絢子、憤る。4
白い光が次第に弱まった気がして、恐る恐る目を開ける。するとブランシュさんが駆け寄って来て、アーヤ様っ、と涙声で叫ばれた。
「ブランシュさん! 私ならほら、大丈夫ですから」
「御無事でなによりです……よかった、ちゃんと戻って来てくださって」
大袈裟だなあなんて思うけれども、心配でたまらなかったんだろうなあとも思う。
私やヴィンスさんからしたら、また連れ去られちゃったよ、くらいの出来事だ。けれど、目の前で消えられるのは怖いものね。犯人はあのエル様しかいないが、ブランシュさんたちはエル様のことを私たちから伝え聞いたくらいでしか知らないし、だから余計に心配になるんだろう。
それに、本当にエル様が犯人なのか、というのもあるのかもしれない。
だから私は、ブランシュさんのウルウルの瞳を拭う。
「エル様に言っておけばよかった。私の大切な人たちがビックリしちゃうんで、呼び方を変えてくださいって」
「まあ、わたくしもアーヤ様の大切な人に加えていただけるのですか?」
「もちろんです! ブランシュさんは特に、私がこの世界に招かれた当初からお世話になりっぱなしですし!」
「まあ! 大変光栄でございます」
よかった、ブランシュさんが笑顔になった。いつもの柔らかい笑顔じゃなくて、まるで少女のような笑顔だったので、なおのことこちらも嬉しくなるし安心する。
同時に、ふつふつとエル様への怒りがこみ上げた。
あちらから強引に私とヴィンスさんを呼んだのに、話の途中で強引に帰らせやがったのだ。謝罪の言葉があったとはいえ、あまりにも自分勝手過ぎやしないだろうか。
こんなことならば、止めるヴィンスさんを押し退けてでも何度も抓り千切ってやればよかった。今度エル様と会う機会があったら、絶対にそうしてやる。
ちらり、ヴィンスさんの方を見る。するとすでに行動していて、イアンさんとイザベラ様とウェスリーさんに、エル様とのやり取りを伝えているようだった。
私はそこに静かに近付くと、ヴィンスさんの服の袖をツンツンと引っ張る。
「お話し中、ごめんなさい」
「ああ、アーヤも話に加わってくれ。今、エル様との話を伝えているところなんだ」
「いいえ、私はちょっと……ブランシュさんに、愚痴を聞いて欲しくて」
おそらくヴィンスさんの頭上には、クエスチョンマークがピコンと現れたんだろう。イアンさんたちの頭上にもあるかもしれない。
「……愚痴? ……俺への……?」
この世の終わりみたいな顔をしているところ申し訳ないが、断じてヴィンスさんへの愚痴ではないので安心していただきたい。
私が首を左右に振ると、安堵の息が三つとフッと噴出した音が一つ聞こえた。笑ったのは多分イアンさんだ。
「……確認するが、俺への愚痴ではなく、誰への愚痴をブランシュに……?」
「エル様への愚痴をブランシュさんに」
笑顔で伝えれば、ヴィンスさんはなんとも言えないような表情になった。憐みのような、諦めのような、困惑のような。
「ウェスリー、奥方をアーヤの犠牲にしてもいいだろうか」
「なにがあったのかはこれから副団長から聞きますが……我が妻は、アーヤ様のお話ならばいくらでも聞きますよ」
「……だ、そうだ。だが程々にしておやりね、お嬢さん」
「くふっ……アーヤおもしれ~」
しっかり笑い出したイアンさんのことは放っておいて、無事に許可は得られたのでブランシュさんの所へと戻る。するとブランシュさんは暖かい紅茶を用意していてくれて、私は遠慮なくそれをいただいた。
「そういうわけなので、ちょっとブランシュさん聞いてくださいませんか」
「どういうわけなのかは存じませんが、アーヤ様のお話はお聞きしますよ?」
「それでは聞いてください、エル様への愚痴」
私は愚痴る。今回のエル様がどうだったかを。
恋愛初心者レベルまで落ちている私を揶揄いやがったこと。重要な話をしているのに途中でやめて強制的に元の場所に帰らせたこと。今までもポンコツが過ぎていたけれど、今回はなんか自分勝手だったこと。
それらを吐き出してもどうにもムシャクシャしてしまったので、私は座っているソファのクッションを掴んだ。
「……ちょっとはしたない真似をしますが、今回は目を瞑ってください」
「なにをなさるおつもりです?」
「コレを殴ります」
「ヴィンセント様に許可を得て参りますね」
流石は仕事ができる人。すぐにヴィンスさんのところへ行き、許可を引っ提げて戻ってきた。
遠慮なく、心置きなく、八つ当たりをさせていただく。左手で掴み、右の拳で何度も打ち付けさせて貰う。上から行くより下からの方がいいな、なんて考えながらもしばらくそうやっていると、控えめにブランシュさんが声を掛けてきた。
「あの……アーヤ様? そろそろお気は済みましたでしょうか……?」
「いいえ、まったく!!」
はしたないタイム、延長でお願いします。
ガツンガツンとクッションを殴るのを再開すると、ブランシュさんは諦めたのか淹れ直した紅茶を置いて少し離れてくれた。ありがとうございます、あとで目一杯謝るしこの紅茶は美味しくいただきますね!
「話は大体わかった。……けど、あの竜が生まれた場所ってどこだ?」
ビールを飲むが如く、ブランシュさんが淹れてくれた紅茶をごきゅごきゅと飲む。ぷはーと言いそうになるのを寸前で止めてクッション殴りを再開させると、イアンさんの疑問が私の耳にも入ってきた。
私はクッションを殴るのをやめて、ハイっと元気よく挙手する。
「そうなんですよ、どこなんでしょうねっ? そういうことも言ってくれよ、って私は今怒っていますっ!」
「はいはい、アーヤは引き続きソレ殴ってていいから。……まあ、本人から聞けばいいだけなんだけどさ」
それもそうである。
「じゃあ私、今から訊いてきます!!」
「ヴィンスぅ、アーヤを止めろよぉ……すげえ面白くなってるから俺がまた笑い出すのも時間の問題だぜ?」
「アーヤは止める。お前は堪えろ」
「無理」
イアンさんが、顔を両手で覆いながらも静かに笑い出した。ヴィンスさんが呆れたようにイアンさんを小突くが、やっぱり効果はないようなので放置するようだ。相変わらずの、笑いのツボがわからない笑い上戸さんである。
「ともかく、お嬢さんは気が済むまでソレを殴っておきな。ヴィンス、どうするんだい? 今からでも私がトーゴの所に行こうか?」
「いいえ、どうせそろそろ夕食の時間です。その際に父たちにもこの話をして、それから竜に問いましょう」
そういえば、外はもう暗くなっていた。このお屋敷に着いてからずっと忙しなくしていたから、時間の感覚とかがどこかへ行っていたようだ。定期的にお茶にお菓子にとお腹にも入れていたので、空腹感もあまり感じない。
しかし、時間の経過を自覚したからか、どっと疲れが出たようである。
「アーヤ? 疲れているなら、夕食後は部屋に戻るといい。あとのことは俺が責任をもってしておく」
「……はい、では、お言葉に甘えて」
ヴィンスさんの心配そうな顔に、ちょっと笑ってしまう。本当に、つくづく過保護な人だ。でも、それが嬉しくて愛しくてくすぐったい。
――驚くべきことに、私の意識はここで途切れたのである。
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