十六話 さらなる工作
シダクサは部屋に篭っていた。窓に雨粒が打ちつけられ、ぱたぱたと音がしている。彼女は窓際の机に両肘をついて、ぼんやり外を眺めていた。
「レオン、怒るかなぁ」
レアとの密約は知識の変わりに報酬を要求するだけというものだが、シダクサはその前段階として王子の治療の目的で城へ来ている。つまりレアとの密約のために病床に臥せっていた王子を利用したとも言えるし、事実、城で何かしらの策略を巡らせる気満々であった。
つまりレアとの密約が露見すると、シダクサは国家犯罪者にでもなりかねない。それをレオンの怒りにしか焦点を当てない彼女は大物なのだろう。
『彼は実直な騎士だ。レアは文句を言わないだろうが、レオンハルトは違う』
「だよね」
シダクサは深いため息をついた。
『レオンハルトは近頃何かをかぎまわっているようであったが、このことだったとはな』
「ほんと。ミーナに付きっ切りで教えてくれていればいいのにね」
もちろんレオンの行動を阻害するためにミーナを騎士のもとにやったのではないのだが、あわよくば程度には考えていたことだ。
「もうひとアクション……もう一つ何か大きな出来事がないといけない。やっぱり王位から遠い第三王子ではいまいち。そもそも王子の病気が公表されているわけでもなかった」
噂では確かに王子は病気と言われていたが、噂は噂。噂のことを解決した噂なんかには信憑性もない。
『一度嗅ぎ付けられたら早い。時間がないな』
「急がなきゃ」
シダクサはすっと立ち上がり、部屋を後にした。
シダクサは第三王子フェルディナントの部屋を訪れた。これは治療を施した薬師としての訪問だ。レアがシダクサに同行しており、警備の騎士も同室している。
「近頃のご調子はいかがですか?」
「信じられないくらい調子がいいです。これもシノブさんのおかげです」
フェルディナントは満面の笑みで答えた。シダクサは彼が自分に好意を向けていることを知っていた。命の恩人ともなれば当然だし、彼はシダクサと一番歳の近い王子なのだ。
「それはなによりです。しかし、ずっと病の床に臥していらしたのですから、体力が落ちていることと思いますが?」
「ええ、そうですね。少し疲れるのが早くなった」
「それでしたら、まず歩き回ることです。今日はあいにくの天気ですが、明日にもなれば晴れ間も覗くでしょう。城の庭では少し窮屈かもしれませんが……」
窮屈と言われるほど城の庭は狭くはない。これはシダクサの策で、彼にとって見飽きた庭にマイナスイメージを植え付ける言葉だ。
「そうですね。そうだ、久々に城下を回ってみるのもよいでしょう」
「殿下、それはお疲れになられるのではないでしょうか」
「なに、心配いりませんよ」
好きな子に心配されると、つい見栄を張って大丈夫と言ってしまうものだ。シダクサはそうですか、と言いながら心のうちでほくそ笑んだ。
「ですが殿下の御身の安全を考えると……」
「大丈夫、昔はアーベル兄様とよく城を抜け出したものです。兄様は剣をお修めになっていて、一般の兵よりもお強いのです。彼に声をかけてみましょう、きっと彼にとってもいい息抜きになると思う」
シダクサはこの思い出をお茶会のときに垣間見たことがあった。だからこそアーベルを引き出すための言葉を投げかけたのだ。
「我らも離れたところから警護いたします」
「あぁ、迷惑をかけます」
部屋にいた王子つきの騎士に、フェルディナントは申し訳なさそうに言った。
「それでしたら安心です。それではお気をつけて。もし具合が悪くならなれたら、すぐにお戻りください」
「折角です、シノブさんも一緒に来ませんか?」
「王子殿下とご同行など、恐れ多いです」
「いいのです、それと分からない格好でいくのですから、そのときは私たちは同じ町人ですよ」
フェルディナントはそう言ってにっこり笑いかけた。
「それでは、謹んでご一緒させていただきます」
†
城門の内に、目立たない格好をした第一王子アーベルと第三王子フェルディナントがいた。シダクサもそれに倣った服装で門のところに足を運んだ。
「遅くなりました」
シダクサは頭を下げながら言った。王子はその言葉で彼女の登場に気がついた。
「なに、時間通りだ」
アーベルが気にするなと声をかけ、フェルディナントもそれにうなずいて見せた。
「では行きましょうか。王子と行っても王都は詳しいです、シノブさんを案内しましょう」
王子たちとシダクサは並んで通りを歩いていた。アーベルはシダクサを好いているフェルディナントに気を使ってか、フェルディナントが中央になる並びだ。
「シノブさんは王都をどう思いますか?」
フェルディナントは、出店でにぎわう通りを見渡しながら尋ねた。
「そうですね、表通りは活気があって良い都に見えます」
シダクサは、表通りは、を強調して答えた。
「そうでしょう、ここは他国からも人の訪れる場所なんですよ。僕が小さな頃、全身を白い布で覆った行商人や、みたこともない綺麗な宝石を額に埋め込んだ人も見たことがあります」
フェルディナントはシダクサの意図を掴めずに思い出を語りだした。
「……殿下、あちらの通りは何があるのですか?」
二人の王子に次々と華やかな王都の様子を話されて、やがてウンザリしてしまったシダクサが裏通りを指さして言った。
「ああ、そっちは騎士たちが行ってはいけないとよく言っていたな」
「そうそう、何もないからつまらないでしょうと」
二人の王子は小さい頃からの刷り込みで裏通りには近づこうとしない。
「行ってみませんか?」
「しかし……こうも暗いとな」
アーベルは暗いところが苦手らしい。
「いいじゃないですか、新しい発見があるかもしれませんよ?」
シダクサは主にフェルディナントに向かって笑いかけた。
「行ってみましょうか、アーベル兄様」
「……仕様がないな」
裏通り、というよりは路地裏だった。光も建物の隙間からわずかに差し込むだけで、昼なのに薄暗い。
しばらく歩くと、じめじめとした場所に出て、イヤな臭いが少しした。
「子供が……」
シダクサは壁にもたれ掛かった子供を見つけた。顔色が悪く、ほとんど反応がない。
「っ……流行り病にかかったのだ。シノブ殿は近づいてはならないぞ」
アーベルがシノブを後ろに押し退けて、自分が子供の前にしゃがんだ。
「今、歳のいかない者に病が流行っているとは聞いていたが……。だめだ、この子はもう助かりそうにない……」
「そんな……」
フェルディナントは自分もつい先日まで病床についていたため、ショックを隠しきれない。
「アーベル殿下、あちらに」
シダクサは煤けた小さな建物を指さした。アーベルが近づいて中を覗いてみると、やはり子供たちが病に臥せっていた。
「……ひどいな。シノブ殿、厚かましいとは分かっているのだが、ひとつお願いがある」
アーベルはゆっくりとシダクサに向き合った。
「なんでしょう?」
「フェルを助けてくれたときに使った薬を、すこし分けてくれないだろうか。この流行り病に効く薬はまだ見つかっていないのだそうだ」
アーベルは少し熱の篭った声でシダクサに頼み込んだ。
「わかりました、喜んで差し上げましょう。そうですね……すぐに用意できるのは二百人分です」
「二百! 二百もの命を救えるのか」
アーベル王子は本当に嬉しそうに言う。しかし、シダクサの表情はそれと正反対ともいえる。アーベルには子供たちが元気に駆け回る姿しか浮かんでいないのだ。
「殿下、二百人の命の危機を“一度だけ”救えるのです。何故、子供だけが病に掛かっているかご存知ですか、それもこのように貧しい子だけが。
彼らは満足な食事にありつけない上に身体が未発達であるから、病に抵抗する元気がないのです。病が一度治っても、それは完全な救済にならないことをお忘れなきよう。
けれど完全な救済を与えることのできるのもまた貴方様です。そのためにも、よき為政者におなりなさいませ、アーベル第一王子殿下」
「あ、ああ……」
アーベルは思わぬ説教に面食らった様子だ。
「では私は早速準備に取り掛かりますので、一足先に城へ戻らせていただきます。薬は使用法も含め医師レアに渡しておきますので、準備が出来次第そちらから殿下にお伝えします。アーベル殿下、フェルディナント殿下のお体に障りの無いくらいで城にお戻りくださるようお願いします。では、失礼します」
「ああ、感謝する」
去り行くシノブの背に、アーベルが投げかけた。シダクサは口元を歪めた。
シダクサは城の自室に戻ると、鍵をかけてカーテンも引き、外界から部屋を引き離した。ミーナは一応と、扉の外に立って見張りとなる。
『どうした?』
部屋に待たせていたオロチがシダクサに尋ねた。
「ごめん、オロチ様。また鱗を貰っていい?」
『今度は何をするつもりだ?』
「第一王子が宣伝塔になってくれたよ。市民に薬を配布することで、名を広められる。これで他国にも話を持って行けるようになるかもしれないわ」
王子の頼みもシダクサにとってはこのくらいの意味でしかない。彼女が無償で何かをするなんてことのほうが可笑しい。
『ふむ、それは上手いことできたな。たしかにこの国はもう用済みだが、そういう利用方法があったとはな』
「うん、第三王子も助けたし、相乗効果間違いなし」
シダクサが笑みを浮かべた。オロチも満足そうだ。
『よかろう。鍵とカーテンは我に大きくなれということだな』
「そうだよ、お願いね」
『承知した』
次の瞬間、オロチは部屋いっぱいまで巨体化した。シダクサはあらかじめ部屋の隅に移動していたため、潰されることはなかった。
「どこから取っていい?」
『左から三本目の頭の右後ろ、そろそろ古くなっている』
「はいはいー」
シダクサは部屋に広がったオロチの身体を踏み分けて指定された場所までたどり着くと、べりべりと乾燥した鱗をはがしていく。大きくなったオロチの鱗は、ミニオロチの鱗の百倍以上の面積がある。これで簡単に薬が量産できる、そう踏んでいたこの頃だった。