から再三再四言われてきたことをそう簡単に覆せない。槍の穂先は上がっているが。
「ならば皇帝陛下直筆の書状ごと我らを貫かれるがいい」
「…………お通りください。ご無礼、謝罪いたします」
ややあって、門番がついに折れた。彼らは鐘を鳴らし、仰々しく城の門を開いた。
シダクサらが王城に踏み込むと、係の者が飛んできて、とりあえず大きな部屋に導かれた。
「ただいま謁見の準備を整えております、少々お待ちください」
「……言葉に気をつけ給え、王と彼女は対等の立場だ。謁見とは言わん」
女中の一言に、調査団から注意が飛ぶ。
「も、申し訳御座いません。ご面会の準備を急ぎ行います、失礼します」
彼女は慌てて部屋を出て行った。彼女の代わりにお茶を運び入れる者が数名入室し、その場でのお咎めは免れたと言える。
「ミーナ」
「はい」
お茶の係が全員居なくなったところで、シダクサが静かにミーナを呼んだ。
「レジスタンスを動かして」
「……今、ですか?」
突然の依頼に、ミーナは驚く。何故今か、彼女には推し量れなかったのだ。
「そう、今すぐに。早くしないと間に合わないかも」
「し、しかし、どうやって動かしましょうか?」
ミーナはレジスタンスの腰の重さを知っている。トップに脅しを掛けただけでは動かないのがレジスタンスだ。なぜなら彼らは多数の民衆であるからだ。それゆえ彼女は頭を悩ませる。
「こう言えばいいよ、『王は死んだ』」
なるほど、と彼女はシダクサの思惑を大まかに把握した。彼女は今から、ことを起こすのだ。
「――御意」
「出口はあっち」
シダクサはまたしても窓を指差した。ミーナはそれも承知の上と頷いた。
シダクサが投獄されたときも似たように指示が与えられていた。そのことを考慮すれば、今回もミーナが迷う必要などなかった。彼女はすぐさま窓から飛び出し、夕日に解ける真紅の服をはためかせながら町並みへ消えていく。
それにしても、高位の風の魔法師ならば簡単に窓から逃れられるなんて城として失格だと、ミーナは思った。
「申し訳御座いません、ご面会の準備に滞りがあり、今しばらくお時間を頂きたく存じます。その間、お食事などいかがでしょうか?」
ミーナの飛び出した窓をちょうど閉めたところで、女中が現れた。
「頂きましょうか」
「畏まりました……あの、お一人いらっしゃらないようですが?」
部下を十人ちかく連れてきたが、やはり気づかれるものだ。シダクサは心のうちで舌打ちをした。
「ああ、彼女ね。気に障る言葉を吐いたから殺してしまったわ」
シダクサはにやりと笑って言った。今まで彼女の頭の上でおとなしくしていたオロチが突如巨大化し、我が喰らったとアピールをした。
「ひ……! も、申し訳御座いませんでした」
女中は転がるようにして部屋を出て行った。どうもこの城の女中は逃げ足が速い。
†
「王が死んだと!?」
「ええ、私の主がしとめたわ」
ミーナはレジスタンスのアジトに走りこんでいた。
「すぐに貴族や騎士たちと戦いになると思う。皆に力を貸して欲しいの」
「……わかった、すぐに触れ回るんだ!」
「おう!」
「ようやくね」
レジスタンスのメンバーがすっかり出て行った部屋に、ミーナだけが残された。彼女は目を瞑り、長く息を吐き出してから、ゆっくりとその部屋を後にする。
ミーナの城に戻る道のりは、武器や農具を手にした人々と共にあった。どういう手段をつかったのか、王の死の情報が都中に走っていた。それを聞いた民は、ついに終わりを告げる王政に喜び、残りの貴族を打倒すべく立ち上がったのだ。
アレンスは長らく貧しい暮らしを強いられてきた。そこに起きた戦争。最初こそ順調な進軍の様子が伝えられ、人々は暮らしの向上を予感した。
しかし、彼らの生活は一向に変わらない。それもそのはず、戦争の利益は貴族が独占してしまったのだ。不満を持つ民衆。
そして、タールベルクの反撃による、進軍の停滞。徴兵された家族を心配し、また、兵糧のためと食料は街に出回らなくなる。不安と不満を募らせる民衆。
この間、アレンスの各地でレジスタンスのメンバーによる秘密集会が開かれていた。内容は市民が政治へ参加することのすばらしさを説いたものだ。それは人から人へと伝えられ、ひそやかに革命の炎がくすぶり始めた。
『王は死んだ』
何人の人がこの言葉を待ちわびただろうか。今、革命の炎は燃え上がる。ミーナは歴史が動き始めたことを肌で感じながら、民衆と共に城へと急いだ。
†
シダクサら帝国調査団はすっかりディナータイムとなっていた。
「…………」
「…………」
「…………」
形だけの上官であるシダクサと寄せ集めの部下たち、当然のように沈黙が場を支配する。シダクサが何者か知っているかは勿論、団内でお互いに面識がある者が居るかも怪しいところだ。
しかも場所は近い将来の敵国の城、毒を盛られても不思議はない状況で、正直気が気ではないのだ。それなのに食事をとるのはシダクサという圧倒的上位者の意思であるからに他ならない。
食事を断るべきと進言したくても、得体の知れないシダクサに申し立てを行うのは、それ自体が命取りになりそうでそれもできなかった。
それでこの状況だ。
「…………」
「…………」
「…………」
「あ、これ美味しい」
この晩餐では、二人につき一人の給仕が付くというとても丁寧な対応を受けており、シダクサにいたっては専属の給仕が付いている。一斉に皿が下げられ、二品目がサーブされる瞬間に、事は起こった。
給仕たちが一糸乱れぬ動きで、全員の首筋をナイフで掻き切ったのだ。
調査団の面々は皆一様に真紅の服の色をさらに深く染め上げた。ただしそれは自分のではなく隣に座る者の服を、だ。
唯一、何事も無かったかのように食事を続けるシダクサには、給仕たちが全員ナイフを手に殺気をむき出しにしている。彼女に専属で付いていた給仕は仕事を損じて喰われていた。
「あーあ、せめてデザートの後に殺してあげれば良いのに、可哀想」
シダクサはいまさらのように目の前の惨状を見渡して、誰にとも無く言った。
「オロチ様、私は先に行ってるから」
『わかった』
シダクサの一言を合図に、巨大化したオロチがシダクサと武装給仕との間に立ちふさがった。
シダクサは皿の上のものを平らげると、蛇の身体で部屋の壁を破って廊下へと出た。彼女はそのまま廊下で待機していた騎士たちを悉く捕食しながら王の居る部屋へと歩き出した。
「アレンス王国が朝日を浴びることは、もうない」
山の向こう側から空を不気味に染め上げている太陽を幻視し、シダクサが呟いた。