二十四話 背水のタールベルク
開戦から三週間ごろ、アレンスの二勝目、三勝目の知らせが届いた。現在行われている四戦目もタールベルクが防戦一方だという。
「どういうことだ……!」
タールベルクは決して弱い国ではない。そしてアレンスは決して強い国ではない。それが三連勝、偶然もいいところだ。レジスタンスの面々は、予想を大きく逸脱した戦況に焦りさえ感じている。
「今代のオスヴァルト王は優秀というわけか」
「三連勝をいいことに、増税とは恐れ入るわよ。民も乗り気だし、これじゃあ私たちが悪役ね」
最近ではレジスタンスはすっかり鳴りを潜めている。ただでさえ薄暗いアジトもいっそう暗く感じるというものだ。
「オスヴァルトは油断ならない。きっと何かカラクリがあるはずだ」
「しかし戦争にカラクリもなにも……」
「王城に潜り込んでいるヤツからは何も上がっていないか?」
「まったく。異常なしとのことだ」
「どうなってるんだ……」
それぞれ頭を抱えたくなるような現状だ。そんな中、ミーナは腕組みをしてじっと思案していた。
「……あ」
ミーナが思いついたように声を上げた。何かと、数人が彼女を振り返る。
「どうした?」
「(これは祟りなんだわ。オロチ様とシダクサ様は仮のとは言え居場所を追われた。その祟りがこの結果を生んでいるのだとしたら、タールベルクはこの戦争に勝てない。お二人はきっと無意識にそうしてしまっているのね……なら……)私が、主と共にタールベルクに行きます」
ミーナは席を立って、部屋中に響く声で言った。
「……正気か? お前の主人はタールベルクでもお尋ね者なんだぞ?」
「承知しています。ですが、私たちが行かなければタールベルクは滅んでしまいます」
「何をバカな……。お前の主人がどんな力を持っていても所詮一人の人間にすぎない」
幹部の一人が、なにを言い出すのやら、と呆れた様子で呟いた。
「バカなこととは何事ですか! 彼女は祟り神、それも強力な力を持っている神です!」
ミーナは憤慨して叫んだ。
「世迷言だ! そんなことを言っても現状は変わらんぞ、現実を見ろ!」
「でたらめじゃない! 普通の人間が飲まず食わずで三週間も持つはずないでしょ!」
「魔法があれば可能だ!」
「ええい、やかましい! 落ち着かんか!」
それまで静かにしていた中年の男が声を張り上げ、二人は言い合いをやめた。彼はここの取りまとめ役をやっている男だ。
「それでミーナ、君の主張によれば彼女は神であると?」
「はい」
「さきほど言ったこと以外に証拠はないかね」
「……こちらを」
ミーナは背負っていた袋から木の籠を取り出した。その中にはトカゲほどに小さくなったオロチが入っており、ミーナは彼をテーブルの上に解き放つ。
「それは?」
「彼女の夫である、もう一柱の祟り神、ヤマタノオロチ様です」
ミーナの紹介と共に、オロチが天井に頭が届くほどに巨大化した。ミーナを除く全員が恐れおののき、中には椅子から転げ落ちるものも居た。
『我がヤマタノオロチだ。シダクサ――シノブが我が妻であることを証言してやろう』
オロチが地の底から響いてくるような声で部屋のものに告げる。
「これで信じていただけますか?」
ミーナはシダクサの表情を真似て、少しだけ笑みを浮かべた。
「……う、うむ。信じよう」
ようやくオロチやシダクサが神であることが認められ、本来の話し合いに戻ることが出来た。けれどオロチは小さくならずにミーナの背後で睨みを利かせているため、部屋の中は者は気が気ではない。
「それで、タールベルクに行って二柱の祟りを解けばタールベルクは息を吹き返すのだな?」
「そのはずです」
「そうすれば我々が動きやすくなる、か」
「そのことですが、プランの変更を提案します」
ミーナが言うと、全員が彼女に注目した。
「まず、私たちが直接タールベルクに赴き、タールベルク王室の誤解を解きます。それからタールベルク王室から皇帝にアレンス王室の不正を訴えさせます。すると帝国がアレンス王室を除名、同時に国民への告知が行われるはずです。そのときにレジスタンスの主導で革命を起こし、政権を奪い返す。これが新たな筋書きです」
「ふむ……前回よりも確実なプランだな」
幹部たちも頷く。
「しかし、シダクサ様はどうやって奪還するんだ?」
「私とオロチ様でやります。ハンス君を明後日の新月の晩に呼び出してください。打ち合わせの後日に奪還、そのままタールベルクに向かいます」
「了解した」
会議はミーナやオロチの意のままの決定が行われて、お開きとなった。幹部たちは一刻も早くオロチの目の届かぬところに行きたいのか、解散の宣言の直後に蜘蛛の子を散らすように去って行った。
「……シダクサ様、もうすぐです」
ミーナはオロチ以外誰もいなくなった部屋で一人、強く拳を握った。
†
ところ変わってタールベルクの城。
「なぜこうもアレンスにしてやられるか……」
参謀本部では一度ならず二度、三度の敗北に頭を抱えていた。
「さきほどまで交戦中だったバイルケ辺境伯領はアレンスに占領されたとの報告が入りました」
「くそっ、またか!」
「何故、負けた?」
オスカーが静かな声で言った。
「一戦目は魔法師の火力不足、二戦目は進軍中の天候不順による兵の疲弊、三戦目は橋が落ち兵糧の多くを流失してしまったことなどが上げられます。いずれも単純な兵の数ではこちらが大きく上回っていました」
「なんとも情けない……。ビンツ将軍、次の戦は貴方に率いてもらいたい歴戦の将である貴方に任せればこのようなことも起きないだろう」
「承知」
ビンツという初老にさしかかる男が了解の意を表した。彼は先の大戦で活躍した将軍で、タールベルクを守った英雄でもある。現在は頂点の座こそ退いたが、いまだに現役の軍人である。
†
タールベルク軍はビンツ将軍を頭に、押され始めた国境線に向かって進軍している。兵力はざっと二十万。いままでの醜態を返上するためにも、圧倒的な勝利を我が物にしようという魂胆だ。
「将軍閣下、防衛隊が戦闘に入ったとの報告が入りました」
「戦況は?」
「それはまだあがっていません。戦闘が行われている地はまだ遠いのですから」
「まったく……中央に軍を集めすぎだ」
ビンツ将軍は、到着のころには戦いが終わっているのだろうと当たりをつけた。
「進軍を急ぎますか?」
「いいや。目的地を変える」
ビンツ将軍は地図を広げ、ある地点を指し示した。
「……ここですか?」
副官が戸惑いを見せる。ビンツが示した場所は道もない草原や森の広がる地だったのだ。
「奴らはここから中央を目指してくると踏んでいる。この町への攻撃は陽動だろう」
ビンツ将軍は現在交戦中という町を表している点をトントンと指で叩いた。
「この町には兵一万だけを向かわせよう。敵兵力は一万に満たないという。それで十分だ」
「分かりました……。しかし、そこへ向かうとなると、進軍はぐっと遅くなりますが?」
「構わん。向こうも同じ条件だ。すぐさま軍の向きを変えろ」
「ははっ!」
「見ておれ、アレンスの虫ども……」
老獪な将軍は、静かに炎を燃やしていた。