三十話 スサノオ
シダクサはタールベルク正騎士数名に先導され、帝都の城へと足を踏み入れた。正騎士の一人が先に話を付けに行ったため、入城は滞りなく済んだ。
「ミーナがこの城の中に居る」
シダクサはレオンにだけ聞こえるよう、小声で言った。
「分かるのか。それで、今何をしている?」
「そこまでは。でも生きてる」
シダクサはほっとしたように微笑んだ。オロチがシダクサを見て目を細める。
「何よりだ。分かっているとは思うが……」
「大丈夫。ミーナには悪いけど、先にお仕事だね」
シダクサの笑みが急に黒い色を帯びたので、レオンは背筋がぞっとした。
†
「彼女、着ましたよ」
ミーナが軟禁されている部屋に、彼女を連れ去ってきたマルクが現れた。彼を迎えた彼女の表情は険しい。
「どうしたのですか、嬉しくありませんか?」
今にも笑い出しそうなマルクを、ミーナはきつく睨んだ。
「そんなに嫌わないでくださいよ、私は貴女に感謝しているんですよ?」
マルクがおどけて言う。
「私を捕らえたことで騎士から貴族の仲間入りが出来たから?」
ミーナが嘲るように返した。
マルクは一介の潜入員であったが、家こそ継げなかったが貴族の出であったため、今回の活躍で彼自身に爵位が与えられていたのだ。
もちろん指示を与えていたのは皇帝で、彼はマルクを含め、多数の潜入員にシダクサもしくはミーナの誘拐を命じていた。理由は勿論彼女の力が欲しいがためだ。
「ええ、そうですとも」
「私にはそんな喜びは分からないわ」
「わからなくても結構。各人の願いなんてそんなものだと理解しています」
「……用が済んだなら帰って」
おやおや、と言って、マルクは退出しようと踵を返した。
「あ、そうそう。明日の謁見には貴女も来て貰いますよ。そこで彼女を引き止めるのが貴女の役目です」
マルクはそういい残して、部屋を後にした。
†
「謁見は明日、ね」
シダクサは与えられた客間で呟いた。本当はすぐにでも用事を済ませたかったというのが本音だ。
「突然押しかけたのはこっちだ。明日でも早いほうだろう」
シダクサに謁見の日取りと手順を報告しに来ていたレオンが彼女の呟きを拾った。
「なんにせよ、ちょっと不可解なことがある」
シダクサは頬杖をついた。
『何だ?』
「ミーナは間違いなくこの城に居る。でも何で会いに来れない?」
『囚われているからではないのか?』
「ううん、それは違うみたい」
シダクサの感覚では、少なくとも牢につながれているような状態ではないとのことだ。
「何かの脅しでも受けているのかもしれないぞ」
レオンが口を挟んだ。
「脅しって言っても、ミーナは家族も物も何も持ってないんだよ?」
だから何がミーナの行動を縛っているのか分からない、とシダクサは言う。
「まさか心変わりしたとか……?」
レオンが自信なさげに言った。捨てきれない可能性ではあるが、考えにくいことだ。
『だとしたら、いまだにミーナが我らの恩恵を受けている説明がつかん』
しかしそれもオロチによって否定された。三人は何故かと思案する。
「ねぇ、レオン。人を操る魔法ってあり得る?」
暫く唸っていたシダクサが、問いかけた。
「聞いた事がないな。まずあり得ない。だが……」
「だが?」
「例の魔法を封じると言う石、それで魔力を封じられて軟禁されているのかもしれない」
「確かに、魔法が無ければミーナもちょっと強いだけの人間だものね」
それだったらわざわざ牢に入れるまでも無いかもしれない、と納得していく。
『ならばミーナの奪還も容易だろう』
オロチが言うと、シダクサも同意を示す。ミーナの魔力は封ぜられているのではなく、完全に制御されているなど、思いもよらない。
そうして、いざとなれば強制奪還も辞さないという考えが生まれた。
†
ところは皇帝の謁見の間手前である。シダクサとレオンだけが謁見を許され、二人は今、扉の前に立っている。当然彼らには武装はなく、魔力を乱す例の石のブレスレットも渡された。レオンは堂々とこれを出してきたことに面食らったが、わざわざこれが何かを問うてみた。
「こちらは魔封じの石です。万が一のためと、ご了承ください」
衛兵は惜しげもなく情報を明かし、その装着を迫った。
「なるほど。そのようなものができたのですね。始めて見ました」
レオンは興味津々と色々な角度からブレスレットを眺めた。
「古来より、魔法は奪えぬ刃でした。これは実に画期的な発明ですよ」
「まったくですね。因みにこちらの品は出回っていますか」
「いえ、まだ実験段階ですので。正式に魔術具として登録されましたら、タールベルク王室にもお渡しするつもりです」
「そうですか、楽しみです」
レオンは社交辞令的な笑顔で言い、ブレスレットを腕にはめた。するとカチッと音がして外れなくなる。
「謁見が終わりましたら、こちらでお外しいたしますので、ご安心を」
一瞬怪訝な表情をみせたレオンに対し、衛兵は温和な笑顔で答えた。レオンもそれに倣って、やはり笑顔の対応を見せる。こうやっている分にはレオンもレアも大差ないな、とシダクサは思った。
「では、扉を開けます。くれぐれも失礼のないよう、お願いしますね」
片づけをするのは私たちですから、と衛兵。レオンは顔を引きつらせ、隣で欠伸をしているシダクサを見た。
「頼むぞ」
「ふぁ~ぁ……ん?」
なになに? と好奇心を覗かせるシダクサは子供にしか見えない。そんな様子に衛兵が密かに和んでいた。彼はわざわざシダクサが落ち着くのを待ってから、扉に手をかけた。
「お進みください」
レオンとシダクサは顔を見合わせてから、謁見の間に足を踏み入れた。レオンは入った瞬間に、広いな、と素直に思った。彼が全力で走っても十秒以上は掛かるであろう奥行きがあり、その向こうの玉座に皇帝と思しき人がいる。
ふたりは左右に並ぶ帝国の臣下たちに眺められながら、ひたすらに歩いた。この際、二人は皇帝の顔を見ることも許されない。
ようやく玉座の近くまでやってきた二人は、肩膝を突いて臣下の礼をとる。
「表を上げよ」
皇帝の静かな声が響き、二人は皇帝の顔を見た。彼は四十ばかりの壮年な男性であった。髪は黒く、ぎょろりとした目が印象的だ。
レオンはふと、シダクサが息を呑む気配を感じた。
「……あは、こんなところに二人とも」
シダクサの視線の先には、皇帝その人と、美しく着飾ったミーナがいた。
レオンは遅れてミーナの存在に気が付いたが、今は隣のシダクサがどんな人より美しく、残酷な表情を浮かべているのに思考を奪われていた。