エマズワース村、西の森にて1
この世界の馬の速度に付いて、言及させて欲しい。
エマズワース村から領都グエンディスまで、馬車で三日から四日は掛かる。僕が経験したのは、それよりも少しゆっくりした旅程の五日だった。
まあそんなものなんだろう、とその時は思った。僕は乗馬の経験も馬車の経験もないので、比べる対象がないからだ。早いのか遅いのかもよくわかっていない。
だから、今回は本当に驚いた。馬車だと時間が掛かるという理由で馬で駆けることになった今回は、僕は若様の後ろに、イザベラ様はイアンの後ろに乗せて貰うことになったのだ。
その、馬の脚の速さと言ったら。
「なんか……これが、グレイアム領産の馬の実力なのかあ、って感じだなあ……」
「あー……実はまだ速度を出せるんだよなあ。トーゴと師団長がいるし、これでもちょっと速度落としてた」
「嘘でしょ……?」
馬は周囲を鉄の塊で覆っているわけではないので、体感速度的には自動車よりも早く感じた。それでもスピードを落としてくれていただなんて、この世界の馬はどうなっているんだろう。
それでも、所詮は馬だ。途中で馬の休憩も必要だし、生身の人間が乗っているのだからこちらの負担も大きい。若様やイアンやゲイルは鍛えているだろうけれど、僕はひょろっとしているしイザベラ様だって決して筋骨隆々ではない。疲労は物凄くある。
けれど、急がなければならない理由がある。
僕はその場にいなかったから、どういったシチュエーションだったのかは知らない。はっきりとしていることは、塚原さんがいなくなった、ということ。
若様とイアン、それからイザベラ様と塚原さんの侍女のブランシュさんと騎士のウェスリーさんが、その瞬間をしっかりと目撃したらしい。皆さん曰く、最初は神様に呼ばれたのだと思った、とのこと。しばらくしたら戻って来るのだと思っていたようだ。
どういうことなのか僕はよくわからないけれど、塚原さんは若様とよく神様に呼ばれて姿を消すことがあったらしい。神様と実際対面して会話をしてから元の場所に戻されるらしく、安心安全のなんちゃって誘拐劇なのだとか。
それが今回はどうだ。夕食の時間を迎えても、過ぎても、待てど暮らせど塚原さんは神様に帰して貰えなかった。神様ではない他のなにかが塚原さんを攫った可能性も考えたらしいけれど、イザベラ様曰く、魔力の流れは見たことも感じたこともあるものだった、とのこと。その時の状況も、いつもと同じくヨボヨボとした白い球体が突然現れてのことだったので、警戒はあれど結局は同じだろうと疑うことはなかったらしいのだ。
確かに塚原さんと再会したその日は本当にいろいろとあった日だったけれど、そういう締めくくりを迎えるとは思わなかった。
若様の様子は、見ていて痛々しいほどだった。心を通わせている婚約者が攫われたんだ、心境ならば察することはできる。自分の大切な人が同じような目に合っているのだとしたら、僕だって嘆き悲しむだろう。しかも犯人は若様の顔見知りである神様の可能性が高いということで、余計に複雑な思いをされているに違いない。
眠れない夜を一晩越え、早朝に一人でふらりと発とうとする若様に喝を入れたのは、お父上である領主様だった。
「なにをしておる。お前は次期辺境伯領主であり、【勇者】であろう。周囲をよく見ろ。それでもお前は独りで行くつもりか」
イアンもすでに準備は整えていた。イザベラ様も、寝坊したつもりはないよ、と仮眠明けでまだ意識がはっきりしないのか小さく欠伸をしながらも発言した。
僕は……僕も、準備はできていた。なんの役にも立たないかもしれないけれど、僕と竜が関係しているのかもしれないからだ。その可能性は否定できず、動かないという選択肢はない。
荷物はきちんとまとめていたし、服装も動きやすい物を選んで着ている。仮眠も少しだけ取ったし、僕の護衛をしているゲイルとも相談済みだ。
そんな僕たちを認識した若様は、申し訳なさそうに笑った。
「すまない。……俺一人でどうこうできる問題でもない。まずは、その竜が生まれたというエマズワース村の西の森に向かいたい。イアン、マージェニー師団長、それからアオヤギ殿。手を貸してくれ。ゲイル、お前もだ。アオヤギ殿の護衛を頼む」
若様の言葉に、応じないわけがない。
僕たちは領都グエンディスからエマズワース村まで馬で駆けることになった。竜が示した、自身の生まれた場所というのがエマズワース村の西の森だったからだ。
奇しくも、僕が竜によってこの世界に招かれて倒れていた場所でもある。ついでに僕の調査もできるので、一石二鳥とはこのことか。
そんなわけで僕は、グレイアム領産の馬の速度に何度も恐怖を覚えることになった。
「すまないが今日中に着きたい。あと少しだから辛抱してくれないか」
「は……はい、わかりました」
「私は構わないよ」
「ゲイルは? イケそう?」
「……なんとか付いて行きます」
二人乗りじゃないだけマシだけど、ゲイルでもこの移動方法は厳しいらしい。体感一時間くらい馬で走って十五分くらいの休憩と昼休憩を挟んでいたとはいえ、若くても鍛えていても疲れるものは疲れる。それと比べると、やっぱり若様やイアンはすごいってことなのかな。
あと、グレイアム領産の馬は体力がすごい。書簡のやり取りやこういった緊急時の時に重宝されるらしいけれど、魔物が比較的多く国境警備にも当たっている辺境伯領だからこそ生まれた品種なんだろう。今、この時にも役に立っているので、本当にありがたい存在だ。
「……ってことは、ウェスリーが王都に着くのは明日か明後日くらいか」
ウェスリーさんは別便で、王都の方へと向かっている。奥さんのブランシュさんを連れて、塚原さんがいなくなった件を報せに行っているんだ。
塚原さんがいなくなったことは、秘密裏にするべきことのようで、そうではない。せめて塚原さんのお義兄さんで若様たち王国騎士団の団長である方と、この国の王太子殿下には伝えておいた方がいいだろうという判断だ。そこからどうするのかはお義兄さんと王太子殿下がお決めになることで、僕たちはなるべく大事にならないように少数精鋭で先に動く。それが若様が下した判断だった。
「そろそろ行くぞ」
若様の言葉に、各々が動き始める。僕は羽を休めている内に眠ってしまったらしい竜をゆすり起こすと、ひょいと抱えて若様の所へと向かった。
「……随分と大人しくなったな」
「そうですね。よく眠ってるし……どこか悪いのかと思えばきちんと馬の速度に付いてくるから、心配するほどでもないんでしょうが」
『……ふん。騒いでも疲れるだけじゃ。妾とて、無尽蔵に体力があるわけではない。それに、眠るのは其方のためでもある』
「んん? よくわからないけど、確かに飛び回りっぱなしなのも大変だろうからね」
腕からすり抜けた竜は、羽をパタパタとさせながらも宙に浮いた。それを見て溜息を吐いた若様は、軽い動きで馬に乗る。次は僕が若様の後ろに乗る番なんだけれど、これがなかなか大変で、ちょっと時間が掛かってしまう。見兼ねた竜が毎回手助けしてくれるんだけど、途中からじゃなくて最初から助けて欲しい。首根っこを咥えられて宙に浮くのもそろそろ慣れてきたから、是非そうして欲しい。
『まったく、世話のかかる奴じゃ』
「……はい、お世話になりっぱなしです」
しっかりと馬に乗って若様にしがみ付くと、ゆっくりと馬が歩き出す。
さて、あと少しだ。
せめてもう少し穏やかな気持ちでエマズワース村に帰って来たかったな、という思いはある。けれど出立した時は叶うかわからなかった再訪を、心のどこかで嬉しく思う気持ちも持っている。そんな思いを抱えながらも、塚原さんのことでなにか手掛かりになるようなことを必ず掴まなきゃ、と改めて決意した。
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