十五話 レオンの疑念
本日、シダクサはミーナの騎士修行に同行することで時間を潰すことにした。オロチは彼女の頭の上ではなく、部屋で留守番だ。オロチはたらふく食べることができないので昼寝が多くなっていた。
ミーナが訓練に混ざってから、シダクサは遠慮がちに壁伝いに訓練場を回っていった。彼女はちょうど試合を終えたレオンが汗をぬぐっているのを見つけた。シダクサは彼に気づかれないように抜き足差し足で近づく。
「レ・オ・ン・く・ん」
シダクサは精一杯背伸びをしてレオンの耳元で――は無理だったので片腕を掴んで囁いた。
「シノブか……何の用だ」
レオンは少し不機嫌そうな声だ。シダクサは満面の笑顔だが。
「試合だよ、他流試合」
「誰と?」
「私とに決まってるじゃない」
「お前、戦えるのか?」
レオンが意外そうに言う。シダクサがいくら神と言っても体格は子供のそれに近い。それに彼には眼の魔力のことしか話していないので、彼の疑問はもっともだ。
「風の魔法師っていう設定で戦えるよ」
「なんだよ、設定って」
「見た目だけなら似せられるってこと。私はヤマタノオロチならぬヒトマタノオロチの身体を持ってるから、結構強いよ」
「へ、変身でもするのか?」
レオンはそれはいろいろと不味い、と焦った。
「ううん。見えない身体があるんだよ」
詳しく言うと、シダクサが埋め込まれるようにして大蛇の頭と尻尾がそれぞれ伸びているのだ。それらは彼女から離れることはできないので、シダクサを中心、頭や尻尾を半径とする円が攻撃範囲となる。現象を見ると念動力に区分できるが、見えないだけで実際にそこにあるという点で微妙に異なる能力だ。
「……ずるくないか、それ?」
「えへへ」
「勘弁してくれよ……」
そう言いつつも剣を手にするレオンハルト。壊されることを予想したのか、愛剣を使わずに備品を使用するようだ。
「周りに迷惑かけるなよ」
訓練場は十メートル四方で区切られており、一で二組の騎士が戦うのが通例だ。レオンは今回、十メートル四方を独占する。
「はいはいー」
シダクサはいい暇つぶしを見つけてご機嫌だ。二人は試合場に入っていくのだが、シダクサは相変わらずの和洋混合ドレスなため銀鎧のレオンと向かい合う様子は違和感がある。
「準備は?」
とレオン。二人の間には三四メートルほどの間合いがある。
「いつでもどうぞ」
と余裕のシダクサ。最近覚えたドレスの端をつまむお辞儀をしてみせた。
レオンは急に雰囲気を変えて殺気を放った。シダクサは微笑みは絶やさないが、目だけが真剣なものになった。
レオンは下手な魔法を使うより、という考えなのか魔法を使わないで、じりじりと間合いを詰めてくる。シダクサは大蛇の口もとをレオンの背後に持ってきて、パクパクとさせた。本当はいつでも倒せるのだがそれではつまらないので泳がせておく。
「ほら、上」
シダクサが視線と声でレオンに注意を促す。しかし次の瞬間、レオンは足を見えない何かに払われてバランスを崩した。
「くっ……!」
レオンはいかにも文句を言いたげだったが、シダクサは愉快そうに笑んだ。
「ほら、次こそ上だよ」
シダクサは今度こそ宣言どおりに頭上から大蛇の胴を振り下ろした。蛇の身体の大きさは当たっても死なない程度に調整されている。
レオンはシダクサの言葉からの判断を放棄し、風を切る音から頭上からの攻撃だと見抜いた。彼は剣を上方に払い攻撃を逸らした。これが風の魔法でも、剣の達人ならその剣技だけで風を逸らすことができるのだ。お互いにつじつまを合わせながらの戦いを進める。
「こちらからいくぞ!」
防戦一方だったレオンが叫ぶと、彼は剣をシダクサに向けた。しかし二人の間合いは剣の間合いではない。
シダクサは何か来ると確信して、尾を自分の身体に巻きつけて防御をした。それが正解だとすぐにわかった。レオンの剣は床の石を吸収しながら一直線に伸びたのだ。
その剣はシダクサの手前で阻まれたが、二撃目が鞭のようにしなってきたので対処に困る。予測不能な攻撃を不用意に受けてしまうと鱗の隙間に傷ができ、血が出てしまう。そうなると誤魔化しが効かなくなってしまう。
「次だ、気をつけろ!」
レオンは剣を元の状態に戻して、それを床に突き立てた。
シダクサは嫌な予感がして一歩右に移動した。すると彼女が立っていたところへ槍のようなものが突き出てきた。怪我をしないよう穂先は球になっているが、当たれば打撲は免れないだろう。ずっと尾で身を守っていれば良いように思われるが、蛇の身体は大きい分エネルギーを大量に消費するので、人間相応にしか食べていない今のシダクサには非常にだるい仕事だ。
「レオンだって結構ずるい技使うじゃん……」
シダクサは次々と生えてくる石の槍をかわしながら愚痴た。彼女の周りに蛇の身体が無かったら数秒も持ちそうに無い。
「ああもう……ふっとんじゃえ」
ついに業を煮やしたシダクサが蛇の頭を横薙ぎに払った。
レオンは剣を前方にかざして防御の姿勢をとったが、人間が受け止めきれる力でもなく、彼はシダクサの宣言どおり吹き飛んだ。この際、彼の剣が小枝のようにぽっきりと折れた。
「うおぅ!」
「とどめ、エアハンマー」
シダクサは増えてきたギャラリーに言い訳をするように技名を口にした。実際には大蛇がレオンにのしかかるだけの力技で、技巧もへったくれもない。
「はっ!」
レオンは倒れた体勢から飛び起き、さっと横とびに避けた。シダクサはかわされるとは思っていなかったため、少し驚いた。
「掛かったな! ここまでだ!」
レオンは槍を五本、シダクサの目の前方を塞ぐように設置して勝利を宣言した。シダクサが理解を示していないようだったので、彼は周りを見ろ、と言った。
「あー……なるほど」
シダクサが見たのは、自分の背後を半球状にぐるりと巡らされた、針山のような槍の群れだった。彼女の前方の槍を入れると、すでに逃げ道が無い。
レオンがあのまま前方の槍を伸ばしていればシダクサは回避のために斜め後ろに避けただろうが、そこにも槍が待ち受けていたのだ。
「さすが副団長さん、降参するわ」
シダクサはため息をつきながら言った。勝敗が決すると、周囲から健闘を讃える拍手が起こった。レオンはそんな彼らに、ちゃんと練習をしていろ、と檄を飛ばした。
周りが訓練を再開し始めたのを見計らって、レオンがシダクサに話しかけた。
「あれが本気ではないよな」
「さて、どうでしょう」
「人目があったからだろう?」
レオンがレアのように確信をもって聞いてきた。こういうところは二人は似ていなくも無い。
「まぁ、威力を落としていたのはお互い様だからね。レオンは強いよ。私くらいなら本当に倒せるかもね」
「そこまで思い上がっちゃいないさ。試合開始に感じた悪寒はなんだったのだろうな?」
レオンが意地悪く尋ねた。レアが居る……とシダクサは思った。
「レオンって本当は鋭いのかな?」
「なんだ、本当はって」
レオンが憤慨した。
「まぁ、勝ちは勝ち、喜びなさい。なんなら何か望みを叶えてあげましょうか」
笑みを浮かべながら、シダクサが持ちかけた。
「なら、レアとの密約について教えて欲しい」
レオンは声を潜めて、シダクサをまっすぐ見据えた。シダクサの顔からは、一気に表情が抜け落ちた。
「……そんなの、つまんない」
シダクサはぷいっと顔を背けて、そのまま訓練場から立ち去った。