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幕間:怯える竜を相手に ―ヴィンセント・グレイアム

 明らかにやり過ぎだ。

 無様にも転がった竜に拳を二つ作って見せたアーヤを、俺は回収する。流石にまずいとは思ったんだろう、大人しく回収されてくれたが、これ以上この場にいて貰うことはできない。竜が完全に怯えてしまえば、せっかく人の言葉を話せる竜からなにも聞けなくなってしまう。


「イアン……いや、ゲイル。母上を呼んで来てくれないか」

「ちょ……まっ……おれが、いくってぇ……ブフッ」

「いいからゲイル、お前が行ってくれ」

「はっ、承知しました」


 笑いを堪え切れていないイアンを遣いに出すよりも、ゲイルに行って貰った方がいい。……アーヤのやり過ぎたことに対して、なにもそこまで笑わなくてもいいと思うんだがな。想定外のことをしでかすので、イアンからしたら面白くて仕方がないんだろうが。

 一方で笑われているアーヤは、俺にしっかりと肩を抱かれつつも申し訳なさそうに萎んでいる。しきりに周囲を、特にアオヤギ殿を気にしているようで、チラチラと様子を窺っているようだが。


「ど……どうしよう……職場では結構しっかりしてるって言われてたのに、店長からの私の印象が悪くなったら死んじゃう……」

「今、聞き捨てならないことを言ったな?」

「ヒエッ……! ち、違います! そう簡単には死にませんけど、なんていうか心が死んじゃうというかぁ~……!」


 必死に弁明するアーヤに、内心クスリと笑ってしまう。

 アオヤギ殿に嫉妬はしてしまう。これからも、ずっとそうだ。けれど、以前のような焦りは伴わない。アーヤのアオヤギ殿への思いの種類がようやくわかったからだ。

 アーヤにとってアオヤギ殿は、ただただ尊敬している相手なのだ。

 俺に当てはめれば、ラルフさんのような存在なのだろう。それに気付いてからは、少し心が軽くなった。きちんとした確認もできたのだし、こうやってアーヤを揶揄えるくらいには余裕もできたつもりだ。


「いや、大丈夫だよ塚原さん。君がうっかり屋さんなのも、変に張り切っちゃうことも、ちゃんと知ってるから」

「今、心が死んじゃいましたね」

「ええっ?! なんかごめんね?!」


 先程よりもすっかり元気をなくしたアーヤは、体に力が入らなくなったのだろう、俺にもたれ掛かった。

 すると、俺の左足になにかが当たる。イアンの手だ。


「どうしよう、ヴィンス」

「どうしたんだ、イアン」

「俺、このままじゃ笑い死んじゃう」

「そうか。好きなだけ笑え。あとで殴ってやる」

「ありがとう。それじゃあ遠慮なく笑うわ」


 床に転がっていたイアンは、そのまま体を丸めて堪え切れない笑いを解放した。

 それを見ていた父が、感慨深げにする。


「イアンはハロルドの若い頃にますますそっくりになったなあ」

「そうなんですか。それではレナードには今のままで一生居続けて貰わなければなりませんね、俺のためにも」


 あの真面目なようで不真面目で、しっかりとしているがいい加減で、人を揶揄うのが大好きなハロルドとそっくりなのはイアンだ。レナードはこれまでそんな素振りを見せたことはないので、是非とも今のままであって欲しい。俺の左右にハロルドが二人なんてことは、絶対にあってはならない。


 そうこうしている内に、母がハロルドとレナード、それからブランシュを伴って来たようだ。ゲイルが扉を開けるので部屋に入ってくると、転がっている竜を見てぎょっとしている。ハロルドとレナードは、それよりも笑い転がっているイアンの方にぎょっとしているようだが。


「まあ! なにやら騒がしいと思っていたら、なんなのですかこれは?」

「よく聞け、ステラ! なんと、竜じゃ!」

「なんですって?! ……今宵の晩餐にいたしますの?」

「おお、それはいいな!」

「駄目です駄目です、なにを仰ってるんですか辺境伯! ステラ様も!」


 師団長が止めくれてよかった。両親の冗談とも本気とも付かない言葉は、ただでさえ口を封じられている竜の精神に打撃を与えるだろう。

 これはまとめてさっさとここから離れて貰うしかない。父には残って貰わなければならないとしても、母にはアーヤを引き取って貰いゆっくりとしていて欲しい。


「母上、アーヤをお願いしたいのですが」

「まあまあどうしたの、アーヤさん。そのように小さくなって……よろしいですわ。これからお茶にいたしましょう。ヴィンセント、アーリャギ殿も連れて行っても?」

「構いません。アオヤギ殿もどうぞ、母とお茶を楽しんでください」


 正直に言えばアオヤギ殿もこの場にいて貰った方がいいだろう。しかし、もしも竜が立ち直るのならば、そこからどのように動くかはわからない。それならば引き離していた方が大事にはならないだろう。

 先程は母は父とふざけていたが、ある程度の状況を把握する能力は確かにある。だからお茶の席を提案したのだろうし、アオヤギ殿をも引き受けたのだ。


「それなら、私もステラ様のお茶にお呼ばれしますよ。竜のことはそっちでどうにかしな。私はもう少し、この人を観察したい」


 師団長がアオヤギ殿を見ながらもそう言うので、母への説明役も兼ねて貰おう。アーヤやアオヤギ殿だけでは心許ないわけではないが、元々この世界の住人である師団長の視点も欲しいだろう。


 俺はブランシュにアーヤを預けると、マージェニー師団長をちらりと見遣って頷き合った。あとのことは頼みます。

 そうして母たちを見送ると、とりあえずいつまでも笑っているイアンを足蹴にした。それでも堪えながらも笑い続けるので、溜息を吐きつつももうしばらく放っておくことにする。あとでハロルドに叱られたらいい。


「さて、ヴィンセント。どうするんじゃ?」

「そうですね……」


 この場に残ったのは俺とイアン、それから父だ。そこにハロルドとレナードが加わって、これからあの竜をどうにかしなければならない。

 この屋敷の、そして領地の主は未だ父だ。だからどう対処するかは父の采配でいいのだろうが、如何せん相手は竜。今は【聖獣】と自称しているが、かつては俺とドウェインとで屠ったはずの魔竜である。どちらかと言えば俺の方が竜に近しいので、父は俺に訊ねているのだろう。


「ジェフリー様から詳細は聞きましたが、若様が屠ったはずの魔竜で間違いないのですね?」

「ああ、そのようにこの竜は言った。死んだはずの竜がよみがえり、【聖獣】となっているのは疑問でしかないがな」


 竜を見る。未だに左右に転がりながらも、口を封じている縄のような物を外そうと躍起になっているようだ。その様子では、本当に【聖獣】であっても神聖さの欠片もなければ威厳なども勿論ない。ただの間の抜けた竜だ。

 アーヤはこの竜が大人しくなるように念じたのだろうが、なにも口まで封じなくても……いいや、おそらくは煩かったので黙らせたかったのだろう。しかしこれでは竜と対話もできないので、口の縄を切ってやるべきか。しかし俺は今、刃物は持っていないので……


「レナード、ナイフはあるか?」

「こちらに」

「……兄上、どこからナイフ出してんだよ」

「あれ、言ってなかったかい? 叔父上に投げナイフの使い方を仕込まれたんだ」


 驚いた。俺もそのことはまったく知らない。イアンが知っていれば嬉々として教えてくれただろうが、知らないのならば俺の耳に届かなくて当然だ。いつの間にか復活していたイアンが呆然とすると、確認するかのようにハロルドを見る。


「叔父上……」

「レナードは今や私よりも投げナイフは上手いぞ」


 ハロルドが小さく頷くと、レナードは上衣の内側を両側とも見せてくれた。おそらくはレナードが持てる分だけの小さなナイフを装備しているんだろう。剣は持てずとも、これならばいくらかは自衛できる。ハロルドなりに、剣ではなく本を選んだ甥を思って使い方を教えたに違いない。

 俺はその中の一本を借りると、竜に近付き口の縄を切ってやった。


『ぷはーっ! はあ……はあ……礼を言うぞ! 貴様は憎き相手じゃが、助けてくれたことには素直に感謝する!』

「……で、お前の目的はなんだ。アオヤギ殿をどうするつもりでこの世界に招いたんだ」

『ぴぎゃっ……! 前言撤回じゃ……その刃物を……刃物を、妾に向けるでない……はものこわい……っ』


 ナイフの刃先を向けているだけだが、どうやら効果はあるようだ。アーヤが握り拳を二つ作るのと同等かもしれない。しかしこうも怯えられては話は進まないので、少しだけ刃先を下の方へと向けた。すると竜はほっとしたのか、大袈裟に息を吐いて見せる。


「それで、目的は。アオヤギ殿をこの世界に招いた理由は。どうやって招いた」

『ぴぎゃ……』

「……別の選択肢を与えよう。ここにいるイアンと、ハロルド。どちらに尋問されたい?」

『ぴ……』


 もう一度ナイフの刃先を竜に向けると、竜はとうとう大粒の涙を流し始めた。しまった。少しやり過ぎただろうか。


「はい、ヴィンスそこまでー。ここは……叔父上が適任では? 俺だと若様以上にやり過ぎちゃうかもしれませんし」


 ひょいと竜を抱え上げたイアンは、そのままハロルドに渡した。竜は涙を流しながらも己を抱くハロルドを見上げ、ぴぎゃ、とか細い鳴き声を上げたようだった。


「よしよし、泣き止んでくださいませ。わたくしはハロルドと申します。貴方はウチの若様が屠った魔竜で間違いありませんね?」

『そうじゃ……』

「そして【聖獣】でもあらせられる、と」

『そうなんじゃ……』


 ハロルドの問いに答えながらも涙は止まらないようなので、よしよしと赤子にするように竜をあやす。このままでは、高い高い、と言いながらも上に放り投げては落下してきたところを受け止めるまでしそうである。ハロルドのそれは、一般的なそれよりも高いところまで放り投げるのが通常だ。

 かつて我が妹が幼少の頃にハロルドに放り投げられていた場面を思い出していると、父が呼ぶのでそちらへと向かう。


「なんでしょう、父上」

「あとはワシらに任せておけ。お前がいると、おそらくはあの竜は怯えたままじゃ」

「さすがにやり過ぎたと反省はしております」


 もしかすると、アーヤに散々やられて心が折れていたのかもしれない。そこに俺が脅しをかけたのだから、あの竜の中で恐怖が勝ったのだろう。父の言う通り、俺はこの場を辞して任せるべきである。


「ステラが茶会をしているだろう? そっちでアリャーギ殿と竜との関係を調べられるだけ調べなさい」

「承知しました」


 竜の様子に、というよりはハロルドが竜をどう尋問するのかの興味を持ちながらも、イアンが俺の方へと来る。おそらくはいつも通り俺に付くつもりなのだろうが、やって貰いたいことがあるので遠慮して貰おう。こうなってしまってはあちらに連絡すべきだろう、との判断だ。


「イアン。お前はラルフさんに急ぎで竜の件の報告を出してくれ」

「あー……なるほど。確かにそうだな」


 俺の言わんとすることを的確に察したのだろう。イアンは何度か頷くと、手をひらひらとさせながらも部屋から出て行った。おそらく数日後には、ラヴィロッティの森まで報せが届いているに違いない。

 予定ではあちらの方が時間がかかるだろうと思っていたが、竜が現れたとなれば時間を要するのはこちらの方だ。ドウェインには悪いが、目処を付けてグレイアム領に来て貰うしかない。いいや、できるなら早くに来て貰った方がいいだろう。


「それでは、俺は母上たちの方へと向かいます」


 一礼をしてから竜の方を確認すれば、ようやく泣き止んだのか鼻を啜っているようだった。これならばハロルドの尋問も勧められるだろう。

 敏腕な彼に後を託して、俺は中庭の方へと向かった。

リアクションやブクマ、有難うございます!

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