幕間:膨らむばかりの心配に ―ヴィンセント・グレイアム
更新再開いたします~。
握り続けている両手をそっと離すと、ほっとしたような空気が室内に流れた。
ブランシュがまず動き、アーヤを確保して母の側へと連れて行く。安否の確認をしているようだが、客観的に俺はそんなに酷い言葉をアーヤに伝え続けていただろうかと疑問に思う。
アーヤは、かつて魔竜であった者を相手に好戦的になりすぎだ。いくら攻撃を仕掛けてこないとはいえ、アーヤの【聖女】としての力の方が強いとはいえ、万が一のことを考えると力を頻発させるのは悪手である。
とはいえ、俺も何度か容認というか是非にと促した事実がある。しかし、それ以上のことは、具体的に言えば転がして遊ぶことは許容範囲外だろう。もし竜が反撃したらば、いくらアーヤが念じれば平気であっても大怪我を負うかもしれないのに。
わかってくれないのならば何度でも、アーヤが大事だと、無茶をしないで欲しいと伝え続けなければ、おそらくは無意識のうちに大胆な行動を取ってしまうだろう。俺はそれが恐ろしいのだ。アーヤを失うようなことがあっては、俺もうきっと生きてはいけない。
そんな思いを抱えながらも切々と、ついでにアオヤギ殿を竜に奪われて嫉妬している様子も見て取れたので釘を刺すことも忘れず伝えただけだった。
けれど母やブランシュ、果てはゲイルが連れてきたレナードには俺がものすごくアーヤに怒っていると思われたのだろう。だからアーヤは今、ブランシュに付き添われ母に労わられているのかもしれない。
「……そんなつもりはなかったんだが」
ぽつり、呟く声をレナードとゲイルには聞こえていたようで苦笑される。
「若様がアヤコ様を大切にしていらっしゃることは、皆さまもきちんとわかっておいでですよ」
「危なっかしいところが結構あるんだ。無自覚で鈍感な部分も多い。アーヤにはああやって伝えた方がいいと思っているんだが……」
「もちろん、若様の想いもアヤコ様は承知でいらっしゃると思います」
アーヤは俺の言葉を一字一句聞き逃さないかのように、しっかりと俺の顔を見ながらきちんと話を聞いていてくれたのだ。レナードの言うように、伝えた言葉を想いごと汲んでくれたらありがたい。そうして少しは行動を省みてくれたら、母たちの制止を振り切ってまでアーヤに伝え続けた甲斐があるだろう。
「そうだといいな」
今度は俺の方が苦笑すると、応接間の扉を叩く音が聞こえてきた。あまり慣れていないのだろうか、小さな音だったがゲイルがいち早く反応して対応する。
「若様、トーゴさんです」
大きく開かれた扉の向こうから、遠慮がちにアオヤギ殿が顔を見せた。肩には竜がしっかりと乗っており、少し拗ねている雰囲気を醸している。
『挨拶などよかろう。早うお主の部屋とやらに向かうがよいっ』
「駄目だよ、挨拶は大事。……ああ、若様、すみません。ええと、部屋の方に下がっていいと、領主様に言われましたので……」
父に許可を得たならばそれでいいのに、俺の方にも挨拶に来てくれたのか。きちんとしていることがこうした些細なことでわかってしまうので、アーヤとの関係に眉を顰める己が余計に恥ずかしくなる。アオヤギ殿へ強く出られないのも、きっとそうだからだ。
「そうか。わざわざすまない。アーヤはまだ話ができる状態では……こら、アーヤ!」
自己嫌悪に陥りながらももう少し冷静なろうと律していれば、アーヤが俺の背後から顔を出す。だから、そうやってアーヤが行動するから俺は冷静さを失うんだ。それをどうにかしようと誓った矢先だったから、まだ感情の対処ができるとは言い切れないのに。
「店長! お部屋に戻るんですか? その前に少しだけお話しませんか? ブランシュさ……じゃなかった、ブランシュ、お茶の用意をしてく」
「アーヤ、駄目だ」
「どうしてですか!」
「い、いやいや、話をするのはまたの機会に……というわけで、失礼しますね!」
『ぴぎゅっ?! これ、いきなり走るでないっ!』
「あっ、てんちょー!!」
「待ってください、トーゴさん! 俺も行きます!」
そそくさと退室するアオヤギ殿を追い駆けようとするアーヤを、結局は嫉妬を隠せないまま阻止した俺は、その身柄をブランシュに引き渡す。頬を膨らますさまは可愛らしいが、アーヤとアオヤギ殿を二人きりにしてたまるか、との思いの方が断然強いのだ。
これは仕方がない。俺の嫉妬心が暴走しているわけではなく、婚約者として普通に、冷静に、対処しているのだ。
俺は父に任せきりにしているのであちらの様子を窺いに行かなければならないし、母もそろそろ動かねばならないはず。ゲイルはアオヤギ殿の護衛で彼に付くが、レナードは俺に付いて父のもとへ向かうだろう。そうなると、応接間にはアーヤとブランシュだけになる。そこに、アオヤギ殿と竜とゲイル、となれば婚約者として許可ができない。侍女や護衛がいるのだとしても、だ。
「そんなにむくれないでくれ。アオヤギ殿と話す時間はきちんと作る。もちろん、俺も同席させてもらうが」
「……それなら……いいですけど……」
アーヤには狭量だと思われたかもしれないが、嫉妬を抱く相手とは俺がいない場所で会わせたくはない。そもそも、婚約者がいる身で単独で異性に会うなどあってはならない。
とはいえ、これでも俺は、二人の関係をきちんと理解をしているつもりだ。アーヤにとってアオヤギ殿は憧れの上司で、こちらの世界に招かれてからは会うはずがなかった人である。だからこそ気に掛け、気を遣い、少しでも不安を拭おうと行動するのは当然なんだろう。
しかし、である。アーヤたちがいた世界ではどうなのかは知らないが、こちらの世界にいる以上は決まりごとを守って欲しいのだ。俺の醜い感情をこれ以上ぶつけたくはない、というのが本音ではあるが。
冷静にはなり切れない俺は、ひとまずこの場から離れた方がいいだろう。
「母上。俺は一度父上の所へ行きますが、どうされますか」
「あら、わたくしもそろそろ動かないといけませんわね。晩餐の方、楽しみにしていらしてね」
優雅に手を振りながらも応接間から出て行く母を、アーヤは笑顔で見送る。その様子はアーヤの機嫌が元に戻ったかと思われるが、如何せん俺の方の感情がまだ整ってはいないのでやはりこのまま離れた方がいい。
俺はレナードを呼びつけると、ブランシュにアーヤのことを頼みながらも応接間から出て行こうと、した。
「ヴィンスさん! その……また、ここに戻ってきますか? 私、お部屋に戻った方がいいですかね?」
俺を呼び止めたアーヤは、少し不安そうに窺う。確かにそうか、俺とレナードが退出したら、グレイアム家の者は誰もいなくなってしまう。メイド長のアルマを呼んでもいいが、彼女は母に付いているだろうから他の者を呼ぶべきか。
――いいや、父と少し話した後に、俺がここに戻ればいい。それまではアーヤにはブランシュと共にこの場に留まって貰おう。
「いいや、ここにいてくれ。なるべく早く戻って来る」
「わかりました。待ってますね」
まっすぐ俺を見て微笑むアーヤの右手を掬い上げ、指先に口付ける。アオヤギ殿のことではなく俺のことでいっぱいになって欲しい、という願望を籠めたらば、アーヤはどんな表情をしてくれるだろうか。
「……では、またあとで」
レナードが笑うのを堪えながらも俺に付いてくる。愉快そうな反応は、流石はイアンの実兄といったところか。
「若様の婚約者様は、とても可愛らしい方ですね」
「そうだろう。……誰にもやらんぞ」
「承知しております」
◆◆◆
父やハロルドの笑う声に心の耳を塞ぎ、失礼します、と部屋から出た。扉を力任せに閉めなかっただけ、まだマシだと思って欲しい。けれど勢いは付いていて、そのまま二階にある客室の方へと足を向ける。誰も傍についてはいないのだ、速度を気にせずに歩いてもいいだろう。
しかし、足はピタリと止まった。階段を登り終えてから、数歩進んだところだった。そんなところで、どっと疲れが出てしまったのかもしれない。
はあ、と溜息が零れる。アーヤを残して父のところへ向かえば、待っていたのは俺に対するからかいだ。
俺がアーヤを連れて応接間へと向かったことが、からかいたくなるくらいおかしかったのだろう。アーヤに対する過保護さがにじみ出たか、それともアオヤギ殿に対する嫉妬心が零れ出ていたか。特にハロルドはこういうことにしっかりと気付くので、ものすごく愉快そうにされてしまったのだ。
きっと、物珍しいのだろう。これまで女性の影さえなかったのに、四十歳を前にして婚約者を得たのだから。だからこそ心配もあるのかもしれない。俺がおかしな方へと間違えないように、からかいながらも善き道を示しているのだろう。
しかし、もう少し穏やかであって欲しいと思うのだ。特にハロルドは昔からそういう男なので、そうやってイアンやレナードを育て俺や妹を見守っていることはわかってはいるのだが。
「もう少し手心があってもいいんじゃないか」
零しても、この声を聞く者はいない。
「若様、どうかされたんですか?」
自嘲気味にもう一度溜息を吐いていれば、扉が開いてこちらを窺う言葉が聞こえてきた。少し俯いていた顔を上げれば、眉が下がっているアオヤギ殿とゲイルが扉の向こうから心配そうに顔を覗かせている。止まった足をなんとか動かしていたので、アオヤギ殿の部屋の前までいつの間にか辿り着いていたのだろう。
「すみません、いきなり。竜が、若様が来たと言って騒がしくて……」
二人と同じように扉から覗くことはしていないが、竜は室内で踏ん反り返っているのだろう。おそらくは俺の気配か魔力を察知して、アオヤギ殿たちに騒ぎ付いたに違いない。
俺がなんとかここにやって来たのは、師団長にアオヤギ殿への言付けを頼まれたからだ。からかうハロルドから俺を逃がすためだったのだろうが、渡された紙切れを見れば本当に伝え忘れていたことなのだろう。魔力を竜に使われたアオヤギ殿の体調等の経過を記しておくようなことが書かれていた。
「いや、こちらこそすまない。師団長から頼まれたんだ。明日の昼頃までの、貴殿の体調等を記録しておくように、と」
「わかりました。わざわざありがとうございます」
文字は読めるとのことは聞いていたので、紙切れを手渡す。するとアオヤギ殿は、睡眠時間もかぁ、などと言って少し面倒くさそうな表情をした。それから何度か頷いていると、突然驚く声を上げて前のめりになる。
俺も驚いたが、咄嗟に手を伸ばしてアオヤギ殿を支えることになった。
「ぎゃあっ?!」
「危ないっ……!」
『なにをしておる、早う戻って来ぬか! いつまで【勇者】に構っておるのじゃ!』
扉は大きく開いていたが、俺の位置からは目視できていなかった。ゲイルがいたからだ。アオヤギ殿の斜め後ろに控えていたゲイルのいる方から忍び寄って来たのだろう、竜は気配を完全に断ってアオヤギ殿の背中に飛び付いたようだ。
「……本当に、随分と懐かれているようだな」
「ははは、そのようで……」
「だ、大丈夫ですか、お二人とも?!」
ゲイルが慌てて竜を引き離すと、ゲイルの手は平気なのか暴れはしないようだった。しかし竜は母親を求める幼子のようにアオヤギ殿の方へと両手……両前足を伸ばすので、仕方なくアオヤギ殿が抱っこすることになる。ハロルドがそうしていた時も思ったが、竜がしっかりと幼子に見えるのは一体なんなのだろうか。
『なんじゃ、【勇者】よ。用を終えたならさっさと去るがよい』
「言われずともそうさせて貰う。だがお前も、俺や【聖女】がいないところでアオヤギ殿に迷惑をかけるんじゃないぞ」
『わかっておるわ! ……なんじゃ、妾ばかり悪いみたいに。神から見放されたならば、そのような扱いも甘んじて受けろということなのか』
ぼそり、と呟いたつもりだったのだろう。しかし竜の言葉はしっかりと俺の耳に入った。
エル様から見放された、とは一体……?
そもそも【聖獣】のことはよくわかっていない。神であるエル様との関係性も、わからない。竜の言っていることが本当ならばエル様はこの竜のことを知っているのだろうが、すべてわかっていて放っておいたのならば。
俺をじっと見上げた竜は、しばらく見続けるとふいに視線を外す。
『……よいか、【勇者】よ。彼奴が把握しておるのならば、妾は今こうなってはおらぬ』
「彼奴とは……?」
『さあな、妾は知らぬ! ……これ、トーゴ! 妾を抱えてあちらに座れ。妾はまったりとしたいのじゃ』
「ああはいはい、かしこまりました。……すみません、若様」
頭を下げたアオヤギ殿が、申し訳なさそうにしながらも部屋の奥へと竜を抱えて向かう。椅子に座るとその膝に竜を乗せ、なにもかもを諦めたかのような溜息を吐いていた。
俺はその様子を見ながらも、果たしてエル様は今この時のことも把握していないのだろうか、と思う。この世界のことを余すことなくすべて把握しているわけではないけれど、調べろと命じたこのことも知らないのだろうか。
アーヤのもとに早々に戻らなければならない。
あの御方ならば、把握していない、知らない、ということは完全にあるだろうことを、アーヤと相談しなければ。
お久し振りでございます。
前回更新日からの約一か月間、頑張って書き溜めておりました。
目標まではいかなかったんですが、頻度を下げての更新再開をいたします。
今後、毎週金曜日の21時半ごろに1話ずつ更新していきますので、よろしくお付き合いくださいませ。
更新がない間も、リアクションやブクマ有難うございます!




