絢子、攫われる。2
勢い付けて、扉を開ける。音にビックリしたからと、期待した気持ちがあったからだ。
「……まあ、ですよねー。そんな気はしてました」
扉の向こう側は、暗闇でした。
ガッカリしながらも、もう一度この扉を閉めて開けたら違う景色が見られるんじゃないかと思い、実行する。けれど期待したようなことは起こらず、やはり扉の向こう側は暗闇のままだった。
私はその場にしゃがみ、うーん、と頭を抱える。
「ただ暗いってわけじゃないし、ただただ暗闇でなにもない……のに、なにか壊れるような音が聞こえたってことは、もしかして部屋の中でなにかが壊れたってこと? でも、側じゃなくて遠くから聞こえてきたし……」
考えてたって、なにも解決しない。けれど私には、このなにもない暗闇の中をさまよい歩く勇気はない。不思議とこの暗闇でもはっきりと自分自身を視認できるけれど、周辺は本当になにも見えないのだ。
ということは、部屋に留まる方が吉、である。結局はなにも解決しなさそうだけれど、動くよりも待っていた方が、アチラから接触があるような気もするのだ。
――そう、私をこの場に攫った方からの、コンタクトが。
「……そう思ってたのになーっ! 部屋から出るんじゃなかったなーーっ!!」
こんなことってある? と問いたい。部屋に戻りたかったのに、その部屋自体がすっかり消えていたのだ。扉だけはかろうじて残っていたけれど、それも上下からゆっくりと真ん中に向かって消失した。
はしたないけれど、大の字に寝っ転がりたくなった。できれば青空を眺めたいが、どう頑張っても暗闇しかないので気分が晴れることはないかもしれない。それでも大の字になるだけでも十分な気がしたので、私は迷わず実行する。
ここにはどうせブランシュさんもいないし、ヴィンスさんだっていないもの。二人にしっかり怒られることはないし、イアンさんも勿論いないので笑い転げられることもない。
……ああ駄目だ、泣きたくなってきた。瞳が潤んできたので、零さないようにゆっくりと目を閉じる。
「イヤイヤ、聖女の念じる力で部屋も青空もゲットできるのでは?!」
泣いている場合じゃなかった。さっきは食事にもあり付けたのだ、部屋も青空も偽物でも構わないから出現させることは可能なのではないか。
私は期待を胸に、立ち上がって強めに念じてみる。
さっきと同じ部屋が切実に欲しい。できれば青空も欲しい。
――それよりも意識を失う前にいたヴィンスさんの御実家に帰りたいし、ヴィンスさんに会いたい。ここは嫌だよ。独りは嫌だ。
結果を言えば、部屋も青空も手には入らなかった。食べ物ならまだしも、部屋や青空などといった規模が大きい物は、聖女の力でどうにかできるものではないんだろう。
そのことについては、残念な気持ちもあるが安堵の方が大きいのかもしれない。よく考えてみて欲しい。そのような力があるのなら、私は聖女ではなく神に近くなってしまう。
――ねえ、そうでしょう? エル様。
「そうなったら、わたしは存在しなくてもよくなってしまうね」
ゾクリとした。フザケた雰囲気でもなく、かといって神様らしい威厳に満ちた様相でもない。どこか仄暗い様子のエル様が、暗闇の中に立っていたのだから。
自分自身もそう視認できるように、エル様の姿もはっきりと見える。そういう不思議な空間ならエル様が関わっていると安易に繋がったはずなのに、どうして気が付かなかったのか。そこも含めてエル様が犯人だと思えば、妙に納得してしまうけれども。
「犯人だなんて、酷いなあ。ちょーっと用があって連れて来ただけなのに」
「……私だけ、ですか? いつもはヴィンスさんも一緒なのに」
「ああ、ヴィンセント・グレイアム? 彼は邪魔だから連れて来ていないよ」
「邪魔、ですか」
ヴィンスさんを邪魔だなんて、エル様は言うだろうか? アーヤだけに用があったんだよーごめんごめん、なんてお茶目に言うのがエル様ではないのか。
勝手なイメージの押し付けかもしれないが、申し訳ないが私の知るエル様とは違うように思える。
この、目の前の御方は一体誰だ……?
「エル、だよ。君が名前を付けてくれたじゃないか」
その笑い方のエル様を、私は知らない。オフザケ様の時の小学生みたいな笑みや、神秘的な笑みならば知っているけれど、そんななにかを含んでいるような真っ黒な笑みは初めて見る。
――怖い。姿かたちはエル様だけれど、ご本人もエル様を自称しているけれど、果たしてそれを信じていいのだろうか。私がこうやって怖がっても、ごめんと謝って冗談だよなんて言って慌てる様子のエル様は、まだ見ていない。
「……あーもう、面倒だな。そう警戒されると、わたしも穏やかにはできない……けど、君をどうこうしようとは考えていない。さっきの部屋と青空だったっけ? 用意するよ。別になにもなくてもいいだろうに、人間って面倒だな……まあ、わたしも青い空は好きだけどね。ちゃんと用意するから、安心して。……では、よい終末を」
週末……? 週末だったっけ?
いやいや、そんなことよりも。消え失せた部屋と所望した青空は、どうやら手に入るらしい。エル様が姿を見せたのは、どうやらそれを伝えるためだけだったようだ。
どうしてここに呼んだのか、なにをしたいのか、私をどうするつもりなのか、なにもわからなかったけれど。
エル様はすでに私の目の前から消えている。どうやら元の場所には戻してくれないようだ。いつもならば、用事が終わったらこちらが制止しても強制的に元の場所に戻すのに。
「……そういえば、真っ暗、なんだよ。エル様のいる空間は、いつも真っ白なのに」
私が呟けば、暗闇の空間に青空が現れた。雲がいくつか漂っているが、絵画のようで動きはしない。上の方は青空で明るいけれど、光が差しているわけではないのでこの空間自体は相変わらず暗闇と言った方がいいのか。不思議な空間である。
次に、扉が現れた。おそらく部屋を用意してくれたんだろう。
私はその扉をゆっくりと開ける。私の知っているエル様なら、ちゃんと部屋を用意してくれているだろう。けれど、あのエル様ならば警戒するに越したことはない。警戒しながらも室内を覗き込めば、先ほどと同じような室内のようだった。
ベッドとテーブルと椅子があり、カーテンも窓もある。その窓の向こうは相変わらず暗闇だけれど、上の方には青空の絵画が見えた。この青空は、ある程度広がっているらしい。
「お邪魔、します……」
まったく同じ部屋が現れたのなら、そんな遠慮はいらないんだろう。けれど警戒心は先ほどよりもあるし、声を出した方が少しは心に余裕が持てそうでそうすると、一歩二歩と室内に足を踏み入れる。
「あ、お茶とお菓子が出てきた!」
すると、ポンッと軽快な音を立てておやつセットが出てくる。つい駆け足でテーブルの方へと行けば、クッキーと紅茶を確認できた。ポットの蓋を開けるとレモンの香りがするので、紅茶はレモンティーだろう。
「まあまずは落ち着いてお茶でもしとけ、ってことかな……?」
あの様子のおかしいエル様が、そういう気の遣い方をするかと言えば疑問だ。けれども私の知るエル様ならこの程度のおもてなしはあるかも……と思えば、このおやつセットはありがたく頂戴した方がいいだろう。
「食べ物に罪はない! このクッキーも紅茶も、私の体になんの影響もない! よし、いただきます!」
半ば自棄である。すでにパイ包みのシチューとパンでお腹は膨れているけれど、クッキー数枚と紅茶が入るくらいはお腹に隙間があるだろう。……あるよね、私のお腹?!
サクッとしたクッキーを食べ、紅茶を飲む。すると、違うかもしれないけれど、違うとも言い切れないから、私の涙腺は簡単に緩んだ。
「……なんか、ヴィンスさんの御実家でいただいたクッキーに似てるし、ブランシュさんが淹れてくれた紅茶の味がする」
スンスンと鼻を啜りながらも、私はゆっくりとそれを味わうことにした。
はい、案の定アーヤを攫ったのはエル様でした。
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