二十六話 どちらも敵陣
ようやく森を抜けることができた。
森の中を真っ直ぐ歩くということは意外に難しく、シダクサらは大きな円を描いて遠回りをしていたようだ。おかげでずいぶんと時間を食ってしまった。しかし、そんな些細なことはどうでもいい、と思える事態が今起こっている。
森を抜けたら、戦場の真っ只中だった。
両軍は二キロ程度の間を空けて布陣しており、まだ戦いは始まっていない。それ故まだ静かであり、シダクサらが気づかなかった要因だ。森の出口はそれぞれから一キロ離れた場所に位置しており、このままでは戦始めの魔法合戦で巻き込まれる危険性が大であると言える。
「これはこれは……両軍あわせて、ざっと二十五万ってところかな?」
シダクサは背伸びをして両軍を眺めた。ミーナの顔色は真っ青だ。
「引き返しますか?」
ミーナは是非そうしましょう、という目でシダクサに言った。
「ううん。このままタールベルクの陣に行く」
「……ほ、本気ですか」
ミーナがぎょっとした表情で言った。
「うん」
「はぁ……分かりましたよ」
苦労人はため息が良く似合う。
シダクサを先頭、ミーナがその一歩後ろを堂々と草原を歩く。オロチはシダクサの頭に乗っかり、周囲を警戒している。
「これ、撃たれませんか?」
ミーナはいつ魔法が飛んでくるかと戦々恐々としている。腕のいい魔法師ともなると、一キロくらいまでなら魔法を飛ばせるのだ。
「大丈夫。たぶん」
「多分ですか」
なんら根拠の無い発言にミーナは呆れた。
『安心しろ、我が背後は受け持つ』
「はい……」
神は死の概念が薄いので困る、とミーナは心のうちで愚痴た。
三人は僅かなことで均衡が崩れてしまいそうな緊張感のもと、声がぎりぎり届く距離までタールベルクの陣に近づいた。
「止まれ!」
タールベルクの陣から声が聞こえた。シダクサらはその指示に従い、立ち止まる。
「アレンスの者か?!」
「違う!」
ミーナがシダクサに変わって声を張り上げた。距離があるのでお互いに叫ぶ。
「では何者か、名乗れ!」
「我が主の名はシノブ、奇跡の薬師シノブと言えば分かるだろう!」
彼女の言葉に、タールベルクの兵がざわついた。シダクサはタールベルクにとっては勝手に戦争を引き起こした悪の象徴のようになっているので無理も無い。
「その罪人が何の用だ!」
「違う、これはアレンスの陰謀だ! 我々はそれを証言しにアレンスから脱獄してきた! 貴国に保護を要請する!」
返事はなかなか返ってこなかった。
「貴女方の処遇は我々では決定しかねる! だが、身柄は預からせてもらう! それでよいか!」
ミーナはシダクサの方を見た。シダクサが頷いたので、
「構わない!」
と答えた。
すぐに二十人ばかりの兵が陣から出てきて、シダクサらを囲んだ。剣や槍こそ向けられないが、殺気の篭った視線がシダクサには向けられた。
「では、ご同行を」
†
「貴女がシノブ殿か……」
一行はこの陣での最高責任者であるビンツ将軍の天幕に居た。屈強な騎士たちに取り囲まれているものの、彼女らには手錠もなにも施されていない。オロチに至っては小さいので害にならないと無視されている始末だ。
「貴方はタールベルク防衛の英雄ビンツ将軍でしょうか?」
シダクサが話の掴みにビンツの素性を言い当てた。勿論事前に知っていたわけではなく、眼の力による。
「はは、英雄とな。それは大袈裟だが、私はビンツで間違いない」
ビンツ将軍も社交辞令的に切り返した。
「ご謙遜を。そのような人物に出会えるとは光栄です」
シダクサもシダクサで、うんざりするくらい丁寧な礼をして見せる。
「まぁ……挨拶はいい。言いたいことを言ってくれ」
ビンツ将軍はあご髭を撫でながら言った。
「では……。私を至急城へ連れて行ってください。タールベルク王室から帝国へ申し立てを行っていただきます。ああ、因みに貴方がたに拒否権はありません」
シダクサは取ってつけたような笑みを浮かべていた。あまりの物言いに監視としてつけられた兵たちが殺気を強くした。
「ほう。よほど腕に自信があるのかな?」
ビンツはシダクサとは対照的に、温和な笑みを浮かべて言った。この笑顔だけを見ると、どこにでも居る普通の老人のようだ。
「私は大して腕は立ちませんが、強い連れは居ります」
「それは後ろの彼女のことか、それともその頭の上の可愛らしい魔獣の子かな?」
笑顔のままビンツ将軍が尋ねる。が、その目だけは鋭い。
「どちらも、と言いたいところではありますが、貴方の言うところの可愛らしい魔獣の方です。正直に申し上げますと、これはタールベルクを滅ぼすことさえできるでしょう」
シダクサはオロチを頭から下ろして、両腕で正面に抱いた。
「私にはとてもそのようには見えないが? そんなことが出来るのは今は封ぜられた神々だけだ」
「ビンツ将軍。私は封ぜられた神々のことは存じ上げませんが、彼はその神と同等の力を持っていると言っているのですが?」
ビンツはシダクサの目をじっと見た。そして、
「……ならばその証拠に今対峙しているアレンス軍を屠って頂きたい」
と、言外にできないだろう? と言った。
『思い上がるな、人間』
不意に声を上げたのはオロチ。彼は突然、天幕を中を埋め尽くさんばかりに巨大化し、その首の一つをビンツ将軍ごと椅子に巻きつけた。これによって警護の兵たちは動くに動けなくなってしまったが、まだ剣の柄に手をかけているあたりは良く訓練されている。
『祟り神である我らに向かって命令とはいい気なものだ。我は今非常に機嫌が悪い。これで貴様らの敗北は決まったようなものだ。安心しろ、二十万対五万の戦力差がありながら貴様らが敗北を喫することで我らの力の証明としてやろう。我らの力を直に見られることを誇りに思え』
オロチはビンツを食らわんとばかりに大口を開けてまくし立てた。
「も、申し訳なかった。どうか……どうか怒りを納めてくださらないか」
ビンツ将軍は恐怖を懸命に押し込めて、上手く回らない舌を必死に動かした。
『我らにとって良いことを重ねれば、先の無礼も許されるというものだ。相応な対応を考えるんだな』
オロチは捨て台詞を吐き、シダクサに行くぞと促した。
「そういうこと。じゃ、決まったら声をかけて。私はそこらへんに居るから」
オロチがもとの大きさに戻り、シダクサの頭の上に帰ると、彼女は礼もせずにビンツ将軍の下を去った。シダクサについて行ったのはミーナだけで、監視役の兵たちは誰一人として動き出せなかった。
†
「シダクサ様、確認したいことがあります」
ミーナがシダクサに半歩近づいて尋ねた。
「なに?」
「シダクサ様は薬師シノブの名誉を回復することが目的ですか?」
ミーナの第一目標だったシダクサの救出は既に達成されたので、彼女にとってこの戦争は大きな意味を失っていたのだ。
「最初はそうだったけど、面白いこと思いついちゃった」
シダクサは何か企んでいる表情を見せた。
「アレンスは私が貰い受けるよ」
「……本気ですか?」
「二回目だよ、それ」
シダクサはくすくすと笑った。
「ミーナがレジスタンスで暗躍してくれたおかげで下地はもう出来てる。後はタイミングよく革命に参加するだけ。ね、簡単でしょ?」
「はぁ……」
『我らも打倒スサノオという目的がある。この戦争は予想外ではあったが、起きてしまったことは仕様がなかろう。我らはそれさえ利用してやるだけだ。だが、もしミーナが嫌なら付き合うことはない』
オロチはどこか申し訳なさそうな声色で言った。
「いえ。どこまでもお供しますよ。私の居場所はシダクサ様とオロチ様のお傍ですから」
『なら良い……だが覚えておけ、我等も永遠ではない。そなたが一人取り残される可能性も視野に入れておけ』
「……はい」
ミーナは少し表情を曇らせながら、返事をした。
それからすぐに、一人の使いの兵が彼女らの下にやってくる。