絢子、実験に付き合う。1
折角お花の綺麗な中庭でお茶をしていたのに、私に怯えヴィンスさんを怖いと言う竜のいる室内に逆戻りである。嬉々としたイザベラ様に手を引かれ、顔面蒼白で連れられて来たのである。ヴィンスさんは助けてくれず、むしろ店長を連行しているので完全に敵だ。
まさか婚約者が敵になるとは思わなかった。私には基本的に過保護だし、溺愛なるものを示してくる人なのに、今回ばかりは味方になってくれなかった。チクショウ。
「あの、僕たちはなにをさせられるんですかね……?」
ヴィンスさんに背中を押されている店長が、恐る恐るイザベラ様へと投げかける。
「アンタはなにもしなくていいんだよ。ただそこにいて貰うだけさ」
「よかった……」
「えっ、ずるいです! 私は?!」
店長に害がないのはいいことだけれど、私にはどうせあるんでしょう。実験させて欲しいと、イザベラ様に直接言われてしまったので。
「お嬢さんには頑張って貰わなきゃねえ」
「ひえっ……! ヴィンスさぁんっ!」
ちょっとは覚悟はしたけれど、振り向きざまにニヤリと悪だくみの顔で言われると恐怖である。イザベラ様の手を振り解こうとしながらも後方にいるヴィンスさんの方へと顔を向けると、グッと口を一文字にして視線を外される。
「おやおや、ヴィンスに助けを求めても無駄だよ。お嬢さんを私に差し出したのはヴィンスだからね」
「すまない、アーヤ」
わかっておりましたよ。この件に関しての助けは来ないことは、しっかりと理解しておりました。
とはいえ、である。
私の勝手なイメージだけれど、研究者は怖いのだ。自分の興味あることに熱心な様子は楽しそうでなによりとは思うけれど、マッドサイエンティストな感じがするので怖いのである。言葉の裏になにかがありそうというか、万が一なにか被害があっても喜びそうなのだ。勿論、そうではない研究者がいることもわかっているけれど、勝手なイメージが先行してしまうのは仕方ないことだろう。
イザベラ様は、そのマッドサイエンティストタイプだと思っている。勿論、ドウェインさんも。だから私はものすごく怯えているんだけれど、ヴィンスさんは容赦なく私をイザベラ様に差し出しやがった。竜のことを少しでも解明するには、この程度の実験は必要なんだろう。私もそう思うから、本格的に抵抗したり嫌がったりはしていないつもりだ。
観念して出戻った部屋の中に入ると、まるで赤子のようにヨシヨシされている竜がいたのは予想外だったけれど。
「ほ~、そうなんですねえ~。だからこういうことになっていると~」
『そうなんじゃあ……妾は可哀想な子なんじゃあ……』
「それではこの爺めが竜殿をぎゅっとして差し上げましょうかね~」
ハロルドさんが、竜をぎゅっとする。すると竜はご機嫌にキャッキャとはしゃぐので、ハロルドさんもご機嫌に竜を天井付近まで放り投げ……落下したところを見事にキャッチした。お見事である。
私が思わず拍手をしてしまうと、店長もつられてなのか拍手をした。それに大きな溜息を吐くのはヴィンスさんである。
「ハロルド、せめて室内ではやめてくれ」
「とってもいい子だったので、ついついやってしまいました。どうです、若様も一度」
『びゃっ……! 嫌じゃ、【勇者】は嫌じゃあ!』
「はーい、嘘でございますよ~。竜殿は若様がお嫌ですものね~」
『は、はりょりゅどぉ~』
お爺ちゃんと竜が戯れている姿を、果たして一生の内に見ることは可能なのか。
答え、異世界に転移したので可能です。
この和やかな様子はずっとだったんだろう、お義父様は豪快に笑いっぱなしだしレナードさんは顔を蒼くしながらもハロルドさんに手を伸ばしては引っ込めている。止めようにも、どう止めたらいいのかわからないんだろう。この場合はきっぱり諦めた方が賢明だと思う。
「それで、なにか聞き出せたのか?」
「ああ、そうでした。いくつか聞き出せましたよ。本当ならばとても愉快なことですね」
『本当じゃ! 妾は嘘は言わん!』
「はいはいそうですよね~、竜殿は嘘は付けないんですもんね~」
私はハロルドさんんことはよく知らないけれど、そういうキャラなんだ? お義父様と通じるようなお茶目な感じは、流石はグレイアム家の執事長なんだろう。
まるで幼子とそれを溺愛するおじいちゃんの様子を続けるので、私たちは見守るしかない。グレイアム家のことは、グレイアム家に処理して頂かないと無理である。
「――さて、若様。いえ、【英雄】殿……【勇者】様とお呼びした方がいいかもしれませんなあ。それから、【聖女】様も」
そう思っていたのに、ハロルドさんは相変わらず竜を抱っこしたままだが雰囲気をピリリとさせた。
私は背筋を伸ばし、ジッとハロルドさんの言葉を待つ。聖女と改めて呼ばれたからには、聖女としてなにか関わりがあるんだろう。
「確かにこの竜殿は、【勇者】様と【英雄】殿がかつて屠ったはずの魔竜だそうです。死して魂だけになった魔竜……竜殿は、【聖女】様がこの世界に招かれたので、元の姿が欲しかったそうですぞ」
『そうじゃ! 妾はそこな【聖女】の【聖獣】だからな!』
ええと? つまり、本当は聖獣だったけど、なんらかのなにかが起きてしまい魔竜になって、ヴィンスさんとドウェインさんに滅されてしまったってこと?
それよりも、私の聖獣って、なんだろう。招かれた聖女は、本来ならエル様が選出した英雄と一緒に災いを退ける、とかではなかったっけ。そこに聖獣の存在って、デフォルトであったんだろうか?
私が首を傾げすぎて腰を起点に左側に曲がっていくと、ヴィンスさんが肩を掴んで元の真っ直ぐに戻そうとしてくれる。けれど考え込んでいる私は無意識に今度は右側に腰から曲がるので、もう一度肩を掴まれて元の真っ直ぐに戻してくれた。
「……え、じゃあ……君は私のペット?」
「ぺっと、とは?」
『なんじゃ、それは?』
「犬とか猫とかの愛玩動物を飼うみたいな感じですね」
『愛玩……っ?!』
流石にショックだっただろうか、竜は呆然として口をパクパクさせるばかりだ。
愛玩動物、と呟いたヴィンスさんは、改めてハロルドさんにしっかりと抱っこされながらも呆然としている竜を見る。
「……あれはもうハロルドの竜でよくないか?」
「そうですよね、あんなに仲良しなので引き裂くのはちょっと……私も動物はあんまり得意じゃないですし……」
『な……なんでじゃ! お主、それでも【聖女】なのか?!』
愛玩動物の言葉にショックを受けていた割には、私が引き取り拒否を示すと縋るんだもんなあ。
それはちょっと面白くないので、私はにっこり笑いながらもファイティングポーズを取る。するとハロルドさんにしがみ付いて震えだすので、勝った、と思った。
……うん、これじゃあペットと飼い主の主従関係はあんまりよくないんじゃないかな? ハロルドさんがご希望ならお譲りしますよ、その竜。
そんな様子を見守っていたはずのイザベラ様が、大きく一つ手を叩いた。
「はいはい、そろそろ私の実験をさせておくれよ。辺境伯、ちょいとその竜とアーリャギ殿とお嬢さんとで実験をしたいので、許可をいただきたいのですが。ちなみに、ご子息のヴィンセント殿からの許可は得ております」
軽くお辞儀をしたイザベラ様に私と店長がビクっとなっていると、お義父様はヴィンスさんと頷き合って無言の親子の会話をした。今のでどんな会話がなされたのかはわからないが、お義父様はニカッと笑う。
これは、多分、絶対に、逃げられないヤツだ。
「構わん。ヴィンセントが許可しているのであればそれでいい。ハロルド、レナード。今一度言うが、ワシが持つ爵位と領主の座はヴィンセントへの継承が決まっておる。今後はそのように計らえ」
「仰せのままに」
「承知いたしました」
お義父様にお辞儀をした執事のお二人は、ヴィンスさんにも同じようにお辞儀をした。こうやってグレイアム家の中のことも、段々とヴィンスさんに引き継がれていくんだろう。
「そういうわけですので、師団長。実験の方、遠慮なく進めてください」
……なんてしんみりしていると、容赦のないヴィンスさんの言葉に、私は頬を膨らませるしかできなかった。
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