三十二話 シダクサと参謀官
シダクサの皇帝への謁見の翌日、シダクサは城の待女に案内させ、マルクの下へ向かった。今日のシダクサの頭の上にはオロチが居る。
「こちらです」
案内の者はそう言ってマルクの居る扉の前に立った。彼は今、自分の館ではなく、城に滞在をしている。
「ご苦労さま、自分で戻れるから待ってなくていい」
シダクサがそっけなく言うと、待女は一礼して去った。
「さて……」
シダクサは一息つくと、ノックもせずに扉を開けた。
「おやおや、シノブ殿ではありませんか」
元が諜報員であったためか気配に敏感なマルクはすぐにシダクサに気づいた。
「ミーナは?」
「先に館に返しております」
「そう」
「それで、どのような御用ですか?」
「貴方たち帝国の誘いに乗ってあげる」
「ほう……」
直接的なシダクサの言葉にマルクは目を細める。
「なぜそう思ったか、うかがっても?」
「何故って、そのほうが面白そうじゃない」
シダクサはそう言って深い笑みを浮かべた。
「皇帝が望むだけのものを私が与えてあげる。でも、一年。一年だけ協力してあげるよ。それでミーナを返してもらう」
「一年、それで足りますか?」
『我らをなんと心得る?』
オロチが不意に口を利いた。マルクは少し驚いたような顔を見せたが、既に聞き及んでいる範囲内であった。
「……いいでしょう。一年、存分に働いてもらいますよ。ですが私たちにそれ以降関わらないことも誓って頂きたい」
「断る、私は一年の後に皇帝を殺す」
シダクサは殺気をにじませながら言った。流石にマルクもこの発言には驚いた。
「……正気、ですか」
「勿論、そして私からの提案。貴方、次の皇帝になる気はない?」
長い沈黙が流れた。
†
シダクサはレオンと帝都で別れた。彼女は帝国が派遣したアレンスへの調査団の長に据えられ、アレンスへと赴いた。レオンはと言うと、はかばかしい成果を上げることも無く、タールベルクへと帰還するのであった。
「レオンには悪いことしちゃったね」
「そうですね」
シダクサに言葉を返したのはミーナだった。彼女はシダクサの初仕事であるアレンス攻略のためにシダクサが選んだのだ。もちろん、交渉につき例の石の詳細を言い当てるなどし、別段問題のないことを双方とも理解してでこと。因みにシダクサは謁見の間でミーナと目を合わせた時点で、彼女の置かれている状況を理解していた。
アレンスの王都が見えるほど近くなると、シダクサとミーナは調査団の馬車から降り、徒歩での移動手段をとった。
「証拠なんて見つからなくてもいい。うまくやりなさい」
シダクサは調査団の連中にそう言いつけ、馬車を見送った。ちなみに今の彼女は帝国の参謀官という役職につけられているため、その権力は皇帝に次ぐ将軍と同等である。
「さて、行こうか。レジスタンスへ」
ミーナがうなずき、シダクサの先導を始めた。
ミーナは王都の路地を縫っていき、何の変哲もない空き家の戸を開いた。ミーナはその家の地下室へとシダクサを連れていき、そこにあった空き樽を横にずらした。そこには、十分に人が通ることのできるほどの穴がぽっかりと空いている。
「ここです」
ミーナは先に自分が入って、アジトへと案内した。急な下り坂を背を屈めて行くと(シダクサは身を屈める必要がなかった)薄暗い部屋にでた。
「……戻りました」
ミーナが言うと、中に居たレジスタンスのメンバーが一斉に彼女に視線を向けた。
「久しぶりだな」
一人が嫌みっぽく言った。
「その子は?」
女性がミーナに尋ねた。
「この方こそ、我が主のシダクサノカミ様です」
一同はぎょっとした風であった。というのも彼女の頭の上に、先立って脅かされたオロチが居座っていたからでもある。
「こ、これはこれは。お目にかかれて光栄です」
一人が取り繕うように一言。けれどシダクサはいちいちそれに答えてやることはしない。
「それで、戦況は?」
ミーナもシダクサの意図をよんで単刀直入に尋ねる。
「最近ではタールベルクも意気込んで来た。不確定だが、帝国からの嫌疑が掛かっているとの噂も届いている」
「今しがた、調査団が入国したわ。それは事実よ」
ミーナは簡単ないきさつを語った。
「……では!」
「まぁまあ、ちょっと待って」
今にも戦いに参じそうな男を、シダクサがいさめた。
「そこの人?」
シダクサはあまり目立っていなかった男に声を掛けた。
「は――……」
彼が返事をすることはなかった。その前に、彼の上半身はシダクサの腹の中に納まったのだ。
「ひっ!」「うぅっ!」
仲間の理不尽な死に部屋の全員が恐れおののいた。それはミーナとて例外ではなかった。
「シ、シダクサ様……?」
「こいつ、アレンスの回し者よ」
シダクサは残りの半分を腹に収めながら、当たり前のように言った。
「……え?」
「まさか!」
「そんなはずは……」
「貴方たちも私の目は誤魔化せないってこと、覚えておいてね」
シダクサが告げると、全員が押し黙った。
「それと、私の指示があるまでは勝手な行動はしないこと。じゃ、またね」
シダクサはそれだけ言い残すと、踵を返してレジスタンスの下を後にした。後にはぽかんとしたメンバーだけが残された。
†
シダクサはレジスタンスのアジトを出ると、かつてつながれていた牢獄の方へと歩いていった。
「やっほー、ハンス。久しぶり」
シダクサは牢獄を外から覗き込み、格子の入った窓から看守に声を掛けた。気のない顔で突っ立っていたハンスは目を丸くして驚き、あたりをキョロキョロと見回し始めた。
「ど、どうしてこんなところに……もし見つかったら……」
ハンスはあたりに誰も居ないことを確認すると、シダクサの覗き込む小さな窓に近づいた。
「大丈夫。私、帝国のお抱えになったから。えーと、なんて言ったっけ?」
「帝国特認参謀官です」
「うん、それ。それになったの」
ミーナの補足も入れて説明をしたが、ハンスにはどうも理解が追いつかなかったようだ。
「そっか……え?」
「とにかくもう安全ってことだから、安心してね」
「わかった……って何で!?」
ようやく追いついたハンスが大きな声を出した。
「色々あってね」
シダクサはにこやかに返す。
「その一言で終わらせるつもりかい?」
「うん」
「……わかったよ。でも良かった、これでこの国もよくなるんだよね?」
「さぁ、そこは保障しかねるけど」
シダクサは思わせぶりに言う。ハンスはこれに何故、と疑問を口にした。
「当初の予定とは違うけど、この国は私が貰い受けるわ」
「また王政になるっていうのか!?」
ハンスはシダクサの言ったことに憤りを隠せなかった。彼らレジスタンスは王政から共和制へと移行することを目標として掲げているため、いくらシダクサとはいえ王に立たれるのは許せないのだ。
「そう、私が王になる」
「……本気かい?」
ハンスは鋭い目つきでシダクサを見た。
「ええ、私はあんまり嘘つかないよ。でも安心して。一年後にはここも共和制なり民主制なり好きにさせてあげるから。ちなみにお勧めは民主制ね」
「……待ってくれ、理解が追いつかない」
ハンスは頭を抱えた。
「理解しなくてもいいよ、私が見せてあげるから。しばらく待っていなさい」
シダクサはそう言って格子窓から離れる。
「待って!」
「ごめんね。私は儚い花ではないから」
シダクサは最後に微笑んでから牢獄を後にした。