二十二話 ミーナの暗躍
宣戦布告は一週間前に行われたが、今まで両国の軍が衝突することは無かった。タールベルクはシダクサのせいで一時的に財力が心もとなくなっており、アレンスはもともと国力が疲弊していたため、思うように兵も集まらないのが原因だ。両国とも防衛の準備だけで精一杯なのだ。
一方、囚われのシダクサ。
彼女は今、城から少し離れたところにある牢獄に移されていた。彼女は片腕を鎖に繋がれておいるのだが、じめじめと高い湿度のせいで鉄の表面が湿っぽい。
「まだ言う気はないと?」
看守がシダクサの牢の前に立つ男に尋ねる。
アレンス国はシダクサにタールベルク国からの差し金だという証言を強要している。国民感情が思わしくないアレンスでは、憎しみの象徴を作り出したいのだ。
一度、シダクサは民衆の前に引きずり出されたのだが、“何も分かっていない幼さの残る少女”を演じたシダクサに憎しみを向ける者は少なく、むしろ国の上層部に不信感を募らせる結果に終わったという事態があった。
それもあって、国はシダクサ自身に国民の前で罪を認めさせたいらしい。彼女は現在、絶食一週間だが、まるで堪えていない。水さえ与えていないのにどうして、と看守たちには不気味がられている。シダクサはオロチと繋がっているため、オロチの方で食事にありつければ問題ないし、神は人より丈夫なので一年くらい絶食してもなんとかなるのだ。
「ねぇ、オスヴァルトが怪しいと思わない?」
シダクサはずっとこんな調子で看守に話しかけている。
「私、はじめの薬を待女の人に任せたんだけど、彼女、オスヴァルト付きだったんだよ。それに二つ目の薬の検査を指示したのも彼」
「…………」
看守は話してはいけないという決まりだ。
「あ、そういえば、貴方は初めてここに来たんだね、ハンスさん」
「……なんで名前を」
驚いた若い看守――ハンスは思わず声を発した。
「前の人が言ってた。次に来るのはハンスっていうヤツで、結構気がいいんだって」
もちろん嘘である。前の見張り役は彼の上司に当たる人で、その人が話していけないという決まりを破っていたという風に思わせたことで、彼の口は緩くなる。
「お互い暇でしょ? 話すくらい許されるよ」
シダクサは笑顔を見せる。
「そ、そうかな」
†
「今、戦争はどうなってるの?」
シダクサは一応気を使って、小声で話す。看守のハンスと話すのはすっかり日課になっていた。
「まだ本格的な戦いにはなっていないよ。どっちの国も本当は戦争なんて出来る状態じゃないんだ」
「そんな状態で宣戦布告するなんてね」
「そうだね……あ、いや」
つい乗せられて王を批判してしまったハンスは、口を押さえ、キョロキョロと辺りを見回した。
「王様批判しちゃったね」
シダクサはくすくすと笑う。
「な、内緒にしてくれよ?」
「いいよ。話してもいいことないし」
「助かるよ……」
一安心したハンスはため息をついた。
「でも当然か、貴方レジスタンスだもんね」
シダクサが一層声を潜めて言った。ハンスはそれを聞いて、身体を強張らせた。
「……どこでそれを」
「まぁまぁ。王国に囚われている私と、王国に反旗を翻す貴方は味方同士でしょ?」
「それはそうだけど……何が目的?」
「あは、話が早いね。ミーナっていう子がそっちにいると思う。彼女に会ったら革命の始めは牢獄からって伝えて。まぁ、貴方がそう働きかけてくれてもいいんだけど」
「つまり早く助けろと?」
「それもあるけどね。そっちのほうが盛り上がるんだよ、革命って」
フランスのことなど知る由もないハンスは、ただ首を傾げるのだった。
†
一方ミーナは、シダクサの予想通りレジスタンスに身を投じていた。彼らは戦争に乗じて城を占拠、早々に和平の成立させることが目的だ。その際に共和制の樹立も目指している。
レジスタンスは薬師シノブについては殆ど特別な感情を持っていない。彼らにとってシダクサは戦争をもたらした張本人だが、革命の機会を与えてくれた人物でもある。しかもその素性は不明ときている。
ミーナはレジスタンスの上層部に薬師シノブの身に起こった不幸について語った。そこに至るまでに何度も彼女が剣を抜いたのだが、そこは割愛する。
「それで、その薬師の少女を助けることで、私たちにとってどんな利益がある?」
革命において、たったひとりの少女を救出するほどの余裕はない。それが可能なのは、その人物がよほどの影響力を持っている場合に限る。
「第一に強力な戦力となることです。最近、バント男爵領が自治町として成立したのをご存知ですか? あれは彼女とその使役魔獣とだけで行ったものです。そしてその使役魔獣を私が預かっています。彼女が戻れば、その強力な力を思うままに扱えるのです」
敢えてミーナはオロチを見せないで説明をする。巨大化する魔獣などはいないのだ。
「ほぅ……」
彼女の前に並ぶレジスタンスの幹部たちが興味を示した。
「第二に、革命における正義のシンボルとなります。王族に陥れられた少女を救いに、虐げられてきた人民が手を差し伸べ悪しき王族を打ち倒す。美しい話ではありませんか」
ミーナが大袈裟な身振りで説得する。幹部の数人が頷くのが見える。
「しかし、それほどの力をもっていながら、何故捕まってしまったのだ?」
幹部の一人が疑問を口にした。
「これは私の予想ですが、彼女ははめられた事を知っても逃げることを選ばなかったのは、この国のためだと思うのです」
幹部はじっとミーナを見た。試すように。
「彼女が逃げてしまっても、この国は戦争を起こし、そして皆さんが終結させていたでしょう。ですから逃げてしまっても彼女はそれでよかった、いえ、そのほうが良かったのです。しかし、彼女は逃げなかったために今苦しんでいます。これには何か理由があると思うのは当然です」
ミーナはその通りと思われることを取り敢えず並べた。
「だとしたらその理由とは何か。それは戦後のことではないでしょうか。この国は帝国に従属の形式を取っていますね。その規約には、理由のない革命を禁じるというものがあります。今、生活が苦しい中で戦争をしていることは知っています。けれど、非人道的な政策が実施されているわけでもなく、戦争は正当なものと認められている以上、それが確たる革命の理由となるかは不透明です。ですから、革命の成功後に帝国に潰される危険を孕んでいるのです」
レジスタンスの幹部たちは、自分たちの革命を否定されたことに憤りを見せた。けれどミーナはそれに意に介さず話を続ける。
「そこで造られた罪人、薬師シノブの出番です。同じく帝国の規約に、勝手な侵略戦争はできないというものが存在します。現在、書類上は正当な戦争となっていますが、彼女の発言や城のひとりふたりの証言でそれは覆ります。そうなると戦争は正当なものではなくなり、国民は王族に騙されたという大義名分のもと堂々と革命を行えるのです。彼女はそのためにわざわざ捕まったのでしょう」
ミーナが言い切ると、幹部たちは隣の者と盛んに意見を交わし始めた。ややあって、
「その話に乗ろう」
ミーナと幹部の一人が、固い握手を交わした。
†
シダクサがハンスに、こう質問された。なぜ男爵家を滅ぼせるだけの力を持っているのに、わざわざ牢にまで連れてこられたのか、と。
「だって、あのまま逃げたら汚名を着せられたままでしょ。せっかく良い評判を手に入れたんだから、残って名誉挽回したかったんだよ」
この同時刻、レジスタンスのアジトでミーナが美しいシダクサ像を語って説得をしていたなど、知る由も無いシダクサだった。