絢子、憤る。1
私は意気込んでいた。神様とはいえポンコツでペラペラな紙様のエル様の、その脇腹を抓り千切ってやろうと。
毎度のとおりに目をゆっくりと開ければ、きっとエル様はニコニコしながらもくつろいでいるに違いない。今回のお茶請けはなんだろうな、くらいの軽い気持ちでいると、しかし目に飛び込んできたエル様はいつもと様子が違った。これには私も、準備していた親指と人差し指をぎゅっと握り込む。そしてヴィンスさんの方へと視線を向ければ、早速エル様に近付こうとしていた。
「どうしたんだい、ヴィンセント・グレイアム。わたしはなにもしていないよ?」
なんてことない、なんともない、みたいな顔をして、エル様は言う。けれど私の目には、ヴィンスさんの目にもきっと、エル様が普通ではない様子に見えるのだ。
それどころか、慌てた様子で弁明する。
「ち、違うから! 暇潰しとか二人で遊ぶために呼んだわけじゃないんだよ?! ちゃんと、どうしてるかなーって、見つかったのかなーって、心配で……」
「……それならよろしいんですが、よろしくない所もございますね」
「えっ?! どこが?!」
きょろきょろと自分自身を確認するエル様は、私達が知っているエル様だ。このポンコツ具合は通常運転のエル様だろう。ひらひらの裾を摘み上げて、可憐な令嬢のようにクルクルと回る姿にはちょっとイラッとしたけれど。でも、それさえもいつものエル様だと思えるので、私は取り敢えず親指と人差指をこんにちはさせた。
「ひとまず、エル様を抓りますねー」
「なに言ってるの?! 毎回言うけどわたし、神だよ?!」
「そうですね、痛くないので抓らせてくださいねー」
「痛い経験有りなんだけど?! 助けて、ヴィンセント・グレイアム〜ぅ!」
ヴィンスさんに縋りやがるけれど、どうやらヴィンスさんは私の味方のようだ。流石は私の婚約者様である。それならばと遠慮なくエル様ににじり寄って脇腹を狙うと、ぎゅっと抓んでそのまま捻った。もちろん、拗られる限界ギリギリまでだ。
痛い痛い痛い、とエル様が泣き叫ぶ声を心地よく思う。しばらくその声を堪能してから名残惜しくなりながらも離せば、私はスッキリとルンルン気分でヴィンスさんの側まで戻る。相変わらず呆れたように溜息を吐かれてしまったけれど、ヴィンスさんも止めなかったので同罪です!
「……ひどい……なんでこんなことされなきゃいけないの……」
「それは……エル様が我々の動向を把握していない様子だから……ですかね?」
「ヴィンスさんの言うとおりですね。あと、なんかムカついたので」
「アーヤ、それは思っていても言葉にしてはいけない。どうせエル様には筒抜けだ」
「確かに!」
その様子だと、ヴィンスさんも裾掴んでクルクルにはイラッとしたんだ?
よかったー同じ思いで、なんて思っていたら、エル様は復活したようだ。キリッとした顔をして、妙に勢い付かせる。
「わかった! ごめん、把握してなくて! なんかね、わたしずっと寝てたんだよね!!」
「は?」
「ごめんってばぁ〜っ! すっごく眠かったんだってばぁ〜っ!」
素直に謝罪してくれたのは、私としては高評価だ。たとえ上に立つ者であっても、ミスがあったなら素直に謝罪するべきだと思う。まあ、簡単に頭を下げていい立場ではないとは思うけれども、反省はするべきだ。
けれど、このポンコツ様はなんて続けた? 寝てた? そりゃ、重低音の声が溢れてしまうだろう。私は悪くはない。
「……偏見で申し訳ないのですが、神であっても睡眠が必要なのですね?」
「あっ……そっか。神様って寝ないって思ってた……まあ普通に寝ますよね?」
ヴィンスさんと同じく、私も普通にナチュラルに神様という存在は睡眠という概念がないと思い込んでいた。けれどそれはこちら側の勝手な想像に過ぎないわけで、たとえ神様であっても普通に睡眠は必要のはずだ。
ねえそうでしょう、エル様だってそのはずだ!
「寝ないよ?」
「寝ないの?!」
噓でしょ?!
「正確には、人間みたいに毎日は寝ない、だね。必要な時に、必要な分だけって感じで。でも、それでもほんの一瞬で十分なんだよね」
それはなんかやっぱり神様っぽい。
「でも、うわぁ信じらんない……いやでも最初は寝ないものだと思ってたけど、やっぱり睡眠って重要だしぃ……」
「わかるよ。睡眠ってすごいね。わたし、起きた時にすっごいスッキリしてたからビックリしちゃった。今後も定期的にちょっと長く寝ちゃおうかな」
エル様がそれでいいならとは思うけれど、そんなエル様だからこそ、寝ていた、というのは物凄ーくなにかあるってことなんじゃないの?
「となると……なにかがあったが故に、普段はそこまで睡眠を重要視しないエル様が寝ていらっしゃった、ということなのですか?」
ヴィンスさんがストレートに訊ねる。するとエル様は、ニッコリ笑顔を見せた。
「そんなことよりも、近況を教えてくれないか」
ゾクリ、悪寒がする。これまでフレンドリー過ぎたエル様との間に、初めて壁ができたように感じた。笑顔であるのに、言葉が冷たいのだ。まるで突き放されたような感覚に、驚いて指の先まで固まってしまう。
エル様に対して恐怖を覚えたのはこれが初めてだ。
顔の血の気も引いているような気がしていると、そっとヴィンスさんが私の方を抱き寄せる。もしかすると、目に見えて震えていたのかもしれない。その手の温もりにホッとすれば、エル様が貼り付けていた笑顔を解いて慌て出した。
「わわわっ、ごめんごめん! 怖がらせるつもりなんてなかったんだ! それに関しては後で説明しようと思ってて……」
「い、いえいえ! こちらこそ過剰に反応してしまってごめんなさい!」
この慌てっぷりはいつものエル様だ。私も釣られるかのようにして慌てて謝ると、エル様はしょんぼりとする。間違えちゃった、と呟く姿は申し訳なさが全開で、ついさっき感じた恐ろしさが嘘のようだ。
つまり、めちゃくちゃ美人がちょっと冷たくするだけで物凄く怖い、ということを実感できたってことか!
そういうことで妙に納得した私は、ほっと胸を撫で下ろした。我ながら単純だと思うが、今はそれで処理した方がいいような気がするので、そうするのである。
「それでは改めて、近況の方を説明いたします」
ヴィンスさんがそう言うので、私は取り敢えず近況を脳内で整理する。
私達はトーゴ・アオヤギさんに会うために、ヴィンスさんの故郷であるグレイアム辺境伯領までやって来た。
トーゴ・アオヤギさんが私の知る店長だということが確認できたけれど、なんと店長にはピギャピギャ煩い竜がくっついていた。
そしてその竜こそが、店長をこの世界に招いた張本人だった。
……うんうん、簡単だけど一応これでいいかな? 同時音声でヴィンスさんも同じような内容をエル様に説明していたので、おそらくは漏れはないはずだ。エル様も私の思考を読んでいるだろうから、私とヴィンスさんの説明に違いがないことは確認できるだろう。
チラリとエル様を見ると、何度か頷きながらもヴィンスさんの説明を聞き、私の方もチラチラと見ていた。特に表情は変わらないので、きちんとエル様には伝わったようである。
思考を読まれるのはなんだかな〜とは思うけれど、こういう時はすごく便利かもしれない。複数人でごちゃごちゃとまとまらない説明をするよりも、スッキリとまとまるだろう。
「え〜? でも、ちゃんと口に出して会話した方が楽しいと思うよ〜? ほら、一方的だし」
私の思考を読んだらしいエル様が突然そう言うので、ヴィンスさんがビックリする。
「……はい?」
「エル様、私の思考と突然会話するのはやめてください!」
「ああ……アーヤの思考を読まれたのか」
「でもでもぉ……便利でしょ?」
「便利ですね〜~っっ!」
悔しいけど便利なんだよね〜っ!!
私とエル様がきゃっきゃしていると、ヴィンスさんの大きな溜め息が聞こえてきた。そうですね、きゃっきゃしてないで話を進めろってことですよね。
「アーヤの思考も読まれたとは思いますが、簡単に言いますとアオヤギ殿はアーヤの知り合いで、彼の側にいた竜がアオヤギ殿をこの世界に招いたようです」
「そのようだね」
「あ! ヴィンスさん、あのことも……」
私がヴィンスさんに耳打ちすれば、エル様が首を傾げる。
「ああ、そうだな。エル様……その竜なのですが、自らを【聖獣】と称しております。そして、かつて俺と【英雄】ドウェイン・タルコットが屠ったはずの魔竜でもあるようです」
その真偽を明らかにして欲しい。エル様ならきっと、あの竜の言うことが本当なのかの判断はできるはずだ。
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