絢子、攫われる。4
――そう、思っていた時が私にもありました。
いいや、まずは聞いてください。誰かに喋ってるわけじゃないけど、つまりは脳内整理させてくださいってこと。
私は朝食を食べ終え、食休めをしてからベッドにある本を手に取った。どれも十五年前のヴィンスさんとドウェインさんが魔竜を屠った物語で、中にはプレスタン王国の王太子妃で私のお友達のティフ様から戴いた本もある。その中から、適当に一冊を選んで読み始めた。
その本は他と比べたらどれよりも簡素で、他が凝ったごてごての装飾入りのハードカバーならこの本はつるっとしたソフトカバー。手に取りやすいから、無意識で選んだのかもしれない。
読み進めれば、私は首を傾げることになる。以前読んだ、ティフ様から戴いた本とは内容が違ったからだ。
表現や話の流れが違うのは、著者が違えばそうなるだろう。けれど、この本は根本から違う。
「王国の騎士と魔導師がいて、二人が修行しているところに世間を賑わせている魔竜が襲来。それを二人で力を合わせて屠ることに成功した……というのが、話の大体の流れ。でもこれは……」
まず、神の存在が出てくる。神が聖女を選ぼうとしたところ、勇者が選ばれてしまった。勇者は自身と共に戦ってくれる人物を選び、魔竜と対峙することになる。
「まるで、エル様から聞いた私とヴィンスさん、ドウェインさんの真実だ」
本来なら聖女認定されていた私が招かれて世界の危機をどうにかするところに、ヴィンスさんの英雄の種が育ちすぎて勇者に昇格。そのヴィンスさんがドウェインさんを無意識に選び、魔竜を屠った。
――そして。
「魔竜の方の記載もある。星の渡り人に添うために神から零れた聖獣は、神の闇を吸収してしまい、魔竜へと堕ちた……」
私は一度、本を閉じた。大きく深呼吸を何度かして、再び本を開いて読み直す。しかし、読み直しても内容は同じである。更にまだ読んでいない先を読めば、ベッドにゴロンと転がるより他できなかった。
「神はしばらく休むべきだ、とも書いてあった……物語というよりは報告書に近い物だ、これは……」
魔竜側のことなんて、人々には知り得ないことだ。ヴィンスさんとドウェインさんが魔竜を屠ったという事実しか、この世界の人々は知らない。それなのにこの詳しさに加え神のことも言及している。
「……じゃあ、本当はエル様の補佐役的な人が存在していた、ってこと? エル様はポンコツになっちゃってるから、それを忘れていて……」
そうでなきゃ、あのポンコツなエル様がこの詳し過ぎる本を書いたことになる。
申し訳ないが、エル様はこんなものを書き残しておくような方じゃない、と勝手なイメージを持っている。だから第三者の存在を疑うけれど、他に神と呼べる存在はないともエル様は言っていた。
本当に? エル様はポンコツだから、忘れているだけなんじゃないの? だとしたら、エル様本人と星の渡り人の私以外に異質な存在と言えば……
――一つ、ゾクリとする考えを持ってしまった。
「いや……いやいやいや、そんなはずは……だって、私が元いた世界でちゃんと社会人をしていて、且つチェーン店のいち店舗の店長を任されていて、奥さんとお子さんもいらっしゃるし……」
事実、だろうか。私が思い込んでいただけで、本当はそんな事実はなかったのではないのか。私とは逆で、こちらからあちらに転移して帰れなくなったから、職を探し家庭を持ち、生きていたのではないか。
そして、この世界でのことを忘れているのなら。
私はベッドから勢いよく起き上がる。そのままの勢いで扉を開けて部屋の外に出ると、絵画のような空に向かって叫んだ。
「エル様! 私の思考は読んでいたでしょう?! ちょっとお話させてください!!」
神様イコール空の上、というイメージがあるからつい空に叫んだけれど、本当はどこに向かって叫んでもよかったのだろう。部屋の中から叫んだとしても、エル様には私の声が聞こえたはずだ。
けれど、私の声にエル様は応じない。なんの反応もないまま、私は恐怖と不安とで涙腺が緩んだ。
少し滲んだ涙を拭いながらも、私は人差し指と親指をこんにちはさせる。
「お話させてくれないなら、今度姿を現した時に問答無用でありとあらゆるところを抓って捻じって千切ります……!」
「それはやめてくれないか。本当に痛いんだ」
「エル様のバカぁーー!」
目の前に突然エル様が現れる。それほど私の親指と人差し指の威力が怖いんだろう。我ながらいい武器を持ったなと思う。超近接技なのがネックだけれど。
勢いでとりあえずひと抓りを素早く実行すると、エル様はいつも通りに痛い痛いと騒ぐ。その様子にほっとしながらも、私は今度は拳をドンとエル様の胸の辺りに叩きつけた。アラフォーなオバサンの一撃だもの、決して強くはないのでエル様もよろけたりすることはなった。
「馬鹿とは心外だね。わたしがなにをしたと言うんだ」
「呼びかけには早く応じてください! 心臓潰れるかと思ったし、今も心拍数がすごいです!」
「……あと、泣きそうだね。もう泣いているかな?」
「まだ泣いてません」
嘘だ。ちょっと涙が零れた。
「ああハイハイ。それで? わたしになにを訊きたいの?」
強がってもエル様には心を読まれてしまうので、適当にあしらわれてしまった。くそ、このカンジのエル様ならいつものノリで行ける気がする。
用心のために親指と人差し指をスタンバイさせると、私は一つ大きく深呼吸をした。
「お訊ねします。以前、エル様はご自身以外に神はいないと仰っていましたね? 同等の存在もない、と」
「――言ったね」
誰だ、このカンジのエル様ならいつものノリで行けるとか言ったヤツ。――私だよ。
明らかに、空気が変わった。肌を刺すようなピリピリした空気の中、私はそれでも言葉を紡ぐ。そうしなければ、先へは進めないような気がして。
「聖獣はその範囲じゃないんですよね? エル様の分身だから、カウントしないんですね?」
「……そうだよ。元はわたしだから、仲間とかではないよ」
「では。……その聖獣がこの世界に招いた、青柳桐吾さんは? 彼は、本当はエル様のお仲間なのではないんですか?」
私の問いに、エル様からスッと表情が消えた。
「どうしてそう思ったの」
かつてないくらいの威圧感だ。エル様からは聞いたこともない低い低い声が私に問うが、そう威圧されては声も出なければ震えも止まらない。私の様子をエル様が気付いてくれるわけもなく、口をパクパクさせながらも震えるしかできなかった。
でも、である。でも、エル様ならば私の思考を読める。ちゃんと口に出して会話した方が楽しい、とは仰っていたけれど、思考を勝手に読むことをやめることはないだろう。神様としては必要な時もあるだろうし。
そしてさらに、しかし、である。しかし、私が言葉を口にしなくとも思考を読めるはずのエル様は、どうして私からの言葉を引き出そうとするのだろう。いつも通りに勝手に読めば、そう威圧的に問わずとも知ることはできるのに。
試しに、不敬を覚悟で心の中で罵倒してみようか。そう考えているところで普通なら止めに入ったりするだろうけれど、やはりエル様は表情一つ変えない。ただ威圧して、私の言葉を待っている。
「……失礼ながら、エル様ならば私の思考を読めるので、言葉を待たなくても疑問の答えを知ることはできるのでは?」
一瞬、驚いた表情をして見せた。すぐに取って付けたような笑顔を見せたエル様は、私の腕を掴んで強引に部屋の中へと引っ張る。
これはやばい。なにをされるかわからない。殺される? 襲われる? エル様が? 怖い。いやだ。助けてヴィンスさん……!
ベッドに放り投げられたと思ったら、とても大きな音が響いた。ガラガラと建物が崩れるようなそんな酷い音は、明らかに部屋の外が崩れている音だった。
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