十二話 茶番
王子に薬が投与されて二日目、彼の容態に変化があった。
『ようやくか。我は息が詰まる思いだったぞ』
「ごめんね、オロチ様」
「やはり興味深い……」
最後の言葉はレアのものだ。彼女にはオロチの正体も話してある。彼女はいち研究者として不死身のオロチに大いなる好奇心を向けている。
『そなたの視線は少々快くないのだが……』
オロチはレアに見つめられると実験動物にでもなったようで気分が悪いらしい。
「申し訳ない。つい血が騒いだ、お許しを」
レアはオロチにはそれなりの敬意を払う。理由をこっそり聞いたところ、単純に蛇が苦手らしい。
「さて、王陛下、王妃陛下並びに王子殿下がお待ちです。私がご案内いたしましょう」
儀式を前にレアは少々堅い言葉を使い、芝居がかった恭しさで礼をした。
†
ところ変わって王の謁見の間。シダクサはレアとレオンの間に挟まれて王の前にいた。王妃と例の王子もそのそばに居る。王子は病気が嘘であったかのように元気そうだ。部屋の両側には臣下がずらりと並んでおり、略式とは程遠い謁見だと分かる。
「ご機嫌麗しゅう王陛下、王妃陛下、王子殿下。私シノブと申す冒険者にございます。お目にかかれ、光栄の至極にございます」
「顔を見せてくれぬか」
許可を得てシノブが王と目を合わせた。物事を円滑に進めるために形式ばかりの礼儀はしっかりとするものだ。
「この度、我が子の命を救ってくれて感謝する」
シダクサが頭を完全に上げたのを見計らい、王が頭を下げた。それに倣い、臣下も等しくシダクサに頭を下げる。シダクサは、王は今、王としてではなく一人の父親の顔をしている、そう思った。
「私もよろしいですか」
王の後ろに控えていた王子が発言の是非を問い、王がそれを許可した。
「シノブ殿、私が今こうしていられるのは貴女のおかげです。ありがとう、心から感謝する」
「皆様、頭をお上げください。それにお礼はこの子に」
シダクサは悪戯っぽく笑い、頭の上のオロチを腕に抱えた。これには王も王子もきょとんとした顔をした。隣に控えているレアに至っては、ここでそれを言うか、と笑いを必死に堪えている。
「ははは、確かにそうだな。その魔獣の子にも感謝せねば。しかしシノブ殿が見いだしてくれたのだ、その感謝ということで受け取ってくれぬか」
「はい、ありがたく頂戴いたします」
「後に褒美を与えたいと思う、何か望みはあるか?」
「私はしがない冒険者ですので、物や地位には関心を持てない心の貧しい者です。ですから、私には気持ちばかりの報奨金で結構でございます」
気持ちばかりの、を強調してシダクサが答えた。
「わかった、そのように手配する。しかし味気のないことだ、もう一つくらい言ってもバチはあたらないと思うが?」
「まったく仰るとおりです。ではお言葉に甘えて、暫く食客として城に滞在することを希望いたします。庶民の夢ということで、叶えていただけないでしょうか?」
「ふふ、欲のないことだ。よいだろう、好きなだけ居るといい」
「有難う御座います、陛下」
「なに、足りないくらいだ。本当にご苦労であった」
「いえ、殿下の為とあれば喜んで」
シダクサは無難に締めて、謁見の間を退出した。
「レアって凄いねぇ。王様、本当に打ち合わせ通り喋ってくれた」
謁見の間を離れるとシダクサが言った。
「ふ、なに、城の医者というのはすなわち王族の命の恩人だからな」
「レアもなかなかだね」
黒い笑みを浮かべる二人。レオンは聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、二人から目をそらした。
レアはシダクサから医学を学ぶために、どうしてもシダクサの公式な滞在許可が欲しかった。彼女は、王一人なら考えを話せばすむが、臣下を交えるとそうもいかないと踏んでいた。先ほどの謁見ひとつを取ってみても、臣下のなかには王が頭を下げたからと、渋々と頭を下げるものが多数いた。本当にお前が治したのかとか、お前が居なくとも殿下は治ったに違いないだろうとかだ。
そこでレアは王に根回しをし、資金をシダクサに流すことについても了解を得て今回の謁見に臨んだ。つまり謁見は臣下に対する発表の場であって、当の王とシダクサにとっては茶番の舞台に過ぎなかった。
ところで、シダクサの目的は王がスサノオでないかの確認である。先ほどオロチが見たところ、またもやハズレとでたそうだ。世界に何人もいるという王から探し出すのも骨が折れることだ。
「さて、レオン。お前、シノブに言うことがあるだろう」
レアがレオンに向き合った。
「う……。シノブ殿、その……すまなかった。それと殿下のご病気を治したこと、感謝する」
レオンがシダクサに対して深く頭を下げた。
「いいよ、それが仕事だったんだからね」
シダクサはあっさりと許す、というかもともと悪いことをされたという認識がない。そもそも彼女は許すことはしないのだから。
「そう言ってくれると助かる」
「いいよ、レオン君」
「……なぜ君?」
以前にもシダクサにレオン君と呼ばれたことがあったが、それはふざけた場面でだけだと高をくくっていたところへのレオン君だった。
「かわいいから?」
沈黙するレオン。シダクサは、ねー、とレアに同意を求め、レアは力強く頷いた。
「……真面目に謝った俺はバカだったのか?」
†
「お帰りミーナ、それともいらっしゃいかな?」
謁見の後、城から使いを遣らせてミーナを呼び寄せていた。ミーナは帰りの為に馬車に乗ってきていた。
「シノブ様、無事でしたか?」
ミーナは人前なのでシダクサをシノブと呼んだ。
「ええ、王子殿下もすっかりよくなられたわ」
「それはなによりですね」
ミーナは笑顔で言った。
「……というわけなの」
とシダクサ。彼女は今までミーナに城での出来事をかいつまんで説明をしていた。窓からは真っ赤な夕日が差し込んできている。
「はぁ……それはまた……」
ミーナは途中からやや放心気味になって聞いていた。部屋には関係者のレアとおまけにレオンも居る。
『ミーナ、暫くは城だ。その間は好きにしていて構わんのだぞ』
とオロチが言う。まさかオロチがしゃべると思っていなかったレオンはひっくり返りそうになった。
「ま、魔獣がしゃべった!?」
『騒がしいぞ、小僧』
オロチの半分が頭がレオンに向いた。
「またしゃべった!」
「落ち着け、バカめ」
レアは剣の柄に手を伸ばしているレオンの頭を思いっきりひっ叩き、強制的に落ち着かせた。
「まぁ自己紹介もなしだったな、オロチ様から頼めるだろうか?」
レアが仕切り、自己紹介が始まった。
『よかろう。まず我は魔獣なぞではない。祟り神のヤマタノオロチだ』
「改めましてレオン君、私はオロチ様と同じ祟り神のシダクサノカミだよ」
「私はお二方の従者のミーナ、人間です」
「私はレア、この城の医者をやっている」
「……俺は……いや、私はこの国の正騎士団副団長レオンハルトと申します」
レオンは態度を改める必要を感じて言い直した。それでも信じられないと言う風に目をぱちくりとさせている。
「信じられないよねー」
レオンの様子を見てシダクサが言う。ミーナのときは圧倒的な力を見せ付けた後のことだったし、レアは感情を排除して論理と好奇心だけで生きているような特殊な人間だ。普通の人間であるレオンから簡単に信じられるとはシダクサも思っていない。
「いえ、神がまだ残っていらしたとは……」
「別に敬語でなくてもいいよ、前のほうがかわいいし」
「……からかわないでください」
レオンは恐縮した風に言う、この中では一番身体が大きいのにずいぶん小さく見える。
「レア」
シダクサがレアの名を呼ぶと、彼女は了解した、と頷いて、
「ほら、神がそう仰せだ。お前が逆らえるとでも思うのか?」
とレオンの耳元で囁いた。
「う……」
「正直にどうぞ。私らとしても、中途半端に信じられるくらいなら殺してしまったほうがいい」
シダクサが脅しをかける。レオンは身体が僅かに強張るのを感じた。
「正直、俄かには信じられない。何か決定的な証拠となるものはないだろうか?」
『我が見せてやろうか』
「ダメだよ、オロチ様がもとの姿に戻ったら城が崩れちゃう」
『む、そうか』
しぶしぶと引き下がるオロチ。それはシダクサ以外には洒落にならない事態だ。
「じゃあ……」
シダクサは少々迷ったが、レオンの正面にやってきて、じっと彼の目を見つめた。シダクサがあんまりにも見つめるものだから、レオンはやや顔を赤くして目を逸らした。
「あは、恥ずかしがってる」
くすくすと笑うシダクサとレアを見て、オロチが呆れてため息をついた。
「大抵の神っていうのは人の嘘が見破れたりするんだよね。もちろんできない神もいるんだけど、私たちはその真逆で、比喩でなく本当に心に穴が開くほど覗けちゃうんだ」
さっきまで自分が何をされていたかが分かり、レオンの顔がさっと青くなった。
「それで、昨日のレオン君の行動を読んだんだけど……昨日の晩はポテトとキャロットが付け合せの豚のステーキを食べたね?」
「……そうだ」
「そして一人で食べていると、同僚(女)がやって来て……」
「ほぉ」
レアがジト目でレオンを見た。
「『今日はレアさんは一緒じゃないんですか?』って」
「…………確かに言われたな」
「それで?」
レアは楽しんでいるようだ。
「『いつになったら副団長は……「待て!」
レオンが片手をびしっとシダクサの前に持ってきて話を遮った。
「これだとそいつに話を聞いたら分かることだ。別のは無いのか」
「じゃあ……レオン君は寝る前に砂糖漬けのお菓子をつまみましたね」
今度はシダクサがびしっとレオンを指差した。
「レオン、昨日もう無いとか言っていたくせに……」
レアは恨めしそうな目でレオンを睨んだ。
「あ、いや、あれはだな。隠れていたのを見つけて……」
「どうなんだ、シノブ」
「ふふふ……有罪」
「あ、てめぇっ!」
「ククク、そうかそうか。レオン、ちょっと向こうでお話しようか」
この日の夕刻、城ではカラスの声に混じって何かの啼き声が聞こえただとかなんとか。